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学年末試験(3)

 部屋の中央に植わる巨大な木が、一日の終わりをゆるりと照らしていた。

 校長室はいつものようにおだやかで、そして、静謐せいひつそのものだった。

「ガヴェイン」

 彼の声が、この部屋の空気にさざ波をつくった。

 入り口を中からふさぐように、扉を背にしたベルガモットが静かに口火を切る。

「シキ・ヴァグナーは何者だ?」

「いつになく、単刀直入じゃな」

 ピンク色のパジャマ姿の老婆は軽く笑って、美麗な執務机に両肘をついた。組んだ両手にあごを乗せる。

 ベルガモットからの質問を、心待ちにしていたように金色の目が躍っていた。彼がそれを嘲笑ととらえた理由は、水面下で進行するなにかに苛立ちを感じているからだろう。

 ベルガモットのこめかみが、あからさまにピクリと動いた。

「あの傷の治癒力の早さは尋常じゃない。俺が斬ってからすぐに塞がっていた」

「ほう」

「それに、魔獣と同じ赤黒い血だ……魔獣は二脚(にきゃく)――人間の姿に化けることはできない。二脚に転じることができる幻獣の血は、鮮やかな赤だと知っているだろう?」

「ふむ……傷が残らずにすんで、よかったものじゃ」

 ピキッと空気が割れる音さえ聞こえてきそうな、強烈な緊張が室内をはしった。ベルガモットのライトグリーンの瞳に、獣の衝動がギラリと差す。

「貴女とパーシヴァルはなにをたくらんでいる?」

 苛烈な視線が、今度は窓のほうへ飛んだ。

「おや、人聞きの悪い」

 窓枠に手をかけていたキリク・パーシヴァルはふり向きざま、弾むような調子で、そう答えた。

「キリク、なぜヴァグナーを試すようなまねを、俺にさせた?」

「あなたの腕を見込んで頼んだのです、ああ、もちろん私ではなく、ガヴェイン校長の提案ですよ?」

「ガヴェインが、か……」

 見えすいた嘘を平気で口にするのがこの悪魔の性癖なのだ。

「あなたは優秀な幻獣ですし、それに……利口な生き物ですから」

「相変わらず食えない悪魔だな」

「食べてもおいしくありませんよ」

 キリクが上品に笑ってみせると、ベルガモットはあきらめたように小さくかぶりをふった。

 そう、この悪魔はいつだってだれかを試すのだ。

「……まさか、とは思うが、竜王なのか? だが黒竜王にしては気性が違いすぎる。ガヴェイン……違うのなら、あれは一体なんだ?」

 問われたセラフィト・ガヴェイン校長は椅子に深く腰をかけ、心地よい音色でも聞いているように、ゆっくり目を閉じた。

「ふふ、すべてに意味があるのじゃよ、ハッズ。彼のことはいずれあなたも知ることになる……」

 のんびりとした所作でベルガモットに向けて指をさすと、小さな灯りが指先にともった。それは蝶が舞うようにひらひら離れて、天井のシャンデリアに吸い込まれていった。室内がふうっと明るくなる。

「なるほどね……」

 秘密ごとばかりのガヴェイン校長と、魔法学の教諭に苛立ちを抑えるのは容易なことではない。けれど、ベルガモットには冷静な判断力、大局を見誤らない優れた慧眼けいがんが備わっている。


 だから、キリクはハッズ・ベルガモットを選んだのだ。


「……俺はこの北国の冬の終わりを待っている。極寒ごっかんの百年はもううんざりだからな。できることがあれば協力しよう。だが、あまり目立ったことをすれば国軍がだまってはいないぞ」

 ガヴェインとキリクに背を向けて忠告するベルガモットの真意は善意。それは、二人もじゅうぶん理解していた。

「ありがとう、ハッズ。いずれ連中とも決着をつけねば……その日は、遠くはあるまい」

「そうか……では、失礼する」

 扉は静かに閉じられた。


 かくして、学年末試験の初日が、終わる。


 *


 二日目、三日目を頭を抱えつつ、悪戦苦闘の末に無事乗り切ることができたのは、ひとえにユーリの何気ないやさしさや、フェイメルの助言、アリアの励まし、そして同レベルのウルトがいたからだろう。

