師弟 2
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「何じゃ、知らなかったのか。」
「ええ、初めて聞きました。」
「全く、彼らの秘密主義にも困ったもんじゃのう。シャルたちがお主に打ち明けておらんのなら、儂の口から言えることではあるまい。お主が知りたかったら、そうじゃのう・・・アーク辺りなら知っておるだろうから、アークに聞いてみるといい。アークが知らなかったら、ソフィーじゃ。ソフィーはある意味当事者じゃろうて。とりあえず、このことはここだけの話にしておいてくれるかの。」
「はい、ベントレイ先生。」
「よく分からないかもしれないけど、サーラも秘密にしておいてあげてね。」
「ひみつ・・・?」
ハンナに言われてよく分からないと顔に出ていたサーラに、ハンナは人差し指を自分のそっと唇に当てた。
「そう。誰かに今のことを聞かれても、絶対に言わないでね。」
「わ、分かりました・・・。」
サーラはハンナの言いたいことが理解できたようで、ゆっくり頷いた。
「エルデ、聡い弟子を見つけたの。」
ベントレイは今の遣り取りを見て満足したらしい。
「ええ、ありがとうございます。私としても可能な限り手を打ちました。」
「そう。エルデも変わったわねぇ・・・。」
ハンナはエルデの態度に思う所があったのだろう。
「いえ、ハンナ。私の基本的な所は変わっていないと思いますよ。」
そう言いながらエルデは静かに微笑んだ。
「何を言っているの。サーラの為にエルデがそれだけ早く動いたこと自体、十分変わっているじゃない。」
「え、そうですか?」
エルデが心底意外と言う顔をしてハンナの顔を見た。
「あら嫌だ。エルデも存外自分のことには鈍感なのね。うふふ。」
クスクス笑いだしたハンナに当惑したエルデに達に、ベントレイが助け舟を出してくれた。
「ハンナ。今日はそういうことにしておいてあげなさい。」
「分かりましたわ。二人共、ごめんなさいね。」
夫が弟子をかばったのを見て、ハンナも何とか笑いを堪えて微笑むと、二人に謝罪した。エルデがハンナに向かって頷くと、サーラもエルデの様子を見て、慌ててハンナにコクコクと頷いた。
「さて、お互い積もる話は色々あるじゃろうが、時間も限られておるから本題に入ろうか。エルデが見たいと言ってた資料はこれじゃな。」
ベントレイはテーブルに二つの冊子を置いた。一つは藍色、もう一つは濃い茶色である。
「エルデとロイの二人分よ。私が製本した資料は誰のことか思い出しやすくするために、全てその子たちの瞳の色にしてあるわ。」
微笑ながらハンナがベントレイの言葉に付け足した。
「失礼ですが、中を改めても?」
エルデが目を見開き、そわそわしながらベントレイに尋ねた。
「ああ、勿論じゃ。儂も若い頃の事じゃから少し照れ臭いんじゃがの。」
「先生・・・あの、本当にいいんですか?」
「ああ。儂はしばらく使わんし、お主の役に立つだろうと思ってハンナに探してもらったんじゃ。」
「ありがとうございます。」
エルデはいそいそと藍色の資料を開き、初めの数ページにさっと目を通した。
「それにしても先生。よくこんな昔の記録を残しておられましたね。」
エルデは感心しながら資料を一旦閉じ、テーブルに戻した。
「ああ、儂はもういらんと言っておいたんじゃが、ハンナがまとめて保管しておいてくれたんじゃ。しかも儂が教えた子供達全員の分をな。」
「それは―――ハンナの功績ですね。助かりました。ありがとうございます。お蔭で研究所に行かなくて済みます。」
「いえいえ。私もつい・・・お恥ずかしい話ですけれども、捨てるのが忍びなくて。いかにも下書きや走り書きのように見受けられた物は私の判断で処分致しましたが、こちらはほとんど完成版に近い物ですからね。家に保管しておけば、その為だけに研究所に行かなくても済むかと思いましてね。」
「それはいいですね。研究所では研究所にあるものを見れば済みますね。」
特段用の無い限り研究所に寄りつかないエルデだから、ハンナがそう思う気持ちはとても良く分かる。
「そうなのよ。この宿舎も二人で住むには十分過ぎる広さでしょう?広いと言っても子供達が孫を連れて来て泊まりに来れる程の広さはないですし。」
「そうさな。泊まりに行くなら儂らが子供達の所に出向けばいいんじゃ。」
未婚のエルデは、そういうものなのか―――と思いながらベントレイ夫妻の話を頷きながら聞いていた。
「ですからベンと相談してね。思い切って一部屋を書斎兼書庫に改装致しましたの。」
