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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第十章

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162/183

162、稀代のペテン師①

 ネロを迎えに来た家族に引き渡した後、クルサールはすぐに『神の化身』としての仕事を開始した。

 何やら少年は青ざめて、もの言いたげにしていたが、慈悲の微笑みで送り出すと、何も言わずに家族と共に教会を後にした。

 まずは、この国一番の権力者への根回し。司祭は既にクルサールの意のままだったため、残るは一人のみ。

 ――それが、血を分けた父だったのは、不幸中の幸いだったかもしれない。

「あぁ――神よ――」

 敬虔な信者だった父は、息子の前に跪いて祈りを捧げた。まるで、息子こそが神であるかのように。

 ――ふと、『神の化身』となった途端に名前を呼んでもらえなくなった、というエルムの手記を思い出した。

「父上。どうぞ、面を上げてください。私は、あくまで”神の声”が聴けるだけです」

「だが――ですが、『神の奇跡』を――」

「はい。神は、私にその力を行使する奇跡をお与えくださいましたが――”神”そのものではありません。私は今でも、貴方の息子クルサールですよ」

 彼の元を去ったのが、不意の別れだったせいかもしれない。荒れ狂う国内の負の感情を一心に受け止めてじっと耐える父の姿を、遠くからいつも尊敬の念を持って見ていたせいかもしれない。

 クルサールは、この男を”父上”と呼ぶ権利を手放したくなかった。

 彼に”クルサール”と本来の名前を呼んでもらう権利を、取り上げたくなかった。

 『神の化身』として生きることをクルサールが選んだ以上、これから先、親子の心の交流は叶わないとしても――せめて、最期まで、彼の息子であると、名乗りたかった。

「私は、この国の人々を救いたい。今、この国が置かれている状況を、正しく教えてほしいのです」

 そう頼めば、父はすぐに詳らかに現状を教えてくれた。一般人には決して公開しない重要な機密事項までしっかりと教えてくれた。

「なんと――イラグエナムの皇帝ギュンターが、ついに崩御したのですか……」

「あぁ。今朝、入ってきたばかりの最新の情報だ。……今の状況下で、国民にそれを公表するのは、憚られてな。いつ公にするべきかと悩んでいたところだった」

 父は額に手をやり、呻くようにして告げる。いつの間にか、その頭は年齢を加味しても多過ぎる燻した銀の白髪が目立っている。彼も、相当な苦労を強いられているらしい。

「ここ一年ほど――ギュンターが床に伏せり、長兄が実権を握ってからというもの、帝国は随分と荒れている。絶対安全圏と言われていた帝都に魔物が侵入し、追い打ちをかけるように西の日照りによって農作物の不作が起きた。重い課税に苦しみ、民は疲弊している」

「あの軍国主義国家のことです。国内の悪感情を外へ向けるために、再び侵略戦争を仕掛けることもあるかもしれません。奴隷、などという人道に悖る制度を採用しているような国です。属国としている我らを奴隷階級と同等とみなして、悪感情の矛先を向けることもあるかもしれませんね」

 賢い息子の考察に、あぁ、と父は重く頷いて言葉を続ける。

「仮に新皇帝が我らに興味を示さなかったとしても、我ら側の感情が、ギュンター崩御を機に爆発しかねない。今こそ独立を、と奮起して、無茶をやらかす人間が出てこないか心配だ。――特に、南の集落はそうした極端な考えを振りかざす者が多い」

「南――……」

 眉間に皺を刻んで苦悶の表情を浮かべた父の言葉に、クルサールは書物で学んだ南の地域のことを思い出す。

 帝国が最初に攻め上がってきて手中に収めたのが南の地域だった。結果的にはすぐに白旗を上げたものの、エラムイドとて、最初はそれなりに武力で抵抗を示した。つまり、南は、過去の侵略戦争において、唯一にして最も戦争被害を被った地域でもあった。

(エルムが誕生したのも、確か南の集落だった。当然、エルムの一族――すなわち、”司祭”の一族所縁の地でもある。国内で唯一銀が採掘される場所であり、エルムが誕生してからは聖印の生産を一手に担っていて、農作物が育ちにくい土地であっても、そのおかげで何とか生活を賄っていると聞く。――良くも悪くも、”神”を一番近く感じている地域で、”神”によって生かされている地域でもあったはずだ。そのせいで、やたらと信仰やしきたり、古来からの風習にうるさく、他の地域との交流も好まない保守派の筆頭でもある。――ネロも、たしか、南の出身だった)

