9話:秘術の実演(2)
応接間へと戻って、しばらく元の茶会を楽しんだあと、メリヤナはフィルクの目配せを受けて、もう一度応接間を出た。
「付いてきて」
と言われて、案内をされた場所は図書室だった。
「すごい! なんて広いの!」
メリヤナは感嘆の声を上げる。
一階の奥のほうにあった図書室は、二階まで吹き抜けになっていた。壁にはところせましと言わんばかりに書籍が並んでおり、その蔵書の数に目をぱちくりとさせる。
「僕のお気に入りの場所だよ。ローマン家は代々辺境侯の家として、情報通で色んな本を集めているんだ。領地の屋敷にはもっと大きな図書室がある。もし、メリヤナが気に入ったのなら、本を借りに来てもいいよ」
嬉しそうにフィルクが語った。
「ほんとう?」
「うん、もちろん」
友だちだからね、と続ける。メリヤナも嬉しくなって返した。
「そしたら、フィルクのおすすめを読むわね」
「……え?」
フィルクが戸惑ったように瞳を揺らしたが、メリヤナは気付かぬまま続ける。
「わたしってば、無知だから、あなたがおすすめしてくれるものを読めば、広い視野を持つことができると思うもの。ちゃんとサラル語だって、学びはじめたんだから」
褒めてよね、と同意を求めれば、フィルクは我に返ったように肯いた。
「……すごいね、メリヤナは」
「友だちが言っていることは、信用しているの」
「……うん、ありがと」
フィルクはどこか照れた様子で礼を言った。
メリヤナはにっこりと笑みを返すと、くるりと体を翻す。
「さっきのことを聞いてもいい?」
「あ、うん。——どうだった?」
フィルクは一呼吸を置いてから、いつもと同じ様子を取り戻して訊いた。
「すごいのね。ほんとうに。たしかに効果がありそう」
あのファルナ公女の陶然とした様子には、少しうろたえてしまった。あれは完全に恋する少女の目だ。メリヤナがそうだったのだから、まちがいない。効果は抜群ということだろう。
なんだか、あまりにも上手くいったので、少し面白くない。人の気持ちを弄んでいると思ってしまうのはメリヤナだけだろうか。今度から、ファルナ公女とはどう接するつもりでいるのだろう。
気持ちを持て余しつつ、フィルクを見上げると思ったよりその背が高いところにあった。あまり背丈を意識したことがなかったけれど、フィルクは意外と背が高いのかもしれない。
「そうだろう?」
「う、うん」
覗き込まれたので、思わずメリヤナは顔を引き攣らせて、仰け反ってしまった。
フィルクは、意に介さずにやっと笑う。
「それで知ってみたくなった?」
「はい?」
「皇族秘伝メロメロ大全の内容」
「……ええ、まあ」
たしかに、あれをそつなくこなすことができたら、ルデルから嫌われずにすみ、彼を虜にできるかもしれない。
——やり切る自信はまったくないのだが。
「そうでしょ?」
フィルクは得意げに笑った。
「でも、あんなこと……できる自信があまりないわよ。だいたい、手の甲に、く、口づけとか……」
絶対にできない。
言えば、フィルクはぷっと吹き出した。
「いやいや、あれを真似する必要はないよ。コツを知っておく必要があるってことだから。あれは、なんていうか応用?」
「そうなの?」
考えてみれば、女性から男性の手の甲に口づけるなんて話は聞いたことがない。
「そう。だから、心配しないで」
「……けど、ほんとうにできるのかな」
どんな秘術なのか、コツなのかわからないまま見てしまったから、全然どんな方法が用いられたのか理解できなかった。
わからないものを教えられて、実践できるのか不安だった。
「メリヤナはもしかして、一朝一夕で身に付けられるものだと思ってるの?」
「だって、なるべく早いほうがいいわ。いつ殿下が心移りするかわからないし……」
「この方法はさ、すぐに身に付けられるものじゃないよ」
ぴしゃりとフィルクが言った。
「えっ……」
メリヤナはがっくりと項垂れる。
即座にできるものではないのか。
「もちろん、すぐにできるものもあるけれど、できないものもある。だからこそ、長期的に効果があるんだよ。すぐにできることは効果が出るのも速いけど、消失するのも早い。すぐにできないことは、その分効果が長く持続する」
「な、なるほど」
「——どうする?」
吹き抜けの空間に、フィルクの透き通った声が響いた。
「やるか、やらないか」
強い視線が、メリヤナを射抜く。
この目は見定めている目だ。メリヤナの家で会った時に、こちらの一挙手一投足も見逃すまいとしていた目。
ここでメリヤナが表情をぴくりとさせたり、わずかにたじろいだりしたら、おそらくフィルクは幻滅するだろう。
なんとなくだが、そう思う。
彼は人をよく見ている。言葉だけに囚われず、言外のものを読み取ろうとする。いささか過剰とでも言えるほどに。
まるで、信用する人を選別しているかのように。
もし、メリヤナが「やらない」と回答をすれば、表向きフィルクはあっさりと引くだろう。けれど、内心では失望し、メリヤナから距離を取るようにちがいない。
なんとなく、そう思う。
だから、ここはメリヤナが腹を括る番だった。
「——やるわ」
「……ほんとうに?」
フィルクが目を丸くした。予想外だと言わんばかりに。
「ほんとうよ。だって、殿下に好かれるためだもの。なんだってするわ」
それだけではない。
まだつながったばかりの友情を壊したくなかった。
せっかくできた友人を失いたくなかった。
「……君はほんとうに殿下が大好きなんだね」
ややあきれたようにフィルクが言う。
「もちろん、大好きよ。そのためなら、多少時間がかかることでもするつもり。だから、きちんと教えてくださる?」
メリヤナが諧謔を含めて問いかければ、
「うん、わかった」
満足げにフィルクが笑った。
(フィルクとも仲良くしたいんだからね)
恥ずかしいので、それは口にしなかった。




