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強襲

 ゆっくりと、闇の魔術師がフードを払った。

 すうっと細く吐き出された白い息がやけに長くとどまっているせいで、その場のあらゆる事象が緩慢に時を刻んでいる。いま、キリクはそんなふうに体感していた。


 ゴーストの残滓に似たその白いもや(・・)から、ふたたび闇の魔術師へと意識を向ける。

 銀にかぎりなく近い、透けるような金髪。切れ長の目にはまる飴色の双眸――かつては多くの女子生徒から熱い視線を浴びるほどの美青年だったというのに、いまでは、ほおはこけ、目元もくぼみ、とろりと艶めいていた宝石然りの瞳には、ひどく暗い陰が混ざっている。

 マントから覗く手は枯れ木かと疑うほどで、彼は年齢以上に老いていた。


 そうして見つめているうちに、すべての事象が急速に、かつ冷静にキリクのもとへ戻ってきた――。


「……オルデン! テメェ!」

「……お久しぶりです、オルデン先生」

「ああ、パーシヴァル先生、ボクはもう『先生』じゃありませんよ」

 青白い顔にぼうっと浮かぶかすかな笑み。しかし、落ちくぼんだふたつの眼窩がんかには、やはり不気味な光がたゆたっている。

「……そうでしたね。こんなふうにお会いするとは、残念ですよ……ケイル」

「ボクも残念だ……悪魔のあなたがボクを理解してくださらないことも、教え子にこんなふうに牙を剥かれることもね」

 ついいましがた浮かべていた微笑をすっと消し去って、ケイル・オルデンは鞭を構えるジンに目をやった。

「どの口が言うんだ……!」

「きみなら、優秀な闇の魔術師になれたはずなんだが……せっかくボクが彫った芸術作品なのに手を加えられて(・・・・・・・)、ぜんぶ台無しだよ」

 ジンが眉をつり上げたまま、おそらく無意識だろう、二匹の蛇が交差する左腕の刺青を指でなぞった。

「黙れ、ゲスが……!」

 このオルデンこそ、ジンを闇の魔術に引き込んだ張本人であると同時に、かつてジンが憧憬を抱いた教師でもある。だがすでに憧れは憎しみへと変わっていた。

「深い森のさらに奥を映したような、その深緑色の目……やっぱりぞくぞくするね」

 オルデンは嫣然えんぜんと口元を歪めた。それは、狂気を孕んだあまりにも危険な微笑――すぐさま枯れ枝のような指先が、宙に紋章を描いた。

「くそっ、オレじゃこいつの方陣の速度に反応できねぇ! いったん退くぞ、パーシヴァル!」

 石の床から突き上げて襲いくる氷柱を、ふたりはすんでのところで飛びのいた。――が。

氷の狩矢(ヴァイチャー)!」

 すかさず、天井から数えきれない氷の矢が降り注ぐ。それを皮膚一枚隔てたところですべてかいくぐってゆくのは、いかにジンとてたやすくはない。

 ジンの片足が、最後の矢に捕まった。

 一瞬にして右足と床が凍りつく。

「――く、っそ!」

「ジン!」

 キリクが駆け寄った一瞬の間隙かんげきを待ちわびたように、オルデンは一切の情もなく、問答無用に指を走らせる。


 それは、魔方陣が描きあがる直前だった。

「“天上の鉄槌てっついを汝に下さん”!」


 目もくらむ、まばゆい光が頭上からはしったかと思った時にはもう、まぶたを閉じるいとまもなく白光の大爆発が起こった。五体がばらばらに飛び散ってしまいそうな、ビリビリとした衝撃波がキリクの体を突き抜けてゆく。

