8-5.赤く朱く紅く
グランは首に手を当てて、傾げ気だるそうにしている。
だが、ワタシが彼に真剣な眼差しを向けると、察してくれたのか嫌味も皮肉も無く、 ワタシの隣に来ると、ゆっくりと腰を下ろす。
「…ねぇ、アナタは自分のやる事に理由や理屈がある程度わからないとダメなクチ?」
ワタシは大きく深呼吸をしてグランに問う。
「それは何をやるのか聞いてみないとわからないな。」
「ここからは<迷い>との勝負になるの。アナタがあの<赤い剣>の事から目移りしてしまうと、修復できる可能性が大きく下がってしまうわ。」
「フム。」と、グランは目を閉じ、腕組みをし、首を捻っている。
「わかった。剣の結果が出るまでは、やる事だけを教えてくれ。」
しばらくの後、その顔には先ほどまでの嫌な表情はなく、むしろ、決意に満ちた表情へ変わった。
ワタシは彼の言葉に頷くと、錬成陣を書き直し、釜の蓋で覆っていた<賢者の石>をあらわにする。
「これが、あの剣…?」
「…まるで、ゼリーか煮こごりみたいだな…」
「…」
ワタシは切り分けられ、皿に盛り付けられたこの<賢者の石>を想像してしまった。
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賢者の石の煮こごり
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「…味見でもしてみる?」
「まさか、遠慮しておきますよ。」
グランは肩をすくめ両手を広げ呆れていた。
「……じゃなくて!そういう冗談でも雑念をしないで欲しいの!」
ワタシはとっさに錬成釜の蓋で煮こごりのブロック、いや、<賢者の石>を覆い伏せ、頭を振って雑念を追い出す。
まったく、油断するとすぐに余計なことを考えさせる。
「いい?さっきも言ったけど、これが元の姿形が戻りだすまで、<赤い剣>の事だけ思い出し続けて欲しいの!」
「具体的にどんな事だよ?」
「今まで剣を使い続けてきた、触れ続けてきた記憶よ。それこそキブヤーさんで剣を選んでるときみたいに普段の使い方とか。」
グランは首をかしげ、再び、腕を組み、アゴに手を当てて思考を巡らせだしている。
「とにかく、あの剣が<生きた>頃を、あの剣自身に思い出させる必要があるの。」
「…了解。<それ>だけ考えるようにするよ。今は理屈は聞かない事にしたんだしな。」
「で、ここで腕組んで思いにふけってればいいのか?」
「<賢者の石>への刺激、介入はワタシがするから、グランの思念を伝達させる為に触媒としてこの霊薬を手に付けて、ワタシに触れ続けて欲しいの。」
霊薬の瓶を差し出すと、グランは少し指に付け、手の中で転がしながらその感触を確かめだす。
「…なんかヌルヌルするな。」
彼はそう言うと、眉間にシワを寄せながら眺めていた。
「グランの掌とワタシの身体の密着状態を補うものなんだから我慢して。」
「…なら、それは、服の上からでいいのか?」
薬を右の手全面に付けた状態をワタシに向けてグランはそう尋ねる。
「あ。」
ワタシはその一言で大事なことを失念していたことに気づいた。
…しまった、これでは霊薬を付ける意味が無くなってしまう。
肌と肌を直に触れ続けさせる…為には?
