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紅い瞳の奴隷騎士は、少女のために命を捧ぐ  作者: 神崎右京
第八章

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129、修羅の道⑧

 パチパチ……

 火の粉が爆ぜる音が、しん……と静まり返った森の中に響く。ホー……とどこかでフクロウが鳴いている声がした。

 周囲から万が一にも発見されないようにと、最小限にした火は、微睡む少女の寝顔を優しく照らす。これくらいの灯りなら、彼女の眠りを妨げてしまうこともないだろう。

「……クルサール……」

 ぐっと拳を握り締め、つい数刻前の光景を思い出す。

(あの剣術は厄介だ……姫が傍にいては火を使えない……姫が近くにいるときは、何としても逃げることを最優先にするべきだろう)

 こんな固い地面でも、すぐに寝入ってしまうくらいに疲弊していたらしい少女の寝顔を見て、これを守るためにどうしたらよいかを考える。

 多くは望まない。彼女が死ななければいい。

(何とか、味方を探したいが……そんなものが、存在するのか……)

 ぎゅっと眉間に皺を寄せて考える。

(例えば、ファボットやデニー、マクヴィー夫人……紅玉宮のかつての従者を頼って――いや、過去の記録を遡れば、紅玉宮に従事した記録のある者たちなどすぐにわかる。すぐに手を回されるのが落ちか)

 ミレニアは、ロロも眠れと気遣ってくれたが、これから先のことを考えるとなかなか眠りにつくことは難しかった。

(そうだ、ラウラ――あいつなら、報酬さえ払えば”仕事”として引き受けてくれる。ビジネスにおいては信頼を決して裏切らないアイツなら、上手く使うことは出来るかもしれない……)

 人情で何かをしてくれるような人間ではないが、報酬さえ払えば、確実に見合う働きをしてくれる女だ。そういう意味では、変に情がない分頼りやすいかもしれない。

(とにかく、情報だ。情報が足りない。そもそも、どうしてクルサールはあんなことを……?姫を利用して国家転覆を狙っていたとして――神の声を聴くと嘯いていたからには、アイツが巷で話題の『救世主』なんだろう。それなら、革命の首謀者だったはずだ。どうしてそれが、肝心の皇帝暗殺じゃなく、姫の暗殺に直々に赴く……?)

 ぐるぐると、思考は渦を巻いて同じところをめぐっていく。

 しばらく考えた後、現時点では何の結論も出せぬと悟り、はぁ、と大きくため息を吐いた。

「……寝るか」

 ゆっくりと寝入ることは出来ないだろうが、ミレニアの言う通り、もしもの場合に備えて、寝られるときに寝ておくに越したことはない。

 最後に薪をもう少しだけ足してから横になろうと、いくつかの細い木を火に焚べていた時だった。


 ――唐突に、()()が来た。


「っ――――!?」

 一瞬、目の前がぐにゃりと揺れる。とっさに頭を押さえた途端、一気に情報の奔流が脳みそに流れ込んできた。

「ぁ――」

 まるで、大雨で氾濫した川の濁流のように、膨大な記憶が押し寄せる。

 ――生まれて初めての出逢いと、初めての死別。

 そこから繰り返される、悪夢のような、無数の時間――

「っ……ぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 情報処理の限界を超えて、脳が焼き切れそうに沸騰する。

 もう、一体何度、繰り返しただろう。

 最初は、クルサールの手で、少女が殺されたところに駆けつけるしかできなかった。何が起きたかわからぬまま、ただ少女を抱えて逃げた。

 次は、自分から少女にこの身を売ってくれとは言わなかった。しかし、<贄>の儀式でゴーティスに正論で言いくるめられ、結局軍属になることを選び、似たような展開になったが、何とか少女が殺される寸前に間に合った。そしてあの妙な剣術の前に防戦一方になり、先に少女を逃がそうとして――その先で少女は兵士の凶刃に倒れ、再びただ重傷を負った少女を抱えて逃げるしか出来なかった。

 その次は、最後まで軍属にならなかった。記憶の継承はないながらも、魂に刻まれた本能が、ミレニアの従者であり続けようとした。作戦開始のポイントに出向く直前に、何故かミレニアが紅玉宮のロロの私室に来ることで、異常事態に気づいて共に逃げられるようになったのはこの時からだ。ただし、この時はレティの心を十分に開くことが出来ずに、土魔法の秘密は明かされぬままだったせいで、数々の奴隷たちの命を犠牲にしながら、這う這うの体で立ちはだかる大軍を強行突破する羽目になる。たくさんの兵士に追いかけられながら森へと逃げる途中、ミレニアの頭蓋に射掛けられた矢が命中し、そのまま少女は命を落とした。

