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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第十章

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166/183

166、夜の女王①

 コソコソと足音を立てないように気を付けながら、ロロの手引きに従って街の中を駆け抜けていく。

(本当に、兵士の巡回経路がわかっているのね……)

 路地裏に身を潜めたまま、目の前の逞しい広い背中を感心するように見上げると、視線に気づいたロロがこちらを向いた。

「……何か?」

「いえ、なんでもないわ。頼りになる護衛兵ね、と思っただけよ」

「……ありがとうございます」

 いつも通り頬をピクリともさせないで言った後、ロロはもう一度通りにふぃっと視線を向けてしまう。

「お前は、いくら褒めてもいつもそんな感じね」

「……はぁ」

「褒められたいという欲求はないの?」

(自己肯定感が驚くほどないくせに)

 胸中の言葉は口に出さずに、呆れたようにロロを眺める。

「俺は、見返りが欲しくて貴女に仕えているわけではありません。富も名誉も、必要ない。休みなく無給で働いても構わないと、最初に告げたはずです」

「それは……そう、だけど……」

 同じようなことを言う者がいなかったわけではない。特に奴隷出身でミレニアに心酔した従者は、ディオを筆頭に似たようなことを言っていた。

 だが――そのディオでさえ、最期は「褒めてくれるかな」と言って死んでいったのだ。

「今の私は、何も持っていないわ。お前に感謝して、賞賛するくらいしか出来ない。それすらも喜んでもらえないとなると――全てが終わった時、この私に、お前に返せるものが何かあるのかと不安になるのよ」

「いりません。何も、いらない。……貴女が、ずっと、生きていてくださること。それだけが、俺が欲しい見返りです」

 いつも通りの無表情で言い切ってから、ロロは小さく合図をする。

 ぎゅっと口を引き結び、緊張を高めた後、ロロの次の合図で走り出し、再び次の細い路地に身を隠す。はぁっ……と荒い息が漏れた。

「お嬢様。……あまり身を乗り出さないようにして、奥の通りを覗けますか」

「え?……え、えぇ」

「もうすぐ、そこを巡回の兵士が通り過ぎるはずです。一本奥の通りなので、それほど警戒する必要はないですが、いつも念のためその兵士が通り過ぎてから走り抜けるようにしていました」

「わ、わかったわ」

 ロロが事前に行動を教えてくれることは珍しい。ミレニアは真剣な表情で頷く。

 しかし、ロロの意図は別のところにあったようだ。紅玉の瞳が、静かにミレニアを見下ろす。

「――魔法を」

「へ?」

「睡眠の魔法を、練習しておきましょう」

「へっ!?」

 予想だにしない言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまってから、慌てて自分で自分の口を押える。ドキドキと心臓が驚いて暴れていた。

「いざというとき、魔法が使えるようにしておいて損はありません。むしろ、有事の際には積極的に使っていただきたい。今まで貴女は、意図的に魔法を発動したことがないのでしょう。ならば、なるべく練習をしておいた方がいい。光魔法というのが、どれくらいの射程があるのかも知っておくべきです」

 無表情の中に真剣な色を宿して告げる護衛兵に、ぱちぱち、と目を瞬く。相変わらずの過保護っぷりだ。

「もしうまくいかなくても、兵士までの距離は遠い。どうとでも逃げられます。あれくらいの距離なら、並の魔法使いでも射程範囲内でしょう。貴女の魔力が俺と相違ない量であれば、余裕です」

 言いながら、兵士の方向を指差す。

「魔法の使い方自体は、教わったことがあるのですね?」

「え、えぇ……座学と、実技も勿論。水魔法が顕現するイメージで練っていたから、魔法は顕現しなかったけれど――教師には、魔力の扱いがとても繊細で上手だとほめられたわ。……魔法を熱心に学んでいたのはお父様が存命の時だから、その言葉もどこまで本当かはわからないけれど」

「十分です。……では、相手を眠らせるイメージを描いて、魔力を練ってください」

 すっとロロは自分の身を引いて、ミレニアが兵士を捕らえやすいように移動する。万が一に備えるのか、マントの下で握ったらしい剣の柄が小さく音を立てた。

 すぅっとロロは目を細めて兵士の方を見る。気配は殺したまま、何かがあってもすぐに対応できるように。

(えっと……眠らせる……どういう状態にするのかしら。麻酔をかけるイメージ?それとも、自然に寝入ってしまうということ?脳を休眠状態にすればよいのかしら?)