 最初に攻め込まれた際、無理矢理軍人に手籠めにされた女がいたのかもしれない。ネロの年齢を考えれば、生まれた時期の整合性は取れてしまう。

 ただでさえ帝国排除の風潮が強い国内。さらにその機運が強い南の地域において、ネロのような混血児が生まれたとあれば、最初にクルサールが彼を見たときのような酷い虐げられ方をするのも、哀しいが納得できる。生まれる場所を選べないとはいえ、ネロは他の地域に生まれるよりも更に過酷な環境で生きることを強いられたのだろう。

「状況は理解出来ました。……それでは、私は最初に”南”に向かいましょう。幸い、次に<贄>の効果が途絶えるとすれば、南です。結界を張り直すことで『神の奇跡』を喧伝し、神の言葉を伝えれば、保守派の彼らはきっと私の言葉をしかと聞き入れてくれるはずです。――神も又、無益な争いで民が血を流すことを喜びませんから」

「クルサール……ありがとう」

 白髪交じりの頭が深々と下げられる。

(ちょうどよかった。別れ際のネロの表情が気になっていたところだったし――南に行くときは、ネロの様子も見ていくことにしよう)

 敬愛する父の力になれることにクルサールは心の奥を温めながら、胸中で呟く。

 この時のクルサールは、国家のためにいつか自分が犠牲となる未来に、漠然とした不安はあったものの、国を治める父に陰ながら手を差し伸べ、荒れた民の心に平穏を戻す一助となれることへの安堵の方が大きくて、それ以外の憂慮すべきことにまで考えが至っていなかった。

 だから、なのかもしれない。

 クルサールは、忘れていた。

 ”人間”が持つ愚かさも――残酷さも。


 ◆◆◆


 数日後――ガタゴトと馬車に揺られながら、クルサールは南の集落へと辿り着いた。

「ようこそいらっしゃいました。クルサール様」

 既に父が文か何かで伝達をしてくれていたのだろう。かつて『神の化身』を生んだ地の者たちは、最上位の礼を持ってクルサールを出迎える。

「かしこまったもてなしは要りません。まずは、集落の中を少し見て回りたいのですが――」

「それでは、私の娘に案内をさせましょう。集落一の美しい娘です」

 権力者らしき男がそう言いながら、後ろに控えていた妙齢の女を差し出す。

 思わず不愉快に眉を顰めそうになったのを、寸でのところでクルサールは笑顔の鉄仮面に隠した。

(『神の化身』とされる男に、性欲に溺れろとでも言いたいのか……?さすが、”神”の教えを振りかざしながら、息子を利用して国家随一の権力を得るような一族を生んだ地域の人間だな)

 他の集落よりも贔屓にしてほしい、という大人たちの下卑た狙いが透けて見えるようで、不愉快に顔を顰めそうになるのを必死に堪える。

「私は、神に仕える身――案内をしていただくのは、どなたでも構いません。敬虔な信徒であれば」

 慈愛に満ちた笑みに本音を隠してやんわり告げるも、権力者の男は薄汚い笑いを変えることはなく、ずいっと娘を乱暴に差し出してきた。

 心の中で嘆息をして、クルサールは女にいつもの笑みを向ける。

「それでは、お嬢さん。案内をお任せしてもよろしいでしょうか」

「は、はい……」

 柔和な笑みを浮かべれば、ぽー……と女が頬を染めるのが分かった。

 クルサールは、大人になるにつれて、どうやら自分がそれなりに女に好かれる容姿をしているらしいことに気付いていたが、今までは性愛に溺れてはならぬという神の教えに忠実に生きてきたため、何の興味も示さなかった。

(正直、未だにあまり興味は示せないが――『神の化身』として振舞い、奇跡を広めるには、都合がいいかもしれない……女が良い反応を示す振る舞いは、なるべく覚えておくことにしよう)

 何せ、自分は稀代のペテン師にならなければならないのだ。人を欺き、意のままに操る術は、少しでも覚えておくことに超したことはないだろう。

 どうせ、女に気を持たせたところで、問題はない。無理やり一線を超えようと向こうが勘違いをしたところで、「神に仕える身なので」という最強の断り文句がある。いざとなれば、光魔法で一瞬で眠らせてしまえばいい。多少無碍に扱ったところで、自分も恩恵にあずかろうと『神の化身』に媚びを売り腰を振ろうとする女はいても、表立って非難し糾弾するような勇気がある者がいるはずもなかった。

