6章(3)
「ごめんなさい」朝一番にいつもの女中がやってきた。今朝は私服でやってきたのだ。今日は仕事が休みだが、どうしても謝りたかったと何度も頭を下げた。女中は聡子と名乗った。
「私でも、間違えるから・・・・」恵美は昨夜の浩二を思い出した。病気だったとは言え、浩一と浩二を間違え、恥かしげもなく迫ってしまったことを・・・。
「ほんとに、ごめんなさい。でも、そっくり。あそこまで似ている双子は初めて・・・」恵美は肩を震わせ笑い出した。聡子の身振り手振りと驚く顔が滑稽だったのだ。聡子も笑い出した。私服の聡子は若く見えた。アップを下ろした髪はロングのストレート。薄化粧の肌は白く綺麗に透き通っていた。
「具合は良さそうですね。安心したわ」ひとしきり笑うと、聡子が言った。
「ありがとうございます。もうすっかり良くなりました」恵美は頭を下げた。旅館でこんな知り合い方も珍しいだろう。聡子は32歳。子供を引取り離婚して、3年前にここに来たのだと説明した。
「そうそう、お友達は?」聡子は恵美に尋ねた。
「今日は病院に行こうと思います。それから、東京に帰ります」
「寂しくなるわね・・・。あら、ヤダ。いつまでも居られないわよね。ごめんなさい」すっかりと仲の良い友達になったようだ。誰との出会いであれ、それは突如として訪れるのだなあと、恵美は思った。
「じゃあ、私がお供します。子供は学校だし。車もあるから」聡子はキーを手に持ち揺り鳴らした。
「ありがとうございます。でも・・」
「いいのよ、なんか田舎の妹を思い出して・・・」聡子は恵美の言葉を遮ると、遠くに目を泳がせた。
「じゃあ、食事してきてください。私は、車の掃除をしてるから」聡子は軽い足どりで部屋を出て行った。恵美は宿のチェックアウトを申し出た。フロントの女中がパソコンの操作をすると、恵美に言った。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」そして頭をさげた。
「え?請求は・・・」
「は?あ〜、請求は会社のほうへ送らせていただきますので」恵美はパソコンを覗き込んだ。浩一の会社名がそこには記入され、決して当人からは徴収しないように書き加えられていた。
「なにか・・・」女中は不審そうに恵美を眺めた。
「いえ」恵美は黙った。騒げば浩一の会社に連絡が行くだろう。しばらくは東京に戻っても、会いたくなかったのだ。浩二のことが気になっていたからだ。せめて2日。自分の気持ちを整理したかったのだ。
「じゃあ、乗って下さい」玄関前には、聡子が待っていた。小さな車だが綺麗に洗車され、車内も片付いていた。聡子は良く笑った。恵美もつられて一緒に笑った。他愛もない話だが、恵美の会話にはリズムがあった。相手を引き込む話術もあった。恵美は気持ちが落ち着くのを感じ取り、聡子の人柄に好意を持った。姉が居たらこうなのかな。聡子の横顔を見ながら恵美は浩二を思い出したいた。『駄目、浩一さんは』心の声が言った。聡子の話に相槌を打ちながらも、思いは浩二に寄せられていた。『浩一さんは嫌い?』またも声が響いた。『ううん』恵美は答えた。『じゃあ、浩一さんだけを見て』恵美は答えられなかった。はたして、浩二を忘れることが出来るのか。浩一と付き合えば、嫌でも浩二と顔を合わせなくてはならない。たとえ、プロジェクトを降りようとも、浩一の後ろには常に浩二の影が見えるのだ。もちろん浩二の後ろにも浩一が居るのだ。恵美の顔つきが気になったのか、聡子が聞いた。
「どうしたの?具合が悪い。私、うるさかった?」優しい姉のようだ。
「いえ、違うんです」恵美は全てを吐き出しそうになったが、ぐっと堪えた。聡子はそんな恵美を黙って見ていた。
病院には、京子の母も到着していた。近くの民宿に泊まっているらしい。
「どう、調子は?」恵美はできるだけ明るく尋ねた。
「おかげさまで」そして小声で「ありがとう」と京子は恵美に言った。恵美は小さく笑い包みを差し出した。
「はい、旅館に言って作ってもらったの」包みには、玉子焼き漬物、小魚の甘露煮などが入っていた。
「病院のご飯は美味しくないでしょ?」京子はわざと大きく頷いた。そして
「私、田舎に帰るわ」京子は寂しそうに恵美に言った。京子の母は聞こえない素振りで病室を出て行った。
「そう、残念だわ・・・・」恵美は呟き
「でも、いつまでも友達よ」と元気に付け加えた。
「ありがとう、恵美には感謝しても仕切れない・・・」京子の目に涙が光った。ここでも一つの出会いが終わった気がした。実際には終わりはしな。会いたいと思えばいつでも会えるはずだ。しかし恵美の心は、終わりを告げられたように深く沈みこんだ。