答えは単純、ワタシは意を決し、服をたくし上げる様に脱ぎ捨てると、 腰かけの上で膝立ちになり、そして、胸元と腹部を隠す。
「へ、変な事考えないでよ。」
「そんな事考えてる暇、ないだろ。」
グランはワタシの下着姿を見るも、表情1つ、眉1つ動かさず、即座に答える。
確かに、こんな状況で妙な事を考えている場合ではない。
場合ではないのだが。
「じ、じゃあ、準備して。」
だが、余りに無反応の彼に、恥ずかしくて熱くなる顔を隠すよう、ワタシは急ぎグランに背を向け、彼が手を当てもくるのに備える。
「肩でいいのか?」
「えーっとぉ…」
肩と背中に手を押し当てられ続けては、流石に肩が回せず作業の邪魔になる、ワタシはどうしようかと考えた。
「…背中の脇下でお願いします。」
「わかった。」
彼の手はワタシのアバラ付近にあてがい、荷物を掲げ上げ支えるように触れる。
「うぴゃあッ!?」
「どうした?」
ワタシとグランの手が薬で密着すると、薬は脇腹に広がり体温を一気に冷やしていく。
しかし、それとは別に、まるで自分の内側を直接触れられたかのような感覚に襲われ、思わず声が出てしまった。
ワタシは自分の口を押さえ、呼吸を整え、落ち着かせる。
「な、なんでもない!準備して!」
「お前こそしっかりしてくれよ。」
「~~~~~~ッッッ!!」
ワタシの気も知らずにグランはワタシの背中に手を触れ、しっかりと抱き留めてくれる。
さっきのようなゾクゾクとした寒気ではなく、むしろ、熱いくらいの温もりを感じる。
でも、これはこれで別の意味でまずい気がする。
「…大丈夫!余計な事は考えないで!」
雑念を振り払い、彼と自身に言葉を投げ掛ける、返事は無い、だが彼の手がワタシの両脇腹をがっしりと掴まれた。
大きく息を吐くと、ワタシは父の形見のゴーグルを掛け、意識を一点集中させる。
<賢者の石>を覆う錬金釜の蓋を払い、ワタシは槌を振り下ろす。
1度、2度、3度、振るわれた槌は<賢者の石>に弾かれる。
4度、その時、背中から一筋の閃光が走り、流れ込み、腕に手に伝わってくる。
5度、ワタシは先の流れ込んでくる閃光に合わせ槌を振るう。
ガキンと<賢者の石>の内が跳ね上がり、表面に波紋のようなものが広がりだす。
6度、7度、槌が表面に弾かれるたび、波紋が広がり内側から光が放たれだす。
(…目覚めて!お願い!)
後は只管に槌を振るう。
10、20、変化が訪れるまで一身にワタシは槌を振るい続ける。
…
槌が<賢者の石>を叩く感触が明らかに変わった。
槌の頭から柄に伝わる振動は艶やかで張りのあるものから、鈍く、硬く、沈み込んで行くものへと変化している。先程までとは違う異質な静寂の中、ワタシは汗ばむ額を拭い再び槌を振るう。
…
「どうした?」
「…成功した…」
槌の反発がまるで砂地を叩くようになった頃、賢者の石の表面はシワまみれに変化し、繭の様な状態になっていた。
内側から淡い光が脈動するかのよう溢れ出している。
ゴーグルを額に戻し、その様子を見ながら、ワタシは安堵のため息をつく。
同時に、ワタシは全身から力が抜け、グランの腕に寄り掛かる。
「できたぁ…」
集中の糸が切れたワタシは、そのまま目を閉じ、グランに身を委ねた。
「…終わったのか?」
「うん、<剣の魂>の保全はコレで大丈夫。後は自発認識による再構成が終われば仕上げだけよ。」
グランに体を預けたままの状態で、ワタシは答える。
そして、下着姿の自身に今更羞恥心を覚え、グランの両手から離れると脱ぎ捨てた上着を掴み、胸元に寄せて隠す。
彼の方へ振り返り、顔を覗き込むと、男は表情1つ変えず、ただ前の<賢者の石>を見据えている。
「終わったか~。あー、づがれだー。」
グランにも集中の糸が切れたのか、後ろに身を転がし、大の字になって寝そべる。
「もう、こんなところで寝ないでよ。」
