神の宴、さっぽろオータムフェスト! 食い倒れツアーと女神降臨
九月下旬の札幌・大通公園。
抜けるように高く澄んだ秋空の下、テレビ塔を起点として西へと長く伸びる巨大な緑地帯は、凄まじい熱気と香ばしい匂いに包まれていた。
北海道の秋の味覚が一堂に会する巨大な食の祭典、『さっぽろオータムフェスト』。
その名の通り、大地と海の恵みが集結するこの場所は、道民にとって一年に一度の「神の宴」である。
「うおおぉぉ……! どこを見ても食べ物ばかりですぅ!」
会場に足を踏み入れた瞬間、元魔王アイリーンが、歓喜の声を上げた。彼女の赤と青のオッドアイは、四方八方から漂ってくる香ばしい匂いに完全に魅了され、キラキラと輝いている。
しかし、そんな彼女たちに向かって、周囲の来場者たちからヒソヒソと囁き声が漏れ聞こえていた。
「ねぇ、あの子たちヤバくない?」
「外国人? いや、モデルかな……」
「金髪の子、CGみたい……スッピンっぽいのになにあの透明感」
カシャッ、カシャッ。
遠慮のないスマホのシャッター音が、あちこちから鳴る。
アイリーンはピクリと眉をひそめ、不機嫌そうに赤い右目を眇めた。
「マツリ様、ヨウお姉さん……なんだか無遠慮にジロジロ見られて、パシャパシャと光を向けられて不快ですぅ。あの小さな板(スマホ)、魔法で爆破してもいいですか?」
「またか! いい加減慣れろ!」
ヨウがすかさずアイリーンの頭をペチッと叩いてツッコミを入れた。
「いいか、アイリーン。俺たちの今の見た目は、どうしたって現世じゃ目立つんだ。だからいちいち気にするな。コソコソ隠れる方が逆に怪しまれるから、堂々として諦めろ!」
「……ハイ! ヨウお姉さんがそう仰るなら!」
アイリーンは素直に頷き、モデル顔負けの姿勢で豊満な胸を張った。ますます周囲の視線とシャッター音が増えたが、ヨウは気づかないフリをした。
「さぁ、どこから攻めようか!」
黒髪をポニーテールに束ねた祭が、会場の案内マップを広げて目を輝かせた。
「今日は私が案内役も兼ねますから、任せてくださいね」
秋らしいベージュのトレンチコートを着こなした葉室珠子が、ふわりと微笑んでマップを覗き込む。
「あっ、ヨウ。私たち、一番東側の4丁目入り口を飛ばして、いきなり5丁目会場から入っちゃいましたね」
「ああ、わざとだ。俺はどうしても『こうしん』のラーメンに直行したかったんだよ!」
ヨウが拳を握りしめて熱弁する。
「今回はオータムフェストのために作られた限定の『醤油ラーメン』一種類しか出店してないらしい。売り切れる前に絶対食うぞ!」
「よーし、じゃあまずはラーメンで決まりね!」
四人が最初に降り立った5丁目会場は、『HOKKAIDOラーメン祭り』だ。湯気と共に鶏ガラや魚介の複雑な旨味が入り混じった香りが漂う。
行列に並んで四杯の醤油ラーメンを購入し、立ち食い用のテーブルに陣取った。
キラキラと脂が輝くスープに、香ばしい焦がしネギの香りが鼻をくすぐる。
「「「「いただきます!」」」」
ヨウが割り箸を割り、細麺をすする。
「ズズッ……う、うまい! 鶏の旨味がガツンと来るのに、まろやかで全然くどくない!」
祭も幸せそうにスープを飲んだ。
「んん〜っ! この醤油、たまらないわ!」
人生二度目の外食ラーメンとなるアイリーンは、器を両手で持ち上げ、スープを一口飲んだ瞬間に雷に打たれたように硬直した。
「……ッ! オ、オイシイデスゥゥッ!! 『利光』の塩ラーメンも神の食べ物かと思いましたが、ここの醤油ラーメンも信じられないくらい美味しいです! 麺がスープに絡んで、お肉が口の中で溶けますぅ!」
アイリーンは感動のあまり言葉を失い、ズババババッ!と凄まじい吸引力で麺を吸い込み始めた。
「ふふっ、本当に美味しそうに食べますね」
珠子も上品に麺をすすりながら微笑んだ。「私は普段、札幌の濃厚な味噌ラーメンが好きなんですけど、ここの醤油ラーメンは醤油の角が立っていなくてすごく好きです。今度、ヨウと祭さんのおすすめメニュー、お店に食べに行きたいです。小樽駅からすぐなんですよね」
