8話#僕の選択
最終話です。短編並みの長さがあります。
【注】人によっては読後感に差が出る内容です。ご注意下さい。
リタに別れを告げられたネイトは宛もなく街をふらついた。ネイトとリタの関係を知っていた人たちからは慰めの声をかけられたが、耳には入らない。
ネイトの小さな世界はリタで埋め尽くされていた。リタを失ったネイトはまるで異世界に放り投げられたような気持ちだった。
「ネイト様、帰りましょう」
どれくらい放浪していたのか……気付いた時には知らない場所で、レイグル王子がつけてくれた従者が迎えに来てくれていた。
「…………帰る?どこにですか?」
「あなたの望む場所にです」
「王都でも?」
「はい。レイグル殿下もお待ちでしょう」
そう従者に言われ、ネイトは素直に馬車に乗った。故郷の街はリタとの思い出が多過ぎて、そこにいることすらが辛かったネイトはレイグル王子の優しさを頼った。
憔悴していたネイトだったが、アイザック室長やレイグル王子の心配する声を聞き流し王宮錬金術師になることを伝えた。
ネイトにとってレイグル王子は忠誠を誓いたい相手。表向きは誤魔化してはいたが元よりリタを説得して、王宮錬金術師になりたいと思っていたのだ。
そして個人の実験室が与えられると引きこもり、ポーションの研究に没頭するようになった。何故、自分は普通の薬草で最上級レベルが生成できるのかをひたすら調べる日々を送っていた。
ある日、研究の過程でリタに渡した御守りのポーションの異常性に気付いてしまった。どんな文献を読んでも完全に無色透明のポーションなどなく、ましてや魔力粒子が輝くほど発現するなどあり得ないことだった。そんな液体が存在するとすれば該当するのは神の雫“エリクサー”のみ。
偶然の産物だとしても使っていたのは普通の薬草だったため、にわかには信じられなかった。確かめるためにネイトは同じものを作ろうとしたが失敗が続いた。エリクサーは過去に存在していたはずなのに、生成方法はどこにも書かれていないため難航した。
気分転換に外へ出た時、市井のカフェでも公園でも話題は勇者マインラートと聖女リタの結婚式の話で盛り上がっていた。店先の新聞や雑誌にはこの国出身である聖女リタのことが書かれている。
ネイトは遠ざけていた新聞を久々に購入し、公園で記事に目を通してゾッとした。リタがどこで何を買ったか、何を食べたか、何を着ているかビッシリ書かれていた。そこから聖女の好みまで分析され、これからの流行になるとまで書いてあった。内容が信じられず他に雑誌も数冊買って読んでみるが、どれもリタについて詳しすぎた。
(怖い……なんでこんなに新聞社や出版社が知っているんだ?交遊関係も家族も診療所についても…………これじゃプライベートも何もないじゃないか!まるで四六時中誰かに見られて……っ)
ネイトは急に視線が怖くなり、ハッとまわりを見渡す。誰もネイトの事など見ておらず、落ち着くために息をゆっくり吐くが冷や汗は止まらない。“元”とは言え自分は聖女の婚約者だったのだ。広げていた新聞や雑誌を抱えて、公園を飛び出して部屋へと急いで戻る。
自分の領域に、見知らぬ人間が知らない間に踏み込んでくるなど、ネイトには恐ろしくてたまらない。体の震えを止めようと膝を抱えて蹲るが、なかなか止まらない。しかも世界に勝手に暴露されるだなんて信じられなかった。
(リタはこんなにも怖い世界で生きているのか?リタは世界を救ったのに晒し者のような扱い……これはなんの罰なんだ。リタは何の罪を犯したっていうんだ…………!もし僕だったら───)
その瞬間ネイトは理解した。
「そうか……だから彼女は僕から離れたのか」
自然と正解が口から出た。
最後の別れ際、リタは明らかに嘘をついていたと予感していた。だからネイトは否定しようと懸命に言葉を探していた。だってリタはネイトを貶しているのに表情は苦汁を飲んだような、絶望したような顔をしていた。本人は隠しているつもりでも他の目は誤魔化せても、幼馴染みのネイトには通用などしない。まるでその言葉にリタ本人が傷つけられているような、そんな顔だった。
