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第二セクター(3)

 目が覚めたのは、昼をすぎた午後の二時。


「ナナルさん、昨日は勝手なことして、その……すいませんでした」

「ま、シー君が無事に戻ってこれたし、いいんじゃないの?」

 キッチンに立つナナルは、意外にもけろりとしている。

 よくないから、昨夜あんなに怒鳴り散らしたのではなかったのか――その疑問は腹のうちにとどめておくことにした。

「そうだ、いい情報教えてやろうか」

「いい情報……?」 

「そ。協議の結果、シー君のことは軍に通報しないことになったらしいよ」

 よかったね、とつけ加えたナナルは、その言葉がもつ、そのままの意味のとおりに笑った。

 シキは状況こそうまく飲み込めなかったが、少年みたいな笑顔を見ているうちに、このまま流されるのもまあ悪くないか、なんて思ってしまう。なんだか、キリク先生とはまた違った破天荒ぶりが、少しだけ心地よく思えた。

 ちょうどその時、れたての紅茶がさし出された。

「はいよ、安物の茶葉だけど」

「ありがとうございます……あ、シムルみたいな匂い」

 いってしまってから、しまった、と口もとに手をやる。

 自身の血が黒いことと、ひとの気配が匂いとして感じ取れることは、人前ではけっして口にしないように努めてきた。たとえ正体がすでに多くの者に知れているとしても、やっぱりヒトと違った力をわざわざ披露したいとは思わない。できることなら隠していたかったのに、うかっと口を滑らせるなんて。

「へえ、これがムッちゃんねぇ」

 自分のカップに顔を寄せて、ナナルは目を細めて香りごと湯気を吸う。シキの憂いなど、どこ吹く風だった。

 食卓テーブルにふたりで腰掛け、ひと息つくと、その後の顛末をナナルがしばらくしゃべって聞かせてくれた。

 昨晩、ヨリェッカはシキをこの家まで送り届けたあと、一時は落ち着いた怒りがぶり返したらしく、ガリーオが住民から受け取ったすべての金品を没取したこと。その金は、朝のうちに、それぞれのもとへ返却したこと。返却しおえて、その足でシキの様子をうかがいに訪ねてきてくれたこと。

「ヨリェッカさんがね、シー君が目を覚ましたらまず謝っといてくれってさ」

「どうしてヨリェッカさんが謝るんですか?」

「そりゃ、金も返しちまったし、無償で怪我を治させたから……ってことだろ」

「でも、それは僕が北国のみんなを傷つけたことが原因だし、お金を取るほうがおかしいです」

 ナナルが、目をみはった。

「本当に助けが必要なひとがいるなら、手を差し伸べるべきだ。――ナナルさんが、僕にしてくれたように」

 損得など、そこには存在しない。

「そのためなら、僕は迷いません」

「……シー君は、かつて黒竜王の血をめぐって戦争が起こったことや、想像できないくらい莫大な金を積んでまで、過去の愚か者たちが秘宝を手に入れたがったこと、聞いたことある?」

