175、最終決戦④
朗々たる声が響いて、乱闘騒ぎがぴたりと収まる。
声の方に視線をやると、屈強な身体つきをした大柄な男が、ずんずんとこちらに向かって歩いてくるところだった。
(褐色の肌――生粋の帝都民でしょうね)
自分のように生っ白い肌ではないその男を見て、ミレニアは冷静に分析する。
(視線の鋭さ、身体つき……軍人?いえ、まさか。帝国軍人はほとんどが貴族で構成されているわ。生き残りは、ゴーティスお兄様に付き従って帝都を離れているか、クルサールによって首を斬られるか捕らわれているかしているはず……)
ロロに庇われるようにしながら、男をじっと見つめていると、彼はまっすぐにミレニアの前まで歩いてきて、すっとひざを折り、帝国式の礼を取った。
「お初にお目にかかります、ミレニア殿下。私の名はカジェット・ハウアー。この一画の警邏隊の隊長を務めております。本日は非番のため、制服を着用しておらず平服でお目にかかります事、ご容赦ください」
(なるほど、警邏隊……納得だわ)
民が大人しく言うことを聞いた理由にも納得し、ミレニアは軽くスカートを摘んで、自分も帝国式の礼を取る。
「初めまして、ハウアー殿。……もはや私は皇族の資格を剥奪された者ですから、そうかしこまらずに」
「いいえ。……我らは皇族憎しと日ごろから恨みを募らせておりましたが――それでも、ミレニア様だけが、我らの救いなのだと、いつも遠くから御身の安全とお心の平穏を祈っておりました。今回、貴女が皇城から逃げ延びたと聞いて、顔には出さずともほっとした民衆は決して少なくなかったはずです」
「まぁ。……警邏隊の隊長が、そのようなことを言ってはいけないわ」
困った顔でミレニアはハウアーを制す。
しかしハウアーは、いいえ、と首を振って言葉を続けた。
「私は、個人的にも貴女にずっとお目通りしたかった。……この一画に面した通りにジャクア侯爵家の馬車が入り込み、痛ましい事件が起きたとき――私は、ここの一画を任されている責任者として、ジャクア侯爵の馬車を何としても引き留め、糾弾せねばならぬ立場だったにもかかわらず、みすみす取り逃がすどころか、己も生活が手一杯で……心苦しく思いながらも、遺族に何もしてやれぬ無力感に打ちひしがれていました。そうした折に、貴女の尊い行いを知り――エルム教と出逢った。”神”の教えを体現する人間がいるのだと、感銘を受けたのです」
「そんな大層なものではないわ。私は、私の国の民を一人でも多く救いたかった。貴族が横暴をすることを、許せなかった。――それだけです」
「それでも、です。貴女の行いで救われた民がいる。それは事実です」
そして、己の胸に手を当て、真摯な声で告げる。
「”神”の行いを体現する貴女に、どうして鉄の枷など嵌めることが出来ましょうか。――かつて、無力に打ちひしがれるしかできなかった私の代わりに、ここの一画の民の心と生活を救ってくれた貴女だ。私は、今こそ貴女に報いたい。……この命を賭して、ミレニア様の助命を、クルサール様に嘆願いたします」
「まぁ――!」
ミレニアが、驚きに目を見開くと同時――
「俺も!」「私も!」「僕もだ!」
わぁわぁと周囲から一斉に声が上がる。
予期せぬ展開に、ぱちぱち、とミレニアは翡翠の瞳を何度か瞬いた。
「き、貴様――!神の御心に逆らうというか!」
「これが、神の御心だというのなら!今すぐ、ミレニア様が神に悖る行いをしていると、証明していただきたい!」
怒気に顔を染め上げた兵士に、ハウアーはカッと目を見開いて一括する。
「もしも、我々に納得のいく説明がないままにミレニア様を処断するようなことがあれば、帝都の民は、新政権に牙をむくと心得よ!」
「は、ハウアー殿……!」
礼儀正しい所作に反して、なかなか過激派らしいハウアーを、慌ててミレニアは押しとどめる。
――そこまでのことをしてほしかったのでは、ない。
「私は、大丈夫です。クルサール殿が、国を治めるために、私を処断する必要があるというのなら、それで良いのです。私は旧体制の血を引く女であることは事実。長兄を諫められなかったことも事実ですから――」
「ですが!」
「そう――ただ、もしも、叶うならば――クルサール殿の意向を、聞いてみたいとは、思います」
ミレニアは、何とか必死に軌道修正を図る。
「ここまで、民が私を想ってくれること、それ自体はとてもありがたく思います。ですが、私たちの一族が罪を犯したこと――これも事実です。真摯に受け止めたい、と私は思っています。……とはいえ、クルサール殿は、エラムイドのご出身。帝国の文化や民の生活をご存じないまま、国を治めるのは大変でしょう。そんなことで軋轢を生み、私が大切に想う旧帝国の民が安らかに日々を過ごせなくなるのは、本意ではないのです」
「ミレニア様――!貴女は、そこまで――!」
「私は確かに旧体制の血を引いていますが――エラムイドの血を引いていることも事実です。”エルム教”が生まれた土地の、血を引いているのです。……対話を重ねれば、分かり合うことが出来るかもしれません。クルサール殿が、真に民の幸せを望む王であるならば――きっと、私たちは対話を通じて分かり合える……そんな予感が、しているのです」
必死に、真摯な表情で訴える。
