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殿下、今度はあなたを好きにさせてみせます!——そう思っていた頃もたしかにありました。【本編完結済】  作者: 稿 累華
第4章:〝いい匂いをさせよ〟

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20話:ふたりの飾紐

 春が過ぎ、ミモザや扁桃(アーモンド)の花が散り終えると、初夏の緑が増え、柑橘類や橄欖(オリーブ)の花の時期が再び訪れる。


 一年、経った。


 メリヤナが人生をやり直しはじめてから、一年。

 長いようで短い時間のあいだに、メリヤナには大切な友人ができ、家のなかで親しく話す者ができた。今のところ、王太子ルデルアンに嫌われている兆候もない。


 上々、なのではないだろうか。


 導きや答えがないなかで、これだけひとりでやっていると考えれば。

 もちろん、大切な友人に助けてもらっていることは大きいのだが、少しは、女神と偽っている男神に褒めてもらいたいくらいだ。


(神殿に祈りに行こうかな)


 そうしたら、神さまも褒めてくれるかもしれない。

 思いながら、メリヤナは待ち合わせ場所で、目的の人物を探す。


「あっ、——フィル!」


 手を振れば、フィルクも気が付いた。こちらへやってくる。


「大変お待ちいたしましたよ、姫君」


 フィルクは、(うやうや)しく失礼なことを開口一番に言う。


「そんなに待たせていないわよ」

「うん、実際そんなに待ってない」


 にこりと笑うのだから、たちが悪い。


 最近になって、フィルクの声はますますかすれたようになって、一年前のあの透明な声を聞けなくなった。面立ちと合わさって、御使いのようだったのに、段々と大人の男らしくなって、つまらない。気が付けば、背もまた伸びている。


 12くらいまでは、男も女もあまり背丈は変わらないのに、それを過ぎると、ぐんと男の背は伸びる。肩幅もしっかりして、声も変わり、子どもの頃とは別人のようになるのが不思議だった。


 フィルクはメリヤナのふたつ年上だから、今がちょうど子どもから大人への過渡期なのだろう。〈炎の洗礼〉は、男と女を分ける儀式なのかもしれなかった。


「その飾紐(リボン)、また付けてくれてるんだ」


 気が付いたように、フィルクがメリヤナの後頭部を覗き込む。


「ええ。あなたと会う時は、付けるようにしてるの」


 贈ってもらった水色の飾紐は、メリヤナのお気に入りだった。


「僕と会う時はって、他の人と会う時は?」


 耳聡く聞き分けるのはフィルクらしい。


「うーん、付ける時もあるけど、付けない時のほうが多いかも」


「ふーん。僕と会う時もいいけど、他の時に付けてくれたほうが嬉しいかな」


 フィルクに手を引かれて、桟橋を歩く。小舟に乗ると気持ちがいい季節が巡ってきて、メリヤナは心待ちにしていたのだ。


「え、なんで?」

「さあ、なんでだろうね」


 含みのある笑みを浮かべるフィルクはそれ以上何も答えてくれなかった。


「ずっと付けていると、汚れちゃうのよね」


 使い終わったあとは、毎回刷毛(はけ)で払って、陽の当たらないところで干してもらっている。あまり外で身に付けていると、ぼろぼろになってしまうのではないかと心配だった。


「汚くなったら、新しいのをあげるよ」


 フィルクは事もなげに言ったが、メリヤナは首を振った。


「大切なものだから、大事にしたいの」


「……それはありがたい話だね」


 小舟は、湖を浮かぶ。(かい)の流れがゆっくりとゆっくりと謳うように進んでいく。

 そういえば、とメリヤナは切り出す。


「わたしがあげた飾紐は使ってる? まさか失くしてないわよね?」


 じいっと問い質すように見つめると、フィルクは、心外だな、と否定した。


「ちゃんと誰にもさわられないように、厳重に保管してあるよ?」


「は?」


 小舟の横をコモナが通っていった。そろそろコモナの時期でもある。


「使わなきゃ意味がないじゃない!」


 メリヤナが勢い余って立ち上がると、いつかのように小舟が傾いだ。

 フィルクも心得たもので、すぐに平衡を保つように力を加減し、何事もなかったように櫂を再開する。


「だって、大切なものだから」


「あれは使って欲しくて——」


「リヤから初めてもらった贈り物だよ。使うのなんてもったいない。外で使って汚すことはできない」


 真面目な声で、彼は上目にメリヤナを囚えながらそう説いた。

 〈緑の湖畔〉にて、小舟に揺られながら、風の囁きと波紋の水音を聞き、大人になったらさぞや美形になるだろう少年から、大切だとほのめかされる。


 女心がときめく状況ではあったが、


(声変わりが終わっていればなあ)


