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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第九章

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159、エルム様⑧

 コツコツ、とクルサールは簡素な木製の扉を叩く。

 そこは、代々"司祭"の任を継ぐ者が使う部屋。この国の最高位に近い権力者が執務に当たるとは思えぬ質素な作りなのは、清貧を愛するこの国の神の教えのせいだろう。

 程なくして、ぬっと中から初老に差し掛かる年齢の男が顔を出す。

「何だ。『奇跡』でも使えるようになったのか?」

 頬を皮肉げに歪める親子ほど歳の離れた男にゆるく頭を振って、クルサールは要件を切り出す。

「ご提案があります。次に、結界の効果が切れたなら――私と一緒に、<贄>の最期を見届けませんか」

「何――?」

 男――当代の司祭は怪訝な顔をする。クルサールは言葉を続けた。

「昔、翁――先代の司祭様に言われました。いつか、子供らがどのようにして魔物に食われ、命を落として行くかを見届けろ、と。それがこの『真実』を知った者の宿命だ、と」

「――――……」

「私には、今まで、どうしても勇気が出なかった。貴方もそうでしょう。ですが――いつまでも逃げているわけにもいかない。己の宿命をしかと見据える覚悟を持たねば」

 男は一瞬苦悶に顔を歪めたが、何も言わずに頷いた。彼も、頭の片隅に亡き父から言われた教えがあったのかもしれない。

 ほどなくして、北の結界が破られ、魔物の襲撃に遭ったという報が入ってきた。

 クルサールも剣を片手に駆けつけ、被害を最小限に抑えて入り込んだ数匹の魔物を駆逐し終え――

 ――ネロを、北へと送る日が、決まった。


 ◆◆◆


 ガチャン……ギィィィィ……

 鉄格子の鍵を外し、扉を開け放つと、さび付いた蝶番が耳障りな音を立てる。

「この部屋ともお別れか」

「……ネロ……」

「ハハッ……なんでアンタがそんな顔するんだよ」

 悲痛な面持ちで少年を見つめるクルサールに、心から可笑しそうに声を上げて笑う。

 鉄格子から出されたネロは、ここへ来たときよりもずいぶんと血色がよく、身なりも清潔で、それがまたクルサールにこれ以上ない無力感を植え付けた。

「最期だからさ。一応、言っておくよ。――クルサール。ありがとな」

 憑き物が落ちたような、晴れやかな顔で少年は笑う。

 牢獄に閉じ込められたこの期間を、”幸せ”と言ってのけたネロの言葉は、心からの真実だったのだろう。そう感じさせる表情だった。

 そこからは、なるべく全ての感情をそぎ落とし、何も考えないようにした。表情を仮面のように固定して、今まで何度もそうしてきたように、粛々と<贄>を送り出す儀式を終える。

 一番最後に、少年の手に革製の枷を嵌めるとき――さすがに、手が、震えた。

 しかし、それに気づいたのか、気づかなかったのか。

「――大丈夫だよ」

 口の端に笑みを刻んで、ネロは誰にも聞こえないようにポツリと呟く。

 ぎゅぅっと胸の奥が締め付けられ、パッとクルサールは視線を伏せた。

 今までの子供たちは、ガタガタと震えながら、必死に”神”へ祈りを捧げて震えているのが常だった。涙を流し、今すぐにも逃げ出したい恐怖を、必死に”神”という存在に縋ることで、逃れられない己の死という運命に意味と価値を見出し、恐怖を無理矢理に押さえつけていた。

(こんなにも、堂々と――……”神”に縋るしかできない子供たちなどより、よほど、”神”の教えを体現しているかのようだ……)

 己の行いに恥じるべきところがないのであれば、死を無意味に恐れる必要はない。神に愛されているならば、必ず死した後は天へと上ることが出来る。清く正しく生きた者には、慈悲の心を持った神が、死後の世界の安寧を約束してくださる――それが、この国に蔓延る死生観。

 死の直前になり、どうか自分を天へと導いてくれ、地獄に落ちるのは嫌だとみっともなく縋るのは、己の人生において地獄へ落とされるような行為をしたからだろうと、そんな意地悪なことを言って見せるのが、この国の大人たちなのだ。

