賭場
1.
警察の事情聴取が長引き、ダンスホールを出た時には二十三時を回っていた。橘は明日また皆で集まって遊ぶ約束を取り付けた後、伊達と河村と別れ、二階堂と家に帰る素振りを見せた。
「こんな時間になったし、賭場に行こうぜ、賭場!」
伊達たちが見えなくなった瞬間、橘が嬉しそうに二階堂を誘った。
「伊達とは絶対一緒に行けないしさ。今なら二階堂に遊びを教えるって大義名分があるしな。」
「面白そうですね。」
二階堂も即座に応じた。
2.
「このあたりだと芝がいいかな。」
橘が歩き始めた。二階堂もついて歩く。
「それっぽい客引きがいたら場所聞くからな。」
橘が言った。摘発を逃れるため賭場の場所は変わるからだと橘が付け加えた。
料理屋の前で半纏を着た男が客引きをしていた。
「お兄さんたち、ダンスホールの帰りかい?今、良い魚が入ってるよ。」
橘は懐から十銭硬貨を取り出し、男に握らせながら尋ねた。
「あいにく腹は減ってないんだ。どこかで少し賭け事を楽しみたくてね。」
男はニヤリと笑った。
「この辺だったら芝の新網町が近いよ。電車通りを渡って、裏路地の『紅葉』って看板の茶屋さ。表じゃ酒と飯出してるけど、奥でサイコロ振ってるよ。」
男は橘と二階堂の服装を見ながら、
「俺は賭場はいかねぇけど、聞いた話じゃあ、船乗りとヤクザが集まる荒っぽいとこらしい。お兄さんたちには少々刺激が強いかもしれん。ま、イカサマには気をつけるんだな。」
と言い添えた。
賭場に向かって歩く途中、橘は二階堂に賭場の心得を教えた。
「まぁ、イカサマはばれたら最悪死ぬから絶対やるなよ。人がやってるのを見つけても基本黙っとけ。あとは勝ち過ぎない。それくらいかな。」
3.
二人は『紅葉』に着き、橘が入り口の男に「芝浦の田中の紹介だ。」
と言いながらチラリと札入れを見せた。男は奥の方向に顎をしゃくった。
奥の部屋は酒とタバコと汗のにおいと熱気に満ちていて、あちらこちらから威勢の良い掛け声や舌打ち、歓喜の叫び、悲鳴などが混じり合って聞こえてきた。二階堂は初めての賭場を興味深そうに見つめていた。
「最初は丁半がいいだろ。」
橘は場が空くのを待って二人で席に着いた。
「丁が偶数で半が奇数な。出ると思った方に金を置く。あと勝ったら寺銭で五分払う。そんだけ。」
橘が雑に説明した。橘は一刻でも早く博打をやりたそうな顔をしている。
勝負が始まる。
「半に二円!」
「丁に三円だ。」
次々に金が積まれていった。
「丁に十円。」
橘が札を投げるように置いた。二階堂はそれを見ながら
「半に五円。」
と札を置いた。
「コマが揃いました。」
壺が振られた。
「勝負!」
壺が開いた。
出目は4と6だった。
「シロクの丁!」
橘は20円を手にして、1円を寺銭として払い、
「な、簡単だろ?」
と二階堂に向かって笑いかけた。
橘は連戦連勝というわけではないが、明らかに勝っていた。丁半は五分五分のはずなのに確率を超えた何かがあるように二階堂は感じた。だがそれを否定するように「運なんて馬鹿馬鹿しい。」とつぶやいた。勝負を眺めていると、サイコロの角度から胴元が時々イカサマ賽子を使っているのも見抜けた。
「半に五十円!」
橘の大きな賭けに周囲がどよめいた。──これはイカサマ賽子が出るな。と二階堂は考えていた。二階堂の予想通りイカサマ賽が振られていたが、
「勝負!」
と壺が開かれる瞬間、その時、ぐらりと地面が揺れた。それは小さな地震だった。壺振りの手元が狂い、サイコロが動いた。
「サブロクの半!」
歓声がわいた。
4.