 もっと良かった。


「——もう、わかったわよ」


 メリヤナは内心で残念に思いながら、ゆっくりと腰を下ろした。


「納得していただけたようで良かったです」


 フィルクはいつもの笑顔で応じた。


「わたしが付けてきてって言った時には、付けてきてよ」


「かしこまりました、姫さま」


 小舟は、初夏の王都が見渡せる位置へと、ゆったりと進んでいった。



   *



 石鹸職人の親方アズムは、なかなかどうして折れない堅物で、メリヤナはそろそろ音を上げそうだった。

 メリヤナとて、暇人ではない。何せ今のところは一応、王太子の婚約者である。


 家庭教師たちは、〈神々の安息日(きゅうじつ)〉以外、日替わりで毎日やって来るし、王宮からは定期的に呼び出される。それ以外は、母スリヤナと共に昼の社交に出て顔を売らなければいけない。

 フィルクと会うのだって、いつも数時間程度。残りの時間を使用人の仕事の見学に当てたりしていれば、東王都に足を向けられる時間は月のうち数回あるくらいだ。


 その数回を費やして、この数ヶ月、あの職人はまったくメリヤナを相手にしないのである。


 もうトゥーミラ自治都市群のどこかの街か、ドールの領地で、同じ石鹸職人を探したほうがいいのかと思いはじめていた。


 今日も今日とて、おそらく無駄足になる。

 メリヤナは辟易としながら、カナンと共に東王都の通りを歩いていた。


「そろそろ、お父さまが許してくれなさそうだわ」


 毎度、従僕を付き合わせるのも限界に来ている。


 カナンは私室女中だからまだいいが、その彼女も本当なら他の仕事をやらなければいけない時間を削ってもらっている。

 自分の思いつきに人を巻き込みつづけるには、すでに限界が来ていた。


「まさかアズム親方があんなに堅い方だとは……。わたくしもリリアも意外です」


 と、カナン。

 メリヤナはその言葉を聞いて、嘆息する。


「もし、今日でだめだったら、諦めることにするわ」


 工房に着くと、メリヤナは通る声で呼びかける。


 そうすると、いつも五分ほど経ってから、アズム親方は現れる。そのあいだに、メリヤナは無骨で飾り気のない店内をぼうっと眺める。受付台と客用の丸椅子が一脚のみの店は、見ていてすぐに飽きてしまう。硝子窓の外を見やったり、カナンやリリアと雑談をして過ごしている。