 その次は、ディオルテと出逢った。街中ではなく、カルディアス公爵邸で魔物に襲われ、籠城する羽目になった。ディオを買い上げることはなかったが、それでも公子ではなくミレニアのためにと彼は孤軍奮闘し、マクヴィー夫人やファボットを守った。その後、彼の墓に花を供えたいとレティに打ち明けたことで、彼女はミレニアのために花を手に入れるにはどうしたらよいかと考えるようになり、土魔法の秘密を打ち明けてくれた。”妖精の抜け道”を使って、ミレニアもロロも無事に紅玉宮を出られるようになったのは、この時からだった。

 案の定、いつもの時間が来れば、記憶が戻る。気が狂いそうになりながら、それでも初めてその時間帯にミレニアが五体満足で傍にいることに安堵した。

 四度目にして今度こそ、”運命”を変えられると希望を持った。

 だが――ここから先が、長かった。

 何度も――何度も、何度も、ミレニアは死んだ。

 帝都に降りて情報を集めようとすれば、尽く巡回の兵士に見つかり、捕らえられて斬首された。兵士の巡回を切り抜けられても、とっさに「姫」と呼びかけてしまい、正体がばれて捕らえられたこともあった。それ以来、記憶が戻った後は何があっても「お嬢様」と呼ぶことを徹底した。

 帝都に住むファボットやデニーといった昔馴染みを頼れば、もともと見張られていたのだろう、すぐに手が回って兵士たちに強襲され、捕らえられて斬首された。何とか兵士の魔の手を逃れても、逃げる最中に少女は剣か矢の攻撃を受けて、ロロの腕の中、たやすく命を落としていった。

 置き去りにしてしまった紅玉宮の奴隷たちを救いたいと譲らぬミレニアに折れて、皇城へ忍び込んだこともあった。さすがにミレニアを連れていくことは出来ず、過去の経験を生かして宿を取り、正体を隠したまま金で用心棒を雇っておいてきたが、宿に戻ればもぬけの殻だった。次の日には、城門に少女の首が晒されていた。

 ラウラを頼ることを思いつき、過去巡回の兵士に見つかったところを徹底的に避けて何とか店に赴けば、そこにいた客に顔を見られたのだろうか。報酬の支払いを宝石にすべきか今後に向けて温存すべきか悩み、とりあえず少女の前で爛れた会話をすることだけは憚られたため、別室で話し合いの席を設けようとしたら、その隙に兵士が押し寄せて捕らえられた。再び首が晒された。

 その次は、最初から宝石で片を付ける気でラウラを頼った。ゴーティスが生きているという貴重な情報を得るも、詳細な場所を教えてもらうには、持っていった宝石の量が足りなかった。西の方にいる、というヒントだけをもらい、帝都を抜け出そうとしたら、関所を潜り抜けるところで正体がばれて、全力で逃げ出した。途中でミレニアが負傷し、やはり最後は命を落とした。

 そして、”直前”の記憶――

 もう何回目かを数えるのも馬鹿馬鹿しくなるくらいの、繰り返しの記憶。危険が迫る時と場所は、一度でも経験すれば嫌でも頭に刻み込まれた。

 何度繰り返そうと、最初に逃げ込んだ東の森では、何者かに襲われることはなかったから、朝の時間は彼女の元を多少離れても大丈夫。帝都に入れば、兵士に見つかるところだけを避ければいい。ラウラの店には、正面から入らず人払いをさせてからミレニアを引き入れる。事前に多めに革袋を掘り起こしておいて、報酬は宝石で支払い、ゴーティスの詳細な居場所と、関所を潜り抜けるための衣装や化粧の手配までを依頼する。

 払った今までの莫大な代償に見合うとは思えない、うんざりするくらいの予定調和を切り抜けて――初めて道が開けたと思った。

 ミレニアの血縁たるゴーティスに保護され、新しく興すという国に匿ってもらえれば、きっと今度こそ生き延びられる――そう思っていたのに。

 目を見張るような、ヒュードの暴走。つい頭に血が上り、反射的に行動してしまったせいで、クルサールだけではなく、イラグエナム勢力まで敵に回した。

 キャンプで襲い来る軍人を相手にミレニアを逃がし、追っ手を撒いて、合流地点に赴けば――そこにミレニアはおらず、城門に首が晒されていた。

「ぁあああああああああああああああああああああ――!」

 首から上だけになった、雪のように白い顔。ぽたぽたと、石畳に染みこんでいく血だまり。二度と開けられることのない翡翠の瞳――

 もう何回も見た光景が再び脳裏に思い起こされ、頭を掻きむしって身体を折る。

 それは、絶望の光景だった。

 何回経験しても、決して慣れない――身体が全身で受け入れることを拒否する光景。

「っ、ぐ――ガハッ――ぉぇっ……!」

 脳が、身体が、脳裏に描いた光景に拒絶反応を示して、胃の中の物を全て吐き出す。ビシャビシャッと汚い吐瀉物が地面にまき散らされた。

 ――もう何度、ミレニアを失ったことだろう。

 ――――もう何度、罪のない人々を、地獄の業火に巻き込んだことだろう。

「ぁ……ああああああ……ぐっ……っ……ガハッ……」

 喉が胃酸で焼かれてひりひりと痛む。目の前はぐにゃぐにゃと歪み、断片的な記憶ばかりが脳裏に蘇っては消えていく。

 今回の記憶は、どれだったのか。

 カルディアスと婚約は成ったのか。ディオルテという少年は存在していたのか。自分は軍属になることを拒否したのか、受け入れたのか、レティは、ジルバは、ラウラは、ゴーティスは、ヒュードは、クルサールは、クルサールの元にいた少年兵は――時を戻す、魔物の存在は。

