防衛女子
「上島さん、退院したけど今日は休むって宮路原から」
「またか、あのサボり魔め。絶対にローリング・レフト・キック食らわせてやる」
「前から思ってましたけど、技名長いですよね。もう少し短くした方が万人受けしますよ」
斗森塚の家は都心から電車で一時間の場所にある48階建て超高層マンションの5階だった。
(5階て、ショボ……)
芸能人も多数住んでいるという事でセキュリティも固く、一般人にはとても侵入できない。宮路原は近くの公園に行き、斗森塚に電話を掛けた。
(出ない)
ご丁寧に斗森塚は宮路原のベッドの枕の下に自分の連絡先を記した紙切れを残していた。退院当日まで宮路原はそれに気づかず、危うく見逃すところだった。
全く予期せぬところで欲しくもない芸能人の情報を手にした宮路原は、しばらく考え込んだ後、連絡を取ることにした。
事件の臭いから公衆電話で電話をしようと付近を探したが、一つも発見できなかった。仕方なく隣町まで行き、電話を掛けたが、一向に繋がる気配がなかった。
結局その日は家に帰り、次の日、こうして斗森塚の住むマンションへとやって来た。
インターホンを鳴らしても返事はない。
(事務所から外に出るなとか言われているのか、それとも)
網島の顔が頭に浮かぶ。宮路原は直ぐに首を横に振った。
(何てこと考えてんだ俺は。アマシーがそんなことするはずない)
マンションの周りを2周して、宮路原はインターホンの前に立った。斗森塚の部屋番号を入力する。
反応はなく、セキュリティドアは解除されぬまま、宮路原は扉の前に立ち尽くした。
家にいないのか、それともいても出てこれない状態なのか。
(便所か?)
踵を返し、マンションを後にする。先ほどの公園を抜けて、そのまま駅へと向かおうとしたその時、背後から足音が響いた。
振り向くと見ず知らずの男二人がこちらに駆け寄ってくる。
「何すんだてめぇ!!」
男二人は宮路原を羽交い締めにし、口元に布を被せる。身を翻しながら男の一人を蹴り飛ばし、もう一人の男の頭をつかんで膝蹴りを食らわせる。
転がる男たちを踏み越えて、宮路原は駆け出した。
「待ちやがれ」
背中に届く叫び声。宮路原は一切振り向かず、公園を走り回った。男たちはなおも宮路原を追ってくる。宮路原は近くの茂みに飛び込み、周囲の様子をうかがう。足音が近づき、宮路原の隠れる茂みの傍で立ち止まった。
「見失っちまった」
「どうすんだよ。あいつ取り逃がしたら網島様からのご褒美を受けられなくなっちまう」
「それどころか、きついお仕置きが待ってるかも……」
「お仕置きかそれもいいな」
「よくねぇよ。知らねぇのか………………」
宮路原は沈黙を保ったまま、二人の会話に耳を澄ませる。
(こいつらアマシーの何だ? 網島様って)
寒気が走る。同時に斗森塚の現状が見えてくる。
マンションの回りを巡回する網島の手下らしき男たち。近づくだけで拘束される。
(だが逆に言えば、斗森塚はやっぱり家にいるんじゃないか?)
マンションの方角を眺め、宮路原はため息をついた。足を突っ込んでしまった自分に酷く後悔する。
男たちは今も宮路原を探している。足音が遠くへと去っていくが、公園から出ていく気配はない。しばらくじっと身を潜めていると、別の異変に気がついた。茂みの裏から見える景色は通りから見えるものとは、まるで違う。それまで見えなかったものが視点を変えるだけではっきりと目に写る。
(もう一人、二人、いや三人か……)
宮路原と同じく茂みに隠れる謎の女三人。頭が僅かに茂みから出ているが、通りにいる男たちは気がつかない。明らかに不自然な動きに宮路原はシンパシーを感じた。
三人はそれぞれ別々の場所に隠れ、なにやら指で合図を出しながら男たちを観察していた。
そして、その内の一人がゆっくりと宮路原に近づいてくる。
箒の先をこちらに向けながら、牽制を入れつつ話しかけてきた。
「男を見たのは初めてね」
「俺もこんなにあからさまな不審者を見たのは初めてだ」
「不審者じゃないわ。私たちは斗森塚防衛隊よ」
額に巻いた鉢巻にはポップな文字で斗森塚の名前が書かれ、TシャツにもアルファベットでTOMORIZUKA LOVEと印刷されている。
「それであなたはだれ? 網島派の連中に追われていたということは、少なくとも網島一派ではないのでしょ」
網島一派という聞きなれない単語に宮路原は眉をひそめる。
「俺はそのよく分からない派閥には一切関与してない。ただ斗森塚の様子が気になって、ここに来ただけだ」
「なぜ?」
「なぜって、……うーん、どうしてだ?」
改めてそう問われると、たいした理由も見当たらない。というか、本気でどうでもいい。むしろ危険なことに巻き込まれているんじゃないかとさえ思えてくる。
「よし、やっぱり帰ろう」
心を決めて、宮路原は茂みから出た。
「待ちなさい!」
通りに出た直後、茂みの女が俺の手を掴んだ。
「放してくれるか、俺は帰ると決めたんだ」
「帰るって、それでも斗森塚防衛隊なの?」
「いや違いますけど」
宮路原は即答した。
「いいえ、あなたからは私たちと同じ臭いを感じたわ」
「感じないでもらえます? そういうの困るんで」
宮路原は女の手を振り払い、公園の出口へと歩き始めた。女は茂みからで出て来て、なおも宮路原の後をつけてくる。
「あなた、ともりんの友達じゃないの?」
「いいえ違います」
あなたは宿敵と同じあだ名で斗森塚を呼んでるよ、と宮路原は思ったが、口には出さなかった。ぐいぐいと力強い女に宮路原は懸命に抗う。しかし、女は力を緩めない。
どんどんと顔をこちらに近づけてくる。顔を覚えようとしているのか、それともキスでもしようとしているのか、それくらいの距離感で女は言った。
「よし決めたわ。基本は男子禁制なんだけど、特別に防衛隊への入隊を認めてあげる」
「結構です。失礼します」
「今、さとしんはとても危険な状態なの。急がないと大変なことになる」
さとしん?
