第五話 初めて会った日から
「では……会うのを楽しみにしている方というのは?」
「あなたです」
「……私?」
「あなた以外に、誰がいるんですか」
青い瞳が苦しげに細められる。
「あなたに会える日は、朝から何度も時計を見ています。早く着きすぎないよう馬車を遠回りさせたこともあります。あなたが好きだと言った菓子を用意させ、話題になりそうな本を探し、あなたに似合いそうな花を何日もかけて選びました」
「では、なぜ……いつも、すぐに帰ってしまわれたのですか?」
ローゼリアの唇が震えた。
「あなたを苦しませていると思っていたからです」
アルベルトはローゼリアの手を額に押し当てた。
「俺が話しかけるたび、あなたの顔が強張る。無理に微笑ませようとすれば、顔色まで悪くなる。そばにいるだけで、あなたを怯えさせているのだと思っていました」
「怯えていたのではありません」
「分かっています。今、ようやく分かりました」
「私は……」
恥ずかしさで喉が詰まる。
それでも、もう黙ってはいけなかった。
「あなたの前で、美しく笑いたかったのです。楽しい話をして、あなたに相応しい婚約者になりたくて……でも、嫌われたくないと思うほど、何も言えなくなってしまって」
「それは、俺も同じです」
ローゼリアは目を見開いた。
「王宮で面倒だと言ったのは、あなたのことではありません。あなたを前にすると何ひとつ上手くできず、帰るたびに失敗したことばかり数えてしまう。次こそはと考えて、また空回りする。そんな自分自身が面倒で仕方がないと、そう言ったんです」
「アルベルト様も、緊張していたのですか?」
「毎回、生きた心地がしませんでした」
アルベルトが泣き出しそうな顔で笑う。
「初めて会った日から、あなたが好きだったから」
胸の奥で絡まり続けていた糸が、一本ずつ解けていく。
彼も同じだった。
会える日を待っていた。
嫌われることを恐れ、失敗するたびに自分を責めていた。
自分だけが苦しかったのではない。
「でも……初めてお会いしたときは、とても落ち着いていらしたでしょう?」
「あの日、あなたの前に膝をついたのは、立っていると足が震えているのを見られそうだったからです」
「……そうだったのですか?」
「手を包んだのも、俺の手が冷えていることを誤魔化したかっただけです。あなたの手も冷たかったので、気づかれずに済みましたが」
ローゼリアの喉から、涙混じりの小さな笑いがこぼれた。
アルベルトは、その音に息を止めた。
「……笑ってくださった」
「ごめんなさい」
「謝らないでください。初めて、俺に笑いかけてくださった」
彼の目元が赤くなっている。
「あなたには、ずっと嫌われていると思っていました」
「私も、同じです」
「俺のことが面倒になったというのも、嘘ですか?」
「……はい」
「婚約をやめたいというのも?」
ローゼリアは唇を結んだ。
彼の手を、今度は自分から握り返す。
「あなたを自由にして差し上げなければならないと、そう思っただけです。本当は……手放したくありませんでした」
「では、手放さないでください」
縋るような声だった。
アルベルトの指に力が籠もった。
「俺は自由になりたいのではありません。あなたの隣にいたい。あなたに会えない日より、何も話せなくても、同じ場所にいられる日の方がいい」
「でも、また緊張して、何も話せないかもしれません」
「俺もです」
「お腹が痛くなってしまうかもしれません」
「そのときは、帰った方がいいか、そばにいてもいいか、必ずあなたに尋ねます。もう勝手に決めません」
ローゼリアの目から、新しい涙が落ちた。
「では……帰らないでと、言ってもいいのですか?」
「何度でも言ってください」
「今日も?」
「もちろんです」
アルベルトは彼女の手を両手で包んだまま、もう一度尋ねた。
「ローゼリア。俺は、あなたが好きです。初めて会った日から、ずっと。これからも、あなたの婚約者でいてもいいですか?」
心臓は、相変わらず痛いほど脈打っている。
指先も震えていた。頬は熱く、上手く笑えている自信もない。
それでも今度は、言葉が出た。
「はい。私も、アルベルト様が大好きです」
アルベルトが目を閉じ、ローゼリアの手に額を寄せた。
握られた指先が、少し震えている。
ローゼリアは空いている手を伸ばし、紺色の髪にそっと触れた。
彼が顔を上げる。
目が合えば、また胸が苦しくなった。
けれど、もう視線を逸らしたくなかった。
「アルベルト様」
「はい」
「今日は、まだ帰らないでください」
「ええ。あなたが帰ってほしいと言うまで、ここにいます」
アルベルトの瞳が、柔らかくほどけた。
冷めかけた紅茶から、淡い花の香りが漂っていた。
二人の間には、まだいくつもの沈黙が落ちた。
けれど、どちらも立ち上がらなかった。
握った手も、最後まで離れなかった。
最後までお付き合いありがとうございました。
気を抜くと異世界恋愛らしからぬお話を書きがちなんですが、今回は最初から最後まで異世界恋愛を書けたような気がします!?
ブックマーク、★★★★★、よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ





