歓迎会(2)
――寝て、起きて、勉強……それはあんまり頭に入らなかったな。
はあ、と短いため息をついたシキは、613号室の扉の前でそんなことを考えていた。
「ウルトー! もう歓迎会はじまってるよ! 置いてくよ!」
「もうちょい、もうちょいで終わる!」
部屋からあわててドタドタ走る音が聞こえる。そうでなくては、さすがのシキも友を置き去りにして大講堂へ向かっているところだ。
「わりーわりー」
まったく悪びれることなく現れたウルトは、蝶ネクタイがついた黄色の詰襟ローブを制服の上に着こんでいる。しかも、赤味がかった茶髪をぴったりなでつけて、どうやら彼なりの正装をしたつもりらしい。対するシキは制服の上にえんじ色のマントを羽織っただけだった。
「なんで頭テカテカしてんの?」
「そりゃ、きまってんべ! フェイメルちゃんと踊るんだから!」
階段を全速力で降りながら、ウルトが真顔でいう。
――ああ。
三十分も遅刻をしながら、お姫さまとのダンスを妄想してニヤニヤ笑いをこらえきれない友人を、シキは遠い目で見つめた。
――このダサい格好のために僕まで遅刻か……。
絶対いつもどおりの髪型のほうが格好いいよ、と口に出すのは、やめることにした。
大講堂の扉を押し開けたとき、あまりのまぶしさに、ふたりそろって目を細めて立ち止まった。ふだんは装飾の少ない広間だというのに、いまや天井から壁にいたるまで、宝石をふんだんに散りばめたようだった。それは、光の横溢といっても過言ではない。
「……すご」
「ウゲー……今年も具合悪くなりそー」
天井を仰げば、みごとなシャンデリアがいくつも吊ってある。
シキは寮ではじめてこの電灯を見て、目をくらませる武器に思ったほどだった。
しかし、それ以上に目をくらませるものが、シキらの行く手を阻んでいる。
ライトグレーの制服から一変、色とりどりのパーティードレスに着替えた女子たちと、そのおまけのような男子生徒で広間は混雑していた。
「ウルト……僕、目がチカチカしてきた……」
「オレもちょっとめまいが……」
そんななかでアリアとフェイメルを見つけることは、わらの中から針を探すようなもの――のはずが。
「あっ! フェイメルちゃぁーん!」
だれもが迷惑そうにふり返るもの気にせず、“フェイメルセンサー”フル稼働のウルトが、大声を張りあげた。
「遅かったじゃない」
出迎えるなり、眉をひそめてアリアがいった。
それはおそらく、頭がテカテカの人物に、あわれみ、蔑み、あきらめのいずれか――あるいはすべての感情を抱いてのことだろう。
「うん、ちょっと準備が……」
シキがウルトのほうに目を向けたのは、アリアにどぎまぎしてしまったことも理由のひとつだった。
薄桃色のふわっとしたプリーツドレスを着たアリアと、背中が大胆に開いたすその長い白いドレスのフェイメル。
ふたりとも髪の毛をアップにしていて、いままでにそんな彼女たちを見たことがなかったから、まったくもって目のやり場に困ってしまった。隣ではウルトが鼻の下をだらしなく伸ばして、フェイメルに熱い視線を送っている。
「シキ」
ふいに、アリアがマントをつんと引っ張った。
彼女がなにを言わんとしているか、じつのところシキはすでに悟っていた。だから、この瞬間に備えていたはずなのに、ひどく息苦しく感じるのはなぜだろう。
「ユーリは?」
「……ごめん、ユーリは……来ないって」
「…………そう」
長いようで、短い沈黙。
アリアの落胆した顔をまともに見るのが、つらかった。
「……誘ったんだけど、ユーリ、図書室で調べたいことがあるって……」
本当は、「面倒やろ」と一蹴されたことは、あえていわなかった。
「ぎりぎりまで粘って、誘ってみたけど……ごめんねアリア、僕、全然力になれなくって」
「そっか……ううん、いいの。ありがとう、シキ」
無理に口角をあげたアリアを見ると、シキの胸はさらに閉塞感に苛た。いっそ、役立たずと罵られるほうがどれだけ楽だろう。
そんな時だった。
どこからともなく、拍手がひとつ鳴る。
それにつられるように次々と拍手が鳴って、そのうち在校生と教員全員から、万雷の拍手が湧いた。
美麗な木彫りの両開き扉から新入生が顔面をこわばらせ、ぜんまい仕掛けのブリキ人形か、両手両足をそろえて行進する軍隊のようにやって来た。
夏に入校したシキは、この行事を見るのはもちろんはじめてである。
「おほん」
壇上に、真紅のローブをまとったガヴェイン校長が現れた。
人垣のいちばん後ろでは、校長先生のおだんご頭がかろうじて見える程度。なにぶん、こぢんまりした老婆だから、壇上に立ってもいつもよく見えないのだ。
「きょうは新入生の歓迎会です、みなさん、ぞんぶんに楽しむのですよ!」
たったそれだけをいって、校長先生が両手をひとつ打った。すると、白銀にきらめく広間に無数の丸いテーブルが、魔法使いが現れるときのように、パッと出現する。
「すごい、大講堂がこんなに……!」
なんて贅沢で豪華なんだろう。
テーブルにはいつのまにか置かれたコップ、料理は見るだけで満腹になるほど皿に盛られていた。
ケイジのマリネ、爆弾コーンのサラダ、カラービーンズピラフ、縞縞鳥の丸焼き、アップルミント・パイ……。
そこでシキはぎょっと目を剥いた。
全身がまっ白で、ひざ丈ほどの小人(しかも顔はのっぺりしていて、目と鼻がどこにもない)らしきものが、せわしなく大講堂を駆け回り、料理や飲み物をテーブルに運んでいる。
「……ちょ、ねえウルト! なんだろ、あれ?」
「はぁー?」
シキが指をさすほうを、ウルトは眉をひそめて目を凝らす。それから首をかしげてふり返った。
「なにが?」
「へ?」
今度はシキが首をかしげる番だった。
ウルトにはあの白い小人が見えないのだろうか。
まさかと思って、ほかの生徒に目を向けてみたものの、だれひとりとしてその白い小人に気づいていないらしい。しかも、不思議とだれも小人とぶつかりさえしない。
――へんなの、みんなは気にならないのかな……?