「どこかで聞いたような……気がしなくもないような……」

「黒竜王の血が千ブルームなんて、笑える額だぜ」

 どこか冷めた笑いが、ナナルの口元に張りついていた。

「……それでも、みなさんにとってはきっと高額でしょう?」

「……――そうさな、オレたちのような中下層にとっちゃ、高額だ。そう、きみのいうとおりだ」

 ナナルがうなずく。うなずいて、ぽつりという。

「きみの存在は、尊いよ」

 ナナルが目を細めた。細めて、今度はうれしそうに、ゆるゆるとほほえんだ。

「なんてったって、やさしい王様だ」

「……前から気になってたんですけど、ナナルさんは、どうして色んなことを知ってるんですか?」

「ああ、それはね、オレがナナル・エーレーンだからさ」

「はあ……?」

 ナナルが含み笑いをその瞳に浮かべる。

 ますますわからなくなった。しかしそうやってシキが疑問を深める様子を、彼は楽しんでいるふうにも見える。

 ナナルが紅茶カップに手を伸ばしたので、シキも思い出したようにカップを手に取った。口に含んだ紅茶は、少しだけぬるくなっていた。

「それとね、悪い情報もある」

「あんまり聞きたくないです」

「そらそうだ」

 苦い笑みを浮かべて、ナナルは先を継ぐ。

「クラスメイトのフェイメル・モルガーナって子、四ヶ月前から行方不明だそうだ……シー君の仲のいい友達だろ?」

「フェイメルが?」

「うん。それに、これは公式の発表じゃないけど、魔法学校が襲撃された日、黒竜王を狙撃・・したのはその子だっていう話だ。悪魔のスパイともうわさされてる」

 数瞬、シキは背中に強烈な一撃を食らったように、息ができなくなった。喘ぐこともできず、ただ口を開けるしかない。

 カラカラに乾いた口から、ようやく言葉を押し出す。

「…………そんな、そんなの、絶対違う……」

「そうだと信じたいけどね。スパイの話は、実はけっこう前からあちこちでうわさになってたんだよ。シー君は、知らないだろうけど」

「僕が、軍に捕まっていたときから……?」

「そう。あくまでうわさだけどね。けど、その子が行方不明ってことがどういう意味をもつか……今朝、息子から届いた手紙にも、書かれてたよ。……読むかい?」

 ゆっくりと、首をふって辞退した。

 シムルがわざわざウソの情報を教えるとは思えない。だが、あのフェイメルが悪魔のスパイで、しかも自分に毒を撃ったとは、到底信じられなかった。

「学校は軍に制圧されてるらしくて、手紙もほとんど出せない状態なんだとよ……」

「学校が、制圧……?」

 みんなはいま、どうなっているのだろう。そもそも、全員無事なのだろうか。いや、無事だと信じるほかあるまい。

「まあ、魔法司法省大臣兼裁判長が色々な手段使って娘の行方を捜しているから、そのうち見つかると思うけど、まだわからないことだらけだ」

「……ナナルさん、僕、いますぐ学校に……」

 帰りたい。帰って、みんなに会いたい。

「気持ちはわからないでもないけど……おいおい、そんな人生の終わりみたいな顔、しなさんな」

 知らず、テーブルの上で両拳をきつく握りしめていたシキの頭に、ぽんと手が乗る。強張った身体から力が抜けてゆくまで、その手は乗ったままだった。

「あとね、クラスメイトの、リンデルって子」

「ウルトが、どうかしたんですか?」

「シー君は知らないだろうけど、第三セクターの被害はかなりひどくてね。いま、二セク(こっち)の避難所にいるみたい」

 軍が急ごしらえで設営した避難所なんだ、とナナルは納得のいかない渋面で加えた。

「『いまこっちにいる』って、学校は寮制じゃないですか。ウルトがなんで……?」

 一瞬、会話が途切れた。

 たったそれだけで、よくないことが起こっていると察するには、十分である。

「……お母さんと弟が亡くなったんだとさ。あれからずっと、学校に来てないって」

 頭を真横から殴られた衝撃、あるいは、感電したような痺れに襲われた。

 目の前がパッと白くなった感覚――。白いだけで、明るいわけではない。

 極度の緊張が脳から酸素を奪っていった。

 呼吸が苦しい。

 肺か、心臓が助けを求めている。

 たまらなく、痛かった。

「どこ……どこに、いるんですか?」

 訥々(とつとつ)と言葉をついで、ナナルにすがるような目を向ければ、彼は窓の外の雪原のずっと向こうを、指さした。



 その避難所にたどり着いたのは、夕暮れが訪れる前だった。ナナルの家から反対方向に外れた場所に、避難所はあった。

 薄い鉄板でできたような、本当に簡素な平たい建物である。高さはなくとも、面積だけなら学校の広々とした大講堂くらいはありそうだ。ただしその内部が快適であるかどうかは、べつの話だろう。

 キリクからもらったコートのフードを目深に被って、受付の女性に「ウルファート・リンデルに会いに来たのですが」と告げる。

「お名前は?」

「……シキ・ヴァグナーです」

「ヴァグナー君」

 受付の女性は来客者にさしたる興味はないのだろう、努めて目を合わせようとはしなかった。厚い帳簿をぱらぱらとめくって、「ちょっとここで待っていてください」そう言い置いて、受付を出ると、一本しかない狭い通路に消えていった。すでに室内は薄暗い。にもかかわらず、ランプの明かりはまだ点けられる気配はなかった。

