学年末試験(1)
「あー、もーやばい! 全然うまく書けないや」
無性に羽根ペンを放り投げたくなる衝動が、またもやシキを襲った。これを耐えて、もう何度目になるだろう。
「もういやだ! テストいやだぁ! ユーリなんとかしてぇー!」
ウルトが悲痛な声をあげて机に突っ伏す。
羽根ペンが、宙を飛んだ。
魔法学校の一大イベント――それは、学年末試験。
一学年は試験の結果に沿って、二学年からの授業のパートナーとなる幻獣、魔獣がもらえる仕組みになっていた。厳密にいうと、在学している間のみ貸与される、調教された幻魔獣で、それらは「使役獣」と呼ばれている。つまり一学年の生徒たちにとっては、数ある試験よりも、今回の学年末試験こそがもっとも重要だった。
本日、ついに四日間にわたる試験の初日を迎えた。
「ユーリィー!」
「うるさい。暗記した薬草の効果、忘れてしまうやろ」
すさまじいカウンター攻撃にウルトは一撃で机に沈む。
もうだめだ――。シキにそう遺言して。
一方、ユーリは言葉と裏腹に余裕の表情で、一時間目の科目、薬草学の教本をペラペラめくっていた。その隣に座るシキは眉間にありったけのしわを寄せて、ノートに何度も薬草の単語を書き込んでいた。
三人のうしろの席に座るアリアも、無言で黙々とノートに向かっていた。ところがそんな友人たちを尻目に、フェイメルだけが二時間目の魔術史の教本を優雅に眺めるのだ――。
――いまから二週間前。
「そろそろ期末試験じゃんか、オレ、スナークがほしいんだよね!」
食堂のテーブルで、ウルトがカラービーンズピラフをスプーンでつつきながら、高らかに宣言した。顔がにやけている。
「夢を見るんは勝手やけど、ウルトがスナークとか……ふつうに無理に決まってるやろ」
「全科目満点に加えて、選択科目の幻魔獣生態学満点が最低条件と聞きますわ」
「ウルト、あんた頭沸いてんの? その妄想、聞いてるこっちが恥ずかしくなるからやめてよね」
「……スナークって、なんだっけ?」
シキだけがきょとんと首をかしげる。
みんなが当然のようにスナークについて語るものだから、シキは取り残された気分になっていた。その反応に、歯を食いしばっていたウルトが輝きを取り戻したのはいうまでもない。
「あのな! スナークってのは魔法生物の最高ランクっていわれる幻獣なんだ! スナークを連れてるってことは一流の、つまり、最高の魔術師や魔法使いってことさ!」
恍惚の表情を浮かべるウルトに、シキの瞳もとたんにキラキラ輝いた。
「かっこいい……!」
「スナークは白銀の光を放つ大型の幻獣と聞いています。能力のない者には、けっして従わない高貴な獣。竜王さえも惑わす特殊な力や、光魔法を増幅する魔力をもっているそうですわ。実際に見たことはありませんけど」
「さっすがフェイメルちゃん」
もはやウルトは興奮と喜悦にとろけてしまいそうだった。
「スナークについては二年になったら増える科目、幻魔獣学で学びますわ」
フェイメルは優雅にほほえむと、紅茶を口に運んだ。
真冬の一月にある学年末試験。いままで勉強してきた集大成がこの試験である。
ほかのテストと違って、学年末試験は重要で、二学年からの授業のパートナーとなる使役獣が決まる、一大イベントなのだ。それはつまり、卒業するまでの二年間、共に過ごす相棒ということになる。
「オレは最高の使役獣を手にするために勉強に励む! 全科目満点とるぜ! みんな、オレの邪魔すんじゃねえぞ! 遊びに行こうとか誘ってもオレは行かないねーかんな!」
自信満々に、指を全員へビシッと突きつけた。
――そして、現在にいたる。
「唾液と混ぜることで粘着力が増し、傷口を瞬時に塞ぐ効果のある薬草名……あー……だめだ、このままじゃ赤点だ……」
撃沈し、置物と化したウルトの隣でシキがうなった。羽根ペンをノートに押し付けたまま、がっくり肩を落とす。
「大丈夫だって! 落ち着けばちゃんと思い出すよ。シキ、暗記系得意でしょ?」
アリアのいうとおり、たしかに暗記はできるから得意といえば得意だ。ただ、それを文字に起こすとなると、そう簡単な話ではない。
「うん……そうなんだけど、難しい字ってまだうまく書けないんだ」
「うまくなくたって読めればいいじゃ……ない……」
ノートを覗き込んだアリアは、打ちのめされたように絶句する。
「うっそ……なんて書いてあるのか、読めなっ……!」
