第二十二話
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伊藤の精神は既に壊れていた。リーパーが介在するには手遅れの状態である……
『お嬢……』
しゃがれた声がそう言うと可憐な少女はつばを吐いた。
『ああ、欠片どころじゃない……』
伊藤の精神は既に黒く塗りつぶされていて、そこには人としての『形』さえ存在していなかった。
『本能も……欲望も……ない。このおっさん、終わっちまったな……』
しゃがれた声が『お手上げだ……』といった声でいった。
『もう夢を見ることさえできない……』
伊藤の壊れた精神はその活動をすべて静止していた。ただ心臓が動いているだけの存在へと成り代わっていた。
『どうする、お嬢……』
言われた少女はバレルに詰め込んだ弾を抜いてガンベルトの中に戻した。
『夢の断片を探す……そしてその中にある記憶から夢魔本体の情報を集める』
しゃがれた声は『マジかよ!!』という非難をこめた声を上げた。
『そんなことしたら赤字だぞ……こんなゴミみたいなやつの記憶、クソの役にも立たねぇって!』
だが少女は沈黙したまま微動だにしない……しゃがれた声は大きなため息をついた。
『わかったよ……』
しゃがれた声がそう言うと少女の胸の高さに光石が現れた。蛍石ように輝くそれは点滅するようにして七色の光を放射した。
『欠片だ、これを使え』
言われた少女はショットシェルの弾頭部分を器用に外すと、その中に光石を詰めた。そして弾丸を弾倉に送ると撃鉄をおこした。少女は無表情でショットガンを構えると頭上に向けて引き金を引いた。
*
爆音が響くと思いきや、無音が夢世界の中に響く。それは音の波となって少女を中心にして同心円状に広がった。
そして……
『お嬢、あれだな』
中空に何やらヘドロ状のものが浮かび上がった。少女はヘドロの塊に近づくと不敵な表情を浮かべた。
『これか……』
少女はヘドロの塊を凝視した。
『散らばっているな……』
少女は懐から切り出し小刀を出すとヘドロの中から記憶とリンクした部分を切り取った。そしてそれを時系列に並べた。その作業はPC内の不要なデータをソートしているかのようであった。
『こういうことか……』
つぎはぎだらけになった記憶を辿ると、少女は伊藤がいかにして夢魔に侵食されたかを認識した。
『女に籠絡され……その虜に……そして、その毒牙がこの男の精神を溶かした……どうやら、麻薬も使っていたみたいだな……これじゃあ、話にならん……』
少女がそう言った時である、しゃがれた声が不愉快な口調で続いた。
『こいつは厄介だぞ、お嬢……』
しゃがれた声に対し少女は鷹揚に頷いた。
『このままなら……俺たちには手が負えない……』
言われた少女は下唇を噛んだ。その顔にはリーパーとして仕事がなせないという意味が込められていた。
*
無事に由香と再会した宏は由香の状態を見て、唖然とした。
「大丈夫か……由香……」
宏が震える声でそういうと由香は気丈に答えた。
「大丈夫……未遂だから……」
由香がそういうと宏はほっとした表情を浮かべた。そこにはいろいろな意味で安堵感が滲んでいる。
「それより、この人……もう終わってるよ」
由香はだらしなく口を開けた刑事の顔を見てそう言うと宏は言葉を詰まらせた。
「廃人だま……これじゃあ何も聞き出せない」
宏がそう言うと由香がそれに答えた。
「夢魔に侵食されて心が壊れると……こうなるんだね……」
由香と宏は夢魔に侵食された人間の究極の姿をその眼にした。
「私もこうなりかけていたんだ……」
由香が震える声を出すといつの間にか現れた可憐な少女がそれに答えた。
『そのとおりだ、けもの道を歩んだ人間の末路だ。』
可憐な少女は何の感慨もなくそう言った。
『人は道を間違えるが、その修正ができるとは限らない……お前のように夢魔に侵食されで此世の戻れるのは極めて稀だ』
少女はそういうと厳しい目で由香を見た。
『己の犯した罪を心に刻み、それを背負うならばお前にも未来があろう……だがそうでなければ……お前も、この男と同じ末路をたどることになる』
少女は淡々と言ったが……その物言いには冷徹な真実が含まれていた。
*
一方、その様子を離れたところから覗く人物がいた。
『あの刑事……しくじったな……』
それは内藤家に仕える執事の老人であった。
『まあ、いいか、これで奥様がたかられることはなくなった……それにこれで遺書の件が明るみになることはない……』
執事の老人は卑下た表情を浮かべる一方で厳しい目つきを見せた。