 稀代のペテン師になると覚悟を決めて心を凍てつかせたクルサールにとっては、もはや、相手を思いやって痛む胸はない。

 どうせ――どうせ、世界中の人間が、最期はクルサールの死を諸手を上げて喜ぶような者ばかりなのだ。

 崇高な目的を達成する邪魔をしてくる相手に、どうして慈悲の心など持てようか。

 所詮、自分は、人間で――”神”ではないのに。

「こちらは、集落の集会場です。何かの催しがある際には、大抵ここに集まります」

 娘は、緊張した面持ちのまま頬を桜色に染めて、上ずった声でクルサールを案内していく。

 視線で、言葉で、表情で娘の純情を弄びながら、クルサールは集落の様子を注意深く観察し――ふと、違和感に気付いて足を止めた。

「すみません。――所々で見る、十字の印は、何ですか?」

「え……?」

「家の軒先などにかけられている、あれです。聖印とは違うようですし――」

 ”神”の恩恵に縋って生きるこの集落の人間が、古来からの信仰を放棄するとも思えない。疑問に思って指をさすと、「あぁ」と娘は頷いた。

「あれは、『咎人の儀』に異論を示さない、という意思表示のために掲げられる印です」

「咎人……の、儀……?」

 初めて聞く単語に、クルサールは眉根を寄せる。

 娘は、街を案内するときと同じく、朗らかな笑顔のまま溌溂と言葉を紡いだ。

「他の地域では見られない儀式らしいですが、私たちの地域では、古から続く伝統的な儀式なのです。……しきたりを犯した者や、集落に禍を持ち込む者を、『咎人』と呼びます。先ほど案内した集会場で、大人たちが話し合って、『咎人』と定められた者は、”神”の名のもとに罪を贖うよう、儀式に駆り出されるのです」

「な……ん、です……って……?」

 ひくり、と笑みを浮かべていたはずの頬が引き攣るのが分かった。

 娘は、己の発している言葉に何の疑いも持っていないのだろう。淡い恋心すら抱いている青年に向かって熱心に、良かれと思って己の集落の風習を説明する。

「広場に、儀式の跡がありますから、案内しながら説明しますね!私たちは、こうして古来からのしきたりを大切に守って、”神様”を敬い、生きてきたのです」

 娘は案内の方向を転換し、広場へと足を向けた。

「クルサール様は、獣葬をご存知ですか?」

「あ、あぁ……聞いたことがあります。土葬が普及する前の、古代の葬儀だったと――」

 魔法の研究が進んだことで、土葬や火葬が普及して、当たり前になった現代と異なり、昔は集落の外に遺体を放置し、獣や鳥に遺体を食わせて弔っていた。

「はい。そもそも獣葬が主流だった理由は、”神様”の信仰すらなかったほどの太古の昔――大陸全土に棲んでいた祖先は、”死”を穢れたものだと認識していたといいます。だから、穢れをその土地に残さないように、という理由で獣や鳥の血肉になって別の場所に運んでもらおうと考えたせいだったと教わりました」

「そう……なの、ですね……」

(なんだ――?何か、とてつもなく、嫌な予感がする……)

 いきなりの話題転換に不穏な予感を感じ、ぎゅっとクルサールは拳を握り締めた。

 娘は知識を嬉しそうに、どこか誇らしげに披露する。

「しかし、”神様”のいるここエラムイドに移り住んだ祖先は、死を穢れではなく、天へと上るための安らかな眠りであると考えました。故に、寝床のような棺に身体を納め、花畑があるという天を模して花を敷き詰め、温かな土の下に埋める埋葬方法が主流となりました」

 それは、この国の誰もが知っている知識だが、娘はまるで歌うようにして言葉を紡ぐ。

「ですが、『咎人』を処する方法として、私たちの集落では、獣葬の風習が残ったのです」

 にこにこと笑顔で集落の処刑方法について語る表情に、狂気すら感じて、ぞくり、とクルサールは背筋を寒くさせた。

「例えば、凶悪な犯罪を犯した者。例えば、集落に疫病を持ち込んだ者。例えば、集落の総意に背く迷惑な者……基準は、この地にとって、禍であるかどうか、です。――古来の考えに則り、その人間によってもたらされた禍をこの地に根付かせぬようにと、獣葬が形を変えて残ったのです」