「タマコ! 私も行きたいです! 絶対連れて行ってくださいネ!」
アイリーンがガバッと珠子に抱きつき、珠子はスープをこぼさないよう苦笑いしながら頷いた。
***
ラーメンでしっかりと胃袋を刺激した四人は、続く6丁目会場へと足を踏み入れた。
ここはスープカレーや秋の味覚が立ち並ぶエリアだ。
いつもはヨウや祭のペースに合わせる珠子が、ふと一軒のブースの前で足を止めた。
「あの……私、ここの道産小麦を使った『窯焼きピザ』がどうしても食べたいです!」
「おっ、いいなピザ! 珠子のリクエストなら絶対美味い。みんなでシェアしようぜ」
とろけるチーズとトマトソースの熱々ピザを四人で囲み、ハフハフと頬張る。アイリーンは「生地がモチモチで、チーズが伸びますぅ!」と大喜びだ。
身体が温まったところで、7丁目の『大通公園7丁目BAR』へと移動した。
「よし、買い出しは私が担当しますね」
珠子がササッとおつまみを買い集め、ヨウとアイリーン、そして祭の手にはそれぞれお酒が握られた。
ヨウは日本酒、アイリーンはクラフトビール。祭はグラスワイン。運転手の珠子はノンアルコールのブドウジュースだ。
「カンパーイ!!」
グラスを打ち合わせ、ヨウは日本酒をクピッと煽る。絶世の美少女がおっさんのように唸る姿はシュールだが、祭も「ワインとチーズ最高!」と上機嫌だ。アルコールのペースは上げすぎず、美味しい料理とのペアリングを楽しむ『ほろ酔い』の心地よい時間が流れていく。
その後、8丁目会場で士別のサフォーク羊の串焼きや、古平の特大ホタテ焼きを堪能し、ついに10丁目会場の『お肉じゅっ丁目』に到着した。
辺り一帯に立ち込める、暴力的なまでの肉が焼ける匂い。
「マツリ様! ヨウお姉さん! お肉買ってきました!」
アイリーンと珠子が買い出しから戻り、テーブルの上に「十勝牛の極厚ステーキ串」と「知床鶏のザンギ」をドサリと置いた。
炭火で豪快に焼き上げられた十勝牛は、表面はカリッと香ばしく、中は絶妙なミディアムレアだ。
ヨウが大きく口を開けて肉にかぶりつく。
「くぅ〜っ! なんだこれ、すげぇ美味い! 噛み締めるたびに肉汁がブワッと溢れてくるぞ!」
ヨウは片手に持っていた日本酒をゴクリと流し込み、おっさん全開の満面の笑みを浮かべた。
「この赤身の旨味、最高だな! 脂がしつこくなくて、おっさんの胃袋にもスッと入ってくるぜ。痛風を恐れてる場合じゃねぇ、尿酸値が跳ね上がっても悔いは残らねぇ味だ!」
「ちょっと陽、声が大きい! 絶世の美女の顔で尿酸値とか言わないの!」
祭が小声で突っ込むが、ヨウは気にする素振りも見せずに串を平らげてしまった。
***
限界が近づく胃袋を抱え、たどり着いたのは11丁目会場。
時刻はすでに十七時を回り、秋の空は深い群青色へと変わりつつあった。
「ふぅ……食った食った。まさに『神の宴』らしい食い倒れになったな」
ヨウと祭は、空いたグランピングテントのソファーに腰を下ろし、大きく息を吐き出した。
「んんぅ……陽、もう、お腹いっぱい……これ以上は何も入らないよぉ……」
祭がポンポンと自分のお腹を叩きながら、ソファーに深く沈み込んだ。
ヨウは、そんな祭の少しだけ膨らんだお腹をツンツンと指で突いた。
「おっ、見事にぽっこり出てるな。タヌキ可愛い」
「なっ! タヌキじゃないわよ! これだけ食べればタヌキにもなるわよ!」
祭が顔を赤くして抗議する。
「私だって、お腹いっぱい食べればこれくらい出ますよ」
珠子も、少しだけふっくらとした自分のお腹をさすりながら同調した。十九歳のエージェントとして日々鍛え抜いている彼女でさえ、今日の暴食には勝てなかったのだ。
しかし。
祭と珠子は、ふと目の前の二人――ヨウとアイリーンのお腹に視線を落とし、息を呑んだ。