ワタシ達が作業していた部屋には、天井と窓際のランプの光だけが照らす薄暗い空間が広がっていた。
外は既に日が落ち、窓から覗く景色も暗闇に染まっている。
「上のベッド、使っていいから、そこで寝て。ちょっと小さいかもしれないけど。」
「お前さんはどうするんだよ。」
「ワタシはまだ最終調整があるし、剣の出来上がりを最後までみてから休む。」
「そうか。じゃあ、お言葉に甘えさせていただきますかね。」
彼は立ち上がり、上へと続く階段の方へと向かう。
「うん、おやすみ。」
ワタシは彼の背をを見送った後、<賢者の石>に目を向ける。
繭となった賢者の石はまだ、ただ、ただ静かに輝きを放ち続けている。
ここからがワタシにとっての本番だ。
ここから先がワタシの<試したい事>。
ワタシはキブヤーさんの店で買った1本の剣。
グランが抜剣に評価した剣の刀身を手馴れた手順で外す。
そして、外した刀身を切先からゆっくりと繭へと押し込んでいく。
繭の中身をもらさぬよう、ゆっくり、ゆっくりと。
少しでも力を込め間違えたら全てが水の泡となってしまう。
そんな緊張感の中、私は最後のひと踏ん張りをする。
繭の中に差し込んだ切先は、僅かな抵抗の後、音も無く沈んでいった。
刀身を呑み込む度に<賢者の石>は強く光り、その存在感を増していく。
やがて、完全に取り込んだ<賢者の石>は、その発光を強めていき、光が収まる頃には元の状態に戻ろうと収縮を始めた。
後は明朝には結果がでているだろう。
これでやれる事は全てやった。
ワタシは大きく、一息つく。
刀身を入れる際の緊張がまだ抜けきらず、体は槌を振るときよりも汗ばみ、心臓の鼓動を早くしている。
「お風呂でも入ろ…」
そしてワタシは汗を拭い、呼吸を整える為、浴室に向かう。
水場を抜け、ストーブ中の薪がまだ燻っているのを確認すると、ペダルを踏んで風を薪へ送り込むと火は一瞬にして勢いを取り戻す。
熱が部屋全体に温まってきた頃、ワタシは残った服を脱いで籠に放り込み、髪を解き、薄手のブランケットを1枚を腰に巻いて浴場へと向う。
浅い浴槽部に足を浸け、ワタシは床に腰を下ろす、すると程よい温度のお湯が足から全身へと染み渡っていく。
「ふぅ~~~。」と、ワタシはようやく人心地ついた気がして、深く長い溜息をついた。
浴室内に備えたシダラ木の長ヘラにぬるま湯をかけ、身体に軽く擦り付けながら、肌に残った垢を落とし、頭から湯を浴びる。
カコンと床に置く桶の音が反響する。
華奢だ…。
今朝方、姿見で見た自身の身体を直に触れ、改めて細身なのを実感する。
村のドワーフ達とも違う、母とも違う、父とも違う、叔父とも、もちろん、あの赤いマントの男である彼とも。
「ワタシの<イデア>か…」
母の手記を思い出しながら、ワタシはその言葉を呟いた。
―――パンッ!
ワタシは長ヘラで自身の肩を叩く。
まだ、剣は修復しきってない。
やるべき事をやり終えてから今後の事を、先の事を考えればいいのだと。
風呂からあがるとワタシは寝間着に使う長丈のシャツを羽織、髪を櫛で解かす。
いつもはもうもうとした髪も、風呂上りからしばらくはエルフの父の様に長く真っ直ぐな髪になる。
ストーブの火を止め、沸かし続けた湯を拝借し、ワタシはなんとなくお茶を2人分用意して屋根裏へ向かう。
屋根裏に続く階段に足をかけ登っていると、冷たい風が頬を打った。
グランが窓を開けたのだろうか?
階段から屋根裏部屋へ半身が覗く程まで登ると、ランプを掲げ屋根裏全体を見回すがグランの姿は無い。
月明りが入る窓は確かに開かれ、そこから風が吹き流れ込んでくる。
「グラン?」
声をかけるが部屋からの返事はない。
まさかと、ワタシは開いている窓から身を乗り出すと屋根上からランプの灯りを感じ取った。
彼だ。
そこには茅葺屋根の上に座り込む男が1人。
赤いマントに全身を包み、赤い襟巻きが夜風に吹かれ、なびいている。