(なんでリタは勝手に決めたんだ。一人で悪役になってまで……自分だけ辛い世界に飛び込むだなんて……どれだけの覚悟を持って彼女はひとりで………………いや、勇者様がいる)
そこでマインラートが協力者だと気付いた。リタはマインラートの姿を見て安堵していたのも記憶に残っている。彼が無理やり婚約を迫るようには思えなかった。
また、勇者復活は聖女の奇跡の力ではなく、御守りの影響であるという可能性にも気付いた。
(偶然とは言えエリクサーが作れると分かれば僕の生活は大きく変わる。聖女の単なる婚約者とは違う。望んだ生活からはかけ離れ、僕自身に監視生活が訪れる……だからリタは守ろうとして勇者様を巻き込んでまで嘘をついた?まさか……だとしたら…………リタは馬鹿だなぁ。昔から本当に……)
「ははは、変わんないなぁ」
一度決めてしまうとまわりを見ずに突き進むリタを思い出して、笑いが出てしまう。答えが分かり納得したら、霧がかかっていたような思考が動き出す。
「なんだが悔しいな……今頃気付くなんて……知らない間に守られてたとか、カッコ悪すぎる。くそぉ……っ」
リタと一緒であれば大丈夫だと思っていたのに、先ほどは公園から逃げてきてしまうほど、人の目に晒されることが怖いと実感してしまった。好奇の目に晒されるだけではない。貴族の世界は恐ろしいところだとレイグル王子から聞かされていた。表舞台に出てしまったリタは、今の自分のように隠れていることなどできない。婚約者となれば二人の意思とは関係なくネイトも強制的に引っ張り出される。ずっとレイグル王子に守っていては、依怙贔屓だとレイグル王子の評判を下げてしまう。今までの自分の考えの甘さに、情けない思いが込み上げる。なんてぬるま湯に浸かっていたのかと。
そしてリタはきっと多くの人の希望を裏切ってしまっている。奇跡の力を信じて、唯一の希望として押し寄せる人は数えきれないはず。だというのに実際には治せない。どれだけの人が落胆し、絶望するだろうか。今は祭り上げられているが、その矛先は願いを叶えなてくれない聖女に恨みとして向かっていくのは時間の問題かもしれない。そして勇者は聖女の力を独占していると批難も浴びる。
「僕の平穏のために世界を騙すなんて馬鹿げている………自分から恨まれに行くなんておかしい。英雄の思考は分からない………そんだけ僕は弱い存在に思われてるのか?まぁ勇者様は強そうだからともかく………リタは駄目だ」
結局、手切れ金といい外交の記事を読んでいて思うのは勇者マインラートが盾になってて、結局守られている平民リタの状況に怒りが湧いてくる。
「本当にリタはいつも上から目線なんだから!勝手に全部決めて!せめて相談か予告くらいあっても良いじゃないか。そういうところ直してって昔から言ってたのに!やり方があるだろうが!あぁ、もうっ!変わらなさすぎる…………勇者様も止めてよ!いや、勇者様が実は本当にリタを愛してたら無駄だわ………勝てる気がしない。あぁー悔しい!」
八つ当たりのように枕を殴る。喧嘩した時のように、これは何か仕返しをしないと気が済まない。ひとりで部屋で腕を組み、良い方法はないかと考え始める。確かに手紙のやり取りは難しいのは知っていた。頭で理解はしていても気持ちは収まらない。
聖女の過去の失態暴露やマインラートとの破局作戦は除外する。きっとリタがまだこの程度の晒し者で済んでるのは、やはりマインラートのお陰だと理解していた。勇者相手に今さら取り返すことは不可能。国に終われてまで駆け落ちからの、愛の逃避行にも希望は見いだせない。すぐに捕まりそうだ。あーでもない、こーでもないと唸り、ソファに転がったり、歩いたりして考え抜く。そして……
「決めた!」
