76話:ウルリーカの養子
ウルリーカ・ローマンは、自分の話し方がきらいだった。
エストヴァンの東方ノクセンに生家があったウルリーカからは、未だに当時の訛りが抜けきらない。それを、ウルリーカは嫌悪していた。
フリーダに嫁いできてからは、この訛りのせいで、苦労した。東部の発音ですのね、と揶揄されたことは幾度としれない。であるから、ウルリーカは社交界で舐められないため、辺境侯夫人という地位を確立するために、手段を模索した。
そして、確立したのが、珍品の収集だ。レッセル辺境侯領は、大海に面している領地で、さらに西部エストヴァンとは国境線沿いだった。海からも陸からも、異国の様々なものが届いた。西方の技術などもいち早く届くのは、レッセルだった。
金に糸目を付けず、様々なものを収集した。幸い金には困らない領地だった。双の眼鏡や氷はむろんのこと、紅茶に砂糖、陶磁器の壺、錦の織物、掛け軸。そうやって集めたものたちで、ウルリーカは社交界の地位を築いた。
「すてきなものですね」
「どちらのものですか?」
「さすがウルリーカさまですわ」
品がないと言ってくるものも少数いたが、ウルリーカは気にならなかった。全員に気に入られようとは思ってはいない。ただ、ウルリーカの訛りを気にせず、評価を受けて、ある程度の地位が確立できれば良かった。夫は家にいることが少なく、領地の守備と買い付けと称してどこにいくとも知れずだったが、ウルリーカは気にならなかった。物だけもらえれば、夫として期待することはなかった。
兄に頼まれて、一応血はつながっているらしい、どこの馬の骨とも知らない子をもらい受けることにしたのは、立派な夫人という評価を受けられそうだったからだ。
事実、これは功を奏した。社交界は養子を取って、実子と同じように平等に関わるウルリーカを評価した。
だが、もらい受けた子は、つまらない子だった。日がな一日、図書室にこもっている。こちらが声をかけても表情を変えず、淡々と話す。
ケイウスやキリカはどちらかというと激情型で、あまりにも対比的だった。
今回の宮中伯更迭も、ルノワ家に嫁いだキリカは離縁となったが、ずっと部屋にこもって延々と泣いている。自分の子ながら、みっともない子だと思った。わたしはこんなに嫁ぎ先のことを考えていたのにひどいわ、と泣くのである。飛び火を喰らわなかっただけましだと思えれば良いものを。
ただ、あまり外聞はよろしくない。レッセル辺境侯ローマン家は潔白も潔白だったが、キリカは嫁いでいた身なのである。縁戚ということだ。ウルリーカの評価に関わる。
夫はちょうど長期間の買い付けに行っていて、まだ戻らない。戻ってくるのも領地のほうだった。であれば、ウルリーカはケイウスとキリカを連れて、領地に戻ろうか、と思った。ほとぼりが覚めるまで、領地で過ごすのだ。
そうして来年の今頃、また戻ってくれば、ウルリーカの評価は回復するだろう。
そう思って、ウルリーカは蒸留酒を口にした。酒精の強さが癖になる。寝酒にちょうど良かった。舌の上に転がる煙ったいあたたかさも刺激的でいい。
貴重な氷を入れてたしなんでいるなかで、扉を叩く音がした。
こんな夜更けに誰だろうと思う。また、キリカだろうか。部屋に引きこもっていたかと思うと、わざわざ泣き散らかしにやってくることがあるのだ。注目を得ようと、人前にわざわざやってくるのだ。親の注目を得てどうするのだ、と言ってやりたい。
「——義母上」
戸の先から聞こえた声に、ウルリーカは心底驚いた。
もらい受けた子——フィルク。今では屋敷にはほとんど戻らず、王宮に宿舎を借りて寝泊まりしている子が、こんな夜更けに何用だろう。
胡乱げになかに通せば、潔癖傾向のある養子は、水臭く、きれいで珍しいと言われているせっかくの白金色の髪が濡れていた。
親戚のはずなのに、その髪がウルリーカにはない。妬ましかった。
(せめて身を整えてから来なさいよ)
思わず鼻をふさぐ。濡れている理由など、どうでも良かった。
「話が、あります」
「それは急ぎなの?」
ウルリーカは蒸留酒を口にする。そうすると、水臭いにおいが緩和した。口腔には蒸留酒の良い香りが満ちる。
「叔父上に連絡を取ってください」
「は? なんで? あなたはもう我が家の子よ。関係ないでしょ」
深更に来て、わざわざ何を言いに来るのだ。
あんな兄、平気で東部の発音を撒き散らす人間を、この地には呼びたくない。ウルリーカの評価に関わる。
「——僕との養子縁組を解除してください」
「……なんですって?」
にわかに言われた台詞に頭が停止する。なにを言っているのだ。
せっかく立派な夫人と評価を受けられたのに、この時宜に養子を放ったとなれば、ウルリーカの評価が下がってしまう。
そんな思考を読んだのか、いつになく饒舌に養子が弁を振るう。
「どうせ、あなたの社交界の評判には、もうあまり影響しません。せっかくもらってやったのにこの騒ぎで僕が出て行ったとでも言ってさめざめと泣けば、あなたは注目を浴びられる。あなたの評価は下がらず、義姉上のことも有耶無耶になりますよ」
「…………」
「叔父上に連絡を。無事に縁組を解除できたら、僕から行きます。ここには呼びません。お願いします」
濡れた頭が下がった。
悪くない提案だ、とウルリーカは酒を口のなかで転がしながら計算する。一度領地には戻りたいが、その提案であれば、もしかしたら一年も戻らなくてもいいかもしれない。
評判も、下がらずに済む。
ウルリーカは、口元に弧を描きながら、尋ねる。
「縁を切ったら、あなた行く場所ないじゃない。どうするの?」
ウルリーカからすれば知ったことではない。だが一応、一時的にも養い親であった立場から訊いた。
「いえ、一応……あります。ただ、あまり戻る気がしなかっただけです」
逡巡のようにも見えた。
平坦な感情しか持ち合わせていなかった義息子が、このような言動を見せるのははじめてのことだった。
決意のようなものが表面化する。
「——僕は、エストヴァンに戻ります」
こちらで11章は終了です。
ウルリーカさんは、3話とか10話に登場しております。
このあと12章、13章で、物語の中編(第二部)が終わって、14章以降が後編(第三部)となります。




