171、夜の女王⑥
「それで?……何をどうしたところで、貴方たちの支払い能力が足りていないのは事実なんだけれど。どうするつもりかしら?」
様子を見守っていたラウラは呆れたように、面白くなさそうな顔で告げる。
ミレニアはキッと長身の褐色美女を睨み据えた。
「貴女のような情報屋からは情報を買わないわ。他を当たりましょう、ロロ」
「ふふっ……私以上の情報を有している情報屋が、帝都にいるとでも?」
「それでも、私のロロに不埒な行いをされるくらいなら、よっぽどマシだわ」
ラウラの挑発に取り合わず、ミレニアは踵を返す。
「……いえ。少しお待ちください、お嬢様」
「何?……もう、この女と同じ空気を吸っていることすら不快なのだけれど」
「申し訳ありません。すぐに済みます」
戸口に向かおうとしたミレニアを引き留め、ロロはラウラへと向き直る。
「何かしら。……貴方ならわかっていると思うけれど――私は今日、一番貴方に失望しているのよ、ロロ」
ラウラは美しい顔を不愉快に染め上げてふぃっと顔を背ける。
「どんな権力にも、快楽にも、一切靡かない孤高の貴方が何より魅力的だったのに――そんな子供に心酔して跪くなんて、馬鹿みたい。貴方のそんな姿、見たくなかったわ。不愉快だから、早くここを出て――」
ヒュッ――
ラウラの言葉が終わる前に、風が唸った。
「ぇ――」
バキッ――!
部屋に響き渡る、容赦のない音。
――骨に固い拳がめり込んだ、音だった。
「ロ――ロロ!?」
ミレニアは、驚きに目を見張って声を上げる。そのうちに、ラウラはなす術もなく吹っ飛ばされ、床へと情けなく崩れ落ちた。
振り抜かれたロロの拳と、ラウラが吹っ飛んだ方向を見て、初めて彼が裏拳で彼女を殴り飛ばしたことを知る。
「おっ……お前、何をしているの!?」
「正直――これは、あまり取りたくない方法だったのですが。……背に腹は代えられない」
冷ややかに言うロロの瞳には、感情が宿っていない。
燃えるような色の瞳に、まるでブリザードのような冷たさを湛えて、ロロは倒れたラウラの方へと歩みだす。
「おい。……起きているんだろう。立て」
目の前で立ち止まってかける声は、とても殴られて頽れた女性にかける言葉ではない。
響いた威圧的な声音に、ぴくり、とラウラが肩を揺らした。顔は、長い髪がかかっていてよく見えない。
「だんまりか。――いいだろう。望み通り、くれてやる」
ヒュッ
「待っ――!」
ミレニアの制止の声が届くよりも先に、ドガッと鈍い音を立てて、固いブーツの先が美女の腹へと吸い込まれた。
「キャァッ!」
全く容赦をしているとは思えない暴行に、思わず目を覆って小さく悲鳴を上げる。
「ゲホッ……ゲホッ……ぅ……はぁ……」
「ロロ……!お前、なんてことを――!相手は、女性なのよ!!?」
大きく咳き込んで身を折りながら荒い吐息を吐くラウラに、さらに何かの追い打ちを掛けようとしたロロの腕を取り、青ざめながら必死に引き留める。
確かに、もしも男の情報屋だったら――などと考えたのは事実だが、まさか、女であるラウラにまでこんなことをするとは思わなかった。
それも――いつも穏やかで、心根は誰より優しいはずのロロが。
「ご安心ください。死にはしません」
「そ、そういう問題ではないわ!こ、こんな――こんな方法でなくても――」
「ご心配なく。これは、情報に対する、正当な対価を支払っているだけです」
「な、なんですって……!?」
ぞっ……とミレニアが背筋を寒くするのを見て、ロロは嘆息しながら、嫌そうな顔で渋々口を開く。
「ラウラに払う情報に対する対価は、金か快楽。金が足りないなら、快楽を与えればいい」
「な、なのに苦痛を与えてどうす――」
「貴女のような方には想像がつかない世界でしょうが」
ミレニアの至極まっとうな反論を遮り、不快そうに顎でしゃくるようにしてラウラを指す。
「そこのクソ女は――痛みを快楽に変換できる特異体質を持った、究極のド変態なので」
「――――――――――へ――――――?」
ぽかん……
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、ミレニアはロロを見上げる。
長い付き合いだ。
相手が冗談や嘘を言っているのかどうかくらい、顔を見れば大体わかる。
「……ぇ……?」
ロロの嫌そうな顔に、全く冗談の気配がないことにひくっ……と頬を引きつらせてから、ギギギ、と顔をゆっくりとラウラの方へと向ける。
荒い息をしているのは、てっきり苦痛に耐えているのかと思っていたのだが――
「はぁ……はぁ……♡」
「――――――え゛――?」
何やら、吐息が熱っぽく色っぽい。
それに気づいた瞬間、理解の出来ない未知の生物に遭遇したミレニアは、怯えたように一歩後退った。
「あぁ……ロロが……あの、何をしても表情一つ動かさないあの男が……ついに、ついに私を……♡」
(な――何これ何これ何これ何これ何これ何これ!!?)