青いサマードレス越しに見えるヨウのウエストラインは、あれだけラーメンやピザや肉を詰め込んだというのに、全く膨らんでいなかったのだ。アイリーンに至っても、タイトな服の上からくっきりと分かるほど、見事なくびれを維持している。
祭と珠子は顔を見合わせ、無言のままヨウとアイリーンのお腹をペタペタと触り始めた。
「……嘘、お腹でてない!」
「ほんとだ……全く出てないです」
驚愕する二人に、ヨウは苦笑して頭を掻いた。
「まぁ、俺たち一応レベル99の勇者と元魔王だからな。代謝のバケモノというか、食った端からエネルギーに変換されてるというか……」
「ファンタジーボディめ! 女の敵!!」
祭がギリッと歯を食いしばり、理不尽な怒りを爆発させた。
「ファンタジーです。スッピンでその美しさとスタイルを維持しているのも、完全にファンタジーです。許せません」
珠子も、普段のクールさを忘れて静かに燃え上がっていた。
「珠子ちゃん。ムカツクから、やってやるよ!」
祭が、自分のバッグからポーチを取り出し、ズラリと大量の化粧品をテーブルの上に並べた。
「せっかくだから、とびきりの女神級に仕上げてやるわよ!」
「分かりました! アイリーンさん、ヨウを後ろから抱きしめて下さい。拘束です!」
「はーい!」
アイリーンが嬉しそうに返事をし、背後からヨウの両腕ごとガッチリとホールドした。
「お、おい! なんだなんだ???」
ヨウが慌てて抵抗しようとするが、元魔王の拘束力から逃れられるはずもない。
「マイナスにならないのなら、思いっきりプラスにしてやる! 私の持てるすべてのメイク術を注ぎ込んでやるからね〜!」
「はい。私もお手伝いします」
「や、やめろ! 俺は中身おっさんなんだぞ! 化粧なんて必要ねぇだろ!」
ヨウの悲痛な叫びは秋の夜空に虚しく響き渡り、祭と珠子による情け容赦ないメイクアップが開始された。
***
十五分後――。
「……完成!」
祭と珠子が満足げに息を吐き、アイリーンが拘束を解いた。
テントの照明に照らし出されたヨウの姿は、まさに『女神降臨』だった。
もともとCGと見紛うほどの透き通るような肌と整った顔立ちに、アイシャドウで目元の彫りが強調され、碧眼の輝きが宝石のように際立っている。桜色のリップが艷やかな唇を彩り、青いサマードレスと相まって、もはや人間離れした、神々しいまでのオーラを放っていた。
「……おい祭、これは目立ちすぎだろう。頼むからメイクとってくれよ……」
ヨウが小さな手鏡を見て、おっさん特有の引きつった顔で懇願する。
「「「ダメ!!!」」」
三人の女性陣から、息の合った容赦ない拒絶が飛んできた。
「マツリ様のメイク、素晴らしいですぅ! ヨウお姉さん、最高に美しいです!」
祭とアイリーンは、まるで自慢の作品を展示するかのようにヨウの両腕にピタリとくっついて歩き出した。その後ろを、珠子が「私が手伝ったんですよ」と言わんばかりの誇らしげな表情でついていく。
イルミネーションが点灯し始めた会場を、女神のようなヨウと、真紅の髪のアイリーンが並んで歩く。当然ながら、これまでとは比にならないほどの異常な注目を集めた。
気がつけば、イルミネーションの下を歩くヨウたちの周りには、遠巻きに人だかりのようなものができていたのだ。
その異様な熱気に引き寄せられたのは、一般の客だけではなかった。
「――ディレクター! あそこ! 人だかりの真ん中にものすごい美人がいます!」
少し離れた場所で、地元テレビ局の夕方の情報番組が生中継を行っていたのだ。ディレクターの指示を受けた女子アナとカメラマンが、一目散にヨウたちの元へと突撃してきた。
「す、すいません! 今、生放送中なんですけど、少しだけインタビューよろしいですか!?」
いきなり目の前にマイクを突きつけられ、ヨウたちは足を止めた。
テレビカメラのレンズが、女神のように美しいヨウの顔をドアップで捉える。
(うわぁ……近くで見るとさらにヤバい! 絶対にハーフか外国人だよね。英語で話しかけた方がいいかな……よし!)
