43話:石鹸披露会
王都の窓辺に黄色と桃色の花が咲く。メリヤナ主催の茶会には、8名の公子公女が招待された。
それぞれの席次に着いた子女たちを順繰りに眺める。マイラとフィルクと目が合って、微笑まれると少しほっとした。
「——皆さま、本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます」
メリヤナは息を吸い込んで言った。いつかの茶会のように、母の台詞をなぞるように、続ける。
「見知っている方も多いかとは思いますが、一言ずつでよろしいので、皆さまご挨拶をお願いしてもよろしいでしょうか?」
そうして、公位家のマイラから自己紹介がはじまった。次席は、辺境侯。ローマン家の一族、つまりフィルクとフィルクの義兄ケイウスだった。
「ドール公女におかれましては、お久しぶりにございます。皆さま、ごきげんよう。ケイウス・ローマンにございます」
「お久しぶりです、レッセル公子」
位家の貴族位を継ぐ長男長女には、位家名に“公子”や“公女”を付ける。位家の次男次女や等位貴族の子女には、姓に“公子”“公女”を付けるのが一般的だった。
レッセル辺境侯位家では、長男であるケイウスがレッセル公子、次男であるフィルクはローマン公子となる。長女であるキリカは——今日は出席していないが——別の家に嫁いでいるため、これに当てはまらない。
今回、宮伯位家は呼んでないから、続く次席は辺境伯位家となる。
「ルース辺境伯が長子エイヨンと申します。ご招待に与り光栄にございます、ドール公女メリヤナさま。皆さまもまた、本日はどうぞよろしくお願いいたします」
武官の家柄らしく、衣服の下はしっかりと筋肉が付いているが、柔らかい雰囲気の公子だった。ふわふわとした巻き毛と、目元が下がっているためだろう。
辺境侯、辺境伯はどちらも国境領土を与って、国防を担う重要な家柄だった。辺境侯のほうが領土面積としては広大だが、その重要さにおいては変わらない。
エイヨンを呼んだのは、もちろん王太子の婚約者として親しくしておきたいと言うのもあったが、メリヤナには別の目的があった。
次席は方伯位家。フォート方伯令嬢ミリーと、シェイド方伯令息クルスが挨拶をした。メリヤナは、クルスとは顔見知りだった。
「先日はお邪魔をしてしまい、失礼しました」
メリヤナがそう謝れば、クルスは笑った。
「いえいえ、俺が悪いんですよ。時間をすぎて殿下と話してしまいましたから」
クルスは、シェイド方伯位家の三男で、王太子の補佐官のひとりだった。
王族には筆頭補佐官がひとりずつ付いて、公務の管理や補助を行う。さらに筆頭補佐官を手伝う形で補佐官が二名つき、また補佐官を補うための官吏が五名いた。
王太子ルデルアンは成人するまで筆頭補佐官のみが追随していたが、今年成人したことで、新たに補佐官が2名、王太子付き補佐室官吏が5名配属されている。クルスは、その2名のうち1名で、18という年齢で大抜擢された優秀な人物だった。
「時間がすぎてしまうことは仕方がないことですわ。公務は詰まっているでしょうし」
「そうですね。ですが、補佐室の人間として、それぞれの予定が詰まっていることは当然のことで、前後の予定に支障が出ないようにするのが補佐官の役目ですから……、まあ詰まるところ俺が悪いので、気にしないでくださいってことです」
屈託なくそう言われたので、メリヤナは素直に礼を言うと、伯位家の招待客に視線を移した。
コルト伯令嬢ヨーチェとファルナ伯令嬢エオラが末席にあたった。
「お初にお目にかかります、ドール公女メリヤナさま」
勝ち気な瞳を輝かせたのはヨーチェだ。メリヤナと同じく今年顔見せしたばかり。ヨーチェのミリアン家は商家で、商いの持続的な成功から等位貴族、そしてコルト伯を受けた新興貴族だった。
メリヤナにとって、今日の大事な客の一人だ。
「——ご無沙汰しております、メリヤナさま」
エオラが微笑んで挨拶をした。メリヤナのなかで一瞬、緊張がよぎった。少し前にマイラから忠告された言葉が思い出されて、すぐに払拭するように笑みを浮かべる。
「お久しぶりです、ファルナ公女」
メリヤナがエオラと直接顔を合わせたのは、おそらくローマン家でのあの茶会以来だ。そこまで親しい間柄ではない。メリヤナは、あくまでも社交的な笑みを崩さずに応じた。
エオラも気にせず、招待客への挨拶を済ます。最後に、にこりとフィルクに笑顔を向けるさまを、メリヤナは見た。フィルクもまた笑顔を返していた。
なんとなくざらつくような気持ちを持て余しながら、メリヤナは茶会の開始を女中たちに合図した。
海南諸島から輸入した茶葉と砂糖焼き菓子、加加阿は好評だった。
特に、母から勧められた加加阿は、甘いものを好む好まないを問わず、絶賛された。目を光らせたのは、ケイウス、エイヨン、ヨーチェの三人だった。
やはり、とメリヤナは思う。この三人は、新しいものに対して余念がない。それを見越しての招待だった。
商家のヨーチェは言わずもがな。彼女は長女で、婿入りした男が家を継ぐことになる。そのため、ヨーチェ自身も商人としての審美眼がなければならない。
ケイウスとエイヨンは国防を担う武官の家柄ではあるが、一方で、この百年は戦争の恐れがないことから、街道交易に力を入れている領主の家柄でもあった。
レッセル領はトゥーミラ自治都市郡とエストヴァン国に隣接する北東の領地を治めていることから、トゥーミラの工芸品や隣国の情報が入ってくる。
ルース領は王国の北西部に位置して、飛び地となっているエストヴァンを介し、対象都市郡との交易があった。特に塩や絹、金などの鉱物の取り扱いが重要視されている。
