14話
「……それが、さっき僕が見た夢のあらましです」
薄暗い地下牢の片隅で、シンは自分が見た記憶の断片を、隠すことなく静かに語り終えた。
無機質な白い部屋、コード番号で呼ばれた違和感、そして身体を焼き尽くすような薬物の痛み。それらはどれほど鮮明であっても、いまの平和なエルフの村の空気に照らし合わせれば、あまりにも異質で現実離れした恐怖だった。
それをじっと聞いていたセレネは、眉間を軽く押さえながら小さく息をつく。彼女はこれでもエルフの村の風の巫女として、この世界の歴史や伝承、さまざまな魔術的現象についての知識を深く蓄えている自負があった。
だが、シンが語ったような「無機質な部屋」や「不可解な機械とコード番号」といった概念は、彼女が持つどの古文書や文献の記憶にも一切合致しなかった。
「……私の知る限り、この大陸のどこを探しても、そんな奇妙な環境や施術を行う場所には思い当たる節がないわね。魔術の実験だとしても、魔法陣ではなくそんな機械を使うなんて聞いたことがないもの」
セレネは首を横に振ると、真剣な眼差しをシンの瞳に向けた。
「もしかしたら、あなたは私たちが暮らしているこの大陸ではなく、遠く離れた未知の大陸から流れてきた人間なのかもしれないわね。そこなら、私たちが知らない高度な技術や、信じられないような術式が存在していてもおかしくないわ」
さらに彼女は続ける。
「もし本当に自分の過去や記憶を取り戻したいと望むなら、もっと学術研究が盛んな外の世界の大きな都市や機関に行ってみるべきかもしれないわね。そこなら、あなたの正体を知る手がかりが見つかる可能性はあるわ」
セレネのその提案は、記憶を失った者にとって最も確実な道筋を示すものだった。しかし、それを聞いたシンは苦笑いを浮かべ、自分の頭を軽くかいた。
「ありがとうございます、セレネさん。そこまで考えてもらえるのは本当に嬉しいです。でも……自分は、無理に昔の記憶を思い出さなくてもいいかなって思っているんです」
「どうして……?」
セレネが意外そうに目を丸くすると、シンは窓の外に広がる穏やかな村の景色へと視線を向け、柔らかく微笑んだ。
「だって、この村に来てから、皆さんとの交流があって、こうして穏やかな日常を過ごせている。それだけで十分すぎるくらい満たされていますから。過去がどうであれ、今の生活に不満なんてありませんよ」
その飾らない、心からの言葉に、セレネは胸の奥が微かに熱くなるのを覚えた。出会った頃の他人行儀で警戒心ばかりが先立っていた関係から、少しずつお互いの内面を知り、こうして穏やかに言葉を交わせるようになった実感が、静かに胸を満たしていく。
「……本当に、あなたという人は変なところで欲がないのね」
セレネは呆れたように小さく息を吐いたが、その表情にはどこか嬉しそうな柔らかさが混じっていた。
「そろそろ夜も更けたし、僕はもう休むので、セレネさんも自分の家に戻ってしっかり休んでください。今日もお疲れでしょうから」
シンが気遣うようにそう促したが、セレネは首を横に振ってその場を動こうとはしなかった。
「ううん、今夜はここにいるわ。あなたがあんなふうにうなされて目を覚ましたばかりだし、何かまた急な変化があったらすぐに対応できるようにね」
そう言って、セレネは地下牢の外側にある椅子に座った。
「ほら、私はここにいるから、安心して眠りなさい」
鉄格子越しに見えるセレネの真面目な横顔に、シンは困ったように小さく笑いながらも、「わかりました、おやすみなさい、セレネさん」とベッドに横たわった。
静まり返った夜の帳の中で、地下牢の冷たい空気が少しずつ穏やかなものへと変わっていく。鉄格子の外で見張るように座っていたセレネは、一日の終わりの疲労と、安心感からか、次第にまぶたが重たくなるのを感じていた。シンの穏やかな寝息を聞きながら、彼女の意識は深い眠りの底へとゆっくりと沈んでいった。
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冷たい朝の光が天窓から差し込み、鳥のさえずりが聞こえる頃になって、セレネはハッと目を覚ました。
「――しまった……私、うっかり寝てしまっていたの……!?」
慌てて跳ね起きたセレネは、自分が地下牢の外で眠りこけていたことに気づき、青ざめながらすぐに鉄格子の向こうを覗き込んだ。だが、そこで彼女はさらに重大で、血の気が引くような異変に気づいた。
地下牢の中にいるはずのシンの姿が、どこにも見当たらない。
セレネは息を呑み、急いで鉄格子の鍵を確認したが、鍵穴はしっかりと外側から施錠されたままであり、無理やりこじ開けられたような痕跡すら一切ない。それどころか、牢の中はまるで最初から誰もいなかったかのように綺麗に整えられており、乱れた様子すらなかった。
「嘘……どうして……? 鍵が閉まったままなのに、シンが消えるなんて……!」
セレネは動揺のあまり、何度も周囲を見回した。鍵の管理は自分が持っていたし、夜通し扉の外にいたのは自分自身だ。密室から人が消え去るなど、通常の魔法や物理法則ではありえないことだった。
しかし、現実にシンがいないということは動かぬ事実である。まだ早朝の静けさが残る村では、衛兵も村人たちもまだ目を覚ましておらず、誰もシンがいなくなったことに気づいていない。
もし、シンが勝手に姿を消したことが村人たちに知れ渡ればどうなるか。せっかくここ数日の魔物討伐や誠実な働きによって村人たちのシンに対する信用が劇的に改善されつつあったというのに、「やっぱり人間は信用できない」「逃げ出したのだ」という最悪の猜疑心へと逆戻りしてしまう。
そうなれば、シンが再び村の敵として扱われ、取り返しのつかない事態になりかねない。
「落ち着いて、まずは探さないと……!」
セレネは自分の動揺を無理やりねじ伏せ、急いで村の中へと駆け出した。まだ誰も起きていない静かな村の小道を駆け抜け、シンの作業場、広場、井戸端、考えうる限りの場所を必死に捜索するが、シンの姿はどこにも見当たらない。
心臓が嫌な音を立てて早鐘を打つ中、セレネは焦燥感に駆られながら村のはずれへと足を向けた。
その時だった。
ふと、肌を撫でる風の質感が変わった。それはいつもエルフの村を包んでいる穏やかな自然の魔力とは異なり、どこか冷たく、しかし圧倒的に濃密で、いままで一度も感じたことのない不思議な魔力の波が、遠くの森の奥から微かに漂ってきたのだ。
「……この魔力は……?」
セレネは足を止め、魔力の発生源である精霊の森の奥深くを見つめた。
もしかしたら、消え去った謎の現象やシンの失踪と、この未知の魔力には何か深い関係があるのではないか。胸騒ぎを覚えたセレネは、一瞬の迷いも捨て去り、その不可思議な魔力を頼りに精霊の森の奥へと走り出した。
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