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1.

 東京帝国大学の敷地には、「本郷のヌシ」と呼ばれるカラスがいた。 それは街中でよく見かけるハシブトガラスではあったが、とても賢く、風切り羽が白いという目を引く特徴を持っていた。


 商店街では店主たちが少し餌を置いてやることで、ゴミを荒らす他のカラスたちを牽制する役割を担い、一目置かれる存在だった。


 そのヌシの一番のお気に入りは、春日通りにあるカフェのスコーンだった。理学部の教授である伊達政弘も研究の気分転換に、何度かその店を訪れたことがある。


 ある日、店先でヌシがスコーンを咥えて飛び去るのを目撃し、「カラスが随分と洒落たものを好むものだ」と苦笑した記憶があった。


 そのスコーンをヌシのために用意しているのは、カフェの店主の娘で、店の給仕も務める若い女性だった。彼女は明るく、器量よしで、店の看板娘とも言える存在だった。


 伊達は彼女が自分にだけ少しサービスが良いことに気づいていたが、後になって彼女が理学部の隣の教室に通う大学院生と付き合っていることを知り、なるほどと思った。


2.

 ある日の夕方、伊達は研究に煮詰まり、思索を巡らせながら理学部の敷地を歩いていた。すると、不意に空から何かが落ちてくる。足元に転がったのはスコーンだった。見上げると、ヌシが巣の中からそれを捨てたらしい。不思議に思いながらも、伊達はさほど気にせず歩き去った。


 翌朝、伊達が同じ場所を通りかかると、地面に小さな影が横たわっていた。近づいてみると、それはイタチの死骸だった。そばには、かじられた跡のあるスコーンが落ちている。伊達はハンカチを取り出し、スコーンを拾い上げた。中にはイチゴジャムがたっぷりと挟まれている。ハンケチで包み、それをポケットにしまうと、伊達は無言で研究室へ戻った。


3.

 その夜、東京魔術倶楽部の集まりで、伊達は橘薫にスコーンの話をした。

「スコーンが空から落ちてきてイタチが死んだのか?」

 橘が怪訝そうに眉を寄せる。


 部屋の隅で中国語の教本を読んでいた海軍少佐、河村学が、ふと顔を上げる。


「カフェの話ですか?」

「スコーンの話だ。」

「ジャムは?」

「たっぷりだ。」


河村はにこりと笑い言った。

「では、明日行きましょう!」


4.

 翌日、伊達、橘、河村の三人は春日通りのカフェを訪れた。しかし、店の扉には『臨時休業』の札が掛かっている。隣の店の店主に尋ねると、彼は沈痛な面持ちで答えた。

「娘さんが急死してね……今日が葬儀なんだ。」

 伊達は、無言で店の扉を見つめた。


 銀座の資生堂アイスクリームパーラーは、休日の午後にもかかわらず、静かな空気が漂っていた。三人は、臨時休業となったカフェの代わりにここへ足を運んだのだった。


「花椿クッキー、買って帰りましょう。」

 河村がそう提案すると、伊達と橘は互いに目を合わせ、小さく頷いた。

 

 河村は相変わらず甘味三品を注文し、伊達と橘はプリンと紅茶を頼む。カップに口をつけた橘が、口を開く。

「しかし、娘さん、若いのに気の毒だな。」

 

 伊達が何か言おうとしたその時、隣のテーブルにカップルが座った。何気なく視線を向けると、そこにいたのは亡くなった娘の恋人だった大学院生と、上品なワンピースに身を包んだ女性。彼女の所作や雰囲気から、良家の令嬢であることは一目で分かった。

 

 伊達の表情がわずかに険しくなる。葬儀の日に、こうして他の女性と連れ立つとは――。

 

 沈黙が場を支配しそうになったのを察した河村が、話題を変えるように声を上げた。

「軍医の後輩に何か贈り物をするとしたら、何がいいでしょうね?」

 伊達は微かに顔をしかめたが、河村の意図を汲み取り、橘もまたその話題に乗った。


 カフェを出ると、河村は銀座で買い物をすると言い、二人と別れた。

「ビリヤードでもどうだ?」

 橘が誘うと、伊達は少し考えた後、

「急用を思い出した。」

 と言い残し、その場を後にした。


5.

 休日の研究室は、しんと静まり返っていた。

 

 伊達は拾ったスコーンを取り出し、慎重に分析をかける。試薬を加えると、ジャムの部分が硫酸鉄と反応し、青く変色した。


「プルシアン・ブルー……青酸カリか。」

伊達は低くつぶやいた。

 

 翌日、隣の研究の大学院生のもとへ向かった伊達は、何気ない顔で声をかける。

「コーヒーでもどうだ?」

 

 彼の前でサイフォンを使い、丁寧にコーヒーを淹れる。そして、そっと皿を差し出した。


「スコーンもある。イチゴジャム入りだ。」

 大学院生の顔が強張る。


「本郷のヌシが落としていったよ。君はあのカラスがスコーンを持ち去ることを利用して、証拠隠滅を図った。」

 伊達は静かに続ける。


「ただ、カフェのお嬢さんはすでに荼毘に付された。残されたのは、本郷キャンパスに毒入りのスコーンが落ちていたという事実だけだ。あとは君の良心に任せる。」

 大学院生は言葉を失ったまま、皿の上のスコーンを見つめていた。


 伊達は立ち上がり、

「食器は後で片付けておく。」

 そう言い残し、研究室へ戻った。


6.

 数日後、隣の教室の教授が、伊達にこう告げた。

「うちの大学院生が昨晩、自動車事故で亡くなったんだよ。」

 伊達は無言で教授の言葉を待った。


「カラスに絡まれて車道に出たところを、はねられたらしいよ。」


 伊達は窓の外に目をやった。

 ──因果応報か。

 

 そう思いながらも、伊達はそれ以上、何も言わなかった。

東京魔術倶楽部はワクワク動物ランド的に動物が出てきますが、ヌシは再登場します!


ちなみに準レギュラーと言っていいのが柴犬のキャンディ嬢。

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