ネイトは方法を思い付くと部屋を出て王宮に向かい、また実験室に引きこもった。気付いたら実験室の床で寝てたという日を繰り返して1ヶ月、ネイトはレイグル王子とアイザック室長を呼び出した。テーブルの上には無色透明の魔力粒子が輝く小瓶が3本置かれている。色々試行錯誤して完成させた、たった3本の雫たちだ。
「確認お願いします」
「おぉ、キラキラしてて綺麗だなぁ。それにポーションってここまで透けるんだな」
「……………………っ!」
レイグル王子は面白そうにひょいと瓶を光に透かしながら眺める。隣の室長は顔を青ざめさせ絶句し、震える手で小瓶を手にすると本棚に向かった。そして分厚い本を開いて確認すると腰を抜かした。
「室長どうしたんだ?」
「殿下……こ、これはおそらくエリクサーかもしれません。250年前の錬金術師アーサー博士以来の奇跡……ネイト殿!これはあなたが?」
「そうなのか?ネイト!」
ネイトは首を縦にする。
「まだ効果は調べてないのでエリクサーと断言はできませんが、僕はエリクサーを作るつもりで生成したものです。まだ、なぜ成功したかは不明で偶然に近いですが……」
ネイトの言葉に二人の反応は真逆に変わる。レイグル王子は頭を抱えて瞳を固く閉じ、アイザック室長は組んだ手を天に向けて喜びを神に捧だした。
「ネイト……効果を調べる方法は俺たちに任せてくれ。そしてこの事はまだ誰にも言ってないな?」
「はい。知っているのは…………僕が打ち明けたのは二人だけです」
リタとマインラートが知っている可能性を隠して頷く。レイグル王子は少しホッとした息をつくと、すぐに真剣な顔を向ける。
「これからも内密に頼む。これが本当にエリクサーだと判明したら、国王陛下からおそらく話が……いや、確実に何かしらの勅命が下る。保護を目的に国に縛られ、お前の好きな日常が変わるだろう。ネイト……秘密にもできたのに、俺たちに見せた意味分かってるのか?」
「それが僕の目的ですから。目立ちたいので、決まったらお願いします」
ネイトが明るく宣言すると、レイグル王子は呆れてテーブルに突っ伏してしまった。内気な友人が失恋ショックで自暴自棄になったのではと思えて仕方ない。さて、どうやってネイトの事を父である国王に説明するかと頭を悩ませた。
その後、秘密裏に行われた治験が成功するとあとは早かった。
「余の息子、第5王子レイグルよりナンバーズへの推薦を受けた。それを認め、お主にセブンの数字を与える」
数日後には国王と面会し、勅命が下った。ナンバーズには多額の報奨だけでなく、厳重な警備付きの屋敷が与えられる。強制的な命令ができるのは国王陛下のみという破格の対応。上位貴族すら頭を下げる対象になった。
だが俗世と縁を切り、屋敷以外では常に仮面と真っ赤なローブを身に纏う事を強制され、ごく僅かな信用をおける者以外からは個人が特定されないよう隠される。
本来はエリクサーが作れる王宮錬金術師がいると大々的に公表され、ネイトは目立つつもりだった。
確かに真っ赤なローブに仮面姿という存在は目立つが、ネイトだと分からなければリタに仕返しが伝わらない!と慌てた。しかし、すでに決定事項で覆すことなど不可能。
ネイトがショックを受ける顔をしていると「お前の命と心を守るためだ」とレイグル王子に窘められ、肩を落とした……が、今では正解だったと分かる。
貴族の世界が魑魅魍魎の巣窟だと見せつけられ、何度ナンバーズの肩書きに助けられたことか。力を欲する何者かに狙われ身の危険を感じ、何度か専属騎士に守られた。もしナンバーズでなかったら………と思うと恐ろしい。そしてリタは僕より先にこの世界を見てきたのか………とリタの心中を少しばかり理解した。
当時はまだセブンはナンバーズでもなく、きちんとエリクサーも作れなかった。なぜ早く御守りがエリクサーだと早くに気付かなかったのか、そうすればナンバーズになった自分のもとに安心してリタが帰ってこれたのにと………過去の無知を悔やんだ。
