学校祭(1)
暦の上では初夏から本格的な夏にうつろう季節になっていた。
そうはいっても、ここ百年の北国は年中真冬のような気候ゆえに、北国出身のだれもが「本格的な夏」を知らない。
空は相変わらず太陽のない灰色。
当然、地上も灰色――というところだが、きょうはいささか様子がちがった。
国立魔法学校の広々とした敷地に、ところせましと並んだカラフルなテント、テントの横に据え置かれたド派手なのぼり、校舎にくくりつけられた色とりどりの風船、厚手のコートを着た生徒たちのはじけるような哄笑……。
“学校祭”
その文字入り巨大風船が、本校舎最上階からやけに主張してくるのを、シキは白い息を吐きながら改めて見やった。雪が降っていないだけで、気温はやはり冬のそれである。
「なっ、楽しいべ!」
ウルトは雲のようなフワフワの食べ物をほおばりながら、うははと笑った。
「アホか。二年が一年みたいなハシャぎ方しよったら、恥ずかしいやろ」
「やぁーだぁー、ユーリ君ったら、オトナぶっちゃってぇ!」
「気持ち悪いからやめぇ!」
気味の悪い虫でも見るような、ゾッとした顔でユーリがいう。
そんな友人をからかうのが楽しいのか、ウルトがクネクネしながらユーリの腕を突っついた。
「じつは楽しいくせにぃ」
校舎玄関口から石造りの門柱まで続く、長い直線状に整然と並んだ出店の数々。その直線を境に、東西で出店や出し物のブースが自由に置かれている。
午前中からウルトを先頭に、シキとユーリは浮かれてまごつく一年生の群れをするりと抜けて、すでにたくさんのテントをまわっていた。
「シキ」
突然くるりとふり返ったユーリが、いつもの硬い調子でいった。
「調子、ほんまにもうええのか?」
「うん、さすがに一週間経ったし、元気になったよ?」
「……なら、ええけど」
紫色の目に、わずかな翳りを見せたユーリが何を思ってそういったのかは、シキにはわからない。それに、彼は投げた質問の答えをいちいち説明するような性格ではないことも知っているから、シキはあえて聞かなかった。
「いでで……ユーリてめぇ! 本気で蹴るなんて! もう絶交だかんな!」
「そら、せいせいするわ」
くちびるの端に皮肉を浮かべたユーリの横で、ウルトが「そんなっ!」と叫ぶ。
「シキ、いまの聞いた? ひどくね、オレかわいそうじゃない?」
「うーん、微妙だね」
「シキ、かまへんほうがええ」
いつもどおり、鋭い切れ味。
授業中の昏倒からすっかり回復したシキに待ち受けていたものは、毎年夏に行われるイベント、学校祭だった。
教員はもちろん、ゴーストや第一セクターの資産家の協力で様々な催し物があって、例年、魔法学校の敷地内はこんなふうに大賑わいらしい。
去年の夏、残念なことにシキは学校祭が終わってからの入校だったのだ。
「出店は教師連中とゴーストがやるわけよ」
ほら、と見事復活を遂げたウルトが西塔側のテントを指さした。
「アバロン担任のニナなんて、しぶしぶやってる感、丸出しだろ」
けけけ、と笑って、ざまぁと付け加える。
「いつも偉そうにしよるから、いい気味やな」
朝方の冷たい空気をさらに固めたような、冷えた瞳にせせら笑いを浮かべるユーリも、いつも以上に辛辣だった。
とはいえ、むすっと仏頂面でクレープ生地を焼くニナの姿はある意味新鮮だし、話のネタにはうってつけだ。
「二時から勝ち抜き戦のホーネットのミニゲームもあるけど、シキは出れないしなぁ」
「ふたりとも、本当に僕にかまわず出てもよかったんだよ?」
とくにウルトは参加したかったはずだ。なのに、それをおくびにも出さず、白い歯を見せてシキの背中をぽんと叩いた。
「ばっかだなぁ」
「シキは去年参加してないんやし、楽しまんとあかんやろ?」
シキの肩に、ユーリの手が乗った。
胸の奥も、背中も、肩もじんわりあたたかい――。
ファーット卿は 勇猛勇敢
はるかむかしは 正義のために生きた
ある日首をはねられいまは あらら半透明
ファーット卿は 何でも知っている
はるかむかしに 死んでも生きてる