 まだ爆発の余韻が残るなか、ガツン、と花崗石グランダイトの床が轟いた。

「ここはわたくしに任せてお行きなさい!」

 三人がふり返った先には、ピンヒールをけたたましく踏み鳴らし、魔獣さえも怯えて逃げ出しそうな迫力満点の体を揺らしてやって来る、アザリー教諭の姿。

「元文字方陣学の先生ならわたくしがお相手するほうがいいでしょう。この階の悪魔はコンスタンティン先生にお任せくださいな!」

 その背後から、少し毛づやを欠いた老猫――コンスタンティンが二足歩行でトコトコ歩いてくる。

「パーシヴァル卿、さっさとそこの小娘を連れてゆけ」

 大先輩教諭である彼が久方ぶりに雄々しく声をあげた。ただそれだけだというのに、キリクの手足にみるみる力が湧いてくる。

「……なっ、だれが小娘――」

「これは頼もしいですね」

融けよ(ヴァイザス)!」

 コンスタンティンが鋭く前肢をふると、ジンの左足を捕らえた氷が、シュッと音をたてて水に変わった。

「んまあ、キレッキレだこと!」

 まっ赤なくちびるをにんまり引き伸ばすアザリーに、キリクも微笑し、うなずいた。

「でも、ご老体なのですから、あまり無理はなさらないで下さいね」

「それもそうだ、ぎっくり腰には気をつけるとしよう」

 猫が爪を出した指でくるりと円を描くと、すこし色あせた赤いマントがぱっと現れた。

「ふむ、ちとカビ臭いな」

 それをふんわりと羽織って、首元で留め具をパチンと鳴らす。

 ふとキリクの脳裏に、かつて配下の悪魔たちをもれなくふるえ上がらせた、魔法使いの猫の姿がよぎった。

「昔とお変わりないようでなによりです……それでは、失敬」

 懐かしい記憶を瞳に映したまま、キリクはジンの腕を取るや、瞬時に姿をくらました。


 今世紀最高の詠唱士えいしょうしと、北国最強の猫がいれば大丈夫でしょう――胸いっぱいに広がる安堵、これこそが「信頼」という言葉そのものだと、キリクはこのときはじめて知るのだった。



 ベルガモット教諭のもとへじゃじゃ馬を魔法で送りつけ、キリクは単身、二階の廊下に降り立った。

 そこは一面、美しく管理されていた頃の面影をすっかり失ってしまっていた。

 天井も、壁も、床も、いたるところが穿たれ、学校は理不尽な蹂躙に痛みをぐっと堪えている。その無残なありさまと、生徒たちにより恐怖を植えつけないようにする教室たちを見ていて、キリクの胸に迫るものがあった。

