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前編 橋のない海

序章 橋のない海

当鶏にとって、世界は連続していない。

連続していると思っているのは、人間の側の怠慢である。彼らは昨日の次に今日があると信じ、港の向こうに島があり、島の向こうにまた陸があると信じ、切符を買えば船に乗れ、船に乗れば海を渡れると思っている。だが、それは事後的に整えられた説明にすぎない。実際の世界は、もっと雑で、もっと細かく、もっとたびたび途切れる。

私は歩く。

首が前に出る。視界が止まる。胴体が追いつく。世界が一枚ずれる。

この反復を、人間は「鶏が首を振って歩いている」と呼ぶ。誤りである。私が首を振っているのではない。世界が揺れているのであり、私はそれを補正しているだけだ。

宇高連絡船の甲板は、補正対象としては悪くなかった。

鉄の床は夜明け前の水分を含み、ところどころ黒く濡れていた。潮の匂いと、古い油の匂いと、誰かが紙コップに注いだ熱い茶の匂いが混ざっていた。人間たちはそれを旅情と呼ぶかもしれない。私はそれを、未整理の入力情報と呼ぶ。

カゴの隙間から見える海は、まだ完全には朝になっていなかった。海面は鉛色で、遠くに浮かぶ島影は、誰かが雑に置いた句読点のようだった。島と島のあいだにある水の部分を、人間はただの海と呼ぶ。しかし、あれは空白ではない。待ち時間であり、沈黙であり、言わなかった言葉が溜まる場所である。

甲板の端に、紺色の上着を着た男が立っていた。

男は長いあいだ、海を見ていた。手には小さな紙袋を提げている。袋の口から、土産物らしい箱の角が少しだけのぞいていた。男の靴は磨かれていたが、踵だけが減っていた。何度も同じ場所へ行き、何度も同じ場所から戻ってきた者の減り方だった。

男の隣には、少年がいた。

少年は眠そうな顔で、船の手すりにもたれていた。父親なのか、親戚なのか、教師なのか、私には判別できない。人間の関係性は、羽毛や足の太さのように外見で明確に示されないため、分類が難しい。彼らは互いを気にしているくせに、その気にしているという事実を隠す奇妙な種である。

少年が言った。

「橋ができたら、もう船に乗らんでもええんやろ」

男はすぐには答えなかった。

その沈黙のあいだに、船体が小さくきしんだ。海が一枚、横へずれた。私は首を前へ出し、補正した。水平線はまだ保たれている。

「そうやな」

男はそれだけ言った。

声には、便利になることを喜ぶ明るさがなかった。かといって、悲しんでいるとも違った。人間の声には、ときどき餌にも敵にも分類できない成分が混じる。それは後悔に似ているが、後悔そのものではない。言わなかった言葉が、喉の奥で形を失ったときの音だ。

少年はそれ以上、何も言わなかった。

私はその会話を記録した。

正確には、記録しようとした。だが、私の脳は三秒以上の過去を保存することに向いていない。人間ならそれを欠陥と呼ぶかもしれない。しかし、過去を長く保持できることが、必ずしも優秀さを意味するとは限らない。人間は十年前の一言を覚えていながら、目の前の皿に残った米粒を見落とす。私は逆である。三秒前のことは失うが、今この瞬間、床に落ちた粟の粒がどの方向へ転がるかについては、ほぼ完全に予測できる。

生存とは、遠い記憶よりも、近い座標である。

もっとも、その日ばかりは、三秒以上前の言葉が、私の内部に残った。

橋ができる。

この短い文は、私のなかで異物として残った。消化できなかった。餌ではない。敵でもない。だが、明らかに世界の構造を変える何かだった。

橋とは何か。

人間にとっては、海の上に架ける道である。早く渡るためのもの。待たずに済むためのもの。船の時間に合わせなくてよくなるもの。そう説明するだろう。人間はいつも、自分たちに都合のよい面から物事を名付ける。