生徒諸君 われを礎に学び舎で学べ励め
やや音痴な歌が、西塔の近くのテントから聞こえてきた。
歌詞からしてファット卿だということは確認せずともすぐにわかった。
歌うならせめてボリュームを下げてほしいところだが……。
「さあて、私のお手製ひんやりソフトクリームはどうかね? たったの十ブルーム! さあさあ、ファット卿のひんやりソフトクリームはいかがかね? 背筋も胃も凍るよ!」
いつもは男子寮の番をしているゴーストが、カラフルな屋台で厚手のファー付きマントを羽織って、大声を張りあげていた。
ちなみに、ゴーストなのだから防寒対策などとくに意味はない。
「ファット卿、こんにちは。三つ欲しいんだけど」
「おやおや、まあまあ! これはこれは、二年生のヴァグナー君ではありませんか! おやっ、お隣はいたずら魔法の発明家、リンデル君! うしろにいるのは……なんと! 主席のユーリ・フェルマン殿! 頭がよくて、このアイスのように、クール!」
最後がやけに大きく響いたせいで、周りにいた生徒がざわめきながらふり返ったり、横目で盗み見たりしている。
ユーリはこの学校祭だけで配られている十ブルーム紙幣を屋台の番台に叩きつけ、ふわふわ浮いて出てきた半透明なソフトクリームを鼻息荒く受け取った。
ファット卿は「やあやあ、まいど有難う!」と、ご機嫌だ。
そこへ、なんとも言い難いタイミングで偶然アリアとフェイメルが通りかかった。
「やるわ」
藪から棒に言うと、ユーリは買ったばかりのソフトクリームをアリアに手渡し、すぐに歩き出して人混みにとけてしまった。
わざわざ目立つことを好まない学年主席だから、機嫌を悪くしたにちがいない――。そう思うと、たとえ悪気がなかったとしても、ファット卿に文句のひとつも言いたくなった。
シキは肩を落としてため息をつこうとしたその時、急にひらめいたのだ。
そうだ――!
ぽかんとソフトクリームを握るアリアに、こっそり耳打ちをする。
「チャンスじゃない? ユーリを追いかけたほうがいいよ」
「えっ、でも……」
「きょうは最後まで参加するっていってたし、一緒にまわってきなよ」
アリアのパッチリした茜色の目が、大きく見開いた。
ほほまでも目と同じ色に染まる。
「ね」
シキがにっこり笑えば、アリアはそれ以上の笑みを返してくれた。
「フェイメル、あたしちょっと行ってくるねっ!」
そう告げるなり、彼女はあっという間に人ごみに紛れて見えなくなった。
「ささささむい」
「オオオオレも」
歯の根がどうにもこうにも合わなくなって、シキとウルトは会話をするのも一苦労だった。
身を縮めて暖をとろうにも、胃の中から冷たくてはどうする術もない。
顔面蒼白でよろよろ人混みを歩く姿は、フェイメルが一歩引いて歩くほどだ。しかも、生徒全員に配られるブルーム紙幣五十枚は、すでにほとんど使い切ってしまっている。
「ファット卿のソフトクリームは胃を氷漬けにするって、伝説になっているそうですわ」
「ささささすがフェッ、フェフェイメルちゃん」
カチカチ歯を鳴らすウルトが、大好きなフェイメルを褒めたたえた直後、カッと目を見開いた。
『熱々解凍ドリンク(ひんやりしたあとはこの一杯で解かしましょう)』の、のぼりが立ったテントを見つけて一目散に走りだすウルトの背中を、シキも追いかける。
『熱々解凍ドリンク』をなんとかタダで入手する方法を考えながら――。
「ユーリ、待ってえー……」
出店一帯から離れたベンチでひと休みしていたユーリは、どこからともなく聞こえてきた弱々しい声に、思わず腰を浮かせ、目を丸めた。
人垣を押し分け、ユーリの前に現れたのはひざを血だらけにしたアリア。
なぜかソフトクリームのコーンだけを手にしている。
「ど、どうした……?」
「途中でこけて……ソフト、落としちゃって」
「……あほ」
ため息がこぼれた。
「だってユーリが速いんだもん……」
「間抜けなとこは昔と変わらんなぁ……ったく、こっち来い」
ひらひら手招きして、自分が座っていた場所にアリアを座らせる。