座敷の奥に座っていた元締めらしき男が煙管を持ったまま立ち上がり、
「坊ちゃん方、勝ちすぎだな。そんな運が続くかね?」
と言った。その後ろに立つ用心棒も鋭い目でこちらを睨み威嚇していた。
二階堂は心の中で「勝ちすぎるなって言ったのはどこの誰だよ。」とつぶやきながら、ぺこぺこと頭を下げ、自重させますからという目で壺振りの男を見た。
「あはは、悪りぃ、悪りぃ。つい熱くなっちまって。」
橘は悪びれた様子なく二階堂に言った。
「お前が賭けるの見といてやるから。」
二階堂はそれから数回勝負して、程よく負けた。このくらい負けたら胴元も許してくれるだろうと帰り支度を始めた時、突然部屋の電気が消えた。「またかよ!」と思いつつ、姿勢を低くして橘の腕を掴んだ。
パンパンと乾いた音が入り口あたりから聞こえた。
「銃声⁉︎」
「出入りか?」
「手入れがきやがった!」
賭場は混乱を極めた。「銃声にしては音が軽すぎるし、硝煙の匂いもしない」二階堂はその場で息を殺して待った。
5.
すぐにパッと明かりがついた。消えていた時間は数十秒だった。部屋が明るくなると同時に悲鳴が上がった。そちらに目をやると、先程橘を恫喝した元締めが、顔から血を流して倒れていた。
「元締めが撃たれた!」
用心棒らしき男が叫んだ。場はますます混乱したが、代貸とみられるいかつい男がドスを抜いて
「みんな動くな!なめたまねをした奴が分かるまでは帰せねぇ。」
と大声を出した途端、賭場はシンと静まり返った。
二階堂は下を向いてぶつぶつと独り言を言い始めた。
「雑だ、雑すぎる……。」
どう考えても銃器は使われていないだろうと言いたい衝動に駆られていた。
「浦島組の面子を潰しやがって!銃を持ってる奴が犯人だ。客の持ち物を確かめろ!」
先程の代貸しが喚きながら部下に指示を出していた。──だから、銃じゃない……浦島組だけに竜宮城に行く途中の酸欠で頭がおかしくなったのか?この低脳め。二階堂は唇を噛んで耐えていた。
「銃を持った奴がいるぞ!」
賭場の男が叫んだ。十四年式拳銃を隠し持った男が手を捻り上げられていた。銃から考えると、おそらく手入れの内偵に来た警官であろう。「ご愁傷様」と二階堂は心の中でつぶやいた。無実の罪で芝浦埠頭に浮くのは少々気の毒ではあるが、あえて庇い立てする義理はない……はずだった。
二階堂は男の顔に見覚えがあった。二階堂が横須賀勤務をしていた時代に門兵をしていた男だった。挨拶をする程度の関係で名前も知らなかったが、色白で線の細い二階堂を栄養不足ではと心配しそっと焼き芋をくれたことを思い出した。「芋くらいで僕がリスクを取るとはね…。」二階堂は自分の意外な感情に笑った。
二階堂はすくっと立ち上がり腕を掴まれている男の方を見た。
「中尉殿!」
男が叫んだ。二階堂は代貸の方を向きフッと鼻で笑った。橘からは表情が見えないように気をつけ雰囲気を変えた。先程までとは違い軍人めいている。いや、細く色白なはずなのに軍人の中でもかなりの手練れ感がある。
「ほう、軍人さんが何をしようというんだ。」
代貸が言ったが二階堂に気押されているように見えた。
「いやぁ、部下が無碍に扱われるのに心を傷めてね。ちょっと傷を改めても良いかな?」
二階堂は倒れている元締めに近づいた。死体の顔を見ながら指摘した。
「目をやられたようだが……あの位置からの銃創にしては損傷が少ない。」
部屋をぐるりと見渡し、二階堂は演説するように言った。
「火薬の匂いも全くしないし、おそらく強力なゴムか何かを使い至近距離から釘のようなものを目に打ち込んだ。これなら脳損傷で相手を殺せる。近くに居た者を確かめて、ゴムを持っていれば当たりだ。」
果たして元締めの横にいた用心棒の懐から工業用のゴムと釘発見された。
「発砲音はおそらく爆竹だ。方向からは電気を消した奴と同じ。どうせ待遇が悪かったとか、出世できなかったとかくだらない理由なんだろうが、後はそいつの生爪でも剥がして聞くんだな。」
そう言うと二階堂は橘の腕を掴んでさっさとその場を後にした。残してきた警官が助かるかどうかは運次第だろう。
安全な場所まで歩いたあと二階堂は橘の方を見た。何と声を掛ければ良いかと迷っていると橘が先に口を開いた。
「一日に二回も殺人事件に巻き込まれるとは、明智小五郎もびっくりだな。」
二階堂はその日一番の大きな声で笑った。
あまり人が死なないミステリーですが、二階堂が出るとバンバン死にます。