勅命が下された日の深夜には今までの実験室はダミーと化し、新たに隠し部屋が与えられ、エリクサー生成が露呈しないように対策された。
ナンバーズになれば一人で出歩くことなどできない。ネイトであるうちにしか出来ないことをしていく。
市井で食べ歩いたり、観劇したり、診療所へできるだけ明るい最後の手紙を送ったりした。元気だよとか、新しい恋を見つけたんだとか、心配させぬよう嘘も織り混ぜて、感謝の気持ちが伝わるような内容を書いた。
そのあと捨てられない思い出の品を指定の大きくない箱に入る分だけ納めていく。亡き両親の写真一枚と遺品。孤児院にいた頃の集合写真に診療所時代の白衣を小さく畳んでもまだ余裕があった。多くあるリタとの思い出の品はすべてサヨナラだ。
この時も多くのものを捨てていかなければならないのに、不思議と迷いはなく、寂しい気持ちにはならなかった。
「あれ、僕ぼっちだった?まぁ……身辺整理は楽だったけど。はは……」
リタが独り占めしようと虫除けしていた弊害だと知らないネイトは、自分の交遊関係の狭さに虚しくなったりもしたが……
そうしてエリクサー研究をしながら半年後、ナンバーズ・セブン専用の屋敷が完成した。その月の終わりにはネイトは王都の森で仕事中に仲間とはぐれて行方不明。1年後には死亡認定され、ネイトという存在はこの世から去ったのだった。
「セブン……いや、ネイト君として、あれで良かったの?」
「え?何がですか?」
セブンは馬車に揺られ、雨が降る外を眺めながら思い出に浸っていると、ファイブに問われて現実に引き戻される。でも質問の意味が分からずネイトは首をかしげた。
「聖女ちゃんを勇者君から奪い返すこともできたと思うんだけど……良かったのかって」
「はい、今の彼女は望んでいないと思います。それにあんな幸せそうな子供を残して来られたら拒否しますよ。とにかくアシュレイ君も無事に治ったし、仕返しも出来て満足ですよ。あぁ、本当にエリクサーが効いて良かった。あれは生への希望が残ってる者にしか効かないから、ホッとしましたよ」
「神は救う者を選ぶ……かぁ。神の雫、女神の涙とはよく言ったものだねぇ。興味が尽きない」
「ファイブのお眼鏡にかなって何よりです」
ネイトは仮面を外し、VIIの刻印を指でなでながらクスリと笑った。エリクサーは救済者を選ぶため、必ずセブンの目で患者と対話し、判断するようにしていた。効かなければただの水。不思議な液体だった。
またエリクサーを作るには新鮮で良質な薬草。“ネイトが誰かを救いたい”という神への祈りが必要な事まで解明した。だからネイトは救った人々からの感謝の手紙を読んでは、“また救いたい”という想いを糧にしている。それでも成功する確率は高くなく、量も少ない。今回も間に合って本当に良かったと胸を撫で下ろしていた。
しかし目の前に座り、既に仮面を外していたファイブの顔は不満げだ。
「あの……僕、何か?」
「結局アタシにはどこが仕返しが分からないんだけどぉ。セブンは良いことしかしてないじゃん?ぬるーい、あまーい」
確かに他人から見ればそうかもしれないが、ネイトは目的は果たせたと思っていた。
「聖女は僕の幸せのために数多の好奇の目から守ったつもりだったんですよ。汚い権力や、危険な影からも………今ならその考えも頭では分かってはいるんです。確かに平民時代より生きづらい。でも僕はそれくらい我慢できたのにって………裏切られた気持ちになりました。勝手に決めるなって。もっと足掻いて欲しいのにと」
「…………で?」
「聖女が折角遠ざけた世界に僕がいたら、きっと伝わると思ったんです。気持ちを確認もされず、取り残された悲しみを……悔しさや絶望を。だから僕は自分の意思で視線に晒されるこの世界に飛び込んだ。彼女の善意を知りながら、故意に善意が無駄になるように。自分を盾にしてまで僕を守ろうとした彼女の覚悟に気付いた上で踏みにじるように、半年かけて準備して………そして僕は聖女を裏切った。当時はこれが一番の仕返しだって思ってたんですよ」