一瞬、宮路原は固まったが、直ぐに斗森塚の下の名前を文字ったニックネームであると気がついた。
(呼び名くらい統一しとけよ)
心の中の言葉なので相手には伝わっていない。女は必死に勧誘を試みるが、それに反比例するように宮路原のやる気は無に近づいていた。
(なんかめんどくせー)
女との攻防はそれからしばらく続いたが、終わりは唐突に訪れた。先ほど宮路原を追っていた男二人が、二人の話し声を聞きつけ、再び戻ってきた。
男たちの影に宮路原と女の顔がややひきつる。宮路原と女は向き合い、同時に頷くと公園の出口に向かって駆け出した。
「待てぇっ!」
背後から響く叫び声に宮路原の速度が更に加速する。隣を走る女は短距離走のランナーごときフォームで軽快に飛ばしていた。
(逃げ足、早っ!)
宮路原が女の走力に感心していると、女が振り返ってきた。首があり得ない角度まで回され、女はニヤリと笑みを浮かべた。
「これでもう逃げられないわね、フフフッ」
「お前まさか」
「今なら入会金無料で手を打ってあげるわ」
甘く残酷な誘いに宮路原は奥歯を噛み締めた。眉間にこれでもかとシワを寄せ、見開いた眼で女を睨み付けた。女は笑うことをやめない。罠にかかったネズミを憐れんでいるようだった。
「絶対に入らない」
「そう、ならここでお別れね」
女は右手に掴んでいた箒の先端を宮路原に向けた。全力疾走で走っているにも拘わらず、女は箒を振り上げた。宮地原は左右に視線を向けて別ルートを模索するが、左右からも別の男たちがいることに気がついた。
既に三方が包囲されている。
「待て待て待て、わかった。入会する」
両手を前に出し、宮路原は誓った。
(まぁ隙を見て逃げればいいか)
「なら今ここで電話番号と住所を叫びなさい」
「ふざけんなぁ!」
女は箒で宮路原の胸をトンとついた。それだけでバランスを崩して倒れそうになる。公園の出口まであと少し、しかしそこまで女が待つことはない。
「xxx-xxxx-xxxx,住所はxx区xxx-xx-xxですっ!」
「入会を認めましょう」
宮路原と女は同時に公園を飛び出した。道路を渡り、向かい側の歩道に出る。直後、宮路原の背中を擦るように軽自動車が道路を横切った。窓を開け、運転手が叫び声を上げながら、車は走り去っていく。
「こっちよ」
女は言った。振り替えると、公園の奥から男たちが追いかけてきていた。
「速くっ!」
「わかったよ」
宮路原はしぶしぶ女の後についていった。着いたのは先ほどの公園から住宅街の入り組んだ道を進んだ先の小さな公園だった。
(また公園か、でもここならそう簡単には見つかりそうにないな)
住宅に囲まれたこの公園はよほどこの周辺に精通していないと分からないような狭く見えにくい場所に作られていた。遊具も滑り台とタイヤを半分に割って並べられた名も分からないモノしかない?
女は一切息を切らさず、逆に宮路原はヘトヘトのボロボロだった。
「もう無理……」
体力も限界に達し、タイヤ状の遊具に腰を下ろす。息を整え、改めて女の方を見ると、その傍に更に二人の女が立っていた。この場所で合流することをあらかじめ決めていたようで、三人は何かを話していた。
話を終えると、先ほどの女が宮路原の前に立った。
そして一言、
「ようこそ、斗森塚防衛隊へ」