歓迎会(1)
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強烈な冬の寒気をそのまま残して、うららかとはほど遠い四月が終わりに近づいていた。
今日の北国に「雪どけ」という言葉は存在しない。しかし見渡すかぎり、あれほど積もっていた雪はほとんど姿を消していた。
それは例年どおり、山々の雪以外を風があらかたさらっていったためだった。そうして残った雪が、春から夏にかけて土を凍らすのだ。
ふだんと変わりばえのしないゆううつな色の空、しかしきょうは、凍った土の表面をはぎとって巻き上げるほどの強風が、二階の教頭室の窓をゴトゴト叩いていた。
それがメリーニ・ブラッドをよけいにいらだたせているのだろうか。
「そろそろ防護魔法をかけ直さないとならんな」
チッと舌を打てば、ちょび髭がゆがむ。
「そ、早急にいたしますです、教頭先生……」
「早急にすべきは、そこじゃないだろう、モリス!」
「はひっ!」
急に怒鳴られたモリスが床からぴょんと飛び上がった。ブラッド教頭のこめかみに青筋を見つけて、顔が土気色になっている。
「お前は、いったい、いままで、なにをやっていたんだ!」
言葉を区切るたびに、つばが放物線をきれいに描いた。
顔にへばりつくつばをぬぐうにぬぐえないモリスの目に、うっすら光るものがある。これは地味につらい仕打ちだ。
「あの小僧が二年生になってしまったではないか! ん?」
口癖の「ん?」、と同時に机を平手でぶった音は、窓の軋む音をはるかに上回った。きっと手のひらは思っていた以上に痛いのだろう、ブラッドが教務机でうずくまる。
「ご、ごもっともです……教頭先生」
薄くなった頭を下げては上げ、モリスは恒例の癇癪をなんとかやり過ごそうとしていた。この、毎月かならず一回は落ちるカミナリが、モリスの頭をだんだん薄くしている原因に違いなかった。
「悪魔の子分が私の学校にいるなど……!」
ゆらりと上体を起こしたブラッドは、いまに爆発でもするんじゃないか、というほど顔をまっ赤にしている。
悪魔を心の底から憎んでいるこの男にとって、低級悪魔のキリクが連れてきたシキ・ヴァグナーを野放しにはしておけないらしい。なんとしてでも退校処分にしなければ、という使命を持っているのだ。
ただし、その誉ある使命を遂行するのは、目の前の小男である。
けっしてブラッド本人ではない。
「いいなモリス! 今年度こそ、あのスカした悪魔ごと小僧を追い出すのだ!」
「も、もちろんです、教頭先生」
いうべきことを言いきって、肩でフーフー息するブラッドは、半ば浮き上がった腰を乱暴に下ろした。
「それにしてもパーシヴァルめ……授業で自分の使い魔を殺すとは……アバロンの生徒の親が騒いだというのに、おとがめなしだと……? 校長先生はなぜヤツに甘いのだ!」
「はあ……」
モリスが頼りない相づちを打つ。
教頭にわからないことが、たかだか生活指導教諭にわかるはずもない。そもそも、教師が扱う魔獣は、生徒たちと違って借りものではないのだから、どう使おうが自由といえば自由である。
「悪魔がいい気になりおって……!」
「あの、教頭先生、それじゃあわっしは朝の見回りに……」
小男が背中を丸めてそそくさと回れ右をする。
教頭室の扉をくぐろうとしたとき、「今日こそ小僧の尻尾をつかめ、いいな!」と背中に声がささった。
それに応じて、首をコクンと下げたモリスのくちびるが突き出ていたことを、もちろんブラッドは知らない。
「あいも変わらず、めげませんねぇ」
本当にナットウのようだ、と内心でつぶやいて、ネズミはさも楽しそうにくつくつのどを鳴らす。本棚の上でひげをなでつけながら、いまだに鼻息の荒いブラッドを見下ろしていた。
「まったく、なんともかわいらしい悪だくみだ」
空色の目のネズミが、小さく笑った。
*
四月も終わりに近づくと、二年、三年の女子生徒たちは、ピーチクパーチクうるさい鳥のように、休み時間のおしゃべりに忙しかった。
校舎の裏でひっそり飼われているシロコック鳥と、シロガージョたちよりもうるさい。そんなふうに考えながら、シキは朝の廊下をしかめっ面で歩いた。
ホームルーム前や、休み時間の廊下、五.五階の談話室はいつもの何倍もにぎやかに感じたし、生活指導教諭のモリスはいつもの三倍速で注意しながら回っているように思える。事実、モリスの薄い髪の毛は乱れに乱れていたし、息切れもそれはひどかった。
五月一日は新入生の歓迎会、その日ばかりは午前中に授業が打ち切られ、午後六時には一階の大講堂で盛大なパーティーが開かれる。しかも都合よく翌日は週末だった。
これなら一時間目に寝坊するなんてことはないから、女子の気合は相当なものらしい。
新調したドレスが何色だとか、どんな髪型にするだとか、とにかく浮かれた声があちらこちらに響いていた。
「耳栓してたいくらいだよ」
「同感、どこにいてもうるさくてかなわねーべや」
教室を移動するたびに、シキはウルトとそんな会話をする。
なにしろ、アリアとフェイメルも例外ではない(フェイメルの前では、まちがっても「うるさい」などと、ウルトは言わない)のだ。
「フェイメルはどんなドレス?」
「お父さまが選んでくださったものですわ。とってもすてきなの! アリアは?」
「ママが若いころに着ていたやつをもらったの! 買ったばっかりみたいなんだ」
五人で廊下を歩いているときも、女子ふたりの会話は勢いが衰えない。そこへ、ウルトがいつになく真面目くさったまなざしで突っこんでいった。
「フェイメルちゃん!」
「はい?」
「明日はオレと……」
片ひざをついて、童話で王子さまがお姫さまにプロポーズするように手を差し出す。
「踊ってください!」
「はい」
「ほっ、ほんと!」
「はい、二十六番目でよろしければ」
お姫さまの残酷なほど美しい笑顔。
ウルトはほほを平手で打たれたような顔で、口をパクパクさせている。パクパクするたびに生気が抜けていくようだ。
「……もちろん、よろしいです……」
ほとんど条件反射の返事だった。
その間、ものの数秒。
――これは……いたたまれない。
シキは世の中にこんなにあわれな人がほかにいるだろうか、と考えた。
放心した友人をしり目に、アリアがちらりとユーリを見る。それを見たシキは、気づかないふりをして心の中でつぶやいた。
――がんばれ、アリア。
心臓がドキドキする。
――がんばれ。
「あ、あのさっ、ユー……」
そこまでアリアが言いかけたとき、ユーリは歩きながら読んでいた本をぽたんと閉じた。
「図書室行っとうわ」
それだけをいい残して、颯爽と廊下の角を曲がってゆく。それはいつもと変わらない行動だったにしても、このタイミングはアリアにとってどれほど精神的負荷がかかったのだろう。だが、シキに知るすべはない。
アリアはのどの奥で引っかかった言葉をそのままにして、ただ沈黙した。
ドキドキ高鳴っていたシキの胸はいまや、だれかが無遠慮に棒でかき混ぜたような、なんとも調子の狂った脈を打っている。
晴れることのないこの気持ちをどこにも置けず、とくだん気にもならない窓の外に目をやった。
防護魔法のかかった窓の外では、凍った土のつぶてが強風に巻き上げられて、窓を叩いていた。
そうして時は無情に、残酷に、駆け足で過ぎてゆく――。