びっくりするアリアが一言も発しないうちに、向かい合ってしゃがむユーリは、真っ赤なひざに手のひらをかざした。
「癒えよ」
短い詠唱は、応急処置の医療魔法。
すると、またたく間に血が止まり、赤味がすーっとひいていった。
「まー、こんなもんやろ」
「ありがと、ユーリ!」
何気ないお礼の言葉を受けて、ユーリがふっと顔を上げた。
紫色の双眸にアリアだけが映り、あるいはアリアの茜色の目に、ユーリだけが映る刹那的な時間。
数秒、互いの視線が絡む。
「あっ……」
アリアの頬がみるみるうちに赤く染まっていった。
なんてわかりやすいのだろう。
「あの、あのさ、もしユーリがよければ……一緒にまわらない? その、みんなとも離れちゃったし……」
それが、精一杯の言葉。
断られても後悔はないと、決意を込めた眼差しだ。
「ええけど」
だがしかし、答えはものすごくあっさりと返ってきた。
「いいの?」
「そんなん驚くことか?」
「えっ、えーと、じゃあ、東塔のほうからまわろう!」
あわてふためくアリアのこんなに嬉しそうな笑顔は、ここ最近で見たことがあっただろうか。いや、シキの知る限り、新入生の歓迎会からきょうまで見たことがなかった。
シキはそんなふたりのやり取りを、もそっと茂った庭木の後ろでそっと見守っていた。
――というのも、あれこれ策はつくしてはみたけれど、結局『熱々解凍ドリンク』を手にできなかったシキとウルトは、中庭のベンチに座ってふるえが治まるのを待つしかなかった。しかも、フェイメルはハリスたちと『ゾルゲのショー』を観に、ふたりを残していなくなってしまったのだ。
「ハッハッハリスめ……おおお覚えてろよ!」
逆恨みもいいところだ。
そうするうちに、庭木を挟んだ真後ろのベンチから、アリアとユーリの声が聞こえてきた、という具合だ。
そして、現在に至る。
――がんばれ、アリア。
「やだーっ! シキってばニヤニヤして変態」
「えっ?」
ぎょっと横を見れば、ぷぷぷと口もとに手をあててニヤニヤするウルト。このメンドクサイ奴が復活してきたのは予想外だった。
急いでウルトの手ごと口を塞ぐ。バチンと軽快な音が鳴った。
「いらい! なにふんらよヒキ」
「しーっ!」
「――そんなん驚くことか?」
「えっ、えーと、じゃあ、東塔のほうからまわろう!」
そこで運悪く、ウルトがユーリとアリアの会話を拾ってしまった。
予想どおり、ウルトの眼になにやらよからぬ光が射した。
口を押さえるシキの手を払いのけ、声を落として身を乗り出す。
「ちょ、シキ……となりにさ、アリアとユーリがいるんだ。面白そうだぜ、あとをつけようぜ!」
出店をまわるよりも爛々と瞳を輝かせるウルト。
言い出したら聞かないことは、シキもすでにわかっていた。
「ね、ユーリあのオレンジの出店行こう」
「ひっぱったら伸びるやろ」
面倒くさい、と顔がいってる。
あの縞模様の飴がほしいとか、爆発アッブルボーンを見に行こうとか、ゴーストのゴースト館という出し物を見たいとか、だいたいはアリアがユーリを連れまわしていた。
ユーリは興味がないのが一目瞭然。そんなふたりを見ている側としては胸が痛い。けれどユーリはどれも断ることなく、アリアに手を引かれるまま、歩いていた――。
「ねえユーリ、最後に占いしてもいい?」
「アホか。そんなん卜占学でやるからええやろ」
「いーの! そこで待ってて」
「三時で学校祭も終わりやから、早うしいや」
「わかってるよー!」
そう告げるなり、アリアはさっとスカートを翻して「占いの館」の看板がかかったテントへ飛んでいった。
ユーリはそばのベンチに腰を下ろすと、手を頭の後ろに組んで小難しい顔を作った。
露骨なため息が、シキの第六感をびくっとふるわせる。
「……そろそろ解散せぇへんと、ただで済まさへんからな」
まるでひとり言だが、それがどういう意味をもつのかをふたりは知っている。
ベンチから少し離れて建物のかげに隠れていたシキとウルトは、互いに顔を見合わせた。
気分は、ファット卿のお手製ソフトクリームを食べたあとのようだ。




