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8話:秘術の実演(1)

 この国には、大きな身分の隔たりがある。


 王家か、位家(いけ)か、そうでないか。


 王家は言わずもがな。位家は、位家のなかで序列がある。その下には、さらに等位貴族、平民と連なるが、位家のものからすれば、等位貴族は成り上がり者と揶揄する対象で、実質貴族とは見なさない風潮があった。


(それは、一部の者だけかもしれないけれど)


 目の前で「下位の者」と罵るような人間は、かつてのメリヤナくらいだろう。けれど、それとなく線が引かれたように、位家かそうでないかによって、区別されることはままあった。


 もちろん、社交界に出れば、位家かそうでないか関係なく社交の場は設けられる。ルデルとて、そういった機会であのサレーネという娘と出会ったのだから。


 今日の午餐会は、それとなく線が引かれた場のひとつだろう。

 宮公位家主催の招待者のなかには、見渡す限り等位貴族のものは見当たらない。位家の集まりだということは、誰もが口にしないが、誰もが察していた。


「くだらないわ……」


 ぽつりとしたつぶやきは、空間に吸い込まれていった。

 宮公の屋敷の庭園とあって、王宮庭園まではいかないまでも、浩々とした空間が敷地内に広がっていて、一人になるのは難しくなかった。植え込みの側で膝を抱えていれば、きっと誰も気づかないにちがいない。


 位家か、そうでないか。


 そんなものは断罪されれば、関係ない。罪を犯せば、それで終わり。貴族の位も身分も意味がない。

 自分が以前こだわっていたことや執心していたことの無意味さに気が付くと、どうすればいいのかわからなくなる。学ぶことや、新しい視点を持つことは、自分の視野を広げてくれているけれど、それがほんとうに未来に良い結果をもたらすのか、メリヤナにはわからない。


 ドールの岬から見る地平線がどこまでも続くように、いつ他の島や大陸に辿り着くのか判然としない航海のようだ。海路が見出されば、不安はないのに、その道はまちがっているという答えだけ出され、正しい路は示されていないのだ。


 いつまで続ければいいのか、どこまで続くのか。契約はいつ成されるのだろう。

 膝に顔を伏せれば、この不安もとけていくだろうか。


(とけてくれますように)


 願えば、運命の神が標を残してくれるかもしれない。



「——こんなところにいた」



 かかった声の先を仰向けば、フィルクがいた。


「……どうかした?」


 ひどい顔をしていたのかもしれない。すかさず見逃さずに尋ねてくるフィルクは、やっぱり洞察力がある。

 この苦悩を打ち明けることができたら、どれだけいいだろう。楽になるだろう。だが、あまりにも滑稽な話である以上、無闇に話すことはできない。


(これは、わたしに与えられた使命)


 自分で解決しなければならぬこと。


「なんでもないわ」


 応えると、一瞬フィルクの顔が歪んだ気がした。だがすぐに、からっとした様子で笑う。


「そっか。なら、いいんだ」


(ごめんなさい)


 せっかくできた友人に隠し事をするのは胸が傷んだが、内心で詫びながら、メリヤナは衣装の裾を整えて立ち上がった。


「それで、どうしたの?」

「君を呼びに来たんだよ」


 捜したんだからね、とフィルクは付け加える。


「呼びに来た?」


「このあいだ、約束したの覚えてる? 昼食会で、僕が見本を見せてあげるって言ったやつ」


「あ、えっと、エストヴァンの秘術だっけ……?」


 フィルクは首肯する。


「向こうで、みんな集まっているから、ちょうどいいと思って。ちょっと見に来て」


「……ほんとうに成功するの?」


「それは、見てのお楽しみ」


 遊び心たっぷりに、フィルクは目配せしてみせた。




 応接間の大窓を庭園に向かって大きく開き、大人は室内で午餐(ごさん)と共に談笑し、子どもは庭に置かれた卓を立食するような形で味わっていた。


「じゃあ、行ってくるね」


 標的の令嬢は、ファルナ伯令嬢と聞いている。すでに、この数日のあいだに種を蒔いておいたらしい。

 メリヤナは、ぼんやりとその様子を観察する。


 初めはフィルクがファルナ伯令嬢に、果汁を持っていくところからはじまった。


 相手の令嬢はフィルクと同じ13歳だという。しとやかな雰囲気のある令嬢だった。淡い桃色の衣装がとても似合っていて、水色の襯衣(シャツ)を来たフィルクと並ぶと、似合いだった。

 眺めていると、フィルクから話題を切り出していた。先日は、という言葉や、今日の衣装は、などの社交辞令からはじまり、ご趣味は何か、という話に広げていった。


 ファルナ公女は、最初は訥々(とつとつ)と喋っていたが、趣味の話になると、うっすらと顔を赤らめながら、刺繍のことを話し出す。


 そこからフィルクは、熱心に刺繍の話を聞いていった。自分自身はあまり刺繍のことがわからないので教えて欲しいという切り口だった。


 刺繍が好きになったきっかけや、どんな刺繍の種類があるのか、どういった模様が得意なのか。次から次へとよく質問が思いつくものだと感心していると、フィルクは不意に思いついたようにぽんっと手を打った。


「もしよろしければ、私の手巾(しゅきん)にも刺繍をしていただけないでしょうか?」


「え?」


「真っ白すぎて味気ないなと思っていたところなのです。よろしければ」


「え、ええ。わかりました。その、フィルクさまはどういった柄がお好きですか?」


「そうですね。特に、これといったものはないので、私に合いそうなものをお願いできますか?」


「……難しいご注文ですけれど、やってみます」


 お願いします、と言ってフィルクはいつものかわいい笑みを浮かべると、ファルナ公女に礼をしてから、メリヤナの横を颯爽と通り過ぎて庭園の奥に向かってしまう。

 メリヤナがその後のファルナ公女を見ていると、彼女はフィルクの去ったほうを見ながら、頬を衣装と同じ色に染めて白い手巾をぎゅっと握っていた。


(効果覿面(てきめん)ってこと?)