 そして、気づけば最終日がやってきた。

 長かった学年末試験も、残すところ魔法学と言霊学の二科目のみ。


「諸君、きょうでつらかった期末試験も終わります。一時間目は魔法学、授業で教えた『睡眠の種類と魔法による睡眠の効果』は、しっかり頭に入っていますね? きみたちの担任である私に恥をかかせないようにしていただきたいものです」

 くすくす笑いが、森の入り口に集まった一学年キャメロット生からあがった。魔法学の試験は校舎裏手に広がる“ザワザワの森”で行われる。

 魔法学は今試験、唯一の野外(もちろんキリクの気まぐれが関係している)。といっても、学校が管轄するザワザワの森で行われるし、野生の低級魔獣――ほぼ無害――を終了までに眠らせる、というシンプルな試験で、クラスメイトは全員気楽な表情だった。

「魔獣と対峙したときの判断力、眠らせる技術力、そして、豊かな発想。これらが試験の点数に反映されます。ちなみに、魔獣から攻撃を受けた時点で試験は終了です。赤点にならないよう、お気をつけて」

 ときを見計らったように、校舎から本鈴が鳴り響く。

「では、健闘を祈ります」

 キリクはぱちんと指を鳴らすと、生徒たちの前からこつ然と姿を消してしまった。

 ついに最終日の試験が始まった。


「じゃ、お先!」

 アリアがシキの横を抜ける。つづけてフェイメル。気がつけば、ユーリとウルトはすでに姿がなかった。

 たったひとり、シキだけがスタート地点でぽつんと残ってしまった。

「どうしよう……僕、なにもできないで試験終わっちゃうよ……」

 筆記にすっかり気をとられて、魔法学の存在を失念していたのが原因だ。そもそもシキには魔力が備わっていないのだから、この科目は無謀に等しい。

 すなわち、絶体絶命。

「やばい、やばい! 絶対0点だ! 進級できなかったら、どうしよう!」

 前日までのウルトよろしく、頭を抱えて叫んだり、うなだれてみたり。思い出したように森をソワソワ眺めたり……そうするうちに、いやな汗こめかみを流れた。時間はあとどれくらい残っているだろう?

 そこへ、突然大きな生き物がシキの前にひらりと降り立った。

 きらきらと輝く白銀の毛並み、鮮やかな緑色の目、巨大な狼のような獣――。

「ベルガモット先生?」

「やあシキ。もう試験は終わったのか? いまキャメロットの生徒は、魔法学の試験中だろう?」

「そう、なんですけど……僕は魔法とか使えなくて」

 この学校で魔法を使えないことが、周囲と違うことが、こんなにもみじめな気持になるとは思いもしなかった。それは、シキにとってはじめてともいえる感情だった。

「なんだ。そんなことか」

 少年の杞憂きゆうを軽く払うような、あっけらかんとした声でベルガモットが言った。

「この科目は全生徒必須科目。パーシヴァルは『野生の魔獣を眠らせることが出来ればいい』といわなかったか?」

 緑色の目がにやりと笑ったような気がした。

 シキははっと目を見開いた。

「ありがとうございます、ベルガモット先生!」

 精一杯の謝辞を伝えるや、ずいぶん遅れて、ザワザワの森へと飛び込んだ。


 そのうしろ姿を見つめる幻魔獣生態学の教諭は、アーモンド型の目をやんわりと細める――。



「そうだ、キリク先生は『眠らせることができればいい』っていったんだ! 魔法学だから魔法を使わなきゃいけないと思ってたけど、魔法で、とはいってない! てことは、なんでもアリってことだ……!」

 急いでふところをまさぐって、いつかのド・モルガン薬品店の店主からもらった小瓶を取り出す。

 “睡魔(相手を眠りにいざなう精霊。使用後はふたについている包みを渡すこと)”

 ラベルに印字された注意書きは、シキにも読めるくらい簡単な単語が並んだものだった。

 なんと幸運だろう。

――いけるぞ。

 駆け出した先で、切り株にちょこんと腰をおろす動物の姿をとらえた。洗小熊あらいこぐまにそっくりの、低級魔獣ゾルゲ――ウルトに言わせると、ありきたりで、使役獣にはしたくないという――である。

 超音波のような鳴き声で、遠くの仲間に合図を送ることができる、かわいらしい魔獣だった。

 そばの細い木の陰にもう一匹が丸まっていた。

――二匹見つけるなんて、最高だ!