ぞわぞわぞわっと背筋を寒いものが駆け抜けていく。
「気味が悪い反応をするな」
「あぁ……お願い、ロロ……もっと……もっと、私を痛めつけて……」
「触るな、気色悪い」
恍惚とした表情で跪いたまま手を伸ばしてきた美女の顔に、容赦なくゴッとブーツの靴裏をめり込ませる。
靴の裏から「あぁ……」とうっとりした官能的な声が聞こえて、ミレニアは思わず「ヒッ……」と悲鳴を飲み込んだ。
「どうせ、お前のことだ。結婚だのなんだの言っていたのも、コレが望みだったんだろう」
「はぁ……はぁ……わかっているのに、意地悪な男……でも、そんな貴方が好きなの……」
「黙れ、女狐」
容赦なく罵り、もう一度ブーツを横っ面に叩き込む。ラウラの美しい頬が腫れあがり、唇から鮮血が噴き出した。
倒れ込むラウラの横腹に容赦なく靴を置いて足蹴にしながら、ロロは冷ややかな顔で女の身体を見下ろす。
「お前の変態性癖に付き合うなんざ御免だが、背に腹は代えられない。――情報を渡せ。そうしたら、好きなだけ甚振ってやる」
「ぁぁっ……最高……ねぇ、痛めつけながら抱いてくれるんでしょう?」
「調子に乗るなクソ女。俺が、お前が喜ぶことをしてやるとでも?」
「あぁっ……酷い……でも、そんな冷たい所が、貴方の素敵なところ……♡」
男にブーツで足蹴にされながら、はぁはぁと喘ぐ女の神経がどうしても理解できなくて、ミレニアはふるふると震えながら己で己の身体を抱きしめる。
「情報を渡さないというなら、ここまでだ。俺は二度とお前の前に現れない。――どっかでお前の言う”理想の男”とやらを探すんだな」
「待ってっ……お願い、なんでもするからっ……お願い、待ってぇ……!」
冷酷に言い渡して踵を返そうとしたロロの脚に、全力で縋るようにして抱き付く。
まるで、ゴミでも見るかのような目でラウラを見下ろした後――ふと、視界の端でミレニアが青ざめたままドン引きしている姿が目に入る。
「汚ない手でべたべたと触るな。――お嬢様と、約束したばかりだ」
バキッ
「はぁっ……ん……」
なぜ殴られたときの悲鳴がそんなにも悩ましいのか。
「どうして――……」
「お嬢様?」
呆然とした声を出したミレニアの声を聞き取り、ロロが振り返る。
ミレニアは、信じられない、といった様子で首を振りながら、カタカタと震えて声を絞り出す。
「だ、だって、あんなにも余裕たっぷりで、挑発的で、意地悪ばかり言って――てっきり、嗜虐趣味の女性なのだと――!」
「コイツが?……ありえない」
呆れたように言って、ロロは吹き飛ばされた先で独りで喘いでいる女を蔑んだ目で見る。
「確かに、基本的には性格が悪い奴なので、煙に巻いたり揶揄したりというコミュニケーションが多いのは事実ですが――相手を侮るような挑発的な物言いは全て、相手を怒らせようとしているだけです。怒らせて詰られ殴られれば儲けもの、とでも思っているんでしょう」
「そ、そんな――!でも、お前と懇意にしていたと言ったから――!」
「…………何やら誤解があるようですが。俺には別に、被虐趣味はありません」
「嘘!!!」
間髪入れず全力で否定され、苦い顔を返す。
確かに、ミレニア相手には、被虐趣味だと思われても仕方のない行動をとってきたかもしれないが――それは、あくまで相手がミレニアだからだ。
どの女にも被虐趣味を発揮するのかと言えば、それは明確に否だった。
「はぁ……そうよ、お嬢様……ロロが被虐趣味だなんて、ありえない……」
「まだ喋る元気があるのか」
「ふふ……最高の色男……やっぱり貴方こそが、私の”理想の男”だわ――その、ゴミを見るような目つきが堪らない」
ほぅっ……と恍惚のため息を漏らすラウラに、ドン引きしながらミレニアはもう一歩後退る。
「私を抱いた男は、どの男も必ず快楽の沼に堕ちるのよ。最初は女を痛めつける趣味はない、なんて言っている男も、私が喘いで感じている様を見れば、そのうち堪え切れずに煽られて、興奮しながら甚振るようになる――なのに、この男だけは」
血の滲んだ唇から、はぁ……と熱い吐息を漏らして、”最中”のような悩まし気な顔でロロを見る。
「何度『酷く抱いて』と迫っても――『酷くすると、お前は喜びそうだから嫌だ』と言って、淡々と表情も動かさずに私を抱くのよ……!今まで、そんな男はいなかったわ……こんなドSな男、初めて……!この、ピクリとも動かない無表情に抱かれるたびに、これ以上ない屈辱と――最高のお預けに、いつだって私の身体は昂るの……!」
「ヒィ……!」
「おい。お嬢様の清らかな耳を穢すのはこの口か?」
ゴッと頽れていた女の口にブーツのつま先を容赦なく突っ込み、ラウラの下品な言葉の羅列を実力行使で押しとどめる。
「お前を喜ばせると、蛇よりも執念深く食らいついてくるから、絶対に御免だと思っていたが――このまま、お嬢様を失う訳にはいかない。クソみたいなお前の趣味に付き合ってやるから、さっさと洗いざらい知っていることを話せ、このゴミ女」
ブーツを口の中に突っ込まれた状態のまま、うっとりと瞳を潤ませ、こくこくと頷く従順な姿は、快楽主義の性奴隷といって差し支えない。
見てはいけない世界を見てしまったミレニアは、早急に今見たことを忘れよう、と心に誓って瞳を閉じたのだった。