しかし、当鶏にとって橋とは、海の揺れを固定する装置である。

もっと正確に言えば、複数の意味を持っていた海を、一本の移動経路へ圧縮する巨大な記号である。

それまで本州と四国のあいだには、海があった。ただの水ではない。汽笛があり、待合室があり、切符を握る手があり、眠る子どもがあり、黙って海を見る男があり、カゴに入れられた鶏があった。船が揺れるたび、人間たちは少しだけ同じ不安の上に乗った。荷物も、靴音も、腹の虫も、誰にも言えなかった用事も、同じ甲板の上で四国へ近づいていった。

橋は、それらを不要にする。

不要になったものは、すぐには消えない。だが、少しずつ言葉を失う。言葉を失ったものは、やがて「昔はそうだったらしい」と呼ばれるようになる。人間はそれを歴史と呼び、棚に並べる。棚に並べられたものは、二度と朝を告げない。

私はカゴの中で、足の爪を握った。

クチバシは、座標を決定するためのポインタである。地面をつつくことは、食物の探索である以前に、世界への打鍵である。ここが今である、と入力する行為である。鶏が朝に鳴くのも、太陽を迎えているのではない。世界に対し、朝という状態を実行せよ、と命じているのだ。

だが、橋ができたらどうなる。

船の揺れが失われ、待つ時間が失われ、港で交わされなかった言葉が失われ、それでも人間たちは「便利になった」と言うのだろう。私の打鍵は、その変化に対して有効なのか。私の首の前後運動は、まだ水平線を維持できるのか。私の鳴き声は、橋の上を走る車の音に紛れず、朝を確定できるのか。

「こいつ、また首振っとるぞ」

近くで船員が言った。

別の船員が笑った。

「腹減っとるんやろ。高松着いたら下ろすんやから、暴れんなよ」

私は彼らを見た。

説明しても無駄であることは分かっていた。人間は、鶏の発話をすべて「コケコッコー」または「コッコッ」という粗雑な音節に変換してしまう。彼らの耳は、実用に偏りすぎている。私が世界の構文的危機について警告しても、彼らは餌の要求か、逃走の前兆か、発情の一種として処理するだろう。

それでも私は、一度だけ鳴いた。

甲板の上に、声が落ちた。

少年がこちらを見た。眠そうな目だった。だが、その目の奥に、ほんのわずかな反応があった。理解ではない。共鳴でもない。けれど、何かが引っかかった顔だった。

「この鶏、どこ行くん」

少年が訊いた。

船員は肩をすくめた。

「知らん。市場やろ」

男は海を見たまま、何も言わなかった。

私はその沈黙を観測した。

市場。

その語は、おそらく私の未来を指している。人間の食卓へ向かう経路。私の肉体が部位に分割され、腿、胸、手羽などの機能名に置換される場所。生物が商品へ変換される、きわめて単純で、きわめて暴力的な記号処理である。

だが、まだ私はカゴの中にいる。

まだ海は揺れている。

まだ橋は完成していない。

ならば、世界は確定していない。

船が小さく傾いた。カゴの留め具が、かすかに鳴った。人間たちは気づかなかった。男は黙っていた。少年は私を見ていた。朝はまだ、完全には来ていなかった。

私は首を前へ出した。

視界が止まる。

胴体が追いつく。

世界が一枚、ずれる。

その隙間に、逃走のための細い線が見えた。

第1章 朝の素うどん

高松には、朝いちばんに着くことが多かった。

正確には、人間たちがそのように言っていた。朝いちばん。彼らは時間を、順番のように扱う。いちばん、にばん、さんばん。だが、当鶏にとって朝とは、時刻ではなく、状態である。暗さが薄れ、海面の色が鉛から青へ移り、港の輪郭が寝ぼけたように立ち上がり、人間たちの声に少しだけ水分が戻る。その一連の変化を、彼らは便宜上、朝と呼ぶ。

