1 帰還
「おう、中島おはよう」
8月の朝のオフィスは暑い。
最初に来た人が冷房を入れてくれてはいるものの、一晩かけて温度が上がったオフィスを冷やすには30分そこいらでは時間が足りないのだ。
「おはようございます」
(うわぁ、なんつーか日常だな!)
俺はコーヒー片手に挨拶してきた部長に挨拶を返す。
特に好きでも嫌いでもない部長だが、今日ばかりはその部長の挨拶にどこかノスタルジーを感じる。
(んー、もう何年ぶりだ?)
俺は地球時間では昨日異世界に転移した。
いつも通り会社を出て電車に乗ってと、何一ついつもと変わらない一日を昨日もおくったのだが、地下鉄の地下道を歩いていてふと気になった、気になってしまったのだ。
いつもと変わらないはずの地下道。
けれども何故か目に留まってしまった、初めて見るような、けれどもずっとそこにあったような分かれ道。
ソレいわくそれが分岐点らしかった。
強く次か他を願う者の前に分岐点は現れるようになっているらしい。
その分岐点はトンネルであったり、小道であったり、人によっては魔法陣であったりするそうだ。
それを見て俺の中には2つの想いが浮かんだ。
『あれ?こっちの出口から出たらそうなるんだ?』という好奇心と、『週初めの月曜なんだ、さっさといつもの出口から帰ろう』という疲れたサラリーマン意識。
そして俺は刹那の躊躇もなく、見たことがない出口の方へ進んだ。
そこにはなんの理由も訳もなかった。
むしろ進んでから『なんでこっちに行こうとしてるんだ?』と、自分の訳が分からぬ行動にひとりで苦笑いを浮かべたほどだ。
そしてその分岐点を超えてすすんだ出口のさきで、俺は見慣れたコンクリートジャングルではなく例の大草原にたどり着いた。
そこでソレに遭遇し、俺はあんまりにもあんまりなソレの要求に付き合わされることになった。
ソレはいわゆる多次元宇宙の調整役のような立場にある者らしく、無数の星・世界を監督・調整している。
ソレの調整の甲斐あって多くの宇宙は調和を保っているが、イレギュラーが生じることがままあるらしい。
その世界の中で特異点のような存在が生まれたり、もしくはある世界から他の世界に『何か』もしくは『誰か』が跳んでしまったりするのだ。
そのイレギュラーのほとんどは、ソレが元の世界のパラメーターを弄ったりして収まっていくのだが中にはパラメーターを弄るだけでは解決しないこともある。
そんな時に俺のようなソレの意をある程度汲んで動く異分子を放り込むのだそうだ。
ソレ自身が動いてもいいそうだが、それは最終手段だそうだ。
ソレ自身の力が強すぎる故に世界そのものを壊さないように凄まじく神経を使うハメになるし、何よりその世界に手を取られ他の世界の調整が疎かになってやることを増やしてしまっては本末転倒と言える。
だからソレ自ら介入することはまず無く、代わりに俺のような異分子が送り込まれると言うわけだ。
まぁそんな訳で俺は転移先の世界で一応その役目を果たした。
世界を救うのにかなりの時間がかかったはずだが、どうやらこちらの世界ではソレの約束通り時間は経過しなかったらしい。
こうして昨日の朝と何一つ変わることなく挨拶してくる部長の姿に、『本当に帰ってきたんだな』と感慨を覚えてしまう。
「??なんだ中島、俺の顔に何かついてるのか?」
「いえ、なんでもありません。暑さでちょっとボーっとしてました」
「そうか、そうか。まぁ今日もとんでもない暑さだからな。気をつけろよ」
「ありがとうございます」
そんなことをいいながら俺は自分のデスクに向かう。
ちなみに俺のデスクの位置はアタリだ。
後ろは壁、簡易的ではあるものの腰高のパーテーションで三方を囲まれており非常に快適。
(ふう、静かだな)
始業前のオフィスは静かだ。
人によっては『静まり返っている』と感じて居心地の悪さを感じるかもしれないが、俺は朝のこの静けさは嫌いじゃない。
給湯室で入れたコーヒーを自分のマグカップで飲んでいると、心が静まり整ってくる。
(転移?転生?先ではこうもいかなかったもんな)
向こうの世界では基本的にきったはったを繰り広げていて、落ち着いてコーヒーをたしなむ余裕なんてなかった。
あったとしても一応『召喚された勇者』という扱いや、それに準じる扱いだったため一人で穏やかに過ごす時間がなかった。
常にお付きの人やパーティーメンバーなどがいて何かと身の回りが騒がしかった。
「おはよーございまーす!」
(そういやこっちにも騒がしいのが一人いたな)
打刻機のほうから聞こえる声に、俺は思わず隣の席をチラッと見る。
柊すずな。
6つ下の後輩だ。
部署の元気印のような立ち位置の奴であり、その整った容姿も相まっておじ様方からの人気も高い。
朝に何を食べたらそうなるのか問い詰めたいくらい朝からテンションが高く、こうやって打刻機から席まで声が聞こえることも珍しくない体育会系女子だ。
仕事柄外回りででることも少なくないが、ずっと車のなかでしゃべり続けるようなそんな奴。
「おはよう柊」
「おはようございますうぅ???!!」
そんなエネルギーの塊系女子は俺と目をあわせるやいなや素っ頓狂な声をあげたのだった。




