傍観者たち
ドーベルの耳と尻尾は、帽子とショルダーバッグを購入した。
男物のバッグを専門にした店だったので、デニム生地のキャップ|(野球帽型)と正方形の薄い肩掛けカバンで何とか隠せる。
そんなドーベルの本来の姿、ドーベルマン|(だと思う)の耳や尻尾は本来はたれ耳で、尾も長い。大型で足の長いミニチュアダックスフントという所だろうか。
短いのは『売れないから』という理由だけで子犬の時に切られてしまう。
生まれながらにして彼女たちは人間の利益のため身勝手に扱われていた。
「…………」
これ以上、ドーベルに不憫な思いをさせたくなかった。
『ドーベル。もし、ママさんが考えを変えて、人類滅亡を防げたらくれたら。家に来ない?』と言いたかった。
彼女に帰る場所はない。
家かオヤジに頼んで研究所に置いてくればと考えているが、今の所、彼女の耳に入っていない。
それを口にしたら2日のうちに危険が起こる、フラグを立ててしまっている気がしたから。
それにトサトやラッセルを助けられなかった罪の代償、自己満足でしかない。
とはいえ、彼女には幸せになってほしい。今、1番彼女が望むのは、永遠の友が生き残る事。
ママさんを説得しなければと、いう考えは一層強くなった。
「どうしました? まだ人間の姿で、おかしな部分がありますか?」
いつの間にか彼女を見続けてしまったようだ。
「いや、大丈夫 大丈夫。ちょっと考え事をしてただけだから」
ドーベルに言うのは2日後にしてからにしよう。
2日後人間が滅亡しなければ。
「さて」
視線をドーベルから前方に向ける。
栞音と話をするため。
「……どこに……」
視線が前方から虚空に変わってしまった。
2日前まで近所にいた幼なじみを、捜さなければならならない。
東京に向かっているのは分かっているが、東京のどこにいるのか見当もつかなかった。
通話やメール、LINEまでブロックされ、さらに情報を知っているであろうカジュマルが現れる様子もない。
自力で捜すしかなかった。
「元の姿ならば、匂いから栞音を捜せたのですが」
栞音をどう捜せば良いのかなやんでいると、ドーベルが申し訳なさそうに言った。
そう言えば、トサトが栞音と間違えて俺を拉致した時、間近で嗅いでようやく間違いに気づいたな。
「まずは東京に向かおう。電車なら1時間ぐらい」
「東京ですか、前の飼い主は良く東京に行ってました。
『車』と呼ばれる生物ではない物体の中に入って、驚く速度で走って行くのを見たことがあります。
車は私も乗ったことがあります。別荘と呼ばれる素晴らしいテリトリーに連れて行ってもらう時と……病院に行く時に」
ドーベルの表情が一気に曇った。
「檻に閉じ込められて……自由がきかず、暗くて狭くて風のない車……あんな中に入らないと入らないとならないのですか?」
元犬ドーベルからすると、車は病院という彼女たちにとっては絶望的な思いをする恐怖の乗り物になっている……。
「恐くはないよ。まず病院には行かないから大丈夫」
「本当にですか」
ドーベルの顔がぱっと明るくなったが、すぐに戻った。
「本当に行きませんよね、絶対に行きませんよね」
散歩に行く振りをして病院に連れて行かれるという、飼い犬のあるある体験が染みついているようだ。
「嘘はつかない」
と安心させてから話を進めなければならなかった。
「タクシー、車は高いから電車になるけれど」
「電車?」
「車より大きくて、沢山の人が乗れる安くて便利な乗り物」
「中に入るということは、非生物に食べられる事はないのですか?」
「…………」
彼女は時として想像もつかない発言をする。
「大丈夫。非生物は襲ったりしないから」
「それなら安心しました」
電車に乗ってから、いや乗る前から思いやられる気がする。
「?」
笑い声が聞こえた。
最初はドーベルと俺の会話を誰かが聞いてて吹き出したのかと思ったが、違うようだ。
「岳春、どうしました?」
「何か聞こえた気がして」
足を止めて見回したが、こっちを観察しているような人はいない。
辺りは駅近くにある店や雑居ビルが建ち並んでいる所で、人通りは多くはないが、無人ではない。
ドーベルの耳尻尾がうまく隠れているので、誰もこっちを見ることなく通り過ぎていく。
「植物? ……でもない」
街路樹はなく電線にスズメや個人店舗屋上にカラスが止まっているだけである。
「まさか鳥?」
植物以外にも聞こえるようになったのか? と、耳を疑ったがクチバシを開いたスズメからは『チュン』としか聞き取れなかった。
「…………」
「岳春?」
聞き取れなかったが、違和感に気づいた。
鳥たちは俺たちをずーっと見続けている事に。
