仕事始め
カルート国ヘサ商業ギルドのトップを叩いたイツキは、後のことはシルバ皇太子とその側近達に任せて、夕方薄暗くなってからモンタンに乗ってロームズに向かった。
2日の午前中まで感謝祭の休日扱いだったので、2日の夜に戻ったイツキは、領主としての仕事に別段支障はなかった。
これからは、到着する新人職員や学生達を受け入れる準備で忙しくなる。
5日に調理担当のピータ達が到着し、8日には職員に採用された者達が到着する予定である。
中級学校の開校式及び入学式は12日の予定で、学生達は仮入学日である9日には全員到着するだろう。
医学大学は15日が開校式及び入学式なので、学生達は13日までに到着し、14日の午後から説明会が行われる。
領主であるイツキは、優秀な家令オールズが段取り良く仕事をこなしてくれるので、想像していた程に忙しくはなかった。
そもそも領主様が現場で指示を出す必要もなかったし、そんなことをする領主など他の領地には居ない。それに、働く者達を緊張させることになるので、むしろ遠慮してくれとオールズに注意されていた。
そこでイツキは、医学大学の教授として受け持つ、医学概論の教科書のような物を作成することにした。
イツキが医学大学に到着すると、教授や助教授達は、2階に在る助手の控え室で仕事をしていた。
教授には各々専用の個室が与えられていたのだが、教科書作りをするなら全員が同じ場所で作業をした方が効率的だということになり、わりと大きな机が15セット並べられている、助手の部屋が選ばれたのであった。
「マーベリック教授、基礎医学の教科書を見せていただいてもいいですか?」
完成したばかりの2階の助手室で、教科書作りをしていたマーベリック28歳に話し掛けたイツキは、出来上がったばかりの前期分の教科書に視線を向ける。
「これは領主様お帰りなさい。昨夜お帰りになったのですね。ようやく基礎医学は完成しましたが、学長のチェックはまだ受けていません」
昨日から泊まり込みで教科書を作成していたマーベリックは、無理が出来る年齢ではあったが、やはり新しい教科書を作るという作業は大変で、顔に疲れが出ていた。
「「お帰りなさい領主様」」
他の教授達も同じように泊まり込みで作業をしていたが、皆ベテランであり、これまでの教科書の訂正箇所をチェックし、新しい情報を足す作業で済ませ、来年度までの完成を目指しのんびりやっていたので、挨拶の声にもゆとりがあった。
イントラ高学院にも基礎医学という講義はあったのだが、それは医学の長い歴史やイントラ高学院の歩みを教えるものであったため、ハキル学長も他の教授達も、必要のない講義であると決定した。
その為マーベリック教授には、本当に必要な基礎用語や基礎知識を中心とした教科書を編纂させ、前期で基礎医学の講義を終了し、後期からは医学大学病院での診療を任せると、学長と副学長が決定していた。
イツキは講義内容が被らないようにするため、確認しておく必要があった。
なにせイツキは、医学学校に通ったことなどなく、学生として講義を受けたこともなかったのだ。
確かに恩師であるパル院長から、イントラ高学院で学んだ必要な講義は受けていたが、その内容は、パルがイツキの為に取捨選択した内容であり、不必要と思われたものは、バッサリと省かれていたのである。
「成る程、これは……本当に必要な基本的な知識を教える教科書なのですね」
「はい領主様。最低限必要な基礎知識と、絶対に必要な医学用語を教えるものです。そういえば、イントラ高学院には、医学概論という講義は有りませんでしたが、具体的にはどういった内容なのでしょうか?」
マーベリックはずっと考えていた疑問を投げ掛けた。
それは他の教授達も思っていたようで、マーベリックの隣の席に座っているイツキの元に、全員が席を立ち集まってきた。
「うーん、内容的には多岐にわたりますね。医者とは何か?という問いから始まり、患者の視点と医者の視点の違いとか、良い医者とはどういう医者なのかとか……定義を教えるのではなく、自ら考えるテーマを与え、それを皆で議論したりとかですかね」
「それは斬新な講義ですね。こうあるべきだと教えるのは簡単ですが、それを学生に考えさせるというのは、確かに必要なのかもしれません」
教授達のリーダーであるノーテス教授(内科医34歳)は、成る程と感心しながら頷く。
「そうですな、凝り固まった思想や、自分の考えこそが正しいと思い込んでいる学生には、思い直させることが出来ますな。特に親が医者である学生は、親の思想の影響を強く受けていますから」
薬学教授のムッター50歳は、薬剤師をバカにした考え方や、医者は金持ちに成って当たり前とか、貧乏な患者は見捨てても構わないなどと、親から教え込まれている学生に辟易していた。
「僕は出来るだけ、医者の出来ることには限界があるのだと教えたいのです。自分が無力であること……そこから出発して欲しいと思っています」
イツキは救えなかった命を想いながら、自分を戒めるかのように語った。
助けられないと分かっている患者に法外な薬を処方する医者、身分の違いで診療を拒否する医者、誤診を疑わない医者、命を軽んじる医者・・・イツキは旅をしていた1年半の間、様々な医者を見てきた。
多くの医者は善人であり、懸命に患者と向き合い、病を治そうと戦っていた。
しかし、そうではない医者も居た。
善人であれと教えるつもりはないが、病と真摯に向き合い、助けられる命は助ける……そうであって欲しいし、そうありたいと思う医者を育てたい。
それが自分の目指す医学大学であり、そのヒントを与えるのが医学概論であるとイツキは考えていた。