交易においては物々交換が主流となる。硬貨が流通している地域はあるものの、それよりも物のほうが喜ばれる。特に目新しいものは、商いや交易には欠かせないものだ。ケイウスやエイヨン、ヨーチェが興味を引くのは当たり前だった。
メリヤナは、加加阿はまだほとんど輸入されていないと応じて、三人の興味をひらりとかわす。不満げな様子を見て取って、くすりと笑みを浮かべた。
「——皆さまには、それよりもご紹介申し上げたいものがございます」
メリヤナはちらりと控えていたカナンに視線をやる。心得たようにカナンは庭園への窓を開く。
「どうぞ庭へ」
メリヤナは招待客全員を王都が眺望できる庭へと案内した。
「美しい風景でございますね」
フォート公女ミリーが感心したように声を上げる。
「お気に召したら、よろしければ、初夏の季節にまたご招待いたしますわ。一番花盛りの季節ですから、庭で昼餐会などをやると気持ちいいのです」
まあ、とミリーがルッサムの小さな白い花のように顔を綻ばせる。
「とても嬉しいですわ。楽しみにしております」
メリヤナは笑みを返すと、準備しておいた長卓に招待客を集めた。そこにあたたかい湯を入れた盥をふたつ、オリガとリリアが持ってくる。ふたりと目配せをしてから、カナンが木箱を持ってきて卓に置いた。
「皆さまに今日はこれをお試しいただきたくて」
小気味のよい音をたてて蓋を開いて、メリヤナは中身を見せた。
「これはなんですか、メリヤナ公女?」
尋ねたのは補佐官のクルスだった。メリヤナは手の平に収まる立方体のそれを取って、答える。
「石鹸ですわ」
「セッケン?」
「あのひどい臭いの……?」
一部が一様に顔をしかめる。なかには、石鹸という存在を知らなかった者もいたようで、頭に疑問符を浮かべた。
「すでにご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、これは、人肌にも使えるように改良を重ねたものなのです」
メリヤナは 盥の湯をすくって、立方体の石鹸を泡立てる。ふわふわとした泡ができると、一度石鹸を横に置いて手首と手の平を洗ってみせた。それから、片方の盥で洗い流し、もう片方で再度手を流してから、手巾で拭った。
「こんな形で全身に使えます。とてもしっとりとして、肌にいいのです」
メリヤナが両手の平をひらひらと見せると、へえ、という声が上がる。
「肌にいいとは?」
エイヨンだ。メリヤナは答える。
「わたくしは三年近く試作段階からこれを使っていますが、肌のかさつきがなくなって、なめらかになりました。洗顔に使うようになってからは、吹き出物にほとんど悩まなくなりました」
これに反応を見せたのは女性陣だ。ぴくっと反応して、目が光る。
「あなたの肌を見せてもらってもいい?」
マイラが問うた。メリヤナはどうぞと言って、腕や頬のあたりにふれるのを許す。
「最近きれいだと思っていたけれど、これのおかげだったのね」
顎に手をおいたマイラが得心したように肯いた。
「使ってみてもいいのでしょう?」
「ええ、もちろん」
「——僕も、使っていいかな?」
マイラに続いて、フィルクが尋ねた。
フィルクにはあらかじめこの茶会の目的を話しておいた。そのうえで メリヤナを手助けするために彼がこの行動に出ているのはあきらかだった。メリヤナは示し合わせたように、どうぞ、と答える。
「では、わたくしも」
そう言って追従したのは、エオラだった。慌てたようにケイウスが続くと、そこから流れるように全員が石鹸の使用心地を試す場となった。
「ありがと」
いち早く手を拭き終えたフィルクに小声で礼を言うと、
「おやすい御用だよ」
と返される。見咎められぬうちにメリヤナは、フィルクから距離を取った。フィルクが怪訝な顔をするのと同時に、エオラからじっと視線を感じた。ねばつくようないやなものを感じ取りそうになったところで、蓋をする。
ふいっとメリヤナのほうから何もなかったように視線をそらす。
マイラから言われたことが再び頭をよぎって、こっそりと溜息をついた。
今日エオラを呼んだのは、彼女であればフィルクが石鹸に好意的な行動を見せればそれに乗ってくれるだろうという算段があったからだ。実際そうなったし、こうして招待客が関心を持ってくれるきっかけになった。
だが。
どことなく監視されているような感じがするのは気のせいだろうか。まるで、メリヤナとフィルクの間柄を測っているかのように。それが少し、気持ち悪かった。
(あとでちゃんと話さないと)
メリヤナは会う回数を少なくしようという提案をフィルクにできていなかった。
それはメリヤナ自身がフィルクと距離を空けることに抵抗があること、フィルクもまた抵抗するのではないかと思ってのことだ。
数年前、ドール領に三ヶ月滞在して戻ってきた時のフィルクの言葉を忘れられない。
特別な友人だと言っていた。
その友人から会うのを減らさないかと提案されたら、フィルクがいやがるのは目に見えるようだった。
(そろそろ潮時なのかもしれない)
互いにもう成人した。子どものような付き合いは卒業する時期なのだろう。
フィルクが大事な友人であることは変わらない。唯一、自分の巻き戻す前のことを知り、尚且つこの二年協力的に接してくれていたという意味でも、特別だった。けれど、大人になったということをメリヤナもフィルクも理解しなければいけなかった。
石鹸披露の場は盛況に終わったが、メリヤナのなかには暗鬱とした気持ちが澱んでいた。




