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ートクハチー  作者: nau
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6/8

女性主人

 リビングの広さは12畳。

 大小の高さの違うテーブルが二つと、それぞれのテーブルに計6脚の椅子が並んでいる。小テーブルの奥の壁には48インチのテレビが設置され、そのまわりを収納棚が囲っている。

 まるでモデルルームでも見ているような美しい室内に、これまた一際美しい女性が椅子に片手を添えながら立っていた。端正な顔立ちに、磨きあげられたプロポーション。

 演技をさせれば一級品で、画面に彼女が映れば、他の者たちは霞がかかる。

 今ではテレビで見ない日はないほどの人気女優。

 宮路原が恋い焦がれる存在。


「こんにちは、網島遥といいます。お名前をお伺いしても?」


 彼女は優しく微笑んだ。


「宮路原茂雄です」

「以前病室でお会いしましたよね」

「あのときはどうも」


 網島が一歩近づく。


「斗森塚さんとはどのような関係で?」

「友人というほどもなく、赤の他人とも言えない関係です」

「それはとても薄い関係では?」

「そうですね」


 網島は笑う。


「なぜここに?」

「あなたこそ」

「私は彼の恋人です。彼が傷つけられたなら真っ先に駆けつけます」

「傷つけたの間違いでは?」


 彼女の口角が一層つり上がる。


「ここまでたどり着くとは意外でした。とても苦労なされたでしょう」

「いえいえ、そんなことは。こころよい方がわざわざ招き入れてくれたので」


 宮路原は頭を横に振った。


「そうですか……。コーヒーはいかがですか。インスタントしかありませんけど」

「その前に一つ」

 

 キッチンへ向かおうとした網島の足が止まる。


「私と一緒に来た女性三人は今どこに?」

「あの方々ならそこですよ」


 そう言って網島が指し示したのは、テレビとは真反対の壁際に置かれたデスクだった。それは綺麗に並べられている家具の中でも唯一この空間で浮いていた。デスクの下には大きなハードウェアが置かれ、上には6つのディスプレイが備え付けられている。

 その内、左下のディスプレイだけが点灯しており、そこはこことは違う別の部屋らしき間取りが写し出されている。


「きゃあぁぁああああっ! 鬼音さんカッコいいぃ!!」


 聞きなれた声がスピーカーから流れ出す。女性の喜びの悲鳴が過ぎ去ると、続いて爽やかな男性の声が聞こえた。


「僕はいつもと変わらないよ。違うとすれば、君たちが傍にいるってことだけだ」

「「「きゃあぁぁぁあああああああっ!」」」


 複数の叫び声が宮路原の鼓膜をついた。画面の部屋の中央には四角いテーブルが一つ置かれ、美味しそうな料理の皿に埋め尽くされている。

 奥側の席には人気沸騰中の若手俳優、鬼音将(おにおん まさる)が腰掛け、そこから時計回りに犬森、猿島、雉貝がテーブルを囲んでいる。

 女三人は皆同じように浮かれ、鬼音が動く度にうるさい声をあげている。


(あのクソ(あま)どもがっ!)


 鬼に懐柔された桃太郎の家来たちに宮路原の怒りが爆発する。


「「「きゃあぁぁぁああああっ! カッコいいぃぃいいい!」」」


 宮路原はすぐさまディスプレイの電源を切った。しかし怒りは収まらず、ディスプレイのコンセントを引き抜いて床に叩きつけた。


「女なんて所詮はその程度。身の程を知れば犬にでもなるわ」


 荒れた息を整えながら、宮路原は席についた。遅れて、コーヒーカップを持った網島がやって来る。宮路原の分を先にテーブルに置き、一度キッチンに戻って自分のカップを運んでくる。


