108話 峡谷の『泥まみれの厄介者』と、遠赤外線が焼く極上うな丼
豊かな農業都市オーベルを後にした俺たちは、深く切り立った谷底に作られた巨大な採掘都市『ドルトム』へと足を踏み入れていた。
「ハァ……ハァ……ミツトメ様、今度は谷底への果てしない階段ですわ……。膝が笑っております……」
山登りの次は谷下り。過酷なアップダウンに、ミーニャ王女が涙目で俺の背中にしがみついている。その後ろでは、大荷物を背負った騎士ガルが、もはや魂の抜けた顔で無言のままフラフラと階段を降りていた。
『ピロロロッ。マスター、この採掘都市は活気があるはずなのですが……すれ違う鉱夫たちの顔色が、揃いも揃って土気色ですね』
シロが上空から観察して首を傾げる。
谷底の広場に到着すると、屈強なはずの鉱夫たちがツルハシを放り出し、地面にへたり込んでいた。
「ダメだ……もうツルハシを振る力が出ねぇ……」
「干し肉と固パンばかりじゃ、この過酷な労働に身体が追いつかねぇよ……。もっと脂の乗った『スタミナ飯』が食いてぇ……」
どうやら、採掘に特化したこの都市では深刻な「スタミナ不足」が起きているらしい。
「なるほど。で、あそこを流れてるデカい川には、魚はいないのか?」
俺が谷底を流れる濁った大河を指差すと、鉱夫の一人が顔をしかめた。
「魚なら山ほどいるさ。この川の主、『泥大蛇』がな。だが、あいつらは表面がヌルヌルでまともに掴めねぇし、何より焼いても煮ても、口いっぱいに『ドブ泥の臭い』が広がって、吐き気がして食えたもんじゃねぇんだよ」
泥まみれで、生臭くて食えない蛇のような魚。
俺は腕を組み、ニヤリと笑った。
「鉱夫の兄さん。その泥大蛇、試しに一匹だけ俺のところに持ってきてくれないか? その『ドブの臭い』を完全に消し飛ばして、最高のスタミナ飯にできるかもしれない」
数十分後。広場の隅に用意したまな板の上で、俺は鉱夫が捕まえてきた『泥大蛇』――前世で言うところの、丸太のように太い「巨大なウナギ」と対峙していた。
「うげぇっ……凄い泥の臭いですわ。それに、表面の粘液がドロドロで……これ、本当に食べられるのですか?」
ミーニャ王女が鼻をつまんで後ずさりする。
【ナビ:対象の表面粘液(ムチン質)をスキャン。水中の泥やアンモニア等の悪臭成分が、この粘液層に高濃度で蓄積・保持されています。これが強烈な臭みの主な原因です】
「その通りだ。この臭い粘液があるから、どれだけ煮焼きしても臭みが身に移っちまう。だったら、下処理で『粘液ごと』削り落とせばいい」
俺は、鍋で沸かした70度〜80度ほどの『熱湯』を、泥大蛇の表面にゆっくりと回しかけた。
すると、透明だったドロドロの粘液が、熱で一瞬にして白く濁り、ポロポロと凝固し始めた。
「熱でタンパク質を変性させたんだ。こうなれば、あとは包丁の背で軽くこそぐだけで……」
俺が刃を滑らせると、悪臭の元である白い粘液が、まるで消しゴムのカスのように面白いほど簡単に剥がれ落ちていく。
流水で洗い流すと、そこには臭みを完全に失った、美しい黒銀の魚体が現れた。
「す、凄い! あの強烈なドブの匂いが、完全に消え去りましたわ!」
「下処理は完璧だ。ここからが、スタミナ飯への道のりだぜ」
俺はウナギを背開きにして骨を取り除き、適当な長さに切り分けて串を打った。
まずは、タレをつけずにそのまま素焼きにする『白焼き』だ。
「ウナギの皮の下には、泥臭さを溜め込んだ余分な皮下脂肪がある。これを一度強火で焼き落とすんだ。さらに、焼き上がったものを蒸し器で15分ほど『蒸す』!」
『ニャ? ミツトメ、焼いたのにまた蒸すのかニャ? 手間がかかるニャ』
「この『蒸し』の関東風工程が、強靭なコラーゲン繊維をゼラチンに変え、身を『フワッフワの雲』みたいに柔らかくするんだよ」
蒸し上がったウナギは、箸で持つだけで崩れそうなほど柔らかくなっている。
いよいよ最後の仕上げだ。俺は広場に特製の『炭火焼き台』を展開し、真っ赤に熾した炭を用意した。
ウナギの骨をこんがりと焼き、醤油、みりん、酒、大量の砂糖と一緒にドロドロになるまで煮詰めた『特製・蒲焼きのタレ』。
蒸し上がったウナギをこのタレにたっぷりと潜らせ、炭火の上に置く。
ジューーーーッ!! ボワァァァッ!
