9-1.我が中身を知るヒトぞ
…何時もの夢。
これは、この男が何度、幾度と見ていた夢。
夢と認識する必要もない程に、繰り返し、繰り返し見てきた夢だった。
何処かへと落ちて行くのか、舞い上がっているのか、自身は暗闇の宙、もしくは深海を漂い続けている。
そして、眼前に現れる白く映る巨大な<何か達>。
それは目の前にも居るようであり、遥か遠くの姿が浮かんでいるかにも見える。
ヒトなのだろうか、実態なのだろうか、それとも夢の虚像か、だがそれが奴等の<顔>だというのは認識できていた。
現実離れした存在というのは理解しながら、今ではもう驚きもしない連中だ、いや、そもそも最初に見たのは何時だったか……?
そして、またこちらを指して、何やら議論らしきものを始めるのだろう。
何のために、議論をしているのかはわからない。
どうせ自身は夢の中とはいえ、漂う事しかできないのだから。
≪サウ ニーム エ プ ル リー プアム プナ バヌカスム≫
≪オム ベイム トロシム ナダ パウク オーマ≫
白い巨影の2人が互いにそう、何かを唱えたように喋りだす。
それは自身には聞き取れない言葉なのか、言語として捉えられないモノなのか、音、波長そんなものが全身に響き渡る。
≪ウ バヌカス プーズ ベルニマ アムアノン リクアンディ≫
≪イ プス アヴ アヴス オント ベイム ノウ≫
≪バヌバニス エデ ゾロア フム ミンスム≫
続いて残る3人が先の言葉に各々の反応を示すかの様に言葉を発しだす。
その光景を見ながら、男はただ、浮遊を続けていく。
いつからこうしているのか、何故ここにいるのか、それも解らない。
ただ、ずっと昔からこうしていたような気さえするし、つい昨日の出来事にすら感じる。
白い巨影の1人がこちらを覗き込むようにすると、細いものが伸びだす。
そして、それに男の身体は押さえつけられ、左腕を摘まれる。
そう、自分はこのまま殺され、捨てられる事、男にはそれが解っていた。
≪ニームード メント アンプナムア ウスルイウスルエンヌ≫
≪ムー ムーノ≫
≪ニームオス マルベルニマ ウンス ベイム バディオグス アバスナシナ≫
≪アディアモ≫
白い巨影達はまだ議論を続けながら新たな細いものを伸ばし、身体を摘まんでいく。
肩を、次はアバラを、伸びてきた別の細いものに摘み砕かれ、左腕もろとも心臓を抜き取られるはずだ。
だが、恐怖、焦燥、怒り、そんなものは湧き上がってこなかった。
何せ、もう何度と見た夢なのだから、きっと昔の自分が散々味わってきていただろう。
摘まれた箇所に力が加わると、左腕が引っ張られ、体内の管という管、繊維という繊維が悲鳴をあげ千切れ飛ぶ感覚が走る。
痛みは感じないが、それでも脳裏に浮かんでくるのは後の肉片となって飛び散る自身の姿。
そして、抵抗が無くなる。
完全に左腕と体内の一部が分断された証だろう。
ずるりと巻貝の身のように引き抜かれた左腕と心臓に連なった幾つかの内蔵が宙にぶらさがるのを見送った直後。
白い巨影達は一斉にこちらを覗き込み、一斉に様々な先端を持つ細長いものが迫り、残った肉片を啄ばんで行った。
―――
―――目が覚めた。
最近、この夢から目覚めた後に見る天井は、何処かの宿でもなく、青い空と雲と天を跨ぐ橋の一片でもなく、双子月と星々の空とオーロラでもなく、何時もこの屋敷の天井だった。
男は身を起こして周囲を見渡し、天井に対して周囲も見覚えあるものか確認する。
「……相も変わらず、1人で寝るにはでかい部屋ですこと。」
そう黒髪をくしゃくしゃと掻き毟り、独り言をぼやきながら、枕元にあった赤い襟巻きを見つけるや首に巻きつけ、ベッドから出ては窓を開ける。
ここは男の雇い主が所有する屋敷の1つ。
男は此度の巡行の旅を終え、その報告のため、この屋敷へと戻ってきていた。
普段使われる事のない客間は、ほぼ専用の部屋として宛がわれ、この屋敷へ戻る度に男はこの部屋で目が覚める。
「そうですか。ならば地下の物置に棺桶があったので、今度からそちらに寝かせましょうかね。」
窓を開け、一息を付くと、後ろからヒトの声が発せられる。