 ボボボボッ

 周囲に、ロロの無意識に呼応した炎の障壁が生まれる。

 何度繰り返せば、”運命”を変えられるのか。どこの”分岐”が必要なのか。

 もう――ミレニアを救うことなど、出来ないのではないか。

(もう嫌だ――殺してくれ――!)

 絶望の淵で、悲鳴を上げる。

 頼むから――頼むから、この、地獄のようなループから、解き放ってほしい。

 どうせ、ミレニアは助けられない。どうせ何をしたところで、ミレニアが死ぬ運命は変えられない。

 だから――それならば、せめて。

 ――――彼女を守って、死なせてくれ。

 そうすれば、この地獄のループを、終わらせられる。

 ミレニアの命を救うなどという、あるはずもない希望に縋って、魔物の声に唆されるままに、世界を恐怖と絶望のどん底に叩き落す悪鬼は生まれない。

 一秒で良い。

 一秒で良いから――ミレニアより先に、死なせてほしい。

 そうしたら、彼女を守れたと、安らかに人生を終えることが出来る。

 それがだめなら――そうだ。

 もう、いっそこのまま、狂ってしまえばいい。

 どうせ正気になったところで――何度やり直そうと、少女は死ぬ。

 少し目を離して、一瞬でも傍を離れたその隙に、あっさりと少女の命は奪われる。

 "運命"という名の死神が、いつも目を光らせて少女を狙っているのだから。

 だったらもう、このまま、この割れそうな頭痛と地獄のような眩暈に身を任せて、二度と正気に戻らなければ――


「っ、ルロシーク!!!」


 声が、響いた。

 絶望しかなかった記憶の濁流がぴたりと止まる。


 バサッ

 小柄な身体を目一杯伸ばして、マントで炎の障壁を突っ切ってきた少女が、身体ごと全身で青年の身体を包み込んだ。

「落ち着いて――落ち着きなさい、ルロシーク……っ!ルロシーク、お前を助けたいのっ……」

 耳元で、必死に震える声で囁かれる声。

 ――――聞きたかった声だった。

 脳裏に過るのは、”直前”の記憶。

 固く、固く、二度と、永遠に開くことのない瞳を閉ざしたまま、城門に晒されていた首。「嘘つき」と罵られて別れた最期。

 ――見返りなんて、要らなかった。

 自由なんていらない。ただ、傍にいさせてほしかった。

 ずっと、彼女が好きだと言ってくれたこの瞳を覗き込める距離にいてほしかった。

 彼女だけに許した特別な呼び名で、呼んでくれるだけで良かった。

「ひ……め……?」

 ――生きている。

 愛しい、愛しい、大切な人。

 失われて、二度と戻らなかったはずの命が――今は、目の前で、生きている。

 こちらを心配そうに見ているのは、大きな翡翠の瞳。二度と開かないと絶望した、あの瞳。

 何度も呼ばれるのは、彼女にしか呼ばせないと決めた特別な名前。

 ――愛しい。

 ――――愛しい。

 脳裏に刻み込まれた、絶望の光景で見たはずの彼女が、今――確かにここで、生きている――

「よかった。落ち着い――キャッ!?」

 ぐいっ

 夢中で、腕の中に掻き抱いた。不敬だのなんだのを考える余裕など、どこにもなかった。

「っ……!姫――っ、姫、姫――!」

 折れるくらいに強く抱きしめて、何度も、存在を確かめるように手で少女をなぞる。

 生きている。――生きている。

 ――――夢じゃない。

 その事実に、涙があふれた。

「っ――守る――」

 噛みしめた歯の間から、呻くように絞り出す。

 ――また、出逢ってしまった。

 もう、出逢って、しまったのだ。

 それならば、もう――逃れられない。

「必ず、守る――絶対に――絶対に守る――!」

 今、腕の中にいる少女を失うことだけは、出来ない。

「――――今度こそ――絶対に……」

「ロロ……?」

 歩んできた道は、修羅の道。

 何度も、気が狂いそうになって――何度も何度も、諦めそうになって。

 それでも、少女を前にすれば、再び心が奮い立つ。

 温かな体温を腕に抱けば、これを二度と手放すまいと魂が叫ぶ。


 どんなに過酷な道だとしても――この少女を失うくらいなら、何度でも世界を恐怖と絶望に叩き落し、修羅にも悪鬼にもなってみせる――


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