 娘は、ぴたりと足を止め、クルサールの視線を前方へと促す。

「これは――?」

 それは、家の軒先につるされていた十字を模したような、丸太だった。何かを括りつけたような紐がだらしなく垂れていて、最近使われたばかりの形跡がある。

「咎人を拘束する磔です。儀式は、まず、咎人を磔刑に処して、弱らせるところから始まります。――獣に食わせる前に、逃げ出されては困りますから」

「な――」

 流石に表情を繕えず、愕然とした表情でクルサールは娘を振り返った。

 獣葬や鳥葬は、あくまで死者の弔い方法の一つでしかない。決して、処刑方法などではないのだ。

 つまり、本来は、人が死んだ後の遺体の処理の方法でしかない。

 だが――この集落では、それを”処刑”と言い切った。

「つまり――生きたまま、食わせる……の、です……か……?獣や、鳥に――……?」

「はい」

 にっこりと。

 狂気とは無縁の無邪気な笑みで、娘はクルサールを振り仰ぐ。

「勿論、咎人の選定は慎重に行われます。集落の大人の九割の同意がなければ執行されません。よほどの大罪任や、災禍をもたらしたものに限られます」

「な……」

「数日、飲まず食わずで咎人を磔にして、弱らせます。そして、十分に抵抗の意志が無くなったと見られれば、集落の外にもう一つ磔刑台を作り上げ、そこに括りつけて放置します。餓死するか、獣や鳥に食われるか。どちらが先かは、その咎人によってまちまちですが――あぁ、タイミングが良ければ、結界が切れて侵入してきた魔物の発見装置も兼ねられるという利点も――」

「そんな非人道的なことが許されるとでも!!?」

 カッとクルサールは思わず声を荒げる。

 本来、人間の犯した罪に対する処罰は”神”の役割だ。そのために、懺悔があり、地獄がある。”人間”ごときがそれを行って良いものではない。

 色を失ったクルサールを前に、娘はきょとん、と目を瞬かせた。

 どうやら、何故クルサールが激昂したか、理解が及んでいないようだ。

「非人道的――と言われましても、集落にそれだけの影響を及ぼした者ですから、罪を贖う必要があるでしょう?」

「な――」

「先ほどお伝えした通り、咎人は、よほどの大罪や災禍をもたらした者に限られます。今回の儀式も、約十年ぶりの執行で、滅多にないことだと大人たちは言っていました。それだけのことをしているのです。それに、もしも本当に、どうしても執行に納得できないというなら、軒先に印を掲げなければいいのです。……その後、その家の者が、集落の輪を乱すと認識されるかもしれませんが」

 クルサールは絶句して年若い娘の顔をじっと見つめる。

(狂っている――……)

 閉鎖的で保守的なのが南の集落だとは聞いていたが、ここまで常識が通じないとは思わなかった。

 クルサールは青ざめて、娘を問いただす。

「今っ……その儀式は、まさに進行しているということですか!?」

「はい」

 にこり

 可憐な笑みを浮かべて、娘は正直に答える。

「広場での磔刑で弱り切って抵抗の意志も感じられなくなりましたので、今は集落の外に――」

「案内してください!」

「え……で、ですが、危ないですよ……?獣たちが――それに、結界も弱くなる時期で――」

「構いません!」

 クルサールの慌てた様子に、娘は初めて怪訝な表情を返す。

(嫌な――嫌な、予感が、する――!)

 磔刑の十字に視線をチラリとやれば、なぜか木製のそれには、ところどころ掠れたように赤黒く染まった後がある。――十中八九、血液の跡だろう。

(ただ、磔にするだけではない――暴行を加えているのか――!)

 確かに、目的が”弱らせる”ことにあるならば、有効な手段だろう。そもそも、この儀式自体を『非人道的』と認識していないような、狂人しかこの集落には存在していないのだ。

 改めて、この集落に暮らすのは、髪と瞳が黒いというだけの理由でネロに石を投げ、暴行を加え、人として尊厳を失うほどに虐げていた人種だったと再認識する。

(やめてくれ――やめてくれ、冗談じゃない……!)

 ドクン ドクン

 心臓が、嫌な音を立てている。

 前回の『咎人の儀』の執行は、十年前だという。

 十年前――ネロが生まれたのは、それくらいの時期だった。

 油断をすると、恐怖と怒りで歯がガチガチと音を立ててしまいそうで、ぎゅっと唇を引き結んで耐える。

(帝国に蹂躙された被害が大きかった南の集落――敵国憎しの風潮がどこよりも強く、保守的な考えが蔓延るこのコミュニティの中で、帝国の人間と通じたと思われる子供を産んだ母親は――どうなる……!?)

 ネロは、『見極めの儀』にも、たった独りでやってきた。

 あの時は、親にも虐待を受けているせいだろうと思っていたが――もし、親がそもそも、集落の狂った儀式の果てに、十年前に死んでいたのだとしたら――?

(<贄>として厄介払いをしたと思っていた子供が、無傷で返ってきた……帝国の血を引く、『忌み子』が、再び集落に返ってきたとして――彼の、扱いは、どうなる――!?)

 どうしても、昏い未来しか描くことが出来ず――

 駆け足になっていく心臓につられるように、クルサールは足早に娘をせかして目的地へと急いだ。


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