百鬼夜行
1.
その日、魔術倶楽部の会員たちは机を囲み、いつものように怪談話やオカルト話で盛り上がっていた。中でも、一部の熱心な会員たちは、最近話題となった三流記事について話し合っていた。
「見たかい、これ!」
お調子者の田中が机を叩きながら、新聞記事を広げてみせた。そのページには大きな見出しが躍っている。
『国府台で百鬼夜行目撃!
男が謎の死、家族も相次いで体調不良』
周囲の数人が興味深そうに記事を覗き込む。内容はお決まりのセンセーショナルな話だった。麹町付近で「百鬼夜行」を見たという男がその夜に急死し、男を看取った家族も次々と体調を崩しているという。
「どうだ、これ!本物の百鬼夜行だぜ!」
田中は目を輝かせて叫んだ。
「百鬼夜行……ですか。」
会員の一人が少し引いた様子で呟いた。だが、田中は構わず続けた。
「よし、俺たちで確認しに行こうじゃないか! こういう時こそ、我が魔術倶楽部の出番だろう?」
その提案に、少し離れた席で聞いていた伊達が深い溜息をついた。
「まったく……君たち、昔の人々がなぜ百鬼夜行を恐れたのか知らないのか?」
田中が不満げに振り返る。
「何を言ってるんです、伊達先生。こういう話を追いかけるのが楽しいんじゃないですか!」
「楽しむ……ね。百鬼夜行に会うと死ぬと言われたからこそ、昔の人々はその日に外出を控えたんだ。それをわざわざ確認しに行くなど、自ら死地に飛び込むようなものだよ。」
「先生、そんな迷信を真に受けてるんですか?」
田中が小馬鹿にするように笑う。
「迷信かどうかは別の話だ。だが……」
伊達は机に肘をつきながら低く続けた。
「何百年も前から語り継がれてきた理由はある。そもそも『百鬼夜行日』がいつだったか、君たちは覚えているのか?」
倶楽部員たちは顔を見合わせた。興味深そうに聞き入る者もいれば、明らかに気まずそうな者もいた。
「簡単なことだ。このように各月ごとに、子子午午巳巳戌戌未未辰辰と十二支が割り当てられている。」
伊達は自分のノートにペンで簡単な表を書き込みながら話し続けた。
「これが百鬼夜行日とされている日付だ。だいたい真夜中に外を出歩くのは、それ自体感心できない。」
田中が苦笑しながら、もう一度新聞記事を手に取った。
「先生、でもこれが本物だとしたら、見逃すなんてもったいない話ですよ。こういうチャンス、滅多にないんです!」
2.
その時、部屋の隅で河村少佐が何かを話したそうに、伊達と橘を手招きした。彼の表情は妙に落ち着いていて、少し楽しんでいるようにも見えた。
二人が彼のもとに近づくと、河村は声を潜めて言った。
「あなたたちだけに話しておこうと思って。あの国府台の件、実際のところは百鬼夜行なんかじゃないんです。ただのガス漏れ事故ですよ。」
「ガス漏れ?」
橘が眉をひそめた。
「そう。陸軍が、旅団の拠点にイペリットガスを運びこむ際、少し漏れたらしくてね。あれは、いわゆる毒ガス兵器だ。死ぬのも当然ですよ。」
伊達は静かに聞いていたが、鋭い視線を河村に向けた。
「つまり……陸軍の隠蔽だと?」
河村は小さく肩をすくめた。
「ええ、そうです。陸軍はこういうところで不器用ですからね。でも、あんまり大っぴらに話さないでくださいよ?」
橘が苦笑しながらつぶやいた。
「毒ガスに巻き込まれに行くなんて、それこそ死にたがりだな。」
「その通り。まぁ、そうそう搬入事故には会わないと思いますが、軍関連の施設が多くあります。会員が夜中にあの辺をウロウロするのはやめさせた方がいい。もっとも……彼らを止めるのが面倒なら、身分の高い人を巻き込むのも手ですね。例えば、陸軍のお偉いさんの身内でも連れていけば、忖度してくれるでしょう。」
河村の言葉に、伊達は再び深い溜息をついた。
「まったく……無駄な騒ぎを起こさないよう、先に策を講じておいた方がよさそうだな。」
橘がニヤリと笑った。
「伊達先生、説教の準備ですか?」
「そうだ。それも、かなり長いのをね。」
3.