 重たい扉の、横滑る音が響いた。


 ややしばらくして、暗い通路から薄闇を引っぱってウルトが現れた。

「ウルト!」

 ずっと会いたくてたまらなかった。声が自然と弾んだのは、そんな単純な理由だ。

 胸の痛みも忘れて、思わず小走りで駆け寄っていた。

 本当に久しぶりに見た友の顔。だが、その表情は険しく、やつれて尖った顎が、どこか冷徹に見えた。

 地下牢で出会ったオルデンや、嫌悪をあらわにしたリジルと同じようで……。

「……ウル――」

 刹那、指をしっかりとめた拳が顔面にくい込んだ。

 そのまま吹っ飛んで、避難所の出入り口の扉に背中が叩きつけられる。衝突音が頭蓋骨を貫通していった。

 次いで、すでに受付に戻っていた女性の短い悲鳴。

 背中と後頭部、顔面から火花が散る。

 まもなく、カーッと熱くなった鼻から黒い血が勢いよく噴きだした。

「っあ……」

 声にならぬ声が、れる。

「どのツラさげてきやがった……! 二度と、二度とオレの前に現れんな!」

 ウルトが、歯をむき出しに吠えた。ほとばしる怒りそのものであるように、血走ったまなこがそこにある。拳は、抑えきれないほどふるえていた。

「――この、化け物!」

 もう一度殴られた衝撃が襲ってきた。今度当たったのは、顔面なんかではなく、胸のもっとも深いところだった。

 額に、なにか硬いものがバシッとぶつかってきた。それが板張りの床に、少しこもった金属音をたてて落ちる。

 ぼう然としたままそれを拾って、顔を上げたとき、もうウルトの姿は闇に溶けていた。

 そのあと、シキはどうやってナナルの家に戻ったか、わからなかった。

 右の手の平には金色の――使役獣ゾルゲの名前が彫られた――指輪が握られていた。ウルトから、叩きつけられたものだった。



 窓枠の向こうに映る朝の景色は、ぼやけた白一色。

 薄く伸びた雪雲が空をヴェールのように覆っている。そこに仲良く並んで浮かぶ、双子の月のシルエットが妙にきわだっていた。


「シロガージョ鳥のスープは嫌いかな?」

「えっ?」

 向かい合わせに座るナナルが、小首を傾げてこちらを見ていた。シキはすぐに言葉の意味を察して、あわてて手元のスプーンに目を落とす。

 シロガージョ鳥と芋のスープをすくったまま、しばらくそうしていたらしい。

「いえ、ちょっと、ぼーっとしてて」

「朝メシ、冷めちゃうよ」

 責めるわけでもなく、穏やかな口調でナナルがいう。

「ヨリェッカさんがお礼にって、冷凍した肉をいっぱいくれたからさ。シー君にも、って」

「僕が――黒竜王が食べ物を摂らなくてもいいってこと、北国の人たちはみんな知ってるんですよね?」

「それくらいは知ってると思うよ」

 知っていて、それでも優しさを分け与えてくれるヨリェッカやナナルの気持ちがうれしい。ボロボロのクチャクチャになってしまった心に沁みてゆくようで、たまらなく、うれしかった。うっかり気をゆるめてしまったら、涙が出てしまうくらいに。

 昨日の出来事は一切、ナナルに話していない。そしてナナルもしいて聞こうとはしなかった。

 スプーンを口に運ぶと、鳥の旨味がたっぷりしみ出たスープが口いっぱいに広がり、どこの部位ともわからぬ柔らかな肉が舌の上でとろけた。

 少しぬるくなっていても、からだがじんわり温かくなってゆく。

「元気出るだろ?」

「……はい」

「ところで。シー君はさ、友達と喧嘩したこと、ないのかい?」

 ごくごく軽い調子でナナルが訊いてきた。あたかも、なにがあったのかを知っているふうに。きっとなんとなく事情を察しただけなのだろうが、それでもナナルの勘の鋭さは一級品だ。

 シキは素直にうなずいた。

「僕、北国に来るまで人間の友達がいなくて……初めてできた友達が、ウルトなんです」

「なるほど」

「……でも、あれは喧嘩じゃない――気がする……」

 ウルトの目に浮かんでいたのは、まぎれもない嫌悪と憎悪。

 いままでにそんなまなざしを嫌というほど見てきた。

「そうかい。ならやっぱり、もう一度会って、ちゃんと話さなきゃいかんね。思ってることを、全力で、ぜんぶ伝えるんだ」

「でも、ウルトからはもう二度と顔を見せるなって――」

「ヒトは、どうしょうもない愚かな生き物だから、ときに感情のまま動いちまうこともある。こと若いうちはね」

 記憶の内部を探るように、ナナルはどこか遠くを眺めて話した。しかし、自分がいまどこにいるのかを思い出したふうに、その視線をシキに戻した。

「勇気を出すんだ、若人。そうすりゃ仲直りなんて、案外簡単なもんだぜ?」

 ナナルがからりと笑った。

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