リタはネイトの仮面姿を見て、ショックを受けていた様子はまさに狙い通りだったのだ。自分と同じように気持ちを無視された悲しみを与えられたと確信できた。しかし、明るかったセブンの表情は一変し、沈んだ。
「それにしてもお墓があるのは衝撃だったなぁ…………遺体がないことを良いことに……ファイブもそう思いません?」
温室にある花まるごと墓のためだとしたら、お墓に花を添えるレベルを越えている。実際はまだ生きているので自分の墓が出来てるとは想像もしていなかった。お金も墓もなんても勿体無い使い方をしているんだと、平民の部分の自分が遠い目をしている。
「死に方はセブンが選んだんだろぉ?火事に巻き込まれて遺骨が残らないくらい灰になったとか、遺体の回収が出来ない海の底に水没死とか他にも選択肢はあったのにさぁ」
「どれも死んでますよね?だからせめて本当は生きてるんじゃないかって、希望が持てそうな行方不明を選んだのに……お墓……」
「結局、国の発表で死んでるじゃん。生きてるって信じる方が厳しいよぉ。戦えない君が、ひとりで一年も魔物のいる森でサバイバルしながら生き残れるって思えないでしょーアタシでも願い下げ案件だよぉ」
「…………………うっ」
「まぁ、聖女ちゃんは自分のせいで死んだと思って墓作っちゃったんでしょうけどぉ。それか君から聖女ちゃんを奪った勇者君が罪悪感で。死んだ人間にしてあげられることって、墓作って祈るくらいだろうしぃ~セブンの言うとおり、二人が良い子なら、どれだけの衝撃を受けただろうねぇ?とくに?聖女ちゃんとか?」
「………………ぐっ」
ファイブの至極まともな指摘にセブンは項垂れるしかなかった。何よりネイトの死こそがリタに絶望を与え、最大の仕返しになっていたとようやく気付き、肩も落とした。
「いいじゃん?聖女ちゃんはきちんと後悔すべきだったんだからさぁ。ざまぁみろ」
「なんでファイブがそんなに怒ってるんです?」
ファイブの棘のある言い様に、セブンは引っ掛かりを感じた。
「何が?」
「勇者様たちに出した治療の気難しい条件は、安易にナンバーズが利用されないための牽制だと理解したので同意しました。でも………」
一旦言葉を区切り、じとっと目の前の話し相手を睨む。
「到着した時のあれは何だったんですか?挨拶は任せておけって任せたら……あそこまで僕を利用して聖女を糾弾するなんて。どうしてそんなに貴女が怒るんですか?勇者ではなく聖女に対して特に」
「………………」
「ファイブ?理由がなければ争い事が嫌いな僕でも考えがあります。しばらくは貴女と行動できませんね」
セブンがあえて怒るふりをして突き放すとファイブは苦しげに眉を寄せ、唇を噛んだ。皆が恐れる狂気のナンバーズの姿はそこにはない。躊躇いがちに何度か口を開き閉じてを繰り返し、絞り出すように答える。
「…………やっぱり許せなかったんだよ。結局あの子は良いことをしたと自己満足して、ちゃっかり次の伴侶は捕まえて……セブンは訳も分からず、説明もなしに急に突き放されて、たった独りでどん底の気分を味わっていたんだ……聖女ちゃんの独善的なところが許せなかった!綺麗事だってアタシは思えない!」
「ファイブ…………」
「だってそうだろう?なら今から苦労させるくらい良いじゃないか。セブンの心の痛みと比べたら、疑心暗鬼になった使用人の軽蔑の目線の中で暮らすくらい軽いはずだ。セブンは優しすぎる!だからアタシが言ってやったんだ。あの二人は少しは批判されるべきなんだ!二人のやり方は助けてもらった相手にする事じゃない」
セブンは過去に覚えのある感情に、怒る気にはなれない。
「僕は大丈夫ですから、だから」
「はぁ?セブンは聖女ちゃんを庇うんだ!はぁ~そうなの!本当はセブンと勇者君を天秤にかけて、都合のいい男を選んだのかもしれないのに、セブンのためだったって信じちゃってさ!そうやって許せるほど、まだ聖女のことそんなに大切?どうなの?」
──ドン!