二人は田中を説得するべく、倶楽部中央の机に戻っていった。河村は涼しい顔でそれを見送り、静かに笑みを浮かべていた。机を囲む部員たちの中で、まだ田中が勢いよく新聞を振りかざしている。伊達は深い溜息をつきながら田中に言った。
「田中君、君たちは軽々しく百鬼夜行なんて言うが、迷信には迷信たる理由があるんだ。」
田中は眉をひそめて振り返った。
「どういうことです、先生?」
「迷信というのは何らかの根拠があるものだ。例えば疫病や天災だ。百鬼夜行も、古来から恐れられてきたのは、そうした危険な事象を象徴しているからだ。あの三流記事を信じるわけではないが、人死が出ているとすれば、君たちが安易に行くべきではない。」
しかし、田中は気にも留めずに笑った。
「有志で行くんで大丈夫です! 先生を無理に誘うつもりはありませんから。」
その開き直りに、伊達は苛立ちを抑えながら橘に目配せをした。橘はすぐに意味を理解し、口元に薄く笑みを浮かべた。
「そうだな……俺、行こっかな!」
橘が言うと、田中が嬉しそうな顔を向けた。
「橘さん、興味あるんですか?」
「ああ、ちょっとな。だが、少人数で行くのは危険だろう。人数を増やした方がいい。俺が誰か適当に誘ってきてやるよ。」
そう言って橘は部室の隅にいた片山に目を向けた。片山は陸軍中将の息子で、この倶楽部には一種のステータスを求めて参加していた。見たところ、彼自身はこうした騒がしい活動には乗り気でない様子だった。
「おい、片山、お前も行けよ。」
橘が声をかけると、片山は驚いた顔で首を振った。
「いや、俺は遠慮しておくよ。」
「なんだ、怖いのか?」
橘が軽く挑発するように言うと、片山は少しむっとした様子で口を開いた。
「別に怖いわけじゃない。ただ、興味がないだけだ。」
「怖くないなら来いよ。お前がいれば心強いし、たまにはハメを外すのも面白いだろ?」
橘が肩を叩きながら押し切ると、片山はしぶしぶ頷いた。
「……まあ、そこまで言うなら行くけどさ。」
田中たちが喜ぶ一方、橘は満足げに伊達と視線を交わした。「これでよし」と。
すると、またしても河村少佐が手招きして伊達を呼び寄せた。
「まだ何か?」
伊達が尋ねると、河村は涼しげな笑みを浮かべながら呟いた。
「私は同行しませんが、情報をリークしておきますか?」
「リーク?」
「陸軍にです。中将のご子息が参加するとなれば、誰も手出しなんてできませんよ。陸軍の手も及びません。安全に済むはずです。このご時世に軍関係の面倒ごとを増やすのは嫌ですしね。」
伊達は思案顔で頷き、
「頼む。」
と短く返した。
すると河村は思わせぶりに目を細めた。
「いいですよ。ただ私にも一つお願いがあります。」
「なんだ?」
伊達が問い返すと、河村はわざとらしくため息をついた。
「上野の空也最中、知ってますよね?あれ、私の好物なんですよ。最近忙しくて買いに行けなくて。」
「買ってこいと?」
河村は悪びれもせずににこりと微笑んだ。
4.
かくして、百鬼夜行ツアーは無事に準備が整えられた。橘が率先してメンバーをまとめ、田中たちは意気揚々と国府台へ向かっていった。そして百鬼夜行日とされる夜に一行は麹町を歩き回ったが、特に異変もなく、明け方前に何事もなく解散した。
後日、河村が伊達に向かって一言。
「ほら、やっぱり私の作戦通りでしょ?中将の息子がいれば、問題は起きないんですよ。」
伊達は苦笑しながら河村を見つめ、空也最中の包みを彼に手渡した。
「これで満足だろう?」
河村は包みを開き、一つ取り出して頬張りながら答えた。
「ええ、大満足です。」
こうして、百鬼夜行騒動は幕を閉じたのだった。
書いた当初、タイトルが百物語→百鬼夜行で百が続くなぁとちょっと気にしていました。
河村さん、しれっと怖いこと言ってます。
田中さん、連続出演おめでとう!




