第1話:婚約者としての日常、幼い頃からの絆
王宮の庭園に、鐘の音が静かに響いていた。
セレスティアが暮らす聖女宮は、王宮の敷地内、本殿から少し離れた場所に建っている。六歳でこの地に引き取られて以来、後見人と侍女長の監督のもと、ここが彼女の家だった。庭園は、聖女宮と王宮を繋ぐ、二人にとって一番なじみ深い場所だ。
「セレス」
名前を呼ばれて、セレスティアは本から顔を上げた。木漏れ日の下、ディートリヒがこちらに歩いてくる。
目が合う。
それだけで、胸の奥がすっと温かくなるのを、セレスはもう何年も前から知っていた。
「勉強中に、悪いな」
「ううん。大丈夫」
セレスは本を閉じて、隣の空いた椅子を軽く叩いた。ディーンは少し口の端を上げて、その隣に腰を下ろす。
沈黙。
風が二人の間を通り抜けていく。花の香りと、ディーンの纏う静かな空気が混ざり合った。
「……何、見てるの」
セレスの視線に気づいたディーンが、静かに聞く。
「ん……別に」
「嘘だな」
ディーンはくすりと笑って、セレスの頬に軽く触れた。指先が、ほんの一瞬だけ、髪を耳にかける。
心臓が跳ねる。
こんなことは、もう何百回とされてきたはずなのに、いまだに慣れない。
「そういう顔、あんまり人前でするなよ」
「どういう顔?」
「……可愛すぎる顔」
「な、ちょっと」
思わず赤くなるセレスを見て、ディーンは満足そうに目を細めた。婚約者になって十年以上経つのに、彼はいつも、こうしてセレスの反応を楽しんでいる。
「なあ、セレス」
ふいに、ディーンの声が少しだけ真剣みを帯びた。
「大聖堂での儀式が近い。正式に、婚約から先の話が動き出す」
「うん……分かってる」
「不安か?」
セレスは少し考えて、首を横に振った。
「ううん。ディーンと一緒なら、大丈夫」
その言葉に、ディーンは一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから、いつもよりずっと優しい表情を見せた。
「……その台詞、俺の方が言いたかったんだけどな」
ディーンはセレスの手を取ると、そっと自分の口元へ運んだ。
「絶対に、離さない」
短い言葉に、けれど確かな重みが込められていた。セレスは頷きながら、この穏やかな時間がずっと続いていくのだと、疑いもせずに信じていた。
庭園の向こう、王宮の窓の一つから、その様子をじっと見つめている影があったことに、二人はまだ気づいていなかった。