1月5日午前10時、予定通りに学食と寮食担当者を連れて、イツキの初めての友であるピータ18歳がロームズに到着した。
イツキの依頼を受けたピータだったが、イツキと直接会うのは2年半ぶりである。
一緒にラミルからやって来た軍の交替組とは役場前で別れ、荷馬車3台を連れて言われた通りの道を進むと、大きな建物が見えてきた。
「オーッ!あれが医学大学か。立派な建物だな。ロームズ辺境伯屋敷は何処だろう?この道の先に在るって聞いたんだけどな……」
先頭の荷馬車の御者をしていた料理人仲間のエンディ23歳は、隣に座っているピータの姉リリカ21歳と一緒に、一旦荷馬車を止めキョロキョロしながら屋敷を探す。
ピータ達は田舎の小さな領地だと聞いていたので、領主屋敷の大きさを、食堂をしている自分の家の倍くらいか、ラミルに在るロームズ辺境伯邸くらいだと思っていた。
「とりあえず医学大学に行って、誰かに聴いてみよう」
2番目の御者台に師匠であるパルドと一緒に座っていたピータは、後ろの荷馬車の御者をしている後輩のドロップ17歳にも聞こえるよう、大きな声で言いながら再び馬を走らせる。
そして到着した医学大学?の建物の門の前で荷馬車を降りると、見張りをしていた警備の者に、恐る恐る質問しようと近付いた。
「ここはロームズ辺境伯様の屋敷だが、面会の予約はあるのか?それと用件と名前を言って貰おう」
「「ええーっ!ロームズ辺境伯様の屋敷?医学大学じゃないんですか!」」
ピータとエンディはハモりながら、驚きのあまり固まる。まさかの豪邸だった。
呆然としながらも警備の人に名前と用件を伝えると、笑顔で門を開けてくれた。そして、玄関先までやって来ると、勢い良く扉が開き懐かしい人が迎えてくれた。
「やあピータ到着したんだね。急なお願いを受けてくれてありがとう。そして、心配掛けてごめんね。料理長のパドルさんも、無理なお願いをきいてくださり本当にありがとうございます」
イツキは嬉しそうに笑顔を向けて、ピータ一とパドルに声を掛けた。
領主様になっても、全く変わらないイツキの態度と明るい笑顔に安心したピータは、「イツキせんせー」と名を呼び泣きながら抱きつくのだった。
感動の再会を果たしたピータは、イツキが領主様であったことを思い出し、慌てて申し訳ありませんと謝罪しながら慣れない礼をとった。
「皆さん、ご苦労様です。屋敷の中で少し休んだら、これからの予定を打合せしましょう。ピータと料理長には屋敷のキッチンも見て貰い、屋敷で働く料理担当の者を紹介します。さあ、どうぞ」
イツキは皆の礼を受け、イツキ先生から領主に切り替えて屋敷の中へと案内する。
午後2時、久し振りにピータの作った料理を食べたイツキは、満足そうに上機嫌で馬車に乗っていた。同乗者はピータとエンディである。
馬車は、建設が始まったばかりの中級学校の校舎の側で止まった。今日の御者は、家令のオールズを補佐し屋敷内に住んでいる事務官のビンツ26歳である。
領主屋敷の馬車が停まったのを見たランカー商会のアトスは、店の中から出てきてイツキ達を出迎える。
「イツキ様、先日はありがとうございました。先程カルート国の商業ギルドから使いが来て、奪われた金と余分に払わされた手数料の返金を受けました。その上で、カルート国商業ギルドの特別会員の会員証を渡されました」
カルート国の商業ギルドから酷い目に遭わされたアトスは、そう言いながら特別会員証を懐から取り出してイツキに見せる。
この会員証があれば、カルート国内で仕入れをする時、優先して商品を回して貰うことが出来るらしい。特別会員証が発行されるのは、王宮御用達の商人か国王が認めた商会に限られているらしく、カルート国内でも20商会しか発行されていないとのことだった。
「春にはレガート国の特産品を、ランカー商会が販売を開始しすることになります。取引先は、同じ特別会員証を発行されている商会に限定しましょう。何か問題が起これば、その商会は特別会員を取り消され、商業ギルドとカルート国王が責任を持って対処してくださるでしょうから」
イツキは黒く微笑みながら、アトスに特産品の販売開始について指示を出した。
それからイツキは、明日開店するランカー商会ロームズ店の中に案内された。
品揃えは学用品が中心だが、学生には布団の販売やレンタルも行う。もちろん、その他の日用品も置いてはいるが、ロームズに元々ある店と競合しないよう配慮されている。医学大学の広い1階のエントランスの中に、ランカー商会大学内売店も準備が整っていた。
「今日は学食と寮食を担当する料理人の代表者を連れてきたんだ。当初必要な物は揃えて来たけど、追加で必要になる物をランカー商会に発注したいんだけど大丈夫かな?」
「はじめまして、医学大学の学食を任されたピータです。よろしくお願いします」
「はじめまして、寮食を担当するエンディです。よろしくお願いします」
2人は笑顔で右手を差し出し、アトスと握手しながら挨拶を交わす。
「こちらこそよろしくお願いします。ランカー商会のアトスです。初めて自分の店を任され、不慣れなことも多いですが、どうぞご贔屓くださいませ」
アトスは2人の料理人に頭を下げ、出来るだけ要望に答えられるよう、従業員を増やして対応すると約束する。
本来なら食料品は専門外だが、これから増えていく学生の数を考えると、ロームズの店だけでは対応しきれないのは明らかだった。
そのため、ロームズ領以外であるカルート国から仕入れが必要な物は、ランカー商会が窓口になり仕入れてくることになっていた。
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