「はしたない鳴き声を上げて、主人の前でひざまずく。滑稽だわ」

「酷い言い方だな。あんたも女性だろ」

「そうね、でも私は違う。私は犬をつれる主人よ」


 彼女は平然と言い放った。


「どうぞ」


 網島はコーヒーカップを指で押した。目の前に運ばれたカップを見下ろし、それでも宮路原は動かない。


「毒なんて入ってないわよ」


 網島は自分のカップに口をつけた。


「ふん、毒味のつもりか。自分の分だけ飲んで、そんなこと言われても信じられるわけないな。信じてもらいたければ、お・れ・の・分も飲んでみろ」


 宮路原はニヤリと笑う。


「いいわよ」


 網島は宮路原のカップを手に取った。カップはそのまま網島の口に運ばれ、彼女の喉が一度だけ鳴った。


「どうぞ」


 網島は自分が口をつけた方の縁を宮路原に向け、カップに置く。宮路原の表情が固まる。


(こ、こ、こここれは……)


 彼の中で何かが爆発する。


(間接キスだとぉぉぉおおおおおおおおっっ!!)


 網島の顔をちらりと見ると、彼女も頬づえをつきながらこちらを見ていた。

 宮路原はコーヒーカップの取っ手を素早く掴み、中の液体を一気に飲み干した。


(あぁ生きててよかった……)


 宮路原は昇天した。

 それを網島は余裕の表情で見つめる。


「それが犬の気分よ。どう、快感でしょ?」

「はい、至福です」

「主人とはその快楽を与えられる者、犬はその快楽を全身で感じられる者のことなのよ。ねぇ、素晴らしいと思わない?」

「素晴らしいです、はい」

「そう、なら私の下僕になりなさい。そうすれば、あなたにはもっと最高の快楽が待っているわ。あの女たちと同じように、あなたも私の前にひざまずきなさい」

「断ります、はい」


 網島の一瞬言葉に詰まった。


「何て言ったのか、よく聞こえなかったんだけど」

「断るっつってんだよ。俺を甘く見るな」

「……そう、残念。少しは見込みがあると思ったのに。あなただったら側近にもなれたかも」

「あ、やっぱり下僕になります」


 宮路原は土下座した。そんな宮路原を見下ろしながら網島は情けない下僕の前に右足を置いた。


「舐めなさい」

 

 やはり下僕の道はここからか、と宮路原は思った。細く美しい足。透き通るほどに白く、しっとりとした触り心地に思わず、頬擦りしてしまう。


「誰がそんなことしていいと言ったの。私は舐めろと言ったのよ」


 ふくらはぎで軽く頭を蹴られ、宮路原は我に帰る。更に深く頭を下げ、足の高さまで口元を落とした。汚ならしく舌を出し、その先端を親指の先に近づける。


「ひゃっ」


 網島が声を上げた。彼女の足が震える。


「く、くすぐったいっ、ちょっとなにやってるの!」

「マッサージですよ、マッサージ」

「はぁあ?」

「やっぱり足っていうのは色々なツボがありますからねぇ。きちんとほぐしておかないと」


 網島の眉間で血管が波打つ。足を振り、宮路原の顎を蹴り上げた。宮路原はそのまま仰向けに倒れ、顔を押さえて(うずくま)った。


「クククッ、クククッ」

「何がおかしいのよ」

「こ芝居はここまででいいだろう。さっきも言ったが俺はあんたの下僕にはならない。悪いが俺はあのバカ三人ほど純朴じゃないんだ。出来ることなら人生良いとこ取りして、楽に楽しく気持ちよく生きたいんだよ。それをガキの御守りなんてごめんだ」

「ガキ、ですって。あんた私のファンじゃないの」

「ファンさ。だが俺が好きなのは画面の向こうの女優・網島遥だ。あんたじゃない」

「訳の分からないことを……」

「スターだなんだと言っても、目の前に立てばただの一人の人間。媚びへつらう理由はない。俺はそういうプライドだけは高いんだよ」

「まだ訳がわからないけど。でも、そのプライドはあなた自身を滅ぼすわよ。今、玄関の扉の向こうには私の下僕たちが待機している。あなたが私の申し出を断ったときのためにね。心配しなくても後できつーくお仕置きして二度と人の言葉を使えない犬にしてあげる」


 それを聞き、宮路原はニヤリと笑った。


「そうか、そりゃ残念だ。こんな美しい人からのお仕置きなんて、さぞかし最高の気分を味わえるんだろうな」

「何が言いたいの。頭がおかしくなっちゃった?」

「それはあんただ、俺が何の策もなくここに乗り込むとでも思ってたのか」

「えっ……」


 網島の目を見開く。自らのテリトリーで不気味に笑う男を前に得たいの知れない恐怖を覚える。


「何ができるというの」

「聞こえないのか?」


 宮路原は耳に手を添える。

 遠くから近づいてくる荒々しい物音。続いて玄関の方からも、ざわざわと話し声や足音が響いた。


「一体なにを……」

「別に大したことじゃない」


 そう言って宮路原はポケットから携帯を取り出した。それを網島に向けて軽く振って見せる。


「斗森塚と網島の話に一番敏感な奴らを読んだだけだ。ただしファンじゃない。もっとしつこくて、鬱陶しくて、ずる賢い。獲物を見つければ、スクープを撮るまで一生付きまとってくるぜ」

「マスコミ……」

「最近は楽で言い、情報なんてこれ一つで拡散できる」


 宮路原は携帯をポケットに戻した。


「そんなことしてもマンションには入れない」

「いや、裏口の扉に石挟んだから鍵はかかってねぇよ」


 網島の表情がいよいよ青ざめる。

 しかし、網島が不安を抱く間もなく、その波はやって来た。


『何だてめぇら』

『あなた方こそ、網島遥さんの自宅前で何をなさっているのですか!!』


 玄関の方から聞こえる声。既に扉の前はパニックになっていた。

 激しく扉が叩かれ、カメラのシャッター音も連続する。


「俺は自分で何かをするのが大嫌いだ。だから他人の力を当てにする。これで、チェックメイトだ」


 宮路原は冷静に言い放った。網島は固まったまま動かない。焦点もあっていない様子で、ただじっと床を見下ろしている。


「そんな、そんな……」

「斗森塚はどこだ?」


 宮路原の問いにも網島は無反応だった。


「まぁ、勝手に探すよ」


 リビングの(ふすま)を開けて、奥の部屋へと入っていく。


(いない、こっちか……)

 

 次の部屋の右手にある襖を開いたとき、宮路原は驚いた。


(暗い……)


 同時に部屋の中央に一脚の椅子が置かれていることに気がついた。そして、その椅子に目的の人物がぐったりと腰掛けていた。


「斗森塚、おい、斗森塚」

「おぉ、わが主よ。救いの女神よ」

「寝ぼけてんじゃねぇよ、起きろ」


 宮路原は斗森塚の頭をポンポンと叩いた。


「さっさと逃げるぞ。いつまでもこんなとこにいたくないからな」

「あ、あんたは……名前なんだっけ?」

「んなこと今はどうでもいいんだよ、早く立て」


 斗森塚は宮路原に支えられながらよろよろと立ち上がった。既に精魂尽き果てた様子で、動き一つ一つの反応が鈍い。斗森塚はどうにか真っ暗な部屋から脱出し、リビングへと歩を進める。

 その時だった。

 リビングから射し込む明かりが微かに揺れ、一人の影が現れる。先程とは一転してぐったりとした網島遥。異様な雰囲気を纏いながら一歩ずつ部屋と敷居をまたいでくる。


「許さない、許さない……」


 ポツポツと彼女の口から言葉が漏れる。


「もう、キレちゃったんだから」


 薄く横に広がる口元が三日月のように形を変える。微笑みが写す彼女の憤怒が宮路原たちに向けられる。


「ここで私が殺してあげる」


 彼女の両手には二挺の短機関銃が握られていた。


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