 だが、今日は一分もせずに現れて、瞠目した。

 近くにいたのだろうか。いつもは奥の方で手が止められない作業をしているのかもしれない。


「……らっしゃい」


 アズム親方は、相変わらずぼそっとした声で不機嫌そうに歓迎する。


「今日こそ、石鹸の作り方を教えてちょうだい!」


 メリヤナは仁王立ちして言った。

 下手に出てみたり上目遣いでお願いしたり、涙目で懇願してみたが、結局は全部「帰れ」の一言で終わっていた。


 どうせ今日で最後である。

 玉砕覚悟で堂々と言い放った。

 だが、次に聞こえてきた返答に、メリヤナは間抜けな声を出した。


「付いて来い」


「……へ?」


 聞きまちがえかもしれない。

 メリヤナがたしかめるように隣のカナンを窺えば、彼女もまた目を丸くしていた。


「どうした。付いて来ないのか」


 狼が唸るような剣呑な低い声を出して、親方がメリヤナを睨む。


「い、行きます!」


 メリヤナはただわけがわからぬまま、子犬さながらにアズムの後ろ姿を追いかけた。


 連れて行かれたのは、工房の裏にある庭だった。

 薪で焚かれた鍋がふたつ、ぐつぐつと言って、異臭を放っている。屋敷の洗濯場を彷彿とさせる臭いに、うっ、と胃液が込み上げるが我慢する。


 目顔で親方に促されて、鍋の近くによる。

 ぶくっ、とあぶくをあげて浮かんでいるのは、黄色の脂のようだった。(にかわ)に似た臭いは、鼻が麻痺しそうだ。


「冷えてきたらこいつをすくって、あいつと混ぜる」


 聞き取れるぎりぎりの低い声で説明したアズムは、樽を鼻で示した。そこには、灰色の液体が入っている。

 肯きながら、メリヤナは混乱していた。


 なぜ、今日になって突然。


 心の声でも聞こえたのだろうか。あるいは何回も訪れたので、いい加減にしてくれと思われたのだろうか。

 憮然とした親方の表情からはその内心を読み取れなかった。


 冷えてくるというのがどれほどの時間のことを指しているのかわからなかったけれど、メリヤナが滞在できる時間ぎりぎりになると、 別の新しい鍋にすくった脂を入れはじめた。そこに樽に入った灰色の液体を、(しゃく)で流し込む。


 アズムのその姿を熱心に眺めていると、彼は不機嫌そうな声で言った。


「油が一で、灰の水が五・五だ」


「えっと……?」


 メリヤナが、意味がわからないという顔をすると、親方の表情は険しくなった。


「お前が言ったんだろう」


「あ、はい」


 何を、の部分がわからないけれど、とりあえず返事をしておく。


「油と灰の分量だ。それで大体八時間くらい熱しながら混ぜる」


 メリヤナはぽかんとして、棒立ちになった。

 つまり、以前の問いかけに答えてくれたのだ。


「な、なんで……?」


 あんなに、帰れの一点張りだったではないか。

 どういう風の吹き回しなのか訝しむと、親方のほうは顔をしかめて、いらえた。


「お前は、時宜(じぎ)が悪すぎる」


「はい?」


 どういうことだ。


「いつも脂がない時か、すでに凝固の過程に入った頃にくる」


「そうなんですか……」


「分量は数字だけじゃなく、目で捉える感覚も大事だ。ただ、数字を答えるだけじゃ作ろうとしても感覚がわからん。見るのが一番だ」


 そう答えると、アズムは背中を向けて、おどろおどろしく煮え立つ鍋を回しはじめた。

 メリヤナは、理解する。


 いつも来る頃合いが良くなかったから、帰れと言われていたのだ、と。


 だったら、別の時間に来い、の一言くらいあっても良かったように思う。むすっとしたくなる感情を横に、だが、メリヤナはくすりと笑みがこぼれた。


(優しい人だわ)


 無骨だけれども。

 もしかしたら、メリヤナに対して多少の含みはあったかもしれないが、こうして教えてくれたのだ。心根の真っ直ぐな人なのだろう。


「ありがとうございます、アズムさん」


 背に向かって声をかけると、アズムはちらっと振り向いた。


「……もう少し見ていくか?」


 いよいよ小声でよく聞こえなかったが、見ていくか、だけ聞き取れた。

 メリヤナはゆるゆると首を振る。


「いえ、大丈夫よ。そろそろ帰らなきゃいけないし」


 ちらっとカナンのほうを窺えば、こくりと首を縦に振った。父母と約束した時間である。


「その代わり、また来てもいいかしら?」


 尋ねると、親方は低い声で答えた。


「時宜を見計らって来い」


 この答えに、メリヤナは笑みを隠さずに言った。


「その時宜がわからないのよ。あと、一応わたしは貴族の令嬢だから、あんまり暇じゃないわ。だから、こちらが訪問する日時に合わせて作業を整えてくれるととてもありがたいのだけれど、それはどうでしょう?」


 無理だったらかまわない、と付け加える。

 こちらの都合で打診をしている。石鹸の工程はわかっていないが、上手く作るためには午前のあいだにやらなければならない作業もあるかもしれない。


「……善処しよう」


 親方の返答に、やはり優しさが通っているのを感じて、メリヤナは淑女の礼をした。


「ありがとう存じます。——今度から訪問をする数日前に、お手紙を送るわ」


「一週間前だ」


「わかったわ」


 メリヤナはにっこりと笑って応じた。

 また来るわ、と言葉を残して、石鹸工房をあとにする。


「良かったですね」


 カナンがそう言う。


「うん」


 メリヤナは心軽やかに肯いた。

 夏の匂いが、湖の風のなかに混じっていた。

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