87話 俺は心の底から、モニカに感謝した
「でも、それだと意味ないよ」
俺は反論する。
いくら血液を返したところで、また始めれば血流が取れなくて濃縮してしまう。
それに、首のカテーテルの中に何か詰まれば透析はできなくなる。
解決策なしにHDFを始めても、同じことの繰り返しだ。
「私は透析技術認定魔術師なので御心配なさらず、私なら解決してご覧に入れましょう」
「トウセキギジュツニンテイ……魔術師?」
俺は言いにくい名前を復唱した。
モニカは長い名前の魔術師のようだ。
前の世界の技術認定士なら知っているけれど、魔術師がつくと別物な気がする。
そして、どんなものなのか名前だけでは予想もつかない。
「透析に関する魔法を使うことのできる魔術師なのでございます」
人工透析に詳しいっぽい。
そして、良く分からないものへの不安が巻き起こる。
提案にのってしまっていいものか。
「それに、今ならまだ血液は大丈夫です」
モニカは仄かに膨らんだ胸を精一杯に張って、自信たっぷりに続けた。
その言葉は、俺の決断を急かしているように聞こえる。
それでも、俺には断る選択肢は見当たらなかった。
HDFはまさに、病気を治療して強くなる方法。
この透析療法を続けられる方法があるならば、ぜひ教えて欲しい。
「……わかった。モニカを信じるよ」
最初から答えは決まっていたが、考えた末に決断した感じを醸し出しておく。
知的な男は好感度が高い気がするからだ。
患者と医療従事者の関係構築には、お互いのイメージも大切だと思う。
俺が返事をすると、モニカは透析の機械の前で作業を始めていく。
返血手技の手際はとても慣れているように見える。
生理食塩水ですっかり俺の血液は洗い流されて、血液回路の中の血液が俺の体内に戻りきった。
濃縮はしていたものの回路の中の血液に血栓などは出来ていなかったようだ。
モニカは接続部を綿棒でイソジン消毒をしてから、回路を首に刺さっているチューブから取り外す。
「さあ、小林様。血液が全て身体の中に戻りました」
首の管の先にキャップをつけて、モニカは微かな笑みを浮かべながらこう言い放つ。
これから、一体何をするつもりなんだろう。
俺は彼女の姿をボーッと眺める。
すると彼女は、返血し終わった血液回路を機械から外し、医療廃棄物のダストボックスへ捨てに行く。
俺はただ、何をするのか見届けている。
ゴブリンも、エディも……モニカのやることを見届けていた。
すると新しい透析の回路とダイアライザ(透析器)を持ってきて、回路を組み立てるモニカ。
透析の機械を何やら操作もしている。
すっかり回路が組み上がると、透析液を供給する管をダイアライザ(透析器)に取り付けた。
ピッピッとボタンを操作すると、勝手に透析回路のプライミングが開始される。
「オートプライミング(自動)か」
俺は呟く。
生理食塩水もぶら下がっていないし、HDF用の補充液もぶら下がっていない。
機械が勝手に回路の中を透析液で満たして、透析できる段階まで持って行ってくれるものだ。
HDの回路よりも一本余計に回路が足されているから、これはオンラインHDFだろう。
オフラインよりも大量の透析液を血液の中に補充しながら、大量の体液を捨てるオンラインHDF。
体液の交換と言ってもいいくらいだ。
これができれば、もっと強くなれる気がする。
オンラインをするのはいいが、この世界の水はエンドトキシン濃度が低く維持できているのだろうか。
エンドトキシンは菌の細胞壁の中にある毒素で、これが一定の水準以下でないとオンラインの透析はしてはいけないことになっていた。
この世界ではどうなのか知らないが、少なくとも前の世界では。
この毒素があると、血圧が下がったり炎症が起こったり、悪いことがたくさん起こる。
綺麗ではない水でオンライン透析をやられたら……。
「オンライン透析をやるのはいいけど、ここの透析用の水はエンドトキシンとか大丈夫?」
俺は不安になったので、モニカに尋ねた。
「大丈夫です。ここの透析室の水も病院の水も、全部が全部……魔力で作られていますから、グラム陰性桿菌も黄色ブドウ球菌もセラチア菌も何にもいませんから」
モニカは自信満々に答えた。
魔力で作られていれば、何となく綺麗な気もする。
菌もウィルスも毒素も何もなさそうだ。
それでも……血液流量が少ないことは、何も解決されていない。
HDFを行うには、やはり血液流量がたくさん必要だ。