シキは乾いた笑いを口もとに浮かべてみたけれど、笑ってなどいられないくらい下手だということは自覚していた。三歳児が書く字のほうがまだマシに思えるほどだ。ちなみに、実際に三歳児の書いた字など、見たことはない。
そもそも学校に入学する今のいままで、めったに字を書く機会がなかった(父がまだ隣にいた頃は、簡単な文字の読み書きを教えてもらっていたが)のだから、窮地に陥るのも当然といえば当然だった。
「赤点になったらどうしよう……」
シキは最後の望みをかけて、背後に座るフェイメルにちらりと視線を送った。銀髪がさらりとゆれて、涼しげなほほえみが返ってくる。
「黒竜王のご加護がありますように」
じつのところ、友に一番手厳しいのはフェイメルだろう。
「うるさくてしゃあない! 集中できひんやろ! シキ、ペン貸しぃ!」
ユーリがイライラした調子で後ろ髪をくしゃっと掻くと、シキの羽根ペンを奪い取った。
小さな声で呪文を唱える。
「列なる字を正せ」
人差し指を羽根ペンに向けて、ユーリはこんなもんか、とひと言。
「ほらよ」
ペン先側で額をべしっと叩かれたシキは、不意打ちを食らって目頭から火花が散った。
なんだかんだと世話を焼いてしまうユーリは、やはり見た目どおりの人間ではない――などと思っていたけれど、そんなに甘くはないようだ。
「もっと親切に返してくれたっていいのに」
「親切にしてやったやろ。もしバレても俺の名前、出しなや。まあ、それでちょっとはまともな字が書けるはずやろ。正解を書いてくれるような上等なものやあらへんけど、スペルだけは正しく直してくれる……」
「ありがと、ユーリ!」
まさかの助力に、思わず満面の笑みが広がった。さっきの痛みもこれで帳消しにしよう。
薬草学は無事に乗り切れそうだ。
二時間目の魔術史、三時間目悪魔学の筆記試験科目を順調に進め、本日最後の試験となる四時間目は選択別になっていた。フェイメルは精霊学、アリアは札占学、ユーリは魔法治療学、シキとウルトは幻魔獣生態学で、試験はそれぞれ別の教室だった。
「オレ、幻魔獣生態学はカンペキだぜ!」
「僕だって!」
座席について談笑するシキとウルト。試験開始五分前のベルが鳴った。
担当試験官の登場に、生徒たちはもれなく口をつぐむ。いつもの冷然とした気配をまとって、三十代半ばの美丈夫は教壇にのぼった。
「幻魔獣生態学を選択した生徒諸君。これから学期末試験をおこなう。名前と部屋番号を読みあげるので、それぞれ別教室へ移動するように」
緑の目がさっと教室内を走る。
「ではアーレン・マッケンガー、413準備室」
幻魔獣生態学の教諭、ベルガモットが生徒の名前を振り分けた。
「――ヤナ・リンクフット、412準備室、ゼルウス・クリス、411準備室」
シキ以外の生徒はすべて退室し、とうとうベルガモットとふたりきりになってしまった。あたりは水を打ったようにしんと静まり返っている。
「あの、先生、僕は……?」
普段から目つきの険しいベルガモットが、いつにも増して鋭くシキを一瞥した。その眼光に思わず口ごもる。いや、それ以上の質問は許さないという、冷酷なまなざしがシキを威圧したのだ。
「きみは別の場所で試験をおこなう」
懐から教鞭を取り出すと、ベルガモットは宙を裂くように強くふった。
一瞬で、シキの知らない広々としたホールへと移動していた。
「瞬間、移動……?」
「まったく、パーシヴァルは何を考えてこんな魔力のないガキを連れてきたんだ。ガヴェインもよく許可したものだ……だが、俺は甘くないぞ、シキ・ヴァグナー」
ゆっくりふり向くと、一切の感情を排除したかのような、ぞっとする視線がシキを刺した。緑色の双眸が炎のようにゆらめき、獅子のごとき威圧感がベルガモットから迸っている。
「ここは現在使われていない旧闘技場だ。校舎裏の林の、さらに奥にある」
ベルガモットが慎重に歩みを進める。そのたびに濃紺のマントがゆれ、重々しいブーツの音が荒れて硬くなった土に響いた。
シキには、彼の鈍く艶めく灰色の短髪が、怒気で逆立っているように感じた。いや、えもいわれぬ恐怖からくる、錯覚にすぎない。
「せ、先生? 試験は――」
「いま、この瞬間が試験だとおもえ」
じりっと一歩後退るシキを追うように、ベルガモットは強く右足を蹴って距離を縮めた。
地面を打つ音が、シキの鼓膜をぞくりと震わせる。
瞬きをするあいだに、ベルガモットが手にする教鞭は、細く尖った剣に変じていた。それが躊躇なくふり下ろされる瞬間を、シキはまるで他人事のように見つめた。




