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遅刻魔と百人一首  作者: 夢見るカルガモさん
雪菜の進む道
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 雪菜が和歌を作りはじめて、二週間くらいまでは順調だった。何を詠めばいいのかわからないなんてことはなかったし、三十一文字におさめるのもさらりとできるようになっていた。自分には和歌の才能があると感じたくらいだ。

 しかしある日をさかいに、これまで順調に伸びていた表現力と語彙力が頭打ちになった。しっかりイメージできているのにぴったりの一語が見つからない。喉まで出かかっているのにうまく取り出せない。じれったさから頭をかきむしる日もあった。能力の限界を痛感した雪菜は、仕方なしにインターネットの力を借りるほかなかった。

 雪菜が作ったのはこんな歌だった。

 ──整列し風にたわむる川鵜らに一羽加わり皆舞踊する

 日常生活の隅で見つけた小さな発見を詠んだものだ。完成したときこそトンネルを抜けた爽快さがあったが、時間が経つにつれてひどくつたない歌に思えた。

 それからの雪菜は使う言葉はすべて検索しなければ落ち着かず、AIの言葉を丸ごと拝借したり、あげくの果てには難しい言葉に酔いしれたりと、底なし沼に落ちていった。

 おそらく今のやり方は間違っているのだろうとわかっても、何をどうしたらいいのかわからない。はじめて和歌を作る苦しさを知った。この先どうなるかもわからない壊れかけの小舟にのって暴風雨に打たれている。そんな心地だった。自分には創作なんか向いてない、もう和歌はあきらめようと、ふて寝した日もあった。それでも翌日にはけろりと机に向かっていた。

 ある夕方、雪菜はスーパーにいた。しかし、買い物に集中しているわけではなかった。和歌について考えながら、じっとトマトを見つめていた。艶をまとった鮮やかな色に刺激されるように、一つのアイデアをひらめいた。暗闇のなか手探りしていたら、一条の光が差し込んできたような感覚だった。

 言葉には色がある。なじませたい場合には同系色の言葉を、際立たせたい場合には反対色の言葉を使ったらいいのではないだろうか。

 色を考える際、元美術部の経験が役に立った。三十一文字のキャンバスに描くのであれば、一番何を伝えたいのかを明確にしなければならない。そこで彼女はカワウの歌を作ったときを思い返した。

 公園には葉桜が目立ち、花壇にはアヤメが見えはじめた時期だった。昼下がり、ゆっくり川沿いを歩いていると、電線の上にカワウが日浴びをしていた。二十羽ほどいただろうか。皆同じ方向を向き、一列に並んでいた。そこに一羽のカワウが加わった。元から止まっていたカワウは背を向けていたから予期できなかったらしい。あわや落ちそうになるくらい体勢を崩しかけた者もいた。カワウの世界にもこんなおもしろい景色があったなんて。新鮮な発見だった。

 そこで雪菜は、前半は規律のある集団生活を、後半は色を変えて愛嬌ある姿を描こうと思った。言葉の色を調べるのに役立ったのはやはり、和子の教えてくれた音読だった。一語一語声に出して丹念に調べた。

 ──電線に鵜らが群れたり一羽入りみなぐらぐらとさも綱渡り

 完成した和歌を通読して、雪菜は自分らしいものが作れたという確信があった。和歌を作るには、わざわざ高級ドレスのような端正な言葉で飾る必要はなく、夢の中で使っている言葉で十分なのだろう。

 創作をはじめてから百人一首を異なる角度から見つめられるようになったのは副産物の一つだった。

『一冊でわかる物語百人一首』で八十首目の待賢門院堀河たいけんもんいんほりかわの歌を読んだときだった。

 ──長からむ心も知らず黒髪の乱れてけさはものをこそ思へ

(末永く愛して下さるというあなたの心も確かなものとわからず、あなたがお帰りになった今朝は、黒髪が乱れるように心も乱れて物思いに沈んでいます)