「へ?」
ファイブは急に立ち上がり、セブンの顔を挟むように壁に手をついた。逃げ場のない狭い馬車のなかで壁ドンされたセブンは、反射的に両手をあげて降参のポーズをとる。
誰だ。壁ドンは胸キュンとか言った奴は!と思わずにはいられない。真っ赤な瞳に射ぬかれ、鼓動が速くなる。
「あの……ファイブ……さん?落ち着きま」
「まだ好きなの?ねぇ?やっぱり可愛いから?あの子のどこが良いわけ?見る目ないの?」
声を遮られ、何故か次はセブンが問い詰められる番だった。ファイブの目は据わっていて、いつものふざけた口調が消えており、どこか必死さを感じさせていた。正直に答えないと、何かを失うと直感したセブンはすぐに答える。
「れ、恋愛感情はもうありません!もう振られて6年も経ってるんですよ……さすがに」
「でもセブンは6年も聖女ちゃんへの仕返しを諦めなかった。静かに機会を待って、セブンのままネイトの存在を見せつける時を探していた。まるでそのために生きているようだったよ。それでも?」
「本当に今は恋愛感情はないんです。本当に本当です!」
「じゃあ何で国王に意見してまで助けようと…………仕返しにしてはやっぱり優しすぎる……」
急に言葉尻を弱めたファイブは体を離して、力なく席に戻った。セブンはホッと一息ついて、どう説明しようかなと頬を指で掻く。
「恋愛感情はありませんが、僕の人生のほとんどは彼女と一緒でした。両親を失った僕に多くの嬉しさや楽しさ、愛情を与えてくれました。突き放されても、悲しくても、怒りは沸いても、やはり大切な人なんです。彼女無しでは僕は僕になれなかったから……仕返しでも良いから……一方的で良いから彼女との繋がりを失いたくなかったんです。恋愛感情は失われても、未練タラタラ。女々しいでしょう?はは」
思わず自嘲してしまう。それをファイブは肯定も否定もせずに耳を傾ける。
「だから彼女が不幸になってしまうことが嫌だった。彼女の子供を助けて、彼女を救いたかった。裏切って傷つけるようなことをしておいて、幸せになって欲しいと願うなんて、矛盾した僕もとんだ独善者だ。でも、これが僕なりの愛の終わらせ方だったんです。ファイブは、そんな僕が嫌いになりましたか?」
ファイブの拒絶が怖くて、視線をあげられない。セブンにとっては慣れないナンバーズの生活のアドバイスや手助けをしてくれている彼女に感謝しており、貴重な仮面を外せる友人だった。
「嫌いにならないよ。セブンはアタシの命の恩人だもの。病でひどい状態のアタシを恐れることなく、憐れむこともなく、真っ直ぐな希望をセブンは与えてくれた。無償の優しさを初めて知った……今のアタシがいるのはセブンのお陰なのに嫌いになんてなれない………………」
不安げにセブンは視線をあげると、ファイブは穏やかな表情をしていた。大切な友人を失わずに済んだことに胸を撫で下ろす。
「ファイブ……嫌わないでくれてありがとうございます」
「はぁ……アタシがセブンに弱いこと知ってるだろぉ?」
「ははは、確かにそうですね。あとですね……ファイブのように苦しむアシュレイ君を見過ごせなかったんです。だって……ファイブも辛かったでしょう?」
「…………そうだねぇ。それには同意。少年君は助けて正解だよ。やっぱりセブンは優しいねぇ」
「褒めてもポーションしか出せませんよ?」
「それだけ出ればじゅうぶんだよぉ」
二人は向かい合いながらくすくすと笑うと、穏やかな空気で満たされる。
セブンがナンバーズになって間もなく、ファイブはアシュレイと同じ病を患った。その時ネイト立ち会いのもとエリクサーの投与が行われた。ファイブは見ず知らずの男から励ましの言葉をかけ続てもらい、不覚にも感動し、彼の手からエリクサーを与えられ……助けられた。
それから仕事で外出の時は自ら護衛に名乗り出たり、豊富な知識を活かして薬草栽培を手伝ってくれたり、一緒にごはん食べたりと構いまくっている。先ほどは聖女リタを批判はしたものの、出国を反対していた国王の説得も手伝っている。
ファイブは魔王城での実体験と自分を助けたエリクサーの存在を照らし合わせ、聖女の奇跡のからくりにも気付いていた。それでもセブンが望むままに国王にも秘匿にしている。その気になれば勝手に公表して聖女と勇者を追い詰めることだってできる。しかしファイブはその手段を選ばない。
