雨のエスケープ
教室で待っていた。既に荷物はまとめて、何もすることがなかった。昼食時で、ほかの生徒たちは三々五々集まって弁当を食べ始めていた。私は教師からの呼び出し待ちだった。だがだんだんどうでも良いような気分になってきたときに、雅代が戸口に現れた。
「一緒に昼ごはんを食べようか」と、私は彼女を誘い出し、コンクリートの通路を歩いた。校舎と校舎の間の通路には屋根があったが、たとえば体育館の入口の階段などは濡れていた。そういうところに腰掛けて、ふたりで弁当を食べようかと考えたのだけど、雨が降っているせいで、うまい場所が見つからなかった。
「いっそのことエスケープしようか」と私が言った。
彼女も私を見上げて言った。「わたしもそれがいいと思っていたところ」
「帰り支度は?」
「もう出来ている」
確かに彼女は既に、通学カバンを手に持っていた。私はそれを教室に取りに戻った。クラスの誰かが見とがめるかとも思ったが、誰も何も言わなかった。私は彼女のもとに戻ろうとしながら傘のないことに気づいた。傘をどうしたのだろう。さっきまで持っていたような気がするのに。
校舎から門の方へ出るところで、雅代は待っていた。彼女は私の持っていた大きい傘を手にしていた。
「持っていてくれたんだ」
「うん」
「いつもありがとう」
「そんなこと言わないで。ただ持っていただけだから。それにこれはF」
彼女が最後に言ったアルファベットは何だったか。そしてそれが何を示していたのか、もう忘れた。ただ、そのころ私たちは、よくアルファベットを符牒にして話した。Fは「不可抗力」のFだっただろうか。
「そうだね。Fだね」私も同意した。
傘を開き、私たちは相合傘をして、歩いて通用門を出て行った。
しばらく歩いて駅まで来た。そこから電車に乗ってターミナルに向かい、そこで降りたのだろう。高校生のころ二人でよく訪れた「古本屋」にやってきた。「古本屋」といっても、アニメやマンガ関係が専門の店で、同人誌やフィギュアなども扱っていた。むしろそちらを目当てに来る客が多かった。
なにかのイベントが開かれているようで、たくさんの客がいた。私たちも少しの間、商品を物色していたが、木のベンチに腰掛けて始まるのを待った。やがて小太りの男が現れて喋り始めた。
「本日はみなさん雨の中お集まりくださりありがとうございます。そもそも私のやってきたことというのは・・・」
口調も硬いし、あまり面白そうな話でもなかったから、私たちは途中から聞くのをやめて、小声で自分たちの会話をし始めた。私は手近にあったダンボール箱を開けて中身を取り出した。
「ああ、これ」
それはキャラクターを描いたコースターだった。左側に猫のキャラクターが、右側に蛙のキャラクターが描かれていた。
「これは君の描いたものだったよね」
「そう」
「そして右のカエルは馬場くんが描いた。これって、売り出したんだっけ」
「結局しまいこんだままのはず。それに、こっちのは」と、雅代は箱の中から別のものを取り出した。「刀の刻印にするといったまま、実現しなかった」
「そうだったね。残念だ」
「ううん」と彼女は首を横に振った。「これもF」
そうか。私たちが雨のエスケープをしてから三十年以上経っている。私たちはここで再会し、こんな会話をしている。この状況を、過去の私たちならなんというアルファベットで表現しただろうか。それにこれは夢に過ぎない。本当の私たちは、高校を卒業して以来一度も会っていない。