 この歌には、たしかに「心も知らず」「ものをこそ思へ」など直接感情を示す言葉もある。雪菜も自分の気持ちを伝えたいとき、このような言葉を使っていた。しかし彼女の心がかき立てられたのは、それらの感情語ではなく、「黒髪の乱れてけさは」の部分だった。男性が帰った後のやりきれなさのみならず、上品さや艶めかしさ、さらには黒髪の匂いもただよってくる。

 そこで雪菜が思索したのは、言葉の持つ性格についてだった。「愛しい」「悲しい」などの感情は刺激があってはじめて引き起こされるものだ。小説ならまだしも、三十一字という制限の中ではその刺激まで伝えるのは難しい。きっと感情語は記号にしかならないのだろう。それよりも「黒髪の乱れてけさは」のような具体的な言葉を選ぶほうが、共感や驚きを誘えるのではないだろうか。

 それからの雪菜は日々の生活での発見があるたび三十一文字に落とし込むだけでなく、創作のためになると思えば積極的に試すようになった。

 もっと自然観察が必要だと思ったら朝三十分早く起きて散歩に行った。また世界を広げたいと思ってからは、押し入れに封印していた『決定版 和歌の鑑賞事典』を引っ張り出し、寝る前の貴重な時間を秀歌の音読に費やした。


 ゴールデンウィークが明けたころにはオリジナル和歌が三十首ほどできていた。コンセプトが明確な場合にはものの二、三分で和歌ができる。逆に何度推敲してもうまく行かないときもあった。もうこの和歌を捨てようか。最後のひとあがきに語順を変えたら、パズルのピースがはまった日もあった。

 創作をはじめて雪菜の目につくようになったものがあった。それは、文学賞に向けて日々挑戦する人たちの姿である。毎日SNSにオリジナル短歌を投稿し十年かけて大賞を受賞した人がいた。読んでいる本も短歌のものばかりと生活のすべてを新人賞にかけている人もいた。雪菜は自分もその中に入りたいと思った。

 調べてみたところ、地方自治体や財団法人など数々の団体が文学賞を主催しているらしい。雪菜は生活感あふれる現代短歌よりも、古語の響きやリズム、自然描写から心情を解き明かすアプローチが好きだった。和歌の賞に応募しようと思った。

 そんな彼女にふさわしい賞があった。和歌のジャンルで一番権威のある「古典和歌芸術新人賞」である。歌人への登竜門とも言われる有名な賞らしい。大賞受賞者はなんと歌集の出版を確約してもらえるのだという。一般の部での応募総数は四千を超える年もあるが、学生の部では八百足らず。これくらいなら大賞を撃ち落とせそうだと雪菜は大胆になった。

 日曜の朝、リビングに下りて行くと、伊澄はキッチンタイマーをそばに置いて頭を抱えながら新聞の数独を解いていた。

「ちょっといい?」

 雪菜が声をかけると、伊澄は煩わしそうにタイマーを止めて、

「あと三分なのに」と言った。

「あ、ごめん。終わるまで待ってるよ」

 雪菜が母の向かいに座ると、

「いいよ。何?」

「あのさ、最近和歌を作りはじめてね、自分ではいいのができたと思うから、文学賞に投稿しようと思っているの。でもほかの人からはどう見えるのか知りたくて。だからその……意見ほしいなって思って」

「自分で作ったの?」 

「うん」

「すごいじゃない! 私、短歌はよくわからないけど、それでもいいの?」

「うん。意見がほしくて」と雪菜は伊澄の前にノートを広げた。ノートには意見をもらいやすいようにこれまで作った和歌をすべて清書していた。雪菜は一番自信のあった和歌を見せた。

 ──夕間暮れ鴫と真砂の立つ渚霞み山影ふと君想う

 雪菜の思いつきなのでレトリックと呼べるものかはわからない。「鴫が飛び立つ」「砂埃が立つ」「渚に立つ」「霞が立つ」の四つの意味が「立つ」に込めた力作だった。

 伊澄は眉間にしわを寄せながらもぶつぶつ音読していたが、

「これどんな歌なの?」とたずねた。

「『秋の夕暮れ。海岸ではシギが飛び去り、風で砂が舞っている。そんな渚に立って霞の先にぼんやり見える山影を見ていると、ふとあなたを思い出すなあ』という歌。テーマはね、『和子さんと再会できる歌』なんだよ」