女子アナは内心で瞬時に判断を下し、とびきりの笑顔でマイクをヨウに向けた。
「Excuse me! What was the most delicious food today?(何が一番美味しかったですか?)」
「…………へ?」
突然の流暢な英語での質問に、ヨウは完全に固まってしまった。
四十九歳の元高校教師とはいえ、担当は英語では無い。英語でのヒアリングなど、何十年も前の受験知識しかない。
(やべぇ、何言ってんのか全然わかんねぇ……!)
ヨウが引きつった笑顔でフリーズしていると、背後から珠子がスッと近づき、小声で耳打ちした。
「『何が美味しかったですか』と、言われましたよ」
「おお、分かってるよ! それくらい俺でも聞き取れたさ!」
見栄を張って小声で強がったヨウは、コホンと一つ咳払いをして、カメラに向かって満面の笑みを作った。
「あー、こうしんの醤油ラーメンだな! ……あ、あと、俺日本人です。日本語でお願いします」
透き通るような、鈴を転がすような美しいソプラノボイス。
しかし、その口から飛び出したのは、あまりにも流暢な日本語と、「俺」という男らしい一人称だった。
「えっ……あ、に、日本人……!? それに、『俺』って……!?」
女子アナは、ヨウのあまりの美しさと声の綺麗さに魅了されつつも、その強烈なギャップに完全に頭がショートし、顔を赤くしてフリーズしてしまった。
「ほら、ヨウ。生放送の邪魔しちゃ悪いから、行くよ!」
珠子がヨウの腕を引こうとしたその時、アイリーンが不思議そうにテレビカメラの巨大なレンズを指差した。
「ゴシュジンサマ、これは何ですか?」
カメラマンが条件反射で、真紅の髪のアイリーンを画面いっぱいにドアップで捉える。
「えっ……ご主人様!? えっ、えっ!?」
女子アナがさらにパニックに陥る中、珠子が慌ててアイリーンの手を引っ張った。
「アイリーンさん、行きますよ!」
「おい、引っ張るな祭!」
「早く早く! 目立ちすぎ!」
祭もヨウの腕を掴み、四人は足早にその場を立ち去っていった。
だが、生放送で流れた映像のインパクトは凄まじかった。
以前からネット上で「AI画像かCGではないか」と騒がれていた絶世の金髪美女(ヨウ)と、赤髪オッドアイの美女(アイリーン)。
それが現実のオータムフェスト会場に実在しており、しかもカメラの前でハッキリと声を発したのだ。
『えっ、今の金髪の子ヤバくない!? てか一人称「俺」!?』
『エルフと魔王、実在したのかよ!!』
『赤い髪のオッドアイ、今「ご主人様」って言った!?』
『後ろの黒髪と可愛い子も含めて、全員顔面偏差値バグってる』
生中継の放送と連動して、SNS上では一瞬にしてコメントが滝のように流れ始めた。
祭や珠子までもがネットの海に巻き込まれつつある。
自分たちの姿がSNSを通じて一気に拡散され始めていることなど、満腹でほろ酔い状態の四十九歳のおっさんは、まだ知る由もなかった。