 その様子だけではメリヤナはわからない。すぐに、フィルクのあとを追いかけた。


「——ねえ、ちょっと、あれだとわからないわ」


 フィルクはすぐに見つかった。

 さっきメリヤナが蹲っていた生け垣の側にいた。


「ちょっと今日だけだとわからないかもね。もう一回機会を作るよ」


「機会ってどんな?」


「僕の家で、小さな茶会を開く予定だから、その招待客に君とファルナ公女を入れておくように、義母上にお願いしておくよ」


 楽しみにしておいてね、とフィルクは自信たっぷりに爽やかに笑った。



   *



 数週後にレッセル辺境侯位家のローマン邸で開かれた会は、夏の陽射(ひざ)しが差し込む日だった。

 王都フリーダは国内随一の避暑地であるからそこまで暑さを感じないが、日向に出ればうっすらと汗が出てくる。


 招待客はみな扇子を持ち歩き扇いでいた。舞踏会や晩餐会でなければ、胸元や肩を露出することが叶わないので、しきりに袖口や首元を扇ぐのが印象的だった。


 茶会では、レッセル辺境侯夫人ウルリーカが、隊商都市を経由して仕入れた氷を使って、氷茶(ひょうちゃ)を振る舞った。貴婦人や公子公女は歓声を上げながら、冷たい茶を飲んだ。添えられた焼き菓子は、檸檬や甘橙(オレンジ)の果汁を使ったもので、口に含めば蜂蜜の甘さがちょうどよく、さっぱりとした。夏に開かれる茶会として、最高のもてなしだった。


 メリヤナはついつい母スリヤナと共に茶会を楽しんでしまったが、一番の目的はフィルクとファルナ公女の動向である。


 そういえば、ふたりの姿が見当たらないなと思って、それとなく離席を申し出ると、メリヤナは応接間をあとにした。


(フィルクのおうちに来るのは、初めてだな)


 いつもフィルクのほうが、メリヤナを訪ねて会いに来ていた。女性のほうから男性の屋敷に遊びに行くというのは招待でもされない限り、作法的によろしくないのだから、当たり前だ。


 せっかくの機会だし、と思って、メリヤナは使用人がいないところを中心にふらふらと見て回った。


 華やかな内装は、自分の家と変わらない。一階に応接間や食堂や居間などがある構造はどこの屋敷も一緒だ。二階にいくと客室があり、三階にいくと居室があり、四階に使用人たちの部屋があるのだろう。


 メリヤナは確かめるように、人がいない隙を縫って二階へと上がった。誰にも見られていないところをほっとしていると、空いた部屋から話し声がもれ聞こえてきた。


 どうしよう、と慌てて階段を戻ろうとして、その声がフィルクのものであるとわかって、足を止めた。

 あえて扉を開けているのだろう。メリヤナは見えないように後ろ側に隠れて、内側の声に耳をすませる。


(なんか密会でも覗いている気分だわ)


 後ろめたい気持ちを覚えながら、メリヤナは聞いた。


「——……がとうございます。こんな丁寧な刺繍、初めて拝見しました」


「恐れ入ります。フィルクさまのお気に召すと良いのですが」


「これは橄欖(オリーブ)の葉ですね?」


「ええ」


「二枚描かれているのには、何か意味があるのですか?」


「はい。橄欖は神の象徴。一葉は、我が国フリーダの女神です」


 女神ではない、とメリヤナはげんなりしながら、心中で否定した。


「もう一葉は?」


「女神エスト神を現しておりますわ。レッセル家の繁栄をこめて、二枚にいたしました」


「……そうですか。ありがとうございます。ファルナ公女の感性を感じますね」


「ありがとう……ございます」


「私からもお礼ができればいいのですが……」


「お礼なんて……とんでもありませんわ。わたくしは刺繍ができただけで充分です」


 恐縮するように言ったファルナ公女に、


「そうだ!」


フィルクは以前と同じく、思いついたように急に跪いた。


 メリヤナが何をするんだろうと気になって、扉の隙間から覗いた瞬間のことだ。その姿を見て、ぎょっとした。


 フィルクはファルナ公女の手を取ると、その甲に口づけを落とす。


 顔が赤くなったのは、メリヤナもファルナ公女も同時だった。それだけに終わらず、フィルクはじっと上目に彼女のことを見つめた。ファルナ公女は完全に硬直していた。


 おそらく数秒のあいだのできごとだったろう。

 立ち上がると、フィルクは何事もなかったかのように、では、と笑顔を見せて客室を出ていく。出てきた先で思わずメリヤナはフィルクをまじまじと見つめてしまった。


 そうして、一瞬交わった視線は冷ややかだった。


(な、に……?)


 ひやりとしたのは束の間で、フィルクはすぐに何事もなかったかのように階下へと下りていく。

 メリヤナはどきどきとする鼓動を抱きながら、もう一度客室を覗き込んだ。


「フィルクさま……」


 そこには、うっそりとした様子で扉を見つめるファルナ公女の姿があった。

 メリヤナは、効果を充分に感じながら、フィルクのあとを追うようにこっそりと階段を下りた。

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