振り向くと、いつの間にか部屋の中には背広姿の老いた男が居た。
「セバっさん。音も無く部屋の中に居るの止めてくれません?心臓が止まるかと思いましたよ。」
「おや、失礼。しかし、彼方に<心臓>はないでしょう?2日前の胸部切開で確認済みです。」
「…また、<ヒラキ>にされたんスね…」
「それが彼方の<義務>みたいなものですから。仕方ありませんね。」
この老人はこの屋敷の主人の使用人、兼護衛役であるセバス=ギャリー=タスキスと言う男である。
歳は70手前らしい<ヒューネス>だそうだが、高齢の割に背筋はピンとしており、白髪をオールバックにして纏めている。
「それに、私は毎度と目覚めぬ貴方に定時で朝食のサンドウィッチを運び、そのまま昼を過ぎれば、戴きに来たところです。」
そう眼鏡を直しながら、セバスは部屋のテーブルに置かれた銀のクローシュに目線を移す。
「わーい!サンドウィッチ!俺、寝起きのサンドウィッチだいすき!」
寝起きの男はわざとらしく喜びを表して見せ、ベッド脇の小さなテーブルへどたどたと駆け寄り、椅子に座る。
するとクローシュが開かれ、中から湯気立つ料理が現れた。
「どうぞ、薄めのオートミールです。」
「目覚めるタイミング、完全に把握してますよね?」
「そもそも、目覚めたばかりの彼方は、例え空腹でも消化に優しいものを食べていただかないと、以前大変な事になりましたからね。」
「ハイ、以前、その節は大変ご迷惑をおかけしました…」
まるで当然のように差し出された粥を前にした男は、苦笑いを浮かべつつその食事にありつく事にした。
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薄めのオートミール粥
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「どうです?お味の方は。」
「聞くまでもないんじゃありません?」
「いえいえ、こう言うのは本人の口から聞かねばなりませんから。」
「…あぁ、美味しいですよ。何よりこの薄味が最高ッスね。」
男は露骨な作り笑いと皮肉めいた応えし、それを見て満足気にセバスは微笑む。
「それは良かった。では、彼方の言う<ヒラキ>の結果でもお教えしましょう。」
「せめて食後!?」
男は即座に止めようとするが、セバスの方は構わず数枚の紙を後ろから取り出すと、言葉をそのまま続けだす。
その<自身の解剖結果>はもう何度と聞き飽きたもので、最早驚きすら無く、ただ呆れ果てるだけだった。
そんな口上を一々耳にしなくとも、こうして己の身体が解剖を受けたにも関わらず、<傷1つなく>、<心臓が無い>状態に元に戻っている事が何よりの証拠だ。
「――そういうわけで、今回も彼方の中に眠るであろう<竜核>の発見には至りませんでした。」
「そーですか。しかし、もう、何回目になります?…いい加減、諦めて貰えないんスかねぇ…」
「それは彼方が<竜核>の<代用品>を見つけてくるか、<買い取って>頂ければ良い話なのですがねぇ…」
「嫌味か。」
椅子の背もたれに項垂れるように、男は溜息交ぜ呟きながら、残る粥を口の中に掻き込んでゆく。
男自身には臓器としての<心臓>は持ち合わせていない。
その為に男の心臓は常人のそれとは異なり、鼓動を刻まず、脈打たない。
しかし、初めから心臓が<無い>わけではない。
でなければ、男が<心臓>というものを自他に存在すると理解出来る筈がないからだ。
でなければ、男の血は全身を巡り、その身体機能を維持し潤していないはずだからだ。
でなければ、男は4年前、発見された当初の姿、<干乾びた元のミイラの姿>に逆戻りしてしまうはずだからである。
男にミイラだった時の自覚は無いが、この老人と2人の主人である<ビルキース>は知っている。
何故なら、彼等はそのミイラを発見し、不可抗力、結果的にとはいえ<竜核>をミイラに与えた張本人達なのだから。
今一度、男は溜息を大きくつくと、空になった皿の前で手を合わせ、感謝の意を示す。
そして、そのまま顔を覗きこむように上げてはセバスに問う。
