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ドイル忌(前編)

1.

 夏の太陽が遅めに沈み、広尾の屋敷街にも夜が訪れる。明治期の意匠を残す伊達家の広々とした屋敷は、今宵、特別な集まりの場となる。


 招待されたのは、東京魔術倶楽部の会員たち。表向きは趣味人の集まりだが、その多くが名家や実力者たちである。話題は、つい先日新聞を賑わせたアーサー・コナン・ドイルの訃報だ。


2.

話は数日前に遡る。

「コナン=ドイルを偲ぶ会、やらないか?」

 橘が何気なく言い出したのは、倶楽部で紅茶を飲みながらだった。

「小説の批評とか、推理大会とかさ、ちょっと面白そうじゃない?」


 伊達は普段、こういった提案に乗り気ではない。しかし今回は少し違った。

「彼の作品は嫌いではないしな。」

 珍しく反対しなかったのだ。河村はいつものように菓子をつまみながら口を挟んだ。

「どうせなら泊まりでやりたいですね。」


「伊達んちでやろうぜ。」

橘が提案した。

「は?」

「だって俺、次男だから言い出しにくいし。伊達家の方が広いじゃん。ほら、ゲストルームもあるしさ。」


 伊達は困惑しつつも、

「弟夫婦に管理を任せているからすぐには決められない。」

 と言った。しかし、押しの強い橘に電話をかけるよう勧められ、最終的に実家の許可を取りつけた。こうして週末の開催が決まったのだ。


3.

 当日、参加が決まった会員たちは、それぞれ思い思いのスタイルで集まった。伊達、橘、河村に加え、篠原と黒田の従兄弟コンビ、伯爵家の息子、西村、そして画商の杉浦。


 篠原は背が高く洗練された雰囲気の紳士で、最近結婚したばかり。一方の黒田は、篠原とは対照的に背が低く、色黒で筋骨逞しい弁護士だ。西村は伯爵家の子息らしく品の良さを漂わせ、杉浦は芸術の香りを纏っている。

「豪華な顔ぶれだな。」

 橘が笑い、河村は伊達の屋敷を見上げた。「伊達さんの家は立派ですね。」


 夜が深まる頃、一同は広いダイニングルームで豪華なディナーを楽しんだ。目の前には繊細なフレンチのフルコースが並ぶ。篠原がワインの香りを堪能しつつ感嘆した。

「さすが伊達家だな。」

「弟が張り切ったようだ。」

伊達もまんざらでもない様子を見せた。


 食事が終わると、場所をリビングルームに移し、軽食やワインを手にしながら推理談義が始まった。


「密室トリックについて語ろうじゃないか。」 

 黒田が最初に口火を切る。

「密室と言っても、死体を外に運び出すパターンもあるな。」

 西村が指摘する。

「それは面白い。たとえば、窓の外に張った綱を使って死体を降ろす、とか?」

 篠原が提案すると、皆が興味津々で耳を傾けた。


 河村はそんな中、特製プリンを味わいながら、

「このプリンは最高だな。密室よりもずっと重要だよ。」

 とのんびりとした調子で言う。橘は呆れながら笑う。

「お前は本当に甘いものばかりだな。」


 推理談義が一区切りつくと、会員たちは次々にゲストルームへと戻っていった。西村と杉浦はまだトリックについて議論しながら連れ立って部屋に入った。

「面白い夜だった。」

 篠原と黒田も満足げな顔で、今後の予定を話しながら部屋に消えていった。


 夜半に降り出した雨は徐々に強く降り、屋敷の奥深くまで雨音が響いていた。時計の針は午前二時示している。伊達邸は古いながらもしっかりとした構造で、豪雨にも揺るがぬ重厚さを保っていたが、その夜の雨は特別に激しく、窓を打つ音が部屋にこだましていた。


 リビングでは、伊達と河村が将棋を指していた。橘はというと、いつの間にかソファで寝入っている。河村が駒を進める音だけが静かに響く。

「雨、止みそうにないな。」

 伊達がポツリとつぶやく。

「むしろ激しくなってきましたよ。」

 河村が答え、窓の外に目をやる。

「そろそろ休みますか。」


4.