豪勢な料理にゴーストたちの楽しげな歌声、上級生たちの笑い声、あたたかな歓迎。新入生のこわばった顔が次第にほぐれていった。
宴もたけなわといったころ、壇上近くに設けられた広いスペース、そのすぐそばにある大きなピアノがポロンと音を奏でた。半透明のゴースト、ファット卿の指が、鍵盤の上をあたかも流れるようにすべってゆく。
いつ登場したのだろうか、グレーのパーティーローブを着飾った人たちが様々な楽器と生歌で、ファット卿の不思議な旋律に合わせてひとつの音楽をつくっていった。
「すてき、国立歌劇楽団だわ」
「あたしも楽団員になりたーい」
シキらの横のテーブルから、そんな会話が聞こえてきた。
広々としたフロアへまっ先に躍り出たのは、まさかの校長先生である。
近くにいたキリクを、ちょいちょいと指先だけで手招きして舞台に引き込んだ。キリクの参ったな、といった表情が観衆をさらに笑顔にさせる。
明るい曲に合わせて、ふたりは弾むようなステップを踏んだ。校長先生が軽やかにくるりと回る。
「ワァーオ、すげえ!」
校長がしわしわのおばあさんだと侮っていたウルトが、生徒たちの歓声に乗せて、ひゅうと口を鳴らした。
「あのさ、そういえばアリアどこ行ったかな?」
「しらね」
いつの間にはぐれたのだろう。
次々ダンスフロアに足を踏み入れる生徒をながめながら、シキはアリアの姿を探した。
ウルトはフェイメルの順番待ちの列でソワソワしている。
「僕、ちょっとアリアを探してくるから」
「オッケー、オッケー」
ぜったいにうわの空だろう、とウルトを一瞥してからシキは人混みを逆走した。
約四百人いる中からアリアの匂いを探すのは、骨の折れる作業だ。それこそわらの中の針にちがいない。
――アリアの匂いは柑橘系の甘酸っぱい香りだ。
そうだとわかっていても、匂いが混ざりあっていて、具合が悪くなるにはじゅうぶんである。
いったん嗅覚をリセットしたくて、シキはガラス張りのバルコニーへ逃れた。そこで、ずっと求めていた甘酸っぱい香りが鼻腔をついた。
探し人はバルコニーの手すりに肘を乗せて夜を眺めている。ガラスがあるといえど、ドレス姿ではさぞかし寒いだろう。うしろ姿は小刻みにふるえていた。
「アリア」
チラッと視線を動かしたアリアは、シキだと気づいてふたたび視線を夜の帳に向けた。
シキも手すりに手をかける。
「ユーリ、来なくて残念だったね……」
「……いいの。きっと勉強してるから」
「うん……」
「もう、いいんだ」
「でも――」
アリアが、シキの言葉を遮るように、大きく息を吸う。
「あたしね、国軍の詠唱士になりたいの!」
脈絡のない、突然の宣言。
なにぶんいきなりのことで、シキはどう応えてよいかもわからず、あいまいに「うん」とだけ返した。
「あいつの目標はね、国軍の魔法医術士なんだよ。あたしたち、幼馴染でさ、子どもの頃からいつも将来なにになりたいかって、話してたの。軍の高官職につけば、家族を第一セクターに呼べる特権があるでしょ。だから、なりたいんだ」
「……うん」
「でも、あたしは成績そんなによくないから、なれるかわかんないけど……ユーリはきっとなれる。応援してるの」
アリアが顔をふっと夜の空に向けた。ガラス越しの夜空はいつものように暗い幕を垂らしたごとく、一面の闇だった。
「だから、ユーリはほかのものは、見ない……」
ぽつりとつぶやく。
「……でも――」
そこまでいって、アリアのくちびるがわなないた。やがて、茜色のパッチリした目から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「いっしょに、踊りたかったなぁ……」
手で顔を覆ったまま、しゃくりあげる声は、大講堂のにぎやかな笑い声にかき消されるほど、か細かった。
シキは彼女の肩にそっと手を乗せた。
――抱きしめていいのは僕じゃない。
午前十二時、いつもより一時間遅れて、大講堂はやっといつもの静けさを取り戻した。