 一瞬で、薬師として得た知識が脳裏にザァっと展開する。

(まぁいいわ。失敗しても大丈夫とロロも言っていたもの。色々と試してみればいい)

 それならば、まずは普通に睡眠欲求が高まるメカニズムを試してみよう――そう決めて、ミレニアはそっと兵士の方へと手をかざす。

「ん……」

 脳裏に、薬師の教本の該当ページを描きながら、恩師のジュゴスの教えを思い出しつつ、しっかりと人間が入眠するイメージを持って魔力を対象に向かって解き放つ。

 放たれた魔力は、即座に吸い込まれるようにして兵士の元へと飛んでいき――

 そのまま男はプツリ、と糸が切れたように意識を途切れさせ、前のめりに倒れる。

「あ、危な――!」

 咄嗟に、もう一度魔力を解放する。頭には、人が目覚めるメカニズムの教本ページが浮かんでいた。

 受け身を取ることも出来ずに顔面から石畳にダイブしようとしていた兵士は、再びミレニアの魔力に接した瞬間、一瞬で意識を取り戻す。

「!?び、びっくりした……!あ、歩きながら寝るなんて、どうかしてるな……」

 ふるふる、と頭を振って独り言を言い、パンパン、と両手で頬を叩いてから再び巡回へと戻っていく。

 ほっ……と兵士が無傷で何事もなく業務に戻ったことに安堵のため息を漏らしていると、紅玉の瞳がミレニアを見た。

「見事です。……疲労は?」

「え?……ううん、特にないわ」

「そうですか。……教師の見立ては、どうやら正しかったようですね」

「へ?」

 ぽつり、と零された言葉の意味が分からずロロを振り仰ぐ。

(生まれて初めて魔法を使えば、大抵の人間は魔力の量の加減がわからず疲労感を覚えるものだ。兵士に向かって行った魔力は、本当に最低限の量だったし、スピードも速く、全く気付かれる素振りもなかった)

 一定の魔法訓練を詰めば、他者が放った魔力の波動を感じられるようになる。もたもたとした魔法展開をすれば、兵士に魔法が辿り着く前に勘付かれてしまうかもしれない、と備えていたが、どうやら杞憂だったらしい。

 それは、ミレニアが魔力の扱いに長けていることに加え、薬師の知識により最小限の魔力で最大の効果を得られるイメージが詳細に描けることも大きな要因だろう。

「意図せず、眠りから覚ます魔法も使えるようになったようですが――有事の際に、相手の心配など不要です。どんな時も、己の身を守ることを最優先に考えてください」

「ぅ……わ、わかったわ……」

 いつもの無表情を動かして軽く眉間を寄せたロロの苦言に、ミレニアは小さく口をとがらせて頷く。

 元来、ミレニアは薬師なのだ。――人を救うために力を行使することはあれど、他者を傷つけるような力は使いたくない、というのが本音だろう。

(だが、甘いことを言っていて、姫が命を落とすようなことになったら元も子もない……)

「万が一、御身に傷がつくことがあれば、何を置いても優先してご自身を治癒してください。必ず、です」

「ぅ……」

 有無を言わさぬ眼光で、森を出立する前にも同じことを言われたことを思い出す。過保護な従者は、よほどミレニアの身を守り抜きたいらしい。

「そ、それならやっぱり――自分自身のことも治癒が出来るか、試すべきではないの?お前の剣で私を――」

「お戯れを。貴女の美しい肌を故意に傷つけるなど、出来るはずがない。自分が許せなくて、俺が死にたくなる」

 ミレニアの言葉を遮るように顔を歪めてきっぱりと言い切ったロロは、どこまでも本気らしい。

「治癒の魔法は、今まで無意識で何度も使用したことがあるはずですから、他の魔法よりも発動しやすいはずです。それほど練習せずとも――――お嬢様?」

「ふぇっ!?ななな、何かしら!?」

 マントのフードの下で、何やら頬を抑えて俯いている少女に声をかけると、肩を跳ねさせて上ずった声が返ってくる。

「?……どうされました?」

「なっ……な、なんでもないわっ……」

 フードを目深に被りながら、上ずった声のまま早口で答える。ロロは、さらに疑問符を上げた。

(う……美しい肌、って、言った――言ったわよね――!?)

 ぼぼぼ、と頬が燃えるように熱を持つのを自覚して、必死に両手で押さえてロロに気付かれないように隠す。

 きっと、彼は何も考えずに発言したのだろう。だからこそ、ロロの無意識にある本音が垣間見えたように思えて、ミレニアは頬を灼熱に染めていた。

(ろ、ロロが――()()()、私の肌を、褒めた……!)

 ロロらしい、ぶっきらぼうな、飾り気のない表現。過去、様々な男たちが、ミレニアの気を引こうと並べ立てた美辞麗句とは程遠い、女性を褒めるにしては拙いとさえ言える表現だ。

 それなのに――こんなにも、心臓が、うるさい。

 幼いころから己の肌に強くコンプレックスを抱いていたミレニアにとって、それを褒められることは、他の何を褒められるよりも嬉しく感じられた。

 誰に褒められるよりも――()()()褒められたという事実が、何よりも特別だ。

「お嬢様……?」

「なっ……なんでもないったら……!」

「ですが――」

 明らかに様子がおかしいミレニアに、怪訝な声が飛ぶ。過保護な護衛兵としては、少しのことでもイレギュラーな事態が起きるのは心配なのだろう。

「だ、大丈夫よっ……その――そ、そう!いつものように――お前は本当に私のことが大好きなのね、と思っただけだわ!」

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