セブンがエリクサーを作れると知っているのは国王と口の堅い一部の上層部のみ。外部には新薬を作れる錬金術師として知られている。もしエリクサーの存在が広まってしまったら、奇跡を求めて多くの人がセブンないしは国王に救いの手を求め争いが起こるだろう。何よりきっとゼブンは全てを助けたいと思う反面、僅かなエリクサーしか作れないことに心を痛ませるのは明白。以前まで聖女と勇者に向けられたのと、同じような恨みがセブンに向けられる可能性が高い。だから国は秘密を守り、候補者を精査し、優先順位を国王が決めている。
そこまでしているのに、ファイブは自己満足のせいで暴露して、セブンの心に負担をかけるようなことはできるはずもない。むしろ守りたいと思っている。鈍感なセブンはまだその真意には気付いていないが………
ファイブは馬車の壁に背を預け、“この世は上手くいかないことの方が多いなぁ”と、どこかそわそわしているセブンを見つめた。
「どうしたの?」
「ねぇファイブ。僕の決意を聞いてくれますか?」
「なんだぁい?」
「目的を達成したら、もう聖女に依存するのは終わりにしようって決めてたんです。今日、きちんと終わらせることができました。僕は変わろうと思います」
「…………ようやくだねぇ」
「はい。あの家族を見て僕も幸せになりたいなって。止まったままでは何も変わらない。人は変わらないままではいられない。生きている限り前に進まなきゃって…………ようやく未練を断ち切るきっかけが出来たから僕も前にって………な、なぁんて」
何だか言い始めると恥ずかしくなり顔を隠そうと仮面を探すが、知らぬ間にファイブの手に収まっていた。
「返してくれませんか?」
「やーだーねぇ。恥ずかしがることないじゃん?前に進むんでしょぉー?ほら顔あげて、前向きなぁ~ね!?」
セブンが手を伸ばして取り返そうとするが、障壁魔法が張られ触れることすら出来ない。満面の笑顔のファイブを見て、取り戻すのは無理だと悟る。浮いた手を膝に戻し、窓の外に視線を向けて赤い顔を誤魔化した。
「…………雨やみましたね」
外は先程まで降っていた雨は上がり、厚かった雲にも切れ間ができていた。雲は流れ、青空が顔を出し、世界が明るくなっていく。
(まるで心のようだ。既に雨は止んでいる。もう厚い雲もいらない。僕にも新しい太陽が見つかるだろうか。ううん……天気には必ず晴れの日はくる。太陽と会える。きっと僕にも…………いや違う)
一度瞳を閉じて思い直す。
(待っているだけでは今までと同じだ。手離したくないなら自分から足掻けば良い。側にいられる力を手に入れれば良い。僕は頼られたい。今度こそ愛する人と違う事なく、一緒に同じ道を歩みたい。太陽のように雲で会えなくなるような関係じゃなくて………相手と離れることのないランタンのような、ロウソクのような………)
灰藍色の瞳を真っ直ぐ正面の相手を見つめ、決意が嘘にならないようちきんと言葉にする。
「ねぇ、ファイブ。僕は寄り添える光になりたい」
仕返しなんて目的ではなく、幸せになるための決意をしたセブンの顔は穏やかで、晴れやかだ。ファイブもつられて幸せそうな笑みを浮かべる。
ちょうど雲の隙間から太陽が射し込み、光が降り注ぐように馬車を照らした。まるで天が彼の門出を祝福しているかのように。
多くの皆様の期待とは異なる結末で賛否両論あるかと思いますが、これにて完結です。「あくまで、こういう作品なのか」と寛大なお心で捉えて頂けると助かります。
また、こんなにも多くの方に読んでいただけて驚いております。
現在は閉鎖してしまった感想についてですが、皆様の考察力と鋭い指摘は勉強になり、「あぁ、そこまで考えてなかったぁ……」とこの作品の作り込みの甘さも実感しました。また、タグの重要性を再認識しました。私の不手際により間違って来てしまった方にはお詫び申し上げます。
私の技量に対して求められるレベルが高く、感想を見直すたびに未熟さを痛感しております。今回を反省し、次に筆を執る時がありましたら参考にさせていただきます。
ここまで読んでいただいた皆様に感謝を。
長月おと