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モリス行方不明

 あの七階での事件があってからはや半月が過ぎ、十一月も終わりにさしかかっていた。

 もはや吹雪いていない日を思い出すほうがむつかしく、世界は乱暴に白一色で塗りつぶされている。

 先生たちが寒い寒いとグチをこぼしながら毎日かけ直している学校の保護魔法は、自然の猛威の前では満足な力を発揮できなくなっているようだ。

 校内の寒さは日増しに強くなっていた。

 ウルトやハリスが屋外スポーツのホーネットができないとぼやいてから、いったいどれくらい経つだろうか?



「あのっ、ヴァグナー君、これ、読んでもらえる?」

 唐突な申し出に、シキはすぐさま申し訳なさそうな顔を作って、こう切り返した。

「ごめんね、だれからも受け取ってないから、きみのだけ受け取るわけにはいかないんだ……」

 ツインテールの小柄な女の子が、ひどく傷ついたとでも言いたげにうるんだ目で見上げてきた。

 ハートマークのシールがついた封筒をこうやって目の前に出されるのは、もう何度目になるかわからない。

 だからといって下手に慰めでもすれば、それが逆効果になることをシキはこの半月でよくわかっていたし、そもそも上手いなぐさめ方なんて知らないのだ。

 だからもう一度名前も知らない彼女に、「ごめんね」と告げた。


「キマイラを倒した英雄の肩書はダテじゃねーなぁ。ラブレターなんてうらやましいぜ!」

 一時間目の卜占学ぼくせんがくに向かう道すがら、ウルトは茶化すようにケケケと笑った。

「かんべんしてよ……」

「いーじゃんか! いまや『シキ・ヴァグナー』といやぁ、時の人だぜ」

「望んでないけどね」

 シキとしては注目を浴びるなんてもってのほかだし、むしろひっそりとしているほうが性に合っている。ところが、シキの意に反してあちこちから矢のような視線がひっきりなしに飛んでくる始末だった。

 ファクローが襲われた件で犯人扱いはもちろん、黒髪に黒い目というだけで害虫のように疎まれてきたシキが、今度は名前も学年も知らない男子生徒から「おい見ろよ、ヴァグナーだ!」と興奮気味に指をさされたり、あるいは見ず知らずの女子生徒から熱烈なまなざしを浴びたり、兎にも角にも視線が痛かった。

「なんならオレが代わってやりたいくらいだね!」

 できるものなら、ぜひともウルトにこのポジションを譲りたいところだ。ただし、この立ち位置は死の危険と隣り合わせ――「英雄」の肩書きだけなら、よろこんで差しだすというのに。


――僕はみんながいうような英雄なんかじゃない。たまたま生き延びただけだ……いや、もしかしたらバショカフに生かされているだけかもしれない……。


 そのバショカフはというと、信じられないことにまったく以前と変わらぬ態度で意気揚々と教鞭をふるっていた。

 シキが全身をガチガチに強張らせている目の前で、彼は前歯が一本欠けた笑顔をクラスのみんなに向ける。まるで、本当に何事もなかったかのように。


――なにを考えているんだ。


 あのヒントの謎も解けていない。


――バショカフは僕を殺そうとした一人だ。

――僕をまだ生かしておいているのには、なにかわけがあるんだろうか。


 不安と猜疑さいぎを胸に秘めながら、シキは地下教室へ延びる階段を、一歩ずつ踏む。そのとなりを歩くウルトがおおきく身震いをした。



 地下一階にある教室は、相変わらずの強烈な冷気を漂わせていた。

 だれしも朝一番の卜占学ぼくせんがくは拷問だと思っていることだろう。教壇をじっと見つめる数秒で氷漬けになってもおかしくない。そんなふうにシキは考えていた。

 隣の席を見れば、ウルトもアリアもひどい貧乏ゆすりみたいにふるえていた。

「ふん、ファクローがいなくてせいせいすんぜ」

 ウルトの言葉どおり、極寒の地下教室にファクローの姿はない。その理由は至極簡単――それは彼の父親が職権乱用ともいうべき圧力を学校側にかけたためだった。


「ウチのせがれは貴様らボンクラ教師たちのせいで死ぬところだったのだぞ、病み上がりで授業なんぞ受けさせられるものか! 自宅で療養させる! それと単位については……わかっているでしょうな!」


 そんなふうにファクローの父親が職員室でつばをまき散らしたのは、つい一週間前の出来事のはずだ。これで北国の名家のひとつというのだから、シキはなんともいえない複雑な気持ちだった。

