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7章(1)

紙袋を両手に携え立ち止まり、恵美は大きく深呼吸をした。会社に入る1歩が重く感じた。気持ちに反動を付けて歩みだすと、足は以外にも容易に動いた。その1歩が恵美の心を強固な落ち着きで包み込んだ。今の恵美には、少々のことでは動じない強い意志によって動かされていた。新しく割り当てられたロッカーに、1つの紙袋を無造作に詰め込むと、恵美は勢い良く経理課に向かった。まるで今から喧嘩でもするような面持ちだった。ところが課長は笑顔出恵美を迎えた。

「大変だったね。私からもお礼を言うよ。本来は我々の成すべき事だった」そう言って課長は頭を下げた。部長からでも聞いたのか、恵美は今までみたこともない課長の態度に拍子抜けする思いだった。

「いえ、お役に立てなくて申し訳ありません」恵美は土産を差し出し深いお辞儀をした。出勤している経理課員全員が恵美に注目を集めた。

「土産まで・・・、ありがとう。休憩時間にみんなで食べるよ」課長は心からお礼を言っているように恵美には感じられた。経理課員のどこからともなく『ご馳走様』の声が聞こえた。皆の目は笑っていた。よ

うやく受け入れてもらったよう気になり、恵美は皆にも頭を下げた。どうやら、経理課には専務の企みは伝わっていないことが、はっきりしたと恵美は思った。経理課を出る時に、出勤して来た雅子と鉢合わせた。2人はすれ違いざまに手と手を重ね合わせ、互いに片目を瞑っただけだった。経理課の扉が閉まった後も、恵美はしばらくその場に佇んだ。中からは課長の声が響いていた。

「京子君は残念ながら止めてしまった。恵美君が骨を折ってくれたが、仕方のないことだ。土産を貰った

からあとで皆で食べよう」扉の外で聞き耳を立てる恵美は、自分の居場所が残されたとを密かに喜んだ。

それとは異なりプロジェクトの面々は、疑惑の目で恵美を迎えた。刺す様な視線にたじろぎ、土産の袋をデスクの下に仕舞い込んだ。恵美の強固な落ち着きも、この中では無駄な足掻きにさえ感じられた。そんな中、辛口女史の孝子が近づいた。

「領収書、溜まってるからお願いね」その口調と表情からは、孝子の意思は掴み取れなかった。さすがはプレゼンの達人。自分の感情を自由に操作出来る様だ。特にプレゼンでは、相手の指摘や質問にいちいち動揺を見せていては失敗する。それは孝子が最初に会得した技術だった。冷ややかな視線を浴びながら、恵美は電卓を打ち続けた。まるで針のむしろに座って居るようだった。刺さる視線が激しさを増した時、技術畑の主任が恵美に向かって歩き出した。経理の話では無さそうだ。その目は敵意さえ浮かべていたのだ。我慢の限界でも訪れたように、真っ直ぐと恵美に向かってくる。理由はわかっていた。休んだこともそうだが、1番の原因は浩一と浩二だ。あの顔合わせの夜、浩二と2人で闇に消えた事。浩一が迎えに来て休んでしまった事。

「理由を説明してほしい」両手をデスクに広く広げ、迫るように恵美に尋ねた。『ほら来た』恵美の考えは的中した。的中してほしくない事を言い当てるのは、恵美の得意技かも知れない。恵美が口を開かないのを見て、技術主任はデスクを激しく叩いた。

「君の素性はなんなのか、誰の命令なのか。はっきりと聞きたい」その質問から察すると、どうやら恵美の専務の回し者で、自分達を監視しているのではないかと疑っているようだった。先方のお偉方と親交があり自由に休める人間など、仲間ではないと言いたげだった。恵美は返事に困った。部長も専務も居ない上、さらに3人が恵美に真っ直ぐ向かってくるのが見えた。まさか同僚が自殺を図ったなどとは言えない。

浩一とは特別な関係で専務は私を利用してます。そんな事も口が裂けても言えなかった。恵美は4人に囲まれ鋭い質問を浴びせられていた。

「ちょっと、いい加減にしなさいよ」孝子だ。足早に近づくと、孝子は捲くし立てるように話した。

「どうでもいいじゃない。自分の仕事をしなさいよ」

「しかし、仲間の輪が壊れては・・・」主任は、必死に反論を目論んだ。

「何言ってんのよ、あんたに迷惑かかったの。接待の振りして飲み歩いているくせに」孝子の剣幕に主任もほかの社員も黙ってしまった。4人は自分のデスクに戻っていった。その後姿は、負け犬そのものだった。恵美は孝子に頭を下げた。

「勘違いしないで、助けた訳ではないのよ。うるさかっただけ」孝子は恵美の顔も見ないまま冷たく言い放ち、席に戻っていった。そんな時部長が部屋に飛び込んできた。恵美を見付けるなり激しく手招きをした。その顔は、困惑と不安の入り交ざった顔つきで、何か重要な驚くべきことが起こったのだと言っていた。恵美が急いで駆け寄ると、部長は恵美の手を引き連れ出した。廊下で恵美が耳にした事は、

「山田専務の行方が掴めない。何か知らないか」だった。その言葉を聞いた途端、恵美の視界は霧に包まれ、浩二の名を呼びながら暗い闇に落ち込む自分が見えた。

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