「それは素晴らしいですね。」
エルデは師の決断に驚きながらも感心した。実際、家族向けの宿舎は、老夫婦二人が暮らすには十分すぎる位広い。研究所の者は資料が多いので部屋に書棚も元から多目に作られているようだが、ベントレイ夫妻は更に書棚を増やしたという事らしい。管理するだけでも大変だろうが、ハンナにはこれ位造作もないということか。
「しかしまぁ、本当にお前さんは研究所に所属しとる癖に、あそこに行きたがらないなぁ。」
「あそこには兄上と母上がいるから十分でしょう。研究所は家族が集まって寛ぐ所ではないんです。同じ場所に身内が集まっても、良いことなんて何一つありませんよ。」
エルデが何か思い当たることがあったのか、多少ムッとして言い返した。
「まぁ、研究所はそんなことを言う阿保はいないと思うがの。」
「そうね。そんな失礼な事を言うのは王宮でも一部の方達位じゃないかしら。」
エルデを宥めるようにベントレイとハンナが言葉を繋いだ。
「そういえば、王宮のやり方が変わったのはアークが所長になってからじゃったの。」
「はい。」
エルデはベントレイの問いに対して肯いた。
研究所は所長と極限られた者以外に所員の本名ないし身分を明かすことはない。入所時から各人の二つ目以降の名前と身分は伏せることが義務付けられている。王立魔法学校や王立魔法学院を経ず、いきなり研究所に就職する者はほとんどいないため、研究所に入る時点でその風習に皆慣れている。研究所内で要職に就いている者は、それ相応の実力や功績を持っている証だという、分かりやすい能力主義なだけである。
以前から王宮内でも人材登用に関して研究所と同じような流れになりつつあったが、アークが研究所の所長に就いたのを機に、王宮内でもそれが明文化されただけのことである。これまで身分を理由に要職から遠ざけられていた者達には絶好の機会であると共に、王宮で己が身分だけで要職に胡坐をかいていた者達にとってはさぞかし面白くない話だろう。
「王宮には研究所のやり方に馴染めない方々もいらっしゃいますからねぇ。時代は変わりつつありますのに、残念ですわ。」
「そんなことを言っている輩は、研究所や学院、学園に『王立』と名前がついている意味を理解できない無能ということじゃ。」
ハンナは穏やかな物言いだが、ベントレイは些か辛辣とも言える物言いである。
「おうりつ?」
サーラが不思議な顔をして呟いた。
「『王立』と名前のついている場所は国王陛下がお認めになられて作られたということなんだ。国王陛下のご意思、と言えばいいかなぁ。」
「こくおうへいかの・・・ごいし?」
「国王陛下がかく在れ、そのようにあって欲しいと望まれたということだ。」
「は、はあ・・・。」
エルデはその場でサーラに解説したが、サーラは目をぱちくりとしたままだった。
「サーラ、今日はこの話をするために先生のお宅にお邪魔したのではないから、また後で説明しよう。」
「は、はい。」
エルデはサーラに教えることがまた一つ増えたなと思った。サーラに教える必要のあることをまとめる必要があるな。
「エルデ、その資料はお主に貸してやる。家に帰ってからゆっくり読むといい。期限はお主に任せる。」
「え、良いんですか?」
「ああ。儂がお主たちをここに呼んで久しぶりに師弟の交流を深めたついでに、議論が深まり儂の手持ちの資料を貸し出した。ほれ、何もおかしくないじゃろう?」
ベントレイがニヤッとエルデに向かって笑った。
「ベントレイ先生、ありがとうございます。お言葉に甘えます。」
エルデは椅子から素早く立ち上がるとその場でベントレイに向かって深く頭を下げた。
「うむ。エルデにしては素直でよろしい。」
ベントレイが満足そうに笑うとエルデに言った。
「先生?!」
ベントレイの言葉に目を白黒させるエルデなど、そうそう見られる訳ではない。
「ふふ。幾つになっても、エルデは貴方のお弟子さんなのですね。貴方の教育の成果が分かって私も嬉しいですわ。」
目の前の師弟の遣り取りを見守っていたハンナはそう言うと、エルデとサーラに向かって優しく微笑んだ。
「そちらで遣り合っているお爺さんたちは無視して、サーラは私と一緒にこちらのお菓子を食べましょうね。」
「はいっ!」
現在鋭意執筆中ですが、次回でも終わらなさそうです。ストック増やさねば。別の場面はホイホイ浮かぶのは何故だろう。そちらもそちらで忘れないうちに書き溜めておこう。
暑いしコロナは収束しないしで色々とまだまだ大変ですが、皆様もご自愛下さいませ。
今回も最後までありがとうございました。