「国軍の将軍だからって、えらそうしやがって」

「ファクロー一族はえらそうにするのがうりなのかもね」

「はん、子が子なら親もなんちゃら、ってな」

「親が親なら子も子、よ」

 アリアがちいさな声でぴしゃっと正した。その震ふるえるくちびるから、カチカチと歯を打ち鳴らす音が聞こえた。

 スカートをはく女子のつらさは、正直なところ男子にはまったく想像も及ばない。

「なあ、それよかキエのやつ、ブラッドの尋問でも口を割らねーらしいぜ」

「まだ入院してるんでしょ? 国立医療……えーと」

「国立医療センター、国軍附属のな。全身拘束されて、独房みたいな部屋らしいけど」

「へぇ。あんなにひどい怪我なのに、たった半月でもう治ったの?」

「らしいぜ、しゃべれるようになったはいいけど、尋問しても頑として口を開かねーもんだから、ヒゲナットウの野郎がピリピリしてるってわけ」

 まったくもっていい迷惑だ。

 廊下ですれ違うたびに長く足止めを食らうのは、そんな理由からだったらしい。

「だからあと二、三日したら国軍管轄の刑務所にぶち込まれるらしいぜ。でもあいつ軍人だし、こっそり釈放とかされでもしたらたまんねーよなぁ」

 ウルトのその情報はどこで仕入れたものなのか、きっとあらゆる場所に情報網が張り巡らされているに違いない。

「リンデル! それにヴァグナー!」

 突然、教壇から怒声が響いた。

 その声の主はヒゲナットウ――もとい、メリーニ・ブラッド教頭である。

「だれがおしゃべりしていいといったかね! ん?」

 ばしん、と教卓に手を叩きつける音が響いた。

「うぐ……」

 ブラッドのちょび髭が苦悶にゆがむ。これは、思った以上に痛かったようだ。

「サァーセェーン」

「スミマセンでした」

「くっ……教頭である私がこうして二年生の選択科目を代任するなど滅多なことではないのだ、きみたちはたっぷり時間があって結構だが教頭の立場の私はきみたちが思う以上に忙しいのだよ、それをだな、校長先生からの頼みであるから卜占学の教壇に立っているのだ、そもそも私は占いなど魔法魔術論とははるかにかけ離れた学問だと思っているし、当然知っているだろうが私の専門は復元魔法であって――」

 云云うんぬん


 このとおり、キエが病院送りになって穴の空いた卜占学はなんと教頭のブラッドが代任することになって、毎々毎回、ネチネチネチネチ説教されるはめになったのだ。


 授業終了のチャイムが鳴ったと同時に、地下教室からはわれ先にと生徒が飛び出した。

 シキ、ウルト、アリアもその流れに乗って階段をのぼっていく。

「寒いしヒゲナットウはムカつくし卜占学よくわかんねーしさぁ!」

「同感。でもさ、卜占学がブラッドになったのはサイアクだけど、相棒のモリスがいなくなってくれたから、ウルサイのがひとりになっただけでもマシじゃない?」

「どうせなら教頭も行方不明になってくれりゃよかったのに」

「でも、モリス先生、ホントにどこ行っちゃったのかな?」

 さも明日の天気を尋ねるようにアリアがいった。

「しらねー」

 生活指導教諭のモリスは事件のあった翌日、どういうわけかこつ然と姿を消してしまったのだ。しかも彼の足跡を知る先生はだれ一人としていなく、「そのうち戻ってくるだろう」と、びっくりするほど楽観的な結論で捜索は早々に打ち切られたそうだ。

 おかげで生徒らは五.五階を悠々自適に行き来することができたし、廊下もずいぶん歩きやすくなった。ただ、その代わり校内に薄気味悪い黄土色のイモリが出ると女子生徒たちの悲鳴をよく聞くようになって、先生方はイモリ捜索で毎晩のように駆り出されていた。

「まったく、いい迷惑です!」

 昨夜、がまんの限界を超えたらしいキリクを手伝って、シキもどこにいるかわからないイモリを消灯時間まで探すはめになったのだ。

 まったく、いい迷惑だ。



「いいですか、キャメロットのみなさん。何度もわたくしがいいましたように、どんな呪文の詠唱にも、強く願うこころが大事なのですよ」

 三階の防音魔法が施された教室に、独特のキンキラ声が響いた。

 寒さをもろともしないダイナミックなボディ、強烈な赤いルージュ、ギラギラと輝くスパンコールショール、鳥の巣と見まがうふわふわの金髪……。いや、獣系悪魔のバルバスにそっくりな、ココスロベンヌ・アザリー教諭が教壇をのしのし歩き回っていた。

「二時間目から言霊学ことだまがくを受けられるのは幸運ですわ! 午前中はよく声がでますもの!」

 オホホホホホ。

 彼女の笑い声を目の前の席で聞くはめになったシキは終始うつむくことに専念していた。なにせ、アザリー先生は他の先生たちよりも人一倍目をかけてくれる先生だ。シキが職員室に顔を出せば(もちろんキリク先生の手伝いである)気さくに話しかけてくれるし、いつだって親身になってくれる。ただし、授業ではそれがあだとなることもしばしば――。