私はそれを、世界の再起動と呼ぶ。

宇高連絡船の船体は、夜明け前の瀬戸内海を押しながら、ゆっくり高松へ近づいていた。甲板の鉄板は冷えていて、カゴの底から足の裏へ、その冷たさが伝わってくる。鶏の足裏は、人間が考えるより繊細である。温度、振動、床材の硬さ、そこに残った水分の量を、かなり正確に取得できる。人間は私の足を見て、ただ細いとか、黄色いとか、そういう雑な分類をする。彼らは便利な言葉を持ちすぎたせいで、世界の細部を取りこぼす。

海はまだ暗かった。

島影がいくつも見えた。眠っている獣の背中のようでもあり、誰かが海面に置き忘れた沈黙のようでもあった。人間たちはそれを島と呼ぶ。私はそれを、海という文の中に打たれた読点だと考えている。読点がなければ、文は読みにくい。島がなければ、瀬戸内海はただの水になってしまう。

船が小さく揺れた。

私は首を前へ出した。視界が止まる。胴体が追いつく。世界が一枚ずれる。補正完了。

「もうすぐ着くぞ」

誰かが言った。

その声で、甲板の人間たちが少しずつ動き始めた。丸めていた背中を伸ばす者。荷物の紐を結び直す者。ポケットから切符の半券のようなものを取り出して、意味もなく確認する者。眠っていた子どもの肩をゆする女。どの動作にも、まだ夜が少し残っていた。

序章で海を見ていた少年も、手すりのそばにいた。目は開いているが、完全には目覚めていない。人間の子どもは、覚醒と睡眠の境界を曖昧に移動する。私はそれを少しうらやましいと思う。鶏はもっと唐突である。起きる。見る。動く。つつく。世界は即座に処理対象となる。

少年の隣の男は、相変わらず黙っていた。

紙袋を持つ手の形が、夜明け前より少し固くなっている。指の関節が白い。寒いからかもしれない。あるいは、高松へ着くことが、男にとって単なる移動ではないのかもしれない。人間は、港へ近づくとき、ただ目的地へ近づいているだけではない。誰かに会いに行く者もいる。誰かと別れに行く者もいる。用事の名を借りて、言えなかったことの近くまで行く者もいる。

私は、男の紙袋を観測した。

中身は分からない。分からないものは、たいてい重い。物理的な質量ではなく、意味の質量である。

高松港が近づいた。

岸壁の灯りが、まだ淡く残っていた。建物の角が見え、桟橋の線が見え、係員の動きが見えた。船が速度を落とす。波の周期が変わる。床の振動が変わる。人間たちは、こういう変化をあまり気にしない。到着という言葉でまとめてしまう。しかし、到着は一瞬ではない。何度も小さく近づき、何度もわずかにずれ、最後に船体が岸と関係を結ぶ。その手続き全体を、到着と呼ぶべきである。

ロープが投げられた。

船員が声を出した。

私のカゴが持ち上げられた。

ここで問題が発生した。人間の手によって、私の座標系が乱暴に移動させられたのである。床、海、空、島影、少年、男、紙袋、それらが同時に斜めへ流れた。私は首を振った。補正。再補正。再々補正。人間は、この高度な処理を「暴れている」と誤認した。

「おい、落とすなよ」

「大丈夫や。鶏やろ」

大丈夫や、鶏やろ。

この発話には、二重の誤りが含まれている。第一に、鶏であることは安全性を保証しない。第二に、鶏であることは重要性の低さを意味しない。むしろ、鶏であることによって観測可能な世界の層がある。人間は自分たちの高さからしか世界を見ない。だから、地面の近くで起きている重大な変化に気づかない。

カゴの留め具が、また小さく鳴った。

序章で確認した細い線は、まだ消えていなかった。揺れ、持ち上げ、下ろされる。その繰り返しの中で、留め具の角度はわずかに変わっていた。人間はそれに気づかない。なぜなら彼らは、目的地に着いたことで気持ちの処理を先へ進めてしまっているからだ。