「で、<ボス>はどうしているんです?」
「ビルキース様なら自室で書類の作成と整理をしておりますよ。」
男は「ふーん。」と返事をすると、テーブルをトントンと叩き、何かを考える仕草の後、立ち上がって部屋の扉へ向かおうと歩き出した。
「どちらへ?彼方はこれから今までの経緯をまとめた報告書の提出があるでしょう?」
セバスが呼び止めると、振り返った男は面倒くさそうな顔を見せる。
「…明日からじゃダメです?」
「私達からすれば彼方が戻ってきて、もう既に2日以上は報告書を待ってる身です。私もお付き合いしますから、今日中、出来れば正午までにお願いしますよ。」
「ですよねー。」
―――
「…まぁ、細かい確認は後にするとして、こんなものですか。しかし、彼方の装備と見合わせて、今回の巡行はこっぴどくやられていますね。私がアレだけ訓練を積ませたというに、文字通りに命が幾つあっても足りませんねぇ…」
「…不出来な弟子で申し訳ありません…」
結局セバスに言いくるめられてしまった男は、現在セバスの執務室で頭から湯気を立ち昇らせ、接客のテーブルに突っ伏している。
旅の日程が遅れた分、それだけ報告書の作成にも時間を要し、男は己のこれまでの記憶との戦いを繰り広げていた。
そんな彼に同情するように、セバスはグラスに水を注ぎ差し出す。
「…せめて、味が付いたものが飲みたいのですが…」
絞り出したような声で要望を口にするが、セバスは首を横に振る。
「そういうのは夕飯時までの我慢ですね。」
「…地獄か。」
男は顔を伏せたまま、ぼそりと愚痴をこぼす。
セバスは男に向かってパンパンと手を鳴らし、場の空気を変える。
「さて、次は修繕、新調した装備をチェックしましょう。」
何時の間にか用意されたチェストの中から、セバスは男のこれまでの装備を取り出し並べだしていく。
まずは巨獣の骨材と樹脂を混ぜ合わせた、軽く、丈夫な脛当て。
そして、これまで数々の攻撃でボロボロとなり、その都度、縫い合わせてきた小札鎧とその上着の新品。
男は観念し、大きく呼吸をしながら身体を上げ、グラスの水を飲み干し、手馴れた様子でその装備身に着け、立ち上がっては屈伸運動をしては具合を確かめる。
次に右手用の革製の小手に腕を通し、肩を回し、手を何度と握り締めたり開いたりを繰り返ながら装着感を確認しだす。
「ふむ、これは今まで同様の品で問題はなさそうですね。」
一連の動きを確認した後、セバスが口を開き、次の品をトレイに乗せて男に差し出す。
それは数本の<楔>と金属の小手と革手袋で、<楔>は男の<漆黒の左腕>に埋まっているものと同じであった。
男はセバスに視線を送り、セバスは頷き答えると、男は左腕に埋まる楔を、1本づつ抜いては新しい楔を埋めて直してゆく。
前腕に3本、掌に1本、その上から金属小手を嵌めると、最後に革手袋を装着し左腕を覆い隠し、右手同様に装着感を確認する。
セバスはこれを眺め、頷きながら、今度は剣の収まった鞘とそれと連なるベルトポーチを差し出す。
男は剣を右腰にベルトを下げ、剣に右手を添え、肘を動かし何度と鞘から剣を抜き差し、カチカチと鞘口を鳴らしながら、ベルトの位置を調整しバックルを締めて固定する。
最後にセバスはチェストへと男を誘導し、男はその中の残りの品、赤いマントを掴み出してはひるがえし、羽織った。
全ての装備を着用し終え、男はセバスへ、そのやや脇へ向き直すとマントで覆い隠された中から剣を引き抜き、そして構える。
セバスは眼鏡を直し、男の全身を見渡していく。
赤いマントに、赤い襟巻き、腰から赤い石晶剣を引き抜き構えた男が1人。
男は不死身、その身は裂かれようと、骨を砕かれようと、飛散する血肉はたちまち元に戻り、身体を何度でも作り直す。
だが、胸に生の証である心臓は無く、代用品が埋め込まれているだけで、幾度も死の淵から蘇ろうと心臓だけは戻らない。
「おはようございます。そして、おかえりなさいませ。」
―――<不死身の赤マント>
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