「ヴァグナーくん、強制的に物質を分解、または還元する呪文はおわかり?」

「……『粉砕せよ(ミョルニール)』?」

「んまぁー、おしいですわよ! 正しくは『スティーリア』、在るべき姿に戻す呪文ですわ。じゃあ、いまの呪文の属性はおわかり?」

「……光、ですか?」

 シキが疑問符つきで答えると、アザリーの顔面が崩壊した。いや、たんに相好を崩しただけなのだが……。

「あらあら、まあ! すばらしい! そのとおり、これは光の魔術。魔術師の力量次第では、それはそれは強力な呪文ですわよ! さあみなさん、わたくしのあとにつづいて!」

 さんはい、とアザリーが手を打った。

「スティーリア」

「スティーリア」

 キャメロット生はすべからく彼女に従順である。それはつまり、あえてバルバスを怒らせようとする者はひとりもいないためだった。

「いいですこと、言の葉に魂を注ぐつもりで。強く願い、言霊に想いを、重ねるのです」

 かくして授業は円滑に、円満に進んでゆくのだ。


 授業終了の本鈴が鳴ったのは、アザリーが詠唱にビブラートが必要か、そうでないかについて熱く語っていたさなかだった。

「ではつづきは次回! みなさんごきげんよう!」

 まだまだ話し足りないといった顔のアザリーは、渋々、言霊学室の扉に人さし指を向けた。わずかな時差もなく、勢いよく扉が開く。

 シキら五人が立ち上がったその時だった。

「ソロさん」

 アザリーに声を掛けられたアリアが首を回し、大きな目を二、三度瞬かせる。それは、アザリー先生の表情がふだんとまったく違って、いつもにこやかな表情から一変、いまはどこか気遣わしげな――狼狽しているようにさえ見えたためだ。

「パーシヴァル先生がお呼びよ。すぐに職員室へお行きなさいな」

「え……?」

「ソロさん以外は次の授業へ向かうのよ、さあ、ときは待ってはくれませんわよ」

 シキの背中をむっちりとした手がやさしく押した。


 三時間目の幻魔獣学にアリアは現れなかった。

 先週から引きつづき、アリアがとても楽しみにしていた「指示号令」の実践だったというのに。


 シキがアリアの姿をやっと目にしたのは、夜八時すぎのがらんどうになった玄関ロビーだった。

 またしてもイモリを捜して廊下を這いつくばっていたとき、だれかのすすり泣くような声に、はっと顔を上げた。

 柑橘系の香りと……鼻の奥がスーッとするような、ハッカによく似た香り。その匂いでだれだか気づく前に、三本柱の近くによく知るふたりの姿を見つけた。

 柱に背を預けたユーリの胸で、アリアが声を殺して泣いている。しかもアリアは制服のまま、ユーリは部屋着姿のままで、足元にはぎゅうぎゅうに膨れた鞄がひとつ。

 彼らのことをよく知りもしないアバロン生がこの場面だけを目撃したとしたら、男女のもつれと勘繰るかもしれない。もちろん、アバロン生ならば、である。

 シキはふたりに声を掛けず、イモリ探しを手放し、来たみちを戻った。


「ほんまに気の毒やったな……でも、おばあさんのぶんまで生きなあかん」


 あの場で偶然耳にしてしまったユーリの声は、シキがいままでに聞いたことがないほど悲痛だった。

 ほほがしびれるように痛むのは寒さのせいか、それとも――。



 一夜明けた朝、シキは講義室の窓からはらはらと花弁が散るような雪を見ていた。


「ここ一週間の大寒波が第二、第三セクターを飲み込んだために、多くの命が昨日までに失われました。きょう、クラスメイトに欠席が目立つ理由はこれでおわかりですね? 第二セクターでは約四割の人々が飢えと寒さ、そして肺炎で亡くなりました。第三セクターでは約五割の人々が家屋内で氷漬けになりました。諸君はいまある命を大切にし、生きてゆかねばなりません」


 一時間目の魔法学の冒頭、キリクは教壇に立ってすぐ、こう口火を切った。


「オレんは、兄貴が上層部に頼み込んで二セクに避難できて無事だったけど……兄貴はまだ幹部職じゃないから、きっと恥も外聞も捨てて、頭、下げたんだと思う」

 となりに座るウルトが窓の外をみつめながら、だれにともなくぽつりとこぼした。


「家族を失った友人がここに戻ってきたとき、きみたちがしっかりと支えてあげてください」


 窓の外で舞い散る雪は、あまたの死を悼むかのように、ただひたすらにやわらかく落ちていった。



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