 朝になると、雨は少し弱まったが、屋敷の周囲はまだ湿った空気に包まれていた。食堂では朝食の準備が整い、メンバーたちが一人、また一人と集まってきた。伊達はいつものように無駄のない所作で椅子に腰掛け、橘は寝起きの悪さを隠しきれないまま席についた。河村は軍人らしく昨夜の寝不足など無いようなすっきりとした顔で座っている。


 しかし、篠原だけが姿を見せない。

「珍しいな、あいつが遅れるなんて。」

 西村が眉をひそめる。

「いや、あいつ朝は苦手だからね。」

 篠原の従兄弟にあたる黒田が肩をすくめて笑った。


「俺が起こしてくるよ。篠原の部屋、どこだっけ?」

「ご案内します。」

 名乗り出たのは女中の恵梨だった。黒田は恵梨とともに篠原の部屋へ向かった。


 部屋に到着すると、恵梨がノックをする。しかし、何度叩いても返事はない。黒田が軽く首をかしげた。

「中を覗いてみます。」

 恵梨が小さな鍵穴を覗く。


「部屋の中央に……誰か倒れているように見えます。」

 青ざめた顔の恵梨を見て、黒田も鍵穴を覗き込んだ。

「確かに……何か横たわっているな。ちょっと待ってて、人を呼んでくる。」

 橘も鍵を待つ間に鍵穴を覗いた。確かに人が倒れているように見えた。カーテンが閉まっているせいか部屋の中は薄暗く感じた。


 黒田は急いで食堂に戻り、事態を伝えると同時にスペアキーの手配を依頼した。

 

 伊達が一瞬渋い表情を浮かべながらも、書斎にスペアキーを取りに行く。食堂にいた全員が篠原の部屋の前に集まり、橘などは鍵から中を覗きこんでいる。やがて伊達が到着し、緊張感が漂う中で鍵を差し込んだ。


 ドアが開き、全員で部屋に入る。だが、そこには誰もいなかった。


5.

「……誰かが倒れているの見たよな?」

 黒田が慌てた様子で言った。

「ええ、確かに。」

 恵梨も混乱した様子だ。橘も頷いている。

部屋を見回したが、篠原の姿はどこにもない。床には血痕や痕跡らしいものもない。


「密室から人が消えた?」

 西村がつぶやいた。

「悪ふざけで隠れているのでは?」

 黒田が言う。黒田はカーテンの裏、河村はクローゼットを、杉浦はベッドの下をそれぞれ調べるが、誰も隠れていない。


 外は相変わらず雨が降り続いており、屋敷内はどこか湿り気を含んでいる。伊達は床を調べながら、

「何も痕跡がないのが不自然だな。」

 と低く言った。


「屋敷の中を探そう。」

 伊達が提案すると、全員が頷いた。伊達の弟である政道や使用人たちも捜索に加わることになった。

「すまんな、急にこんなことに巻き込んで。」伊達が政道に頭を下げた。

「いいえ、兄さん。それにしてもスペアキーはどうやって?」

「書斎の金庫に置いてある物だ。その鍵を持っているのは、君と私だけだろう。」


「第三者が密室を作れるとしたら、伊達か政道さんってことだな。」

 橘がわざとらしく言うと、伊達は苦い顔をした。

「そういう結論になるのは、不本意だが否定はできない。」

「警察を呼びましょうか?」

 政道が提案したが、橘が首を振った。

「まだ早いんじゃないか?もしかしたら篠原さんは家に帰っただけかもしれない。靴が残っていれば別だが。」


 下駄箱を調べると、篠原の靴が見当たらなかった。

「ほら、やっぱり家に帰ったんじゃない?」

橘は楽観的に言ったが、西村は首を横に振った。

「いや、この雨の中、黙って帰るなんて不自然だ。」

 皆で外を探すことになり、傘を手にそれぞれ散らばった。その時、杉浦が声を上げた。

「池に誰かいる!」


 全員が池のほとりに駆けつけると、そこにはスーツを着た男性がうつ伏せに沈んでいた。顔は水面に伏せられ、泥がその一部を覆っている。

「……篠原だ。」

 黒田が低く言った。

雨がようやく止みかけた空の下、屋敷には新たな謎が横たわっていた。


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