「なぜだ……」

 眉をひそめ、奥歯を軽く噛む。

 ひとたび防護魔法が破られれば、こうもあっけないものなのか。

 もちろん、校長であるガヴェインが不在ゆえに、守りが弱くなった理由もある。だが、この強気の急襲がキリクにはどうにも解せなかった。

「私はなにを見落としている……?」


 シキの姿を求めて視線をさまよわせたとき、巻き上がる粉塵の向こうに、女子生徒の影を見た。女子トイレの前でひざを抱え、ひとり泣きじゃくっている。

 そこへ、丸い塊が天井をつき破って彼女の目の前に落下した。

 床に大きな亀裂を入れたそれは、全身に目玉がついた豚――いわずもがな、悪魔である。

「きゃああああっ!」

 すべての目玉という目玉が、悲鳴の先にギョロリと向いた。

「たすけ、だれかっ……!」

汝止まれ(グロジア)!」

 女子生徒の前に飛び込んだ果敢な人物は、三学年キャメロットの秀才、ユーリ・フェルマン。

 悪魔が硬直しているのを目線ひとつで確認し、一年生であろう彼女の手をとったユーリは、すかさず声をあげた。

「メメリコーレ先生!」

 そばで生徒たちの避難誘導をしていたメメリコーレ教諭が、額を汗いっぱいにしてふり向く。

「フェルマン君……! 早く大講堂へ避難なさい!」

「この子を、お願いします」

 踵をまわすユーリに、ぎょっと驚いたメメリコーレが慌ててその手を掴んだ。

「ど、どこへいくつもりだね?」

「……シキとフェイメルを――友人を、捜します! あいつは、魔法も魔術も使えへんから……!」

 掴まれた手をふりほどいた、その刹那。

 強烈な閃光が二階の廊下全体を包み込んだ。

 窓という窓のガラスが爆破され、ユーリは爆風であえなく壁に激突する――その寸前で、キリクは教鞭を鋭くふった。

退くものを守れ(リィファンド)!」

 爆破によるガラス片や粉塵ふんじん、もうもうと迫る煙が、ユーリの眼前でぴたりと動きを止めた。

 それをまのあたりにした当の本人は、背中に現れたふわふわのクッションに体を沈め、強力な防護魔法を見つめたまま口を半開きにしている。

「怪我はありませんか、ユーリ?」

「は、い……」

 しばし目を白黒させていたユーリは、はっとわれに返って首をめぐらせた。

「メメリコーレ先生は――」

「ああ、パーシヴァル先生、助かりました」

「なんの。さあ、ここは任せて早く避難なさってください」

 こっくりうなずいたメメリコーレは、一学年の女子生徒を連れて一瞬で姿をくらました。


 いまだ世界は完全に静止したまま、キリクに係わる者だけの時が動いている。


「さあ、ユーリも早く避難なさい。生徒に被害が出れば連中の思うつぼです」

「シキとフェイメルがまだ来いひんのです……三年キャメロットはあいつら以外、みんなそろてるんです……!」

「われわれ教師に任せて、信じて大講堂で待っていなさい」

「けど……!」

 普段なら教師にたてつくことのないユーリが、めずらしく食い下がった。

「ユーリ、きみは必要な人間なのです。こんなところで、悪魔に命を奪われるわけにはいきません」

 一方的にそう告げて、キリクはぱちんと指を弾いた。

 時を止めた世界から、ユーリの姿がこつぜんと消える。


 それは、いまキリクにできうる、最大の気遣いだった――。


 *


 押し上げる津波のように、混乱した多くの生徒達が西塔の最上階を目指していた。それが自分達の首を絞める行為になるなんて、彼らにはちょっとも考える余裕がないのだろう。

 そんな抗いようのない波に、シキはあえなく飲み込まれてしまっていた。


「……シキ!」

 耳元にかかるささやき声は、リュゼだった。

 いつの間に指輪リングから勝手に出てきたのか、ふり落とされまいと後ろ首にがっしりしがみついている。

「まずいことになった……すぐにパーシヴァル卿のところへ――ギャッ!」

 リュゼの太くて短い爪が、ぐっと皮膚にくい込んで、シキも小さな悲鳴をあげた。

 どうやら狭い階段で押し合いへし合いをする中で、生徒のだれかに尻尾を引っ張られたらしい。だがそんなリュゼに同情できる余裕が、シキにはなかった。

 なにせ、コートは容赦なく引っ張られるし、だれに押されているのか殴られているのかわからないうえに、足もさっきから踏まれまくっている。

「シキ君!」

 名前を呼ぶ声が聞こえたのは、そんなときだった。

「フェイメル?」

 姿はどうやっても見えない。

 それでも、声は確かにフェイメルのものだった。

「手を、伸ばして下さい!」

 言われるがままに、わずかなすき間に腕をねじ込んで、声のする方にめいっぱい手を伸ばす。

 だんだんと腕があらぬ方向に曲がりはじめたとき、ほっそりした手に、ついに指が触れた。



 窒息してしまいそうな西塔の階段から硬い石畳へ這い出ると、疲れがどっと身体にのしかかってきた。

 首から転げ落ちたリュゼもまた、フーフー肩で息をしている。

「シキ君、リュゼちゃん、だいじょうぶですか?」

 見上げた先に、フェイメルの不安げな顔があった。

「うん。助けてくれてありがと、フェイメル」

「よかった……」

「ここ、西塔と本校舎の連絡通路?」

「ええ」

 気だるい体をようやく起こせば、四階の本校舎と繋がる長い長い直線の廊下が、まだ形をそのまま残してつづいていた。

「でもフェイメル、アリアと一緒じゃなかったの?」

「……はぐれてしまって。それで、シキ君を、探していたんです……」

「僕を?」

 どうしてアリアじゃなくて、僕なんだ。

 そんな疑問を口にしようとした矢先、紫色に腫れたフェイメルの膝にぎょっとして言葉を飲み込んだ。

 リュゼもそれに気づいたらしく、鼻をふんふん鳴らしてフェイメルを見上げる。

「あたなも、おやさしいんですね」

 痛々しく腫れた膝を折って、リュゼの頭をそっとなでるフェイメルこそが、もっともやさしい心をもっているだろう。

「……たしか、大講堂に避難しろって聞こえたんだ。みんな集まってると思うし、きっとアリアもいるよ。そこでアイゼン先生に手当てしてもらおう」

 フェイメルの手をとり、腕を肩に回して体をそっと支えた。

 びっくりしたのか、目をみはるフェイメルをそれとなく無視して、シキは連絡通路を急いだ。


――ウルトにこの光景を見られたら、たぶん、ぶん殴られるな。


「……シキ君、ありがとうございます……」

 横から聞こえた声は、なぜだか、いまにも泣き出しそうにふるえていた。



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