第11話 ギルド改革(後編)
評議員会が開かれる三日前から、街の空気が変わった。
炙り亭に、見慣れない男たちが顔を出すようになった。一人は南門市場で、署名を取り下げないかと中小商人を訪ねて回っていた。一人は商業ギルドの裏口で、ヴェルクの監査レポートのコピーを買い取ろうとしていた。
「ベルガー商会の手の者です」
リーナが帳簿に書き込みながら言った。
「彼らは三十年、商業ギルドの評議員会で最大の影響力を持ってきました。手数料委員会の委員も五人中三人がベルガー系列。今回の改革が通れば、年間で数百万Gの利益が減ります」
「数百万G……」
「だから何でもしてきます。賄賂、脅迫、根回し、嫌がらせ。商人として『仕事ができないようにする』のが、彼らのやり方です」
パルムが肩の上で、ぴくりとした。
「リュウ……バルドさんのお店の前に、変な人がいる」
隆之介は窓の外を見た。炙り亭の正面に、男が二人立っていた。客でも通行人でもない。明らかに見張りだ。
「圧力をかけにきたか」
「リュウさん、どうしますか。署名を集めた商人たちに、嫌がらせが行ってる可能性があります」
「……確認しに行く」
◇ ◇ ◇
南門市場。署名した商人の一人、薬草屋の店主が困った顔で隆之介を迎えた。
「リュウさん。すまんが、署名を取り下げさせてくれ」
「何かありましたか」
「ベルガー商会から人が来た。『お前のところに薬草を卸している問屋は、うちの傘下だ。署名を取り下げないなら、卸を止める』と」
隆之介は拳を握った。商売の生命線である仕入れルートを握って脅す。古典的な手口だ。
「分かりました。取り下げてください」
「いいのか」
「あなたの店を守るのが先です。改革は、別の方法でやります」
次の商人。次の商人。次の商人。
十四人のうち、九人が同じ理由で署名を取り下げた。残ったのは五人。バルドを含めて、ベルガー商会の影響を受けない、独立系の商人だけだった。
炙り亭に戻ると、リーナが帳簿を閉じて言った。
「五人……。署名としては足りません。陳情の正当性が保てない」
隆之介はカウンターに座った。
パルムが小さくなっていた。普段の半分くらい。
「リュウ……負けちゃうの?」
隆之介は答えた。
「分からない。でも、ここで諦めたら、ベルガー商会の手口が成功例になる。次に誰かが声を上げようとしても、同じことが繰り返される」
◇ ◇ ◇
評議員会前夜。ヴェルクが炙り亭を訪ねてきた。
ヴェルクが酒場に来るのは初めてだった。明らかに場違いな堅さで、カウンターに座った。
「金城殿」
「ヴェルクさん。署名は五人になりました。すみません」
「貴殿のせいではない。ベルガー商会のやり方は、私も承知している」
ヴェルクがエールを注文した。一口飲んで、顔をしかめた。
「……苦い」
「初めて飲むんですか」
「酒は飲まない主義だ。だが、今日は飲む」
ヴェルクが眼鏡を外した。素顔の彼は、思っていたより若く見えた。三十代半ばくらいか。
「金城殿。明日の評議員会、私は監査レポートを正式に提出する。署名が足りなくても、内部告発として一人で動く」
「ヴェルクさん。それ——」
「貴殿は知らないだろうが、私の先代の主席審査官は、ベルガー商会の不正を告発しようとして、職を追われた。妻子を抱えて、辺境の小さなギルドに左遷された。一年後、流行病で死んだ」
隆之介は息を呑んだ。
「私が主席審査官になったのは、その人の後任だ。引き継ぎの最後に、彼は私に言った。『秩序は、誰かが命をかけて守らなければ、すぐに崩れる』と」
「……」
「私は彼の遺志を継いでいる。だから今回、たとえ一人になっても、レポートは出す」
ヴェルクがエールを飲み干した。やはり顔をしかめた。
「貴殿に巻き込ませてしまったのは、申し訳ない。だが、この戦いは私のものだ。署名が足りなくても、貴殿の責任ではない」
隆之介は黙った。
港区時代、こういう男に会ったことがある。組織の中で一人、不正と戦い続ける男。多くは潰された。生き残った者も、孤独だった。
この人を孤独にしては、いけない。
隆之介は決めた。
「ヴェルクさん。一つだけ提案があります」
「何だ」
「明日、俺もギルドに行きます。傍聴席で。署名は五人だけど、声を上げる人間が一人増える。ヴェルクさんのレポートと一緒に、外部の証言として陳述します」
「それでは貴殿が——」
「ベルガー商会から目をつけられる。分かってます。でも、ヴェルクさんを一人で行かせない」
ヴェルクは長く黙っていた。それから、ぽつりと言った。
「……金城殿。貴殿の故郷の言葉で、こういうのを何と言う」
「日本だと、共同戦線って言いますね」
「共同戦線、か」
ヴェルクが立ち上がった。
「明日、九時に商業ギルド大広間に来てくれ。傍聴席を用意しておく」
ヴェルクが店を出る前に、バルドがエールをもう一杯出した。
「持っていけ。明日のために」
「酒は飲まない主義だが」
「縁起物だ。残してもいい」
ヴェルクは何も言わずに受け取り、扉から出ていった。
◇ ◇ ◇
評議員会当日。
商業ギルド大広間。十一人の評議員が円卓を囲み、上座にエレナ・ヴァイスフェルト支部長が座っていた。傍聴席に隆之介とリーナが座った。パルムが肩の上で固唾を呑んでいる。
ヴェルクが立ち上がった。
「主席審査官として、商業ギルド手数料制度に関する内部監査レポートを提出します」
配布されたレポートに、評議員たちが目を通した。ベルガー商会の代表——白髭の老商人ベルガー二世が、最初に発言した。
