2章(2)
恵美が迎えた朝は幸福感に包まれていた。2日酔いまで心地よく感じられたのだ。結局昨夜は午前様。三人で過ごした時間は、あっという間に過ぎたのだった。飲み屋のお姉さま方は、最初は恵美に敵意さえ持っていたが、一生懸命に浩一がかばってくれた。そのうち恵美の存在理由がわかり、皆とも仲良くなった。ピアノ伴奏で歌ったり、ダンスをしたりと久しぶりに楽しんだのだ。しかも、次の約束まで交わしたのだ。恵美は思わず踊りそうになった。気がつくと、歯を磨きながら鼻歌まで飛び出していた。足も腫れが納まり、痛さもほとんどなくなっていた。今日1日はローヒールで我慢しても、明日には普段どうりに着こなせそうだった。しかし、出社した恵美を、憂鬱な影が取り囲んだ。専務と部長と課長だ。荷物を置く前に、3人は恵美を会議室へと連れ込んだ。
「昨日はどうだったかね」と専務。
「プロジェクトの参加を考えてくれたかな」と部長。
「素敵な、青年だね」と課長。
「はあ?、ちょっと、待ってください」恵美は、まくし立てる3人を必死に制止した。どうやら、どこかの窓から見ていたようだ。恵美がハイヤーに乗るところを。なんと言う上司だ。恵美は呆れた。
「昨日は、食事をしただけです。まだ、決めてません。素敵な人です」恵美は順番に答えた。それから3人の制止も聞かずにスタスタと、会議室を出て行った。ところが、ほっとしたのもつかの間、詮索好きの雅子が待ち構えていた。
「どう言う事。ちゃんと説明してよね。私なんか2時間も残業させられたのよ」怒りの矛先は恵美にと向けられていた。残業などは、恵美には関係がないことだが、こうなっては、説明するより仕方なかった。この状態で説明しなければ、何を騒ぎ出すかわかったものではなかったからだ。昼食時に話すと言うと、雅子は吐き捨てるように言った。
「じゃあ、昼ね。絶対よ」その場はどうにか切り抜けたが、側にいた京子の態度は否によそよそしかった。
「なんで、恵美がプロジェクトに参加させられるの」恵美は浩一と浩二のことは、話さなかった。
「わかんないわよ。だから、何度も呼ばれているの」
「それで、参加するの」嫌味な言い方だったが、恵美は気にしないように勤めた。
「するわけないでしょ。私には未知の分野だもん」恵美はとトマトを口に放り込んだ。
「そうよね。あんたに出来るのは、経理だけでもんね」雅子は大笑いした。どうやら怒りは収まったらしい。ところが、急に雅子の顔が変わった。
「じゃあ、昨日の帰りはなんなの。誰かが来たんじゃないの」
「ち、違うわよ。病院。病院にいきますって、課長には言っておいたから」恵美は一瞬焦った。
「なんか、怪しいな。まあ、今日はこの辺で許してあげるけど、なにかあったら話しなさいよ」雅子はしっかりと恵美に釘をさした。どうにか、雅子の攻撃はしのげたものの、しばらくは、安心できそうもなかった。京子は一緒にいながらも、一言も話をしなかった。雅子みたいに詮索好きではないが、笑って見ているだけとは思いもしなかった。しかも、どこか落ち着きもなかったのだ。まるで一緒にいるのが苦痛のようにさえ見えたのだ。午後も何かと理由をつけては、部長が顔を出した。経理課では、徐々に噂が広がり始め、恵美は頭を抱えた。同僚達の目は、完璧に疑いの眼差しだった。とうとう恵美は参加を承諾した。明日もこの調子でやられたら、部長の愛人説まで、飛び出しそうな雰囲気だった。プロジェクト参加者には、特別に部屋が割り当てられていた為、恵美は一時的に部屋を移った。お陰で、皆の視線を浴びることはなくなったが、それだけでは安心できなかった。ほかの参加者だ。なぜ、恵美が選ばれたのかは、皆知るよしもない。あきらかに、疑惑の目が恵美に注がれた。失敗だった。恵美はつくづく思ったが。後の祭りに奇跡は起こらなかった。