 それが、このネロはどうだ。

 彼には、祈るべき”神”がいない。

 だが、それでも毅然と己の人生に誇りを持って、悔いはないと死を恐れずに立ち向かおうとしている。

「それでは――我らが”神”のご加護があらんことを」

 決まり文句と共に、最期の祈りがささげられ、鳥籠のような檻が出立する。

(目を――逸らすな。それが、私たちに課せられた、宿命だ)

 ガタゴトと音を立てて運ばれていく檻の中、涙の一つも見せず、祈りの言葉の一つも口にせぬまま前を見据えている少年の横顔を、クルサールはぐっと唇を噛みしめて見つめていた。


 ◆◆◆


 鈍色の空から、今にも雪が降ってきそうなほど冷たい午後――集落の外れに、ギッ……と音を立てて馬車が停車する。

「ほ……本当に、ここまでしか行けません……よろしいでしょうか」

「あぁ、構わない。無理を言った」

 御者台から蒼い顔を出して告げた男に端的に礼を言い、司祭は報酬の金を支払う。

「その――こ、こう言っては何ですが、こんな危ない所に、たったお二人で――ご、護衛の者を付けもせず――」

「大丈夫ですよ。私は、もともと代表者一族を護衛する家系の生まれで、幼いころから鍛錬をしてきました。先日の襲撃でも、人々を十分に守ることが出来た。……ご心配頂いてありがたいことですが、私が、司祭様の護衛代わりです。ご安心ください」

「そ、そういうことなら……何も言いませんが……」

 もごもごと口の中で呻く御者は、根が優しいのだろう。結界が切れている北の地域に、司祭とその供であるクルサールを二人、安全圏のギリギリまで連れて行ってくれという依頼に、心配そうな顔をしながらも、見事に答えてくれた。

「我らには、神の聖なる加護がある。心配はいらない。――今回の<贄>は、少し特殊だ。最後まで、立派に結界になったかどうかを見届ける責務が、我らにはある。先に帰ってくれ」

「は、はぁ……」

 司祭の有無を言わせぬ眼光に何も言えず、御者は言われた通りに御者台を降りる。そのまま、繋いでいた三頭の馬の内、一頭だけを解放して、一息にその背へと跨った。

「ほ、本当に――本当に、大丈夫なんですね……!?」

「大丈夫だ。……鉄の車は、<贄>の檻より頑丈だ。腕の立つ護衛のクルサールもいる。魔物は、馬の脚に付いて来られない。――いざというときは、私たちもそれぞれ馬に乗って逃げるとも」

「そ、それじゃあ……我らが”神”のご加護があらんことを」

 まだ心配そうな顔を見せながら、御者はぺこりと頭を下げ、馬の腹を蹴って集落へと戻っていく。

 その姿が見えなくなってから、クルサールは馬車の外に出た。

「では、参ります」

「よろしく頼む」

 馬車は、大人の男が二人乗るのがギリギリ、という小型のものを発注していた。馬二頭でも力は十分だ。最初に三頭で引かせていたのは、途中で御者を返すためと、早くネロの鳥籠に追いつくためでしかない。

 慣れた手つきでクルサールは馬を操り、目的地を目指す。

 ふと、視界の端に白い何かが横切った。

「雪――か……」

「えぇ。冷えてきましたね」

 はぁっと息を吐くと、吐息は白く染まって宙に消える。

(ネロは、寒くはないだろうか……)

 ふと、そんな頭を考えがよぎり――

「凍える前に、全てが終われば良いな……」

 馬車の中から、小さな呟きが同時に聞こえる。

 同じことを、考えたのだろう。

 ――せめて、最期は、安らかに――

 それが、残酷な運命を強いる大人のエゴに過ぎないとわかっていても、そう願わずにはいられない。

 司祭も、クルサールも――『真実』を知るまでは、純粋に”神”を信じ、世の中の全てに慈悲の心を持って接するべしと生きてきた人間だったのだから。

 ギッ……

「着きました。――まだ、魔物の影は見えないようです」

 視界の端――遠目に鳥籠の存在が認識できる位置に馬車を止める。

 日が陰ってきて、少し温度が下がったようだ。チラチラと、薄暗くなった空に、白い雪が微かに舞い踊る。

「クルサール。……お前に、忠告しておくことがある」

「はい」

「――もう少し、うまく表情を繕え」

「ぇ……?」

 予想もしなかった言葉に、馬車の中から厳しい顔で鳥籠を見つめる司祭を振り返る。

 司祭は眉間に皺を寄せたまま、呻くように言葉を続けた。

「お前は、感情が表に出過ぎる。私も、幼いころから亡き父に昔から何度も厳しく言われていたが――今になってわかる。これは、この役目を担うものに必要なスキルだ。――真実を知りながら、世界を偽り、生きていく者に必要なスキルだ」