「監査レポートの内容は把握した。だが、この格差は規定違反ではない。委員会の正当な決定だ」
「ベルガー殿、規定違反ではないことと、公正であることは別です」
「公正の判断は委員会の専権事項だ。主席審査官の越権行為ではないかね」
評議員たちがざわめいた。ベルガー二世の影響力は強い。エレナは黙って聞いている。
その時。
傍聴席の隆之介が立ち上がった。
「失礼します。傍聴席からの陳述を求めます」
評議員たちが振り向いた。エレナが微笑んだ。
「規定上、傍聴席の登録商人は陳述権を持つわ。許可します。リュウノスケさん、どうぞ」
隆之介は前に出た。
「商業ギルド登録商人、金城・隆之介です。中小商人を代表して陳述します」
ベルガー二世が冷たく笑った。
「代表? 署名は五人と聞いたが」
「五人です。残りの九人は、ベルガー商会から仕入れルートを握られて、署名を取り下げざるを得ませんでした。これが、今回の改革が必要な理由です」
空気が変わった。「仕入れルートを握って脅迫」は、議事録に残る言葉だ。
「ベルガー商会が、中小商人の生活を握って改革を阻止したと——」
「証拠はあるのかね、若造」
「あります」
リーナが資料を提出した。リーナが一週間かけて集めた、ベルガー商会の系列問屋一覧と、署名取り下げ商人の取引先データ。完全に一致していた。
ベルガー二世の顔が赤くなった。
「これは、商売上の正当な取引判断だ。脅迫ではない」
「正当な取引判断なら、評議員会の前日にだけ集中して『取引見直し』の話が来るのは、なぜですか?」
評議員たちが顔を見合わせた。
エレナが口を開いた。
「ベルガー殿。これは説明が必要ね」
ベルガー二世が黙った。エレナの「説明が必要」は、命令だ。鉄壁の微笑みが、笑っていない。
◇ ◇ ◇
審議は三時間続いた。
結果、手数料委員会の規定変更は——否決。
エレナの票は商会側に投票していた。八対四で負けた。
隆之介は信じられなかった。エレナは「面白い試み」と言っていた。ヴェルクのレポートも認めていた。なぜ。
評議員会の後、エレナが隆之介を支部長室に呼んだ。
「リュウノスケさん。今回は、あなたの負けね」
「……はい」
「でも、誤解しないで。私は手数料の格差を放置するつもりはない。ただ、今回のやり方では通せなかった、というだけ」
「どういうことですか」
「ベルガー商会の脅迫は議事録に残ったわ。これで、彼らは次の評議員会で『不当な圧力行使』として追及される。今回の否決は、彼らの手口を公の記録に刻むためのものよ」
エレナは微笑んだ。鉄壁ではなく、本物の微笑みだった。一瞬だけ。
「半年後、もう一度同じ提案を出しなさい。今度は私が通すわ」
「半年後……」
「組織を変えるには、時間がかかるの。一回の評議員会で全部ひっくり返そうとするのは、若い人の悪い癖よ」
隆之介は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はまだ早いわ。半年間、ベルガー商会から目をつけられた状態で、商売を続けられるかしら? それは、あなた自身の問題よ」
◇ ◇ ◇
炙り亭。深夜。
ゴルドがエールを飲んでいた。隆之介がカウンターに座った。
「ゴルドさん。負けました」
「知っとる」
「でも、完全な負けじゃないんです。エレナさんが、半年後に通すと——」
「分かっとる。あの女、最初からそう動いとったろう」
「……気づいてました?」
「あの女はバカじゃない。一回で通せない案件を、二段階で通す。一段目で敵の手口を晒し、二段目で正面から潰す。手強いぞ、エレナ・ヴァイスフェルトは」
ゴルドがエールを一口。
「リュウ。今回お前が学んだことは何だ」
「組織を変えるには、時間がかかる。一発で勝とうとするな」
「もう一つあるだろう」
「……一人で戦うな。組織には組織で立ち向かう」
「そうだ」
ゴルドはそれ以上何も言わなかった。
パルムが肩の上で、少し大きくなっていた。
「リュウ……ボク、今日、リュウのことちょっと誇らしかった。ヴェルクさんを一人にしなかったから」
隆之介は答えた。
「あいつ、初めてエールを飲んだんだぜ。それだけで、味方になる理由は十分だろ」
リーナが帳簿を閉じて言った。
「リュウさん。所持金、報告します。今回のロビー活動費——資料作成、会合費、署名集めの茶菓子代——合計2,500G。今月の竜宮城の手残り3,000Gと相殺して、現在の手持ち、マイナス2,100Gです」
「あれ、月初と同じ?」
「はい。動いた割に、財布は変わってません」
「……虚しいな」
「でも、意外な収入があります」
「え?」
「中小商人の連名で、お礼の集金がありました。署名を取り下げざるを得なかった九人を含めて、十四人全員から。一人500G。合計7,000Gです」
隆之介は顔を上げた。
「みんな、引け目を感じてた?」
「いえ、感謝です。『誰も声を上げなかったら、何も変わらない。あんたが声を上げてくれた』と」
「……」
「所持金、修正します。現在の手持ちは4,900Gです。ようやく、プラスに戻りました」
パルムが肩の上で、ぴょんと跳ねた。
「リュウ! 黒字! 久しぶりだよ黒字!」
隆之介は微笑んだ。
負けた戦いだった。だが、信頼は残った。
ヴェルクとの共同戦線。エレナの密かな支援。中小商人の連帯感。そして、半年後への約束。
組織を変えるには、時間がかかる。
今日の隆之介は、その時間を待てる男になっていた。




