妖精との取り引き(後編)
6.
それからしばらく後、伊達と橘は、東京の資生堂アイスクリームパーラーにいた。白いクロスのかかったテーブルに座る二人の前に、涼しげなクリームソーダが運ばれてきた。
「お礼に、甘いものでもご馳走させていただこうと思いましてね。」
そう言って微笑むのは、軍服姿の河村少佐だった。整った軍帽を傍らに置き、どこか洒落た雰囲気を漂わせていた。
「甘いものねぇ……」
橘はメニューを見つめながら首を傾げた。
「河村少佐が俺たちをこんなところに誘うなんて、意外ですね。」
「頭を使うとね、どうしてもグルコースを摂取したくなるんですよ。」
河村は新聞を広げるようにメニューを広げ、次々とスイーツを注文していった。
「ストロベリーパフェ、チョコレートパフェ、それからフルーツタルト。あっ、プリンも一つ。お二人もどうぞ遠慮なく。」
尋常ではない量の甘味に伊達が驚きの声をあげた。
「これ全部一人で食べるつもりか?」
「もちろんですとも。」
河村はにっこりと微笑んだ。
「こうして甘いものに囲まれていると、なんとも心が和らぎますから。」
橘が目を丸くしながら声を上げて笑った。
「甘味好きな軍人なんて、初めて見ましたよ。」
「世の中、意外なことが多いものです。」
河村はフォークを手に取り、早速タルトに手を伸ばした。
橘が、ふと興味深そうに河村を見た。
「少佐の仕事って、やっぱり軍医だよな。でも、本当にそれだけなのか?」
河村は一瞬手を止めたが、すぐに再び笑顔を浮かべた。
「ただの軍医ですよ。命を救うのが私の務めです。」
そのわざとらしい言い回しに、伊達が鼻で笑った。
「白々しいな。お前がただの軍医で済むわけがない。」
河村は静かにナプキンで口元を拭き、まるで何でもない話題のように言葉を続けた。
「人体の構造を知れば、壊すのも容易いものですよ。治すために知識を深めるのも、破壊するために応用するのも、どちらも理屈は同じです。」
橘はその発言に驚きつつも興味津々な表情を浮かべた。
「じゃあ、例えば俺たちをどうにかしようと思ったら……」
河村は橘を真っすぐ見つめ、涼やかな笑顔を浮かべた。
「誰であれどこをどう押さえれば止まるかを知っていれば、対処は難しくありません。必要なら、実演してみますか?」
その言葉に、橘は背筋が少しだけ寒くなるのを感じた。
甘味の宴が終わると、河村の提案で三人は近くのビリヤード場へと向かった。レンガ造りの重厚な建物の中、緑のフェルトが敷かれた台がずらりと並んでいる。
「ビリヤードとは、面白い遊びです。計算と集中力、そして冷静な判断が求められる。」
河村が手に取ったキューを軽く回しながらそう言った。
「お前、絶対強いだろう。」
橘が苦笑しながら球を配置した。
「さあ、どうでしょうね。」
河村は柔らかな笑みを浮かべたまま、静かに構えた。
その姿は隙がなく、動きはまるで機械のように正確だった。彼がキューを振るたびに、白球が確実に的球へと当たり、次々とポケットに吸い込まれていく。
「……完璧だな。」
伊達がため息混じりに呟いた。
「単純な計算ですよ。」
河村は軽く肩をすくめた。
「力学を使えば球の軌道は予測可能です。力と摩擦係数、角度。それらを正確に計算すれば、失敗するはずがありません。」
橘が苦笑いを浮かべた。
「そりゃあ、そうかもしれないけど……遊びじゃないのかよ。」
「遊びにも真剣さが必要です。」
河村はにこりと笑った。
「どんな些細なことでも、全力で取り組むのが私の流儀ですから。」
その冷静さに、伊達は内心でため息をついた。やはり、この男にはどこか常人離れしたものがある。それが頼もしくもあり、不気味でもあった。
時計の針が8時を回ったあたりで、三人は店を出た。河村はいつもの微笑みを浮かべながら、帽子を軽く被り直した。
「今日はお付き合いいただき、ありがとうございました。」
「次回はごめん被りたい。」
伊達が肩をすくめた。
「まあまあ、甘いものも美味しかったし、いいじゃないか。」
橘が笑いながら言った。
河村は軽く会釈し、夜の闇へと姿を消した。その背中を見送りながら、橘がぼそりと呟いた。
「あいつ、本当に何者なんだろうな。」
伊達は橘の言葉に答えず、ただ静かに歩き出した。河村の影はもう見えなかった。
河村学
明治25年(1892年)9月1日生まれ
海軍少佐 軍医(整形外科)
情報部兼務。
秋田県鹿角生まれ。実家は林檎農家、祖父はマタギ。
金銭的理由から大学在学中に軍医になることを選んだ。甘味に目がない。
姉2人、兄5人の8人兄弟の末っ子
趣味は喫茶店巡り。