『しかし、奴らがここまで来ているとは……』
小柄な老人には想定外の事態らしくその顔には焦りが見える。
『だが、あの二人には意味がない……もう心がないからな……』
双眼鏡で襲われる由香を見ていた男はそうひとりごちると、停めてあった車に戻るべく忍んでいた木陰からその身をはしらせた。
『大丈夫、心を失った者には刈人のつけいる隙はない……』
ククッと忍び笑いを漏らした小柄な老人は体を震わせた。
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翌日、由香と宏は朝食を共にしたが、2人は昨晩の出来事を語るか否かで微妙な距離感ができていた。あれだけの事があったのだそれが自然であろう……
『何から切り出せばいいんだろ……』
伊藤によって暴行されかけた由香の内心を計りかねた宏はどんな言葉をかければいいのかまよっていた。
そんな時である、宏の醸す空気を読んだ由香が声をあげた。
「夢魔の事なんだけど……」
宏は由香の眼を見ると話すように頷いた。由香はそれを見ると昨晩の出来事を話し出した。
*
「じゃあ、内藤さおりが夢魔の根なのか?」
「多分……だけど、それだけじゃない、母親もそうだと思う」
宏は昨晩の病院での出来事を思いだし思わず呻った。そしてそれと同時に鈴木絵里の両親の言っていたことを思い起こして由香に伝えた
「あの親子は悪魔だって……人を食い物にして、なに喰わぬ顔でいるって……」
宏がそう言うと由香が頷いた。
「これまで一連の出来事は内藤母娘の影響でおこったってことだよ……」
由香がそう言うと宏はこれまでのことを整理して二人で確認した。
*
「じゃあ、副島先生も絵里ちゃんも、みんなあいつらに……」
由香がそう言うと宏が自信のある声を上げた。
「副島先生だけじゃない、圧力と金で縛って鈴木絵里一家の人間を『おもちゃ』にしたんだよ。そして気に喰わない人物はその『おもちゃ』を使って排除……自分たちの手を汚さずにね」
「酷い、本当に……」
由香は宏に同意するとパッと顔を輝かせた。
「でもこれだけわかれば、あの人に……リーパーに狩ってもらえるんじゃないかな」
由香が確信した表情でそう言うとそれにひや水をかけるような声がどこからともなく響いた。
『夢魔の根に関しての推察はあたっているが俺たちの出番はない』
しゃがれた声であった。だがその内容は二人にとって想定外で二人はギョッとした表情を見せた。
「だって、夢魔をやっつけるのがあなたたちの仕事でしょ、あれだけの問題を引き起こした存在を野放しにするの、それに欠片だって手に入るんでしょ?」
由香が興奮した口調でそう言うとしゃがれた声がそれに答えた。
『あいつらは一筋縄ではいかんよ……もう人じゃないからな……』
「えっ……」
2人は大きく目を見開いた。
『もう人間を辞めちまったんだよ、あの親子は……』
「人間を辞めたって……」
宏がそう言うといつの間にか現れた少女がそれに答えた。
『長きにわたり夢魔に侵食され、あの者たちの心はすでに存在していない……私たちの入る隙間がもうないんだ……』
少女は渋い表情で続けた。
『自分たちの悪行が露見するのを防ぐために伊藤という刑事に副島洋子の遺書を盗ませる連中だ。まともな良心などとっくに無くなっている。』
それにしゃがれた声が続いた。
『自分たちの欲望を満たすために人をおもちゃにする奴らだ、人が死んでも何とも思わんだろう。そんなやつらをお相手にまともな話をしても通じんよ。心をゆり動かすような事態でも発生しなければ無理だ……』
人を廃人にしても何とも思わない連中の心を揺り動かすとは一体どのようなことなのだろうか……宏には見当もつかなかった。
一方、その想いは由香も同じであった、伊藤に犯されそうになったとき平然としてそれを見ていた内藤さおりの表情はあまりに自然で、そこに良心が存在しているとは考えられなかった。
『夢魔の根が分かったところで、奴らに心の隙間がなければ、俺たちは夢の中に介在できない。このままじゃお手上げだ。』
しゃがれた声がそう言うと可憐な少女が続いた。
『此岸のことは此岸でやるほかない……我々の力がかりたいなら知恵を使え』
「知恵って言ったって……」
宏の中で『限界』という言葉が現れ始めていた。
内藤親子が夢魔の根であることを確信した宏と由香ですが……しゃがれた声の持ち主はその二人がリーパーでは刈れないことを示唆します。
心を亡くした相手に対して由香と宏は立ち回れるのでしょうか……