「なるほどねえ。いいテーマだと思うし、言葉もリズムもきれいだと思うんだけどねえ。うーん……。短歌に親しんでない私には難しいかなあ」

 少なくともプラスの評価はもらえるだろうと期待していた雪菜は、母の反応の薄さにむっとした。

「使ってる言葉がわかりにくい?」

「そうじゃないんだけど。そうねえ……。思うんだけどさあ、風景描写って言うの? それが多すぎて喧嘩しているように思うんだよね」

「喧嘩かあ……」と雪菜がノートを見ていると、

「それじゃあ、今から私の言うの想像してみて。──どこかからジンチョウゲの匂いがする。ぽかぽかしてすごくいい気持ち。小鳥が気持ちよさそうに鳴いている。もう春が来ているみたい。さっき食べたパスタでおなかがいっぱい。芝生で昼寝でもしようかな、あっ、でも、ちょっと喉が乾いたから炭酸が飲みたいなあ。でもお腹の調子あまり良くないからどうしよう……。どう?」

「何が言いたいのかよくわからないかも」

「でしょう? さっきの歌ね、ひとつひとつはイメージできても、次の句に行ったときにリセットされちゃうのよ」

 雪菜はノートを寄せて歌を読み返した。推敲しているときにはまったく気づかなかったが、たしかに母が指摘したとおりだ。風景描写を羅列しただけの、まとまりのない歌に見える。

「なるほど。そういう意味か。ありがとう。これはいいアドバイスだね」

 雪菜がノートにメモしていると、伊澄は他の和歌を見ていたらしく、

「私はこれがいいと思う」と指差した。

 ──知らんぷりつぶら瞳のユリカモメ一歩寄れば二歩だけ離れて

 バードウォッチングの経験を生かした歌だった。

「これなら説明なくてもわかるし、人間とユリカモメのさあ、微妙な距離感が見えておもしろいと思うよ」

「あれっ? お母さん。ユリカモメ知ってるの?」

「たしか東京都の鳥だよね」

「そうそう。でもよく知ってるね」

「雪菜のおかげで、テレビや新聞で鳥が出てくると目がとまるようになったんだよね。でもこの歌、四句目は六字で、五句目は八字になってるでしょ。こんなことしていいの?」

「うん。きちんと認められているから平気だよ。最初は基本どおり『一歩寄ったら二歩だけ離れ』と七・七にしてたんだけどね、のっぺりして動きがないでしょ? だから『一歩寄れば二歩だけ離れて』と六・八にして、スピード感出しつつ、ユリカモメに近づきたいけど近づけないもどかしさを描いたんだよ」

「へえ。そこまで考えて作ってるのね」

「お母さんのおかげで、どんなの書けばいいのか分かった気がする。ありがとう」

「役に立ててよかった。またいいのできたら見せてね」

 雪菜は部屋に戻り、アドバイスをもとに推敲に取りかかった。しかし、うまく行かない。どうもバランスが悪いのだ。しっかり風景を描こうと思えば客観的で硬い表現になる。けれども、心情は主観的で柔らかいものになってしまう。いったん迷い出すと普段何気なく使っている言葉もどこかぎこちなく思え、がんじがらめになった。