騒動前、暇を持て余しカラスを観察したことがあるが、彼らは自分たちのテリトリーやら食事あさりのために行動し、人間を見るのは『自分たちに害のある行為するか、しないか』のためで、前者なら飛び去り、後者なら警戒しつつも自分たちの行動に戻る。
今はそれがなかった、カラスもスズメも俺たちから視線を離さないでいるのだ。
「カラスとかにガン見されてる」
「わんわんわん」
隣のドーベルの声ではなかった。
「サモン、ちょっと待った待った待った、走らないっ」
それから慌てる男性の声が後から着いてきた。
「わふっ、わんっ」
白くて毛の長い大きな犬|(多分サモエド)が俺らの前で止まり軽く吠える。
「どうしたサモン? すみません、こいつ、普段は大人しいのですが」
「あぁ、いえ、犬は好きなので大丈夫です」
「どうしました?」
元犬のドーベルはサモンに近づいてしゃがみ、目線の高さを合わせてから、手を鼻に近づけ匂いをサモンに嗅いでもらう。
匂いで情報をやりあう一族らしい挨拶。元の姿でのコミュニケーション|(お尻の匂いを嗅ぎ合う)じゃなくて良かった。
「くぅ……きゅぅ…わん……」
サモンは音量を下げて、ドーベルに何かを伝える。
「大丈夫です。あなたは安心して、飼い主と一緒にいてください」
「わん」
「?」
「えーっと、彼女、犬と少しコミュニケーションがとれるみたいで……」
『?』顔の飼い主に適当な言い訳をしていると、サモンは納得してくれたのか『わん』と吠えて、元気に走り去っていった。飼い主を引っ張って。
「………」
去る前に、サモンは俺を見つめた。
「永遠なる友とずーっと一緒にいたいから、何とかしてくれと彼は訴えてました」
ドーベルの言葉通りの事を訴えていた。
「…………」
『クスクスクス。訴えられた所で、人類滅亡は変えられないわ。可哀想に』
笑い声の主がようやくわかった。
「もしもし、俺だけど……」
見知らぬ男性がすぐ近くで足を止め、通話を始めたのだが、その小脇には花束が抱えられている。
「あぁ、ちゃんと返品して切り花にしたよ……あぁ…うん。店頭に並んでた…最初から花束になっているのを買った……うん。ところで何で入院に鉢植えって駄目なんだ? 花瓶いらないし……」
『クスクス。可哀想な人間』
小脇に抱えられた花束が笑っていた。さっきと声が微妙に違うので違う植物だろう。
通話している男性の話からして近くに花屋があり、俺らの前を通り過ぎる花たちが笑っていたようだ。
『私も根を切られたから、人間と変わらないけれど、人間よりも長生きできるわ』
聞こえる者がいるのを知っているのか、わからないけれども。切り花は しゃべり続ける。
『可哀想に可哀想に可哀想に。他の生物は皆、知っているのに。
当事者たちは知らないなんて。
クスクスクス。明後日には滅亡しちゃうのに。間抜け面して生活してるわ』
「…………」
そう、人間は何も知らない。鳥も犬も切り花でさえも知っているのに。
利益のために生きてきた人間たちは、ママの声を聞こえなくした。その結果、明後日に滅亡する事を知らない。
これが利益だけを追い求めてきた哀れな末路というものだ。
「…………」
カラスと目が合った。
スズメにも目が合った。
いつの間にか飛んできてたハトにも。
「…………」
皆、同情してる。哀れな末路をたどる人間に。
「見るな、そんな目で見るな」
小さく声が漏れた。
『クスクスクス…』
「…………」
「岳春…」
もし、ドーベルが両腕を肩に回し軽いハグをしていなければ、同情の目に精神が変になっていたかもしれない。
「大丈夫ですか?」
「……あ、あぁ」
突然のハグに驚いてしまったが。
ドーベルはすぐに離れ、ハグの理由を教えてくれた。
「表情がいつもと違っていたので。
私も苦手な雷で怯えた時、前の飼い主はよくやってくれました」
それから前の飼い主がしていたたんだろう。『大丈夫、大丈夫』と言って頭を撫でてくれた。
「ありがとう……大丈夫だから」
ドーベルは俺の顔をじっと見て確認してから微笑んでくれた。
「でさぁ、話は変わるんだけれども」
俺たちが視界に入らない所で通話している男の話題は、いつの間にか変わっていた。
「あぁ、もう1週間後だよ。ハワイにいるなんて信じられないよな……英語? ビーフおわチキンって言われたらビーフって答えれば良いんだろ、楽勝楽勝」
人間は愚かだ。
『それが可愛いんだけれどもね』
聞き覚えのある声がした……足元から
「岳春?」
「ドーベル、聞こえた? ママさんの声が」
「ママ?いえ、私には何も」
辺りを見回したが、ママさんらしき姿はない。
それ以降、声は聞こえなかったが、今のは確かにママさんの声だった。
「でも、一体どこから?」