後ろでロロが、クルサールと分かり合うなど絶対に御免だ、という顔をしているが、無言で圧を出して黙らせた。
「ですから、ハウアー殿。もしも、嘆願書を書くとしたら、私の助命ではなく――私と対話の場を設けてほしい、と、そう歎願してはくれないでしょうか」
「ミレニア様――!なんと、なんと慈悲深い――!私の身を案じてくださっているのですね――!」
感動に瞳を潤ませたハウアーを、ミレニアは困った顔で見返す。
今、この国に軍人はいない。クルサールの下には、革命軍がいるだけだろう。
革命軍は、もともとエラムイドの出身だった人間の他――いわゆるエルム教に改宗した帝国民の中でも過激派に属している人間で構成されている。
だが、世の中の圧倒的多数は、革命軍以外の市井の民――エルム教徒にはなったものの、己で剣を取り皇族を殺さんとするほどの勇気はなかった者たちばかりだ。
(警邏隊の隊長であれば、それなりの地位にある男。クルサールもその歎願を無碍には出来ないはず……まして、ここまで騒ぎが大きくなってしまったんだもの。捕らえていきなり私を処刑することは出来なくなったはずよ)
そう。最初からミレニアの狙いはただ一つ。
――クルサールと、安全に交渉の席に着く権利を得ること。
もしも普通に捕まってしまえば、最初から枷を嵌められた状態で、跪かされて首に剣を押し当てられ、遺言を聞く形での問答が叶うか否か、という賭けに出ざるを得ない。
仮にそんな状態になったとしたら、まともに交渉が出来ないだけではなく――今後ろにいる、世界一の大規模過激派テロを何十回と起こした実績を持つ男が漏れなく暴走する。それだけは、何としても避けたかった。
そのために、最も自分に同情的になってくれそうな家を訪ねて玄関口で騒ぎを起こして衆目を集め、自分に有利になるように民意を味方につけながら最大限の同情を煽り、捕まり次第死刑になる道を防ごうとしたのだが――
(助命の嘆願、とまで言ってくれるとは思わなかったわ。……そう大したことをした自覚は、本当にあまりないのだけれど)
なんだか申し訳ない気持ちになり、ハウアーに顔を上げるように促す。
「頼みます、ハウアー殿。警邏隊長の嘆願であれば、無碍には出来ぬ――はずです。クルサール殿が、民を大切に想い、国を治めるに足る器の君主であるならば」
チクリ、と万が一握りつぶされたときのことを想定して、言葉に毒針を仕込む。
これで、もしも嘆願書が握りつぶされたとしたら――第二の革命が起きる。それだけだ。
(国を治める、ということはそういうことよ、クルサール。君主は、民を選べないけれど――民は、いつでも、君主を選ぶことが出来るのだから)
いつかクルサールに告げた言葉を思い出しながら、ミレニアはぐっと胸を張る。
帝都の民にとって、自分たちは最後、とても情けない一族だった。
だから、せめて――彼らの目に映る最後の皇族の一員であるはずの己は、誇り高く、気高い姿を見せておきたい。
「では、私はクルサール殿の待つ皇城へ向かいます。枷でも何でも、好きに嵌めるがいいわ」
不敵に、笑みさえ浮かべて言い放つ。
ごくり、と兵士さえもがその堂々とした態度に気圧されて息を飲んだ。
「お待ちください。――私が直接、皇城までお供いたします」
「え?」
両手を差し出したミレニアを、兵士から庇うようにしてハウアーが立ちふさがる。
ぽかん、と大柄な背中を思わず間抜けな顔で見上げた。
「どんな理由があろうと、貴女に枷を嵌めることは出来ません。それは、ここにいる全員の総意です。――私は、訓練を積んだ警邏隊長。仮に枷を嵌めぬまま貴女を連行している途中、ミレニア様が暴れて逃げようとしても、簡単に取り押さえられる自信があります。――そこの兵士たちには、どうやらその自信がないようですので、私が代わりにお供しましょう。そして直接、クルサール様に対話を設けていただけるよう、嘆願いたします」
「ぇ……あ……ありがとう、ございます……」
まさかの事態に、ぱちぱちと何度も目を瞬いて何とか礼を言う。
正直、嘆願書を書いてそれがクルサールの元に届き、対応を考えて――という順を経ると思っていたので、その間は冷たい牢獄に入れられることすら覚悟していた。しかし、ハウアーが直談判してくれるというのなら、話は早い。きっと、その場で結論を迫られ、このやや過激なところがある男の熱を前にすれば、クルサールは頷かざるを得ないだろう。
(……随分と、すんなりと色々な物事がうまく行くわね)
日頃の行い――というやつだろうか。
(いえ。……ロロが今まで、必死で紡いできてくれた努力が、報われているのかしらね)
ハウアーに促され、ミレニアはその大きな背中の後ろにつく。
さすがにロロまで枷を逃れることは出来ずに、魔封石がびっしりと嵌っている見慣れた枷を付けられていたが、本人は気にした様子がない。兵士たちは、枷を嵌めたことで安心したのか、愚かにも武器を取り上げることをしなかった。
枷を嵌められた後に、チラリ、としっかり鍵を持つ男が誰で、どこに鍵を仕舞うかまで視線で追っているところを見るに、いつでも枷の鍵を外すことなどたやすい、と思っているのだろう。
抜け目のない護衛兵に軽く嘆息しながら、ミレニアは胸を張ってハウアーに続く。
――視界の端で、どこかで見たことのあるような光の粒が、キラリと光ったような気が、した。