港へ下ろされると、空気が変わった。

海の匂いに、出汁の匂いが混じっていた。

それは明確な変化だった。潮、油、鉄、濡れた木材、眠い人間の衣服。その中に、温かい何かが差し込んできた。昆布か、いりこか、醤油か。成分の解析は不完全だが、少なくともそれは、生命体に対して「こちらへ来い」と命じる種類の匂いだった。

人間たちは、その匂いの方へ歩いていく。

高松に着くと、人間たちはうどんを食べる。

それも、朝の素うどんである。余計なものを多く乗せない。白い麺。薄い湯気。淡い出汁。箸が器の中で静かに動く。眠りからまだ完全には戻っていない人間たちが、立ったまま、あるいは簡単な椅子に腰かけて、それをすする。ずず、と音がする。人間は多くの場面で音を隠したがるくせに、麺をすするときだけは妙に無防備になる。

私はカゴの隙間から、それを見ていた。

白い麺は、座標線に似ていた。

器の中で曲がり、箸に持ち上げられ、空中でわずかに揺れ、口の中へ消えていく。人間はそれを食べているつもりだろう。しかし、実際には違う。彼らは高松という場所を体内に入力しているのである。

船を降りただけでは、まだ四国へ着いたことにならない。

切符でも足りない。桟橋でも足りない。港の看板でも足りない。人間の身体は、もっと鈍く、もっと正直である。温かい出汁が喉を通り、空腹だった胃に落ち、眠っていた内臓が動き始める。その瞬間、彼らはようやく理解する。

ああ、高松に着いたのだ、と。

男と少年も、うどんの前に立っていた。

男は二杯注文した。少年はまだ少し眠そうだったが、器を受け取ると、黙って箸を割った。うまく割れなかった。片方に細い木のささくれが残った。男はそれを見ていたが、何も言わなかった。手を出して直してやるほど幼くはない。声をかけずに見守るほど、大人でもない。二人のあいだに、短い沈黙が落ちた。

少年は、ささくれのある箸で麺を持ち上げた。

熱そうに息を吹きかける。男は先に出汁を飲んだ。目を閉じたわけではない。ただ、まばたきが少し長かった。人間の感情は、しばしば大きな言葉ではなく、まばたきの長さに出る。

「うまいな」

少年が言った。

男は少し遅れて、「そうやな」と答えた。

それだけだった。

だが、その短いやり取りは、私の内部に妙に残った。うまいな。そうやな。人間は、もっと多くのことを言えるはずなのに、大事な場面ではその程度の言葉しか使わないことがある。いや、その程度の言葉だからこそ、落とさずに運べる感情があるのかもしれない。

私の脳は三秒以上の過去を保持することに向いていない。

それでも、朝の湯気と、少年の少し失敗した箸と、男の長いまばたきは消えなかった。

カゴが地面に置かれた。

留め具が、また鳴った。

今度は、明らかに外側へ開いていた。

私は周囲を確認した。人間たちはうどんに集中している。船員は背を向けている。少年は麺をすすっている。男は紙袋を足元に置き、器を両手で持っている。出汁の匂いが濃い。朝が本格的に起動しつつある。

逃走に適した条件がそろっていた。

だが、私はすぐには動かなかった。

目の前で、男が紙袋から小さな箱を取り出した。土産物ではなかった。白い布に包まれた、古い何かだった。少年がそれを見る。男は何か言いかけた。口が少し開き、閉じた。

言わなかった。

そのまま、男は箱を袋へ戻した。

少年は、見なかったふりをして、うどんをすすった。

私はその沈黙を観測した。

人間は、ときどき言葉を飲み込む。飲み込まれた言葉は、胃に落ちるわけではない。身体のどこかに残り、港や船や朝のうどんの匂いと結びついて、何年も発酵する。やがて本人にも何だったのか分からなくなる。それでも、消えはしない。