 シキは太い幹に身を隠し、音をたててしまわぬよう、小瓶のふたをそっと開けた。

 スーッと黄色の小さな光が瓶から抜け出したかと思うと、学校に住み着くゴーストのファット卿に似たものが、シキのまわりを旋回した。

「妖精?」 

 よく見ればフリルのついた黄色のプリマ服、緑の髪、手のひらサイズの、小さなひと。けれど、小人の顔を見て絶句した。

「お、おじさん……?」

 眉毛と睫毛の濃い、短髪のおじさんだった。ちょびひげの具合がヒゲナットウ教頭先生を彷彿ほうふつとさせる。

「おっと、きみが今回のご主人かね? 私は睡魔マルマシュコフと申す者。一度だけ、ご主人のために働きましょう。ご命令は一度だけ。さあ、なんなりと!」

 睡魔・マルマシュコフは指先でスカートのすそをちょんとつまんで、優雅に会釈した。

 シキはやや黙考して、すぐに顔をあげた。

 この際、さまざまな疑問は飲み込もう。

「マルマシュコフ、きみ、睡魔ってことは、相手を眠らせることができるんでしょ? どうやって眠らせるの?」

「標的の身体に乗り移って眠らせるのです。内側から私の美声を発すればいちころですよ、エッヘッヘ!」

 ふんぞり返るマルマシュコフをうさん臭く感じながらも、シキは一つの策を思いついた。


 ややもするうちに、例のゾルゲは切り株の上で仰向けに寝転がりだした。もう一匹はエサを探しているのか、地面を夢中でひっかいている。

「チャンスじゃない?」

「ご主人はなんともラッキーなお方ですな!」

 エッヘッヘ、と笑ったマルマシュコフが、矢のようにゾルゲめがけて飛んだ。

 すると、居眠りをしていたゾルゲの体がいちどだけ、揺れた。

「マルマシュコフ、うまくいった?」

 切り株から魔獣がぴょんと飛び降りる。

「もちろんですご主人! わたしの美声でほうらこのとおり。眠った魔獣は私の支配下ですとも!」

 ほらねと、その場でくるくる回りだした睡魔は、へんてこなダンスを恥ずかしげもなく踊っている。

 これは敵にまわすとおそろしい存在かもしれない。

「ではご主人、作戦どおり、いきますぞぉ」

 すう、と深く息を吸い込んだ。

 それは、全身が総毛立つほど優雅で美しく、この世のものとは思えぬ不可思議な歌声。その歌詞なき旋律が魔法学校の敷地すべてに響き渡った。

 木々のざわめきも、大地のさざなみも、生物の躍動をも――あらゆるものの時間を止めた。シキさえも心を奪われ手足に力が入らず、ぼうっと佇立ちょりつしている。

 やがて歌がやむと、森にいた低級魔獣のすべてが地面に横たわるという、未曾有の現象が起こった。

 当然シキはこの事実をまだ知らない。

 木の陰にいたゾルゲがぱったり倒れていることに、やっと正気を取り戻したシキは魔獣の姿のマルマシュコフと手を取り合ってよろこんだ。

「やった! 上手くいった! ありがとう、おじ……マルマシュコフ!」

「ご主人は賢いお方ですな。いやじつによいお考えでございました!」

 ゾルゲの、もふっとした口もとがニッコリした。

 鬼門だった魔法学も、これで赤点を回避できるだろう。

「きみのおかげで助かったよ」

「なんの。これが私の仕事なのです。ご主人がお心の清らかな方で、私も幸せでございます」

 マルマシュコフがゾルゲの鼻の穴からするりと抜け出す。

「そうだ、これ、もらってくれるかな」

 シキは小瓶のふたについていた小さな包みをプリマ姿の睡魔に手渡した。

「いったいなんでしょう?」

「きみへのプレゼント。受け取ってくれる?」

 マルマシュコフが包みを解くと、小さな彼にぴったりの、これまた小さなマイクが現れた。

「こっ、こっ、これは! 伝説の神器! こっ、こっ、これを私に?」

「うん」

 ニワトリのような声をあげてよろこぶ睡魔を眺めると、シキの胸がほっこりあたたかくなった。プレゼントを受け取ったマルマシュコフは、小躍りしながら「ありがとう!」と繰り返している。

「黒竜王の祝福あれ! おさらばです、ご主人! 試験がよい結果でありますよう!」

 役目を果たした睡魔はまたたく間に消えてしまった。

 キラキラ輝く燐光りんこうだけを残して。

「お礼をいうのはこっちだよ」


 ちょうど、試験終了の鐘が鳴った。





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