 それから数日経つとまたいいのができたので、今度は美月にも意見をもらおうと思った。

「えっ、すごい! 和歌作ってるの?」

「うん。一番の自信作はこれ」と雪菜は美月に和歌を見せた。

 ──春の雪別れをひとつ置きにけりしのびてあまる友の言の葉

 美月は母と異なり、ざっと二、三秒見て、

「ねえ、これどういう意味なの?」

「えっとね、『春に降った牡丹雪が一つの別れを置いていった。しのんでもしのびきれない友の言葉を思い出すなあ』っていう歌」

 雪菜が和歌のテーマを伝えると、

「ああ、和子さんとの再会する歌なんだ。いいと思う! 和歌作ったっていうからふざけた感じかなと思ったけど、めっちゃ本格的じゃん」

「そうだよ。この歌は一週間くらいかかったし」

 美月はノートをじっと見ていたが、

「まず良い点からね。最初の五・七・五から引きがあって、なんだろうって気になる。あと使っている言葉がきれいで、流れるようなリズムが気持ちいい。スーッと胸に入ってくる感じ。次に悪い点ね、あっ、ちがう、改善点だ」とごまかすように笑って、

「この歌にはね、雪菜がいないんだよ」

「どういう意味?」

「なんて言ったらいいのかなあ。考えはまとまってるんだけど、そのまま口にしたら傷つけちゃいそうなんだよなあ」

「そんなやわじゃないからはっきり言ってよ」

 美月はふたたびノートに視線を落としたが、ふっと明るい顔になって、

「私、これが好き」と一つの和歌を指差した。

 美月が褒めてくれたのは、これまた実体験に基づいた歌だった。

 ──「あの池にカルガモ赤ちゃんいましたよ」と教えてもらう日曜の午後

「教えてくれたのはおじいちゃんでさ、満面の笑みで言ってそうだよね。カルガモ赤ちゃんのおかげで、交わることのなかった人と接点ができたのかな? いろいろ想像できておもしろい。日本のどこかにそんな場所あればいいよね」

 カルガモ赤ちゃんの歌は雪菜の経験を一筆書きしただけで、一度も推敲していないものだった。それなのに何度も手を加えた歌より美月に響いたのは意外だ。

「美月さっき、この歌には私がいないって言ったじゃん? もしかして具体的じゃないとか、はっきりしていないとか、そういう意味なの?」

「そうじゃなくてね、なんて言えば伝わるかなあ……。私の思う雪菜は、色に詳しくて、鳥にも詳しくて、百人一首のことはなんでも知ってて、大胆すぎるところは玉にきずだけど、みんなが見落とすところを言葉にできる。もちろんそれ以外の良いところたくさん知ってるけど……。あっ、そうだよ! 春の雪の歌はさ、雪菜じゃなくても書けるんじゃない? 長谷川さんや香織さんが作ったって聞いても違和感ないもん」

「あっ、わかった! 今のでなんか閃いた。美月ありがとう! すぐ推敲したいから帰るね」

 帰宅後雪菜はベランダで、これまでに作った和歌を見つめていた。

「和子さんと再会できる和歌を作る」とテーマは明確なのに、読者みなに感動を与えなければいけないと気負い、きゅうくつな中で和歌を作っていたのではないだろうか。体中に力が入っていると大きな声が出ないように、肩の力を抜いて正直な気持ちを書かなければ、人の心には届かなさそうだ。

 スズメが忙しそうに目の前を飛んでいった。向かいの家のサルスベリはまだ花がついていないけれど、幹はニスでも塗ったように照っていた。ぼんやり風景を眺めているうちに、雪菜はこの一年間を思い返した。

 百人一首に夢中になり、百首すべてを覚えて、それだけじゃ飽き足らずに和歌の文学賞に投稿しようとしている。十七歳になったばかりの自分には考えられなかったことだ。それに、放課後夕陽の差し込む生徒指導室で山本先生と話した時間も、スイレンの花咲く池のほとりで七條夫妻と談笑した時間もすべて、度重なる遅刻から生まれたなんて不思議なものだ。もう一度人生をやり直したとしても、きっと同じ道はたどれない。自分に起こっていたのは奇跡の連続だったのだろう。

 雪菜は期限ぎりぎりまで推敲を繰り返し、納得いく形にしてから「古典和歌芸術新人賞」に投稿した。、納得いく形にしてから「古典和歌芸術新人賞」に投稿した。

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