6章(4)
聡子は熱海駅まで恵美を送った。昼も近かったので一緒に食事でもと思ったが、子供が学校から戻ると
言うので聡子とは駅で別れた。時刻表を見ると、東京行きの特急発車まで小一時間ほどの余裕があった。駅ビルには多くの土産物屋がひしめき合い、もちろん食堂もあった。恵美は幾つかの土産を買った。雅子と課長、それにプロジェクトの仲間達にだ。恵美の休みの理由は正当な扱いにされ、欠席扱いにはされていなかった。浩一のお陰であるのは明白だが、せめてもの償いにと大量の土産を買い込んだ。食事も立ち並ぶ土産物屋の一角にあるすし屋で、ちらし寿司を注文してゆっくりと食べた。一人のお客は恵美だけだったが、土産の袋を持っているために、とり立てて不審がられる様子はなかった。食事を終えた恵美はポケットから紙切れを取り出した。聡子と携帯番号を交換したのだ。恵美は早速電話を掛けた。時間的にはもう戻っているだろうと思ったのだ。
「もしもし」分かれたばかりの声が、恵美には懐かしく感じられた。
「恵美です。送っていただいて、ありがとうございました。これから電車に乗ります」
「堅苦しいこと、言わないで。また来て下さいね。私の家でも良いわよ。高いから・・」聡子の屈託のな
い笑いに、恵美も小さく笑った。
「じゃあ、気をつけてね・・・」聡子は何かを言おうとしたが、そのまま別れの挨拶を交わし電話を切っ
た。聡子の会話の最後が気になったが、恵美はそれほど気にはかけなかった。恵美は携帯をしばらく見つめ、そのまま雅子に電話を入れた。
「そう、大変だったわね。でも京子、ほんとに辞めちゃうのか」雅子の声は確かに残念がっていた。
「じゃあ、いつものところで、6時でいい」雅子には、会ってちゃんとちゃんと話したかったのだ。恵美
はそう言って電話を切った。東京行きの電車は空いていた。自宅に寄っても、京子との待ち合わせ時間に
は十分間に合いそうだ。電車の振動を感じながら、恵美はぼんやりと浩二を思い出していた。そんな自分に気がついて、慌てて恵美は雑誌を取り出した。今は考えたくない。そんな理由から駅で雑誌を購入していたのだ。恵美は必死に活字を眼で追った。浩二のことを頭から追い払うように、声に出して読み始めた。幸い恵美の近くに乗客はいない。声は次第大きくなった。
雅子の土産を持って恵美は自宅を出た。本来ならば丁度終業時間だ。皆には後ろめたさを感じていた。
明日からは仕事に全神経を向けよう。恵美が心に誓った時に『逃げるの?』そんな言葉が頭を貫いた。
「え?」恵美は思わず声を出し、あたりを見回した。『二人のことは考えないの?』その声はさらに問題
を突きつけた。心の葛藤・・・。はっきりと自分の中で起こり始めた葛藤と、恵美は対決を迫られた。
「わかってる・・、でも、答えは出せない。もう少し待って」悲願するような声が恵美の口からこぼれ
た。『いいわ、でも急いで、取り返しがつかなくなるわ』頭を貫く声はそのまま口を閉ざした。
「はい、お土産」コーヒーがなくなりかけた頃、雅子が現れた。20分の遅刻だが、恵美は文句も言わず
に土産を差し出した。
「ありがとう・・。ごめん、遅くなって」雅子が謝るのは珍しかった。たったの数日だが、雅子の気持ち
にも変化が訪れたようだ。恵美の配置転換、京子の自殺未遂そして退職。雅子は1人取り残された気持ち
になっていた。恵美は一連の出来事を、差しさわりのない程度で雅子に話した。
「そうか・・・でも恵美の元彼、どうしようもないね!・・あっ、ごめん」雅子は少し出された舌を噛ん
だ。恵美と話しているうちに、雅子の気持ちも落ち着いたようだ。徐々にいつもの雅子に戻っていった。
「すっかり忘れてた」恵美はあれから元彼、浩二に連絡を入れていなかった。脅かしたままだったのだ。
もう浩二には何も期待はしていない。だが、最後にどうしても1言文句を付けたかった。思い出すだけでも恵美は腹がたった。そんな恵美に気づきもしないように、雅子の表情が変わった。
「ところで、なんか恵美は特別待遇に見えるんだけど・・・」雅子はテーブルに身を乗り出すよう話始めた。いつもの詮索好きが始まったようだ。しかし雅子だけではないだろう。恐らく、皆が思っているはずだ。そう考えると、翌日からの出勤が思いやられそうだ。




