終わりの始まり
災害が起こる前に聞こえる優しい地球、ママの声。
頭の中に直接届いていたのに、今は耳から聞こえ、声は土の中から響いていた。
「栞音、しゃがんで両手を伸ばして」
ママの言う通りにしてみると…土から光が生まれた。
土の中から光と白い固まりがせり上がってくる。
赤ん坊サイズの卵のような、でもソフトキャンデーみたいな固すぎない感触で、ひんやりと冷たい。
「栞音、ママを抱きしめて。人間の温もりをママに教えて」
白い不思議な固まりが声を放った。しかも、ママと名乗って。
私の体は問うために口を開くのではなく、ママの言葉に従うため腕に力が入る。
ママが言う『教える』とはこういう事と分かった。人間に触れて卵は人間の形や温もりを吸収する。
「そう。毛のない肌はこんなにも温かくて、柔らかいのね」
土の上から両手に持った時、冷たい卵は鳥の羽のように重さを感じなかったけれども、胸に当ててしばらくすると、赤ん坊のようにずしりと重くなって卵が温かくなった。
「栞音、ママに顔を近づけて。ママに可愛い栞音の顔を見せてちょうだい」
顔を近づけると、つるつるだった卵がでこぼこに変形を始めた。
透明人間が粘土遊びをするかのように、胸の中の卵は人間という形を作りあげていく。
それと同時に発光が弱まって白色から肌の色に変わった。
卵だった物体から2つの突起が出てきた、それがママの腕だとわかった時、私の体はその突起物に触れられるように顔をもっと近づけていた。
「まあ、なんてお利口な子なの。ママが思っていることを先にしてくれるなんて」
2つの突起物の先端に球体が膨らみ、それが平べったくなって手に変形した。
手だけじゃなくて、足も出て、頭と胴体の間にある首も出来上がっていく。
発光する卵が人間になっていく。
「あぁ、栞音。私の可愛い人間の子。
栞音にお願いがあるの」
赤子と呼んでも良い形になったママは小さな口からではなく、体全体から声を発していた。ぱっくりと開いた小さくて愛らしい口は、まだ口として機能していない事を表していた。
「この体が人間として機能するまで、ママはちょっと眠っているわ。それまでの間、栞音に育ててほしいの」
「育てる?私がママを?」
「不安にならなくても大丈夫。本物の赤子みたいにする必要はないわ。
ママの体に触れて、人間の言葉で話しかけて。それから、ママに人間の世界を見せてくれれば良いの。 人間の食べ物も摂取してもほしいわ」
「ママ、安心して。この人間がちゃんとできるか、監視しているから」
「え、カジュマル。その格好で研究所内をウロつくの?」
「当然だ」
「………」
これからどうなるんだろうと不安になったけれども、聞きたいことを優先した。
『ママ、本当に人類を滅亡するの?』
なのに、その言葉が声にならなかった。
卵から赤子になったママやカジュマルの存在で考える暇がなかったけれども、 人類滅亡の言葉でさっきまでの出来事を思い出した。
「…………」
仲原さんの気持ち悪い感触、タバコ臭い息。そこから吐き出された閉ざされた未来。
それから、たけちゃんの噂話。
ううん、もっと前から。
学校と研究所に行って帰るだけの色あせた毎日は、何のために生きて、誰のために存在しているのか見いだせないでいた。
希望のない終わった世界。
「ママ。絶対に人間を滅ぼして」
私の口から出た言葉は、未来に終止符を打つ願望だった。
「栞音、あなたも賛成なのね。
人間の中で1番近くにいる、私の可愛い子。あなたが反対するならば、考えを変えようか思っていたけれども。その必要はないわね」
「うん。滅亡しなければ、この先は真っ暗で……もう、こんな未来なんていらない」
私はママを、終わりの始まりを抱きしめた。
翌朝。ママとカジュマルの姿に研究所の人達は驚いたけれども、変わらない未来に悲しげに笑い、ママの成長する姿を見守ってくれた。
それから勇気を振り絞って仲原さんの所に行った。
クビ筋につけられた『許嫁』の烙印は残っていたけれども、いつもの髪型、二つ分け結びを少しだけ左よりにしたら目立たなくなった。髪留めは白地に黒の十字架のリボン。
「仲原さん、ママと観光したいの。車で運転して」
誰もいない時を狙って、背後から近付き、カジュマルに作ってもらった種銃を突きつけて。
自分を襲った男に観光の足に頼んだのは、他の人に頼めなかったから。
終わりを賛成しているのを、他の研究所の人達に知られたくなかったから。
こいつなら、バレてもショックを受けても構わない。
「いいよ、栞音ちゃんの頼みならば」
種銃をおもちゃと思っていたのか。まだ狙えると思ったのか、仲原さんは簡単に引き受けてくれた。
まあ、最終的に手を出したのは、私の方なんだけれども。
「……」
栞音は全てを話してくれた。
勝手な大人によって変えられた現実を語る幼なじみは、今にも押しつぶされそうで、気がついたら腕の中に引き寄せていた。
栞音は何人も消しているかもしれない。
けれども、今、目の前にいる栞音は、ただの幼なじみでしかなかった。
何も知らず、楽な生活をしていた自分に負い目を感じ、それを隠すためだと言われても、否定はできないが。
「そんな酷い事があったなんて。俺、全然 気づけないでいた、ごめん」
「ううん。知られないようにしてたから。
大切な人が悲しむ顔なんて見たくないから、話さなかった。
だから、たけちゃんには、何も知らないで観光したかったな」
「…………」
栞音は腕の中から出ていった。
「だからね、たけちゃん。
人間はもう、お終いなんだよ」
隠していた事を全部はなし、すっきりした顔で栞音は笑った。
「…………」
そんな栞音に言葉を返そうと口を開いた時、けたたましく鳴るベルの音で、戸惑いの声に変わってしまった。
「なんだ?」
この音は学校で聞いた事がある。誰かがイタズラで鳴らして、犯人探しに校内は大騒動になったから記憶にある。
「非常ベルの音だ」