モニカがそのことについては、何も説明しないので不安で仕方がない。
「次は……」
モニカは短く呟いたかと思うと、手のひらに魔力を集中させた。
青い光が集まり、やがてそれが透き通った二つのガラス玉のようになる。
一体、何をしようとしているのだろう。
「小林様。もう一度透析を始めたいと思うのですが、よろしいですか?」
モニカがビー玉みたいなソレを片手に持ちながら聞いてきた。
「え? 首からやったら同じだよ……。血流は首からだとそこまで出ないし……」
ビー玉みたいなソレは何の意味かわからないので、確認するように言ってみる。
モニカは俺のすぐ傍まで来て、ビー玉よりふた回りくらい大きなその玉を差し出してきた。
「まずは、小林様。脈がとれる部位に手を当ててくださいませ」
「脈?」
何をしようとしてるのか……。
「脈が触知できるところに、この玉を当てて魔力を流してください」
脈は手首が一般的だが、肘のところでも首のところでも、股のところでもとれる。
俺はこの玉がどういう意味か、分かった気がした。
「服の上からでも大丈夫なの? それとも、直?」
疑問だったので聞いてみる。
「え? 服の上からでも大丈夫です……」
俺の服装は上下が長袖のジャージなので、手首以外は難しい気がしていた。
俺はゆっくりと、この少し大きめのビー玉を手に取る。
太い血管の方がいいと思い、そっと玉を股関節の方へ持っていこうとした。
「て、手首がいいんじゃないですか?」
モニカが何を思ったか、手首を勧めてきた。
「そう? 血管は太いほうがいいと思って……」
針を一番刺しやすいのは、どの血管よりも大腿動脈と相場が決まっている。
「血管の太さは関係ないので!」
激しくモニカに否定された。
俺の何がいけなかったのだろう。
「お兄ちゃんの変態……」
ゴブリンがまた、俺の悪口を呟く。
エディは何も言わずに、成り行きを見守っていた。
俺は言われた通りにその透明な玉を手首に当てて、魔力を込める。
透明な玉は赤っぽい色に淡く光ったかと思うと、徐々に暖かくなっていく。
「そのまましばらく待つと、その玉に数字が現れて参ります」
モニカが説明を続ける。
「その数字は血圧を表しているので、その数字が大きな場所でもう一度魔力を込めてくださいませ」
しばらくすると、ほんとに数字が出てきた。
動脈の真上が一番高くなるようだ。
俺は動脈の真上でもう一度魔力を込める。
するとその玉がピカリと光り、輪が伸びてその場所を固定するような腕輪になった。
「そこが透析の血液を取り出すところになります」
やっぱり思ったとおり。
動脈から直接血液を引き出して、透析を行う作戦らしい。
「もうひとつの玉は静脈に血液を返すためのものなので、どこでもいいのですが……」
静脈には圧力を要求しないので、血管ならどこでもいいということだろうか。
モニカは少しだけ顔を赤らめると、俺の上腕部分にそっとガラス玉を載せて魔力を込めた。
ガラス玉は青く光ると、数センチほどの厚みがある腕輪となって俺の腕をぴったりと締め付ける。
「その2箇所に血液回路の先端をつなげれば、小林様の血液を透析の回路へ導くことができます」
手首と腕にピタリとくっついたこの輪が、俺の透析の血流を確保してくれるらしい。
「もう、首の管は要りませんね。抜いちゃいましょう」
モニカは急にそんなことを言ったかと思うと、俺の首の管に手をかける。
そんなことをしたら、痛いに決まってるじゃないか。
「大丈夫ですから、私に任せてくださいませ」
モニカの管を掴んだもう片方の手から、風の刃が飛んできた。
挿入部分を覆っているものが良く分からない力で吹き飛んで、ゴミ箱の中に入っていく。
モニカが管をスっと引き抜いたかと思うと、柔らかな光が首元に広がった。
この光は回復魔法だろうか。
「えっ?」
という声を思わず俺は上げてしまうほど、あっという間の出来事だった。
気が付いた時には、傷跡も何もかもがなくなって……管があったのが嘘のようだ。
「ありがとう、モニカ。お陰ですっきりしたよ」
俺は心の底から、モニカに感謝した。
「ウフフ。いえいえ、私は医療機器として当然のことをしたまでのこと。何でもありませんよ」
モニカは嬉しそうだ。
これで、問題なくHDFを始めて強くなれる。
そう思った時、真正面のベッドに寝ていたベルさんがモソモソと動き始めた。
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