「…………」

「ネロ、と言ったか。あの少年は、確かに同情すべき存在かもしれない。彼が教会に来た時は、私も目を覆いたくなった。――だが、民の一人であることに変わりはない。特別扱いは、許されない」

「そっ……れは、そうかもしれませんが、でも――!」

 ネロが虐げられていたのは、彼に責任があることではない。彼は、生まれたときから、その髪と瞳の色で、世界に嫌われた。――彼自身が何かをしたわけではない。

 言い募ろうとしたクルサールを、司祭は頭を振って遮った。

「ネロが、同情に値するべき者かどうかを論じているのではない。救うべき民かどうかを論じているわけでもない。私が論じているのは――どうしてお前が、今までの<贄>よりも心を傾けているのか、という一点のみだ」

 ひゅっとクルサールの喉が小さく音を立てる。凍てつく空気が喉を突き刺し、痛みが走った。

「<贄>は皆、等しく<贄>だ。ネロも――今まで、送られてきた子供らも。そして当然、これから先の、子供らも。周囲の人間に愛されていたかどうかは関係ない。本人の気質が善か悪かも関係ない。……国を守る礎として、捧げられる『生贄』なのだ。皆、等しく、尊い命であり――哀れな運命を課せられた」

「っ……」

「お前が言いたいことはわかる。ネロは、己の資質で虐げられたわけではない。生まれながらにして『悪』と断じられ、無体な行いを強いられたわけだが――だが、それを言うなら、他の<贄>とて同じだ。本人たちは、<贄>になるために生まれてきたわけではない。魔法属性など、己の意志で何とかなる問題ではない。――ただ、生まれただけだ。人の子として、生まれた、だけなのだ」

 ぎゅっと拳を握り、クルサールは俯く。

 司祭は、厳しい顔のまま淡々と言葉を続ける。

「”神”の言葉を伝える役目と言われてきた我らの一族がしているのは、その子供を――本人に何の責もない無実の子供を、魔物に食わせる役目だ。よほど、”悪魔”の行いに近しいと思わないか」

 一度だけ司祭は下唇を噛みしめる。

「だから、我々は決して感情を面に出してはいけない。慈悲を与える神のごとく微笑(わら)え。それが無理なら、無表情を貫け。我らには、誰か一人の<贄>に心を傾ける資格はない。等しく、残酷で、愚かな、無慈悲な大人であり続けるべきだ。神の名のもとに、全ての<贄>に中立を誓うべきだ。――我らが惑えば、国が惑う。我らの良心が少しでも傾けば、世の中のバランスは崩れる。それだけの力を得てしまったのだから」

 今や、司祭の言葉は、国の代表者と同等の権力を持つ。それは、神の選定を肩代わりし、聖なる儀式を行うことから派生していったのだろうが――

(その権力は、もともと、醜い大人のエゴから生まれたものなのに――)

 長い歴史の中、良心の呵責に耐えきれず、真実を闇に葬った者がいたことは幸いだったかもしれないが、不幸でもあった。

 硬直化した価値観の元で形成された”アタリマエ”は、今や、酷く変化が難しい。

「――!来たぞっ……!」

「!」

 薄闇の中、黒い影が姿を現す。最初は豆粒ほどの小ささだったそれらが、徐々に数を増やし、ぐるぐると檻の周辺を回り始めた。

「念のため、結界を張ります」

「!そんなことが出来るのか!?」

「光魔法に退魔の能力があるなら――そして、それが魔法でしかないのなら、イメージ一つで、可能なはずでしょう。実際の魔物にどれほど効くのか――そもそも有効なのかどうかすら、試したことがないのでわかりません。いつでも剣を抜けるようにはしておきますのでご安心を」

 言いながら、クルサールは両手を掲げて集中する。

 薄暗い空中に、ぱぁっ――と一瞬光が弾け、その額に”聖印”が浮かんだ。

 司祭は驚いたようにその光景を見つめ――ハッと小さく息を飲む。

 グルルルルルル……

 低く唸る、恐ろしい獣の声が、周囲に轟き始めていた。


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