炭火に落ちたタレとウナギの脂が煙となり、辺り一面に『理性を吹き飛ばすような暴力的な甘辛い香り』を撒き散らした。
タレをつけては焼き、つけては焼きを三度繰り返す。
【ナビ:炭火から発生する『遠赤外線』の輻射熱を検知。表面のタレを均一に焦がしながら、内部に素早く熱を浸透させています】
「ああ、電気ストーブと同じ原理だ。遠赤外線は食材の表面を素早く焼き固め、旨味を内側に閉じ込める。そして、炭に落ちた脂の煙が身を燻すことで、極上の香りがコーティングされるんだ」
俺は、どんぶりにホカホカの白飯をよそい、その上に照り照りに輝く黄金色のウナギを豪快に乗せた。
仕上げに、香りの強い実山椒をパラリと振る。
「完成だ! 特製『炭火焼き・泥大蛇の極上蒲焼き丼』だ!」
「ミツトメ様ぁっ! 私、もう限界ですわ!」
ミーニャ王女が、ヨダレを拭うのも忘れてどんぶりを受け取り、大口を開けて蒲焼きと白飯を掻き込んだ。
フワッ、トロォォォッ……!!
「――――っっっ!!!! ふぁぁぁぁっ!?」
王女の瞳孔が開き、獅子の耳と尻尾がピンッ!と垂直に立ち上がった。
「な、なんという柔らかさ! 炭火でパリッと香ばしく焼かれた皮を噛み破った瞬間、中の身がまるで淡雪のように、舌の上でフワァッと溶けて消えてしまいますわ!」
王女が感涙を流しながら、どんぶりを猛然と掻き込む。
「そして、溢れ出す圧倒的な脂の旨味! 臭みなど微塵もなく、ただただ純粋なエネルギーの塊! 骨の出汁が溶け込んだこの甘辛い極上のタレが、脂と白飯を完璧に繋ぎ合わせて……山椒のピリッとした刺激が、永遠に食欲をリセットし続けますわぁぁっ!!」
『ニャアアアッ! 美味すぎるニャ! ドブの臭いだった魚が、神の食べ物に化けたニャ! 白飯が、白飯が止まらないニャァァ!』
クロが顔をタレだらけにしながら、自分の皿を舐め回す。
「う、おおおぉぉぉっ!! 力が……身体の奥底から、信じられないほどの闘気が湧き上がってきますぞぉぉっ!」
過労で倒れる寸前だった騎士ガルが、うな丼を平らげた瞬間、バリィッ!とシャツを筋肉で弾けさせて完全復活の雄叫びを上げた。
広場にへたり込んでいた鉱夫たちも、その暴力的なタレが焦げる匂いに導かれるようにフラフラと集まり、試食の蒲焼きを口にした瞬間、次々と歓喜の咆哮を上げた。
「う、美味ぇぇっ! なんだこのトロける肉は!」
「脂がすげぇ! 身体の芯から熱くなってきやがる! これなら、岩山だってぶっ壊せるぞぉぉっ!」
「……旅の職人様! いや、師匠!」
鉱夫の頭領が、口の周りをタレだらけにして俺の前にやってきた。
「この『熱湯で臭みを取る』下処理と、このタレの作り方……どうか、俺たちに教えてくれねぇか!? これがあれば、あの厄介な泥大蛇が、この街を支える最強のスタミナ源になる!」
「もちろんそのつもりだ。このレシピを、ドルトムの街の新しい名物にしてくれ」
俺は団扇で炭火を扇ぎながら、満足げに笑った。
「次に俺がこの街を訪れる時、あんたたちがこの遠赤外線の技術を使って、どんな新しい炭火焼きを生み出しているか……楽しみにしてるぜ」
「おおお……! 任せてくだせぇ! 街を挙げて泥大蛇を獲りまくって、世界一美味いスタミナ飯を作ってみせますぞ!」
かくして、ドブの臭いがする厄介な川の魔物は、設備屋の『物理的なフィルター除去』と『遠赤外線加熱』の知識によって、労働者たちに無限の活力を与える極上のスタミナ飯へと生まれ変わった。
峡谷の底の夜は、甘辛いタレの焦げる匂いと、エネルギーに満ち溢れた鉱夫たちの熱気と共に、力強く更けていくのだった。
【第108話:完】
収穫: 採掘都市のスタミナ問題解決、極上のウナギ蒲焼きの完成。
知識更新: 泥臭い川魚の粘液は、熱湯をかける(湯引き)ことでタンパク質を凝固させ、簡単に削り落とすことができる。そして炭火の遠赤外線は、食材を内側から極上に焼き上げる最強の調理熱源である。
現在の気分: うな丼のタレが染み込んだ白飯。ぶっちゃけ、これだけで酒が飲めるくらい美味い。次は肝吸いも作ろう。




