第一話《『親友』の遺言》
『英雄』
ただ、良いようにもてはやすための言葉
「俺は――ただの」
プロローグ《『英雄』の帰還》
血と硝煙で染まった姿で部下を率いて、カイは英雄として故郷アルディアの土を踏んだ。
凱旋を告げる鐘が鳴り、沿道には人々が溢れ、歓声が響き渡る。だが、その音は彼の耳には届かない。
代わりに、死んでいった仲間たちの声だけが胸の奥にこだまし、祝福を受け取るはずのその手は、冷たく震えていた――。
第一話《『親友』の遺言》
時計の音のみが静寂の部屋に響く。
祝福の声を背に、カイは軍の自室に戻った。ベッドに深く沈み、動く気力などない。
起きていたはずだった。だが、時間の感覚が狂っていた。
軍服に着いていた赤黒い血はこびりつき、触れると粉のように崩れ落ちた。
短いため息と共に、ゆっくりと身体を起こす。カーテンの隙間から差し込む光は小さく、蝋燭の炎だけでは抱えきれない暗闇が、部屋を支配している。
その中でカイの意識を引き寄せ付けるものがあった。
机の上に置かれている一通の手紙。
吸い寄せられるように手に取ったその時――
ドアを静かに叩く音がした。
「カイ中尉。国王様が式典に招くと仰せです。『英雄』として――」
使者としてやってきた部下が告げる。
カイを気遣ってだろうか、入室はしなかった。
ベッドから身を起こし、足を引きずるようにドアへ近づく。
「『英雄』だ?」
手にした手紙を穴が空くほど睨みつける。
「冗談だろ。俺は行かない。ひとりにしてくれ」
部下はカイの言葉を聞き、少ししてドアから離れていった。
カイは遠のく足音を確認し、椅子へ座った。
蝋燭の炎が揺れ、壁に踊る影を作り出す。
外からの祝福の声が一層、カイの孤独を称える。
カイは手の中で形が変わった手紙を、恐る恐ると開いた。目に飛び込んでくるのは親友、テオの見慣れた筆跡。
《遺言書 テオ 宛先 カイ
――カイ、俺がいなくなったら
息子のミロを頼むよ
まぁ! ミロはしっかりしてるから大丈夫だろうがな!!》
カイの手の中で手紙に皺がよる。
テオの顔が、何度も、何度も、浮かんでは消えを。
「テオ……お前」
震える手の上に何かが、ひとつ、ふたつと落ちる。
それは止まることを知らず、無情に流れ続けていた。
__________
それから数日が経ち――
『英雄』の帰還から国中で戦勝パレードが続いている。
〈アルディアの『英雄』 カイ中尉!!〉
カイの顔と共に、そう書かれた張り紙が、街の至る所に貼ってある。
まるで、カイだけが国を勝利に導いたように。
そんな街を、愛馬のエルドロス。愛称エルで駆け抜け、国を出て、アルディアの要塞を抜け、森を抜ける。たどり着いた場所は、ある戦場跡。ここで、テオの姿は消えた。
未だ、敵味方の死体は混じり合い、景色の一部となっている。
カラスが飛び交い、死肉を啄む。
「よしよし、少し待っててくれ」
戦場跡から少し離れたところにある木に、エルの手網を結んでおく。ここならカラスにも見つからない。
「よし。リンゴを置いておくからな。好きに食べてくれ」
軽く首筋を撫でてからリンゴを、持ってきていた桶に入れる。
そのリンゴをエルが食べ始めたのを確認し、カイは火薬の匂いが僅かに残る激戦地へ足を進める。
南方連合国のアルディア――カイとテオが属する国。
そしてそのアルディアは、かつて友好関係にあった東方同盟国ザルガスと刃を交えた。
その果てが、この戦場だ。
「テオ……」
テオと最後に攻略作戦を実行した要塞。
今は、両国で停戦条約が結ばれ、兵士を除き、ザルガスの国民が戻り始めている。
この広大な戦場のどこかで、テオは。
「共に行動していたら……お前は今も、俺の横にいたのか?」
今回の作戦は、全く違う方向から要塞へ攻め込み、敵を撹乱させる、というものだった。
つまり、テオが一体どのように死んだのか、カイが知ることではない。
比較的、綺麗な地面に腰を下ろし、アルデン・モルトを置く。
よく戦略を練るときに二人で飲んだ酒だ。
「……誰だ。兵士の帰還許可は出ていないはずだが」
いつ来たのだろうか。
カイの背後には敵国の軍服に身を包んだ男が立っていた。
「撃ってもいいよ。本当は僕もここで死ぬはずだったから」
やはり、この要塞にいた兵士か、と警戒する。
「警戒しなくていいよ。仲間が死んだ場所に来ただけだし。君も一緒でしょ? 『アルディアの英雄』さん?」
敵国からも『英雄』呼ばわりされていることに癪に少し触った。だが、敵意はないようだ。
「とりあえず、その手を下ろしてもらっても?」
指をさされたカイの手は、腰に差された拳銃にあった。
「すまん。無意識だった」
「気にしてないからいいよ」
カイは、アルデン・モルトの前で手をあわせる。
「おい」
「ん? 僕?」
カイは敵兵に声をかけていた。
己でも何をしているのか分からないが、言うことは決まっていた。
「俺は、『英雄』なんかじゃねぇ」
その言葉はとてつもなく重かった。
重かったが、風に乗っていた。
「へぇ〜……」
カイは立ち上がり戦場へ一礼をし、背を向ける。振り返ることはない。
リンゴを食べ終えた愛馬がカイをまっているのだ。
戦場から離れていく男の姿は、『英雄』と呼ばれる者とは思えないほど、小さくみすぼらしく見えた。
カイは二度と"ここ"には来ないのだろう。
「あれが、『アルディアの英雄』か……」
ザルガスの兵士は、カイが馬に乗り駆けていく姿を見送りながら呟いた。
その声が風に乗り、空高く舞い上がった。
まだ、戦いの火種はそこら中で燻っている。