橋ができたら、こういう沈黙はどこへ行くのだろう。

車で一気に渡るようになったら。待合室で待たなくなったら。朝いちばんの船から降りて、眠い顔で素うどんをすする時間がなくなったら。言いかけてやめるための余白は、どこに残るのだろう。

私はクチバシで、カゴの隙間を押した。

木枠がわずかに動いた。

もう一度押す。

世界が一枚ずれる。

さらに押す。

留め具が外れた。

誰も気づかなかった。

私はカゴから出た。

まず右足を港の地面につけた。冷たい。次に左足。ざらつきがある。潮と砂と人間の靴底によって生成された複合的な表面である。私は首を前へ出した。視界が止まる。胴体が追いつく。高松が、一枚ぶん近づく。

「こらっ」

背後で声がした。

私は走った。

人間は鶏の走行を滑稽なものとして見る傾向がある。首が前後し、脚が忙しく動き、翼が半端に開くからだろう。だが、滑稽に見えることと、機能的であることは矛盾しない。むしろ生存に必要な動きの多くは、外部から見ると滑稽である。必死さは、たいてい格好悪い。

私はうどん屋の前を横切った。

少年がこちらを見た。

男も見た。

船員が追ってくる。

誰かが笑った。

誰かが「鶏が逃げた」と言った。

私は、逃げたのではない。

観測範囲を拡張したのである。

港の朝は、すでに動き始めていた。バスの音。自転車のベル。市場へ向かう人間の足音。うどんの湯気。海鳥の声。船の汽笛。紙袋を持った男の沈黙。少年の箸のささくれ。私の足裏に残る港の冷たさ。

これらをすべて、橋は一本の道路へ置き換えようとしている。

認めるわけにはいかなかった。

私は走りながら考えた。

世界の揺れを保つ方法が必要だ。橋ができても、海が意味を失わない方法が必要だ。船で渡った者たちの朝が、ただの昔話にならない方法が必要だ。

そのためには、運動を学ばなければならない。

人間の中には、突き、蹴り、受け、体捌きによって空間を読む者たちがいるという。香川の本山。そこでは、身体の動きによって距離を測り、相手を倒すのではなく、己を整える技術が扱われているらしい。

私はまだ、その意味を完全には知らない。

だが、首を振って世界を補正する私と、体を捌いて世界との関係を変える人間たちのあいだには、何らかの接続点があるはずだった。

港の角を曲がる直前、私は一度だけ振り返った。

少年が立っていた。

手には、まだ箸を持っている。男もその隣にいた。船員は息を切らしている。うどんの湯気が、朝の光の中で白くほどけていた。

少年が小さく言った。

「どこ行くんやろ」

男は答えなかった。

その沈黙を背に、私は高松の朝へ入っていった。

朝の素うどんの匂いは、まだ私のトサカの奥に残っていた。血流式熱交換アンテナとしてのトサカは、匂いを記録する器官ではない。だが、その朝だけは、確かに何かを保持していた。

たぶんそれは、出汁の匂いではなかった。

橋ができる前の海を、体内に確定するための、最後の湯気だった。

第2章 固定される海

高松の朝は、想像していたよりも速かった。

港を出た瞬間、世界の移動速度が変わった。連絡船の上では、すべてが大きく、ゆっくり揺れていた。海、甲板、人間の眠気、湯気、汽笛。どれも一度に押し寄せるのではなく、波のように遅れて届いた。だが、陸は違う。自転車が走る。バスが曲がる。店のシャッターが上がる。人間が横切る。箱が運ばれる。声がぶつかる。地面は揺れていないのに、情報だけが激しく揺れていた。

私は走った。

右足。左足。首を前へ出す。視界が止まる。胴体が追いつく。世界が一枚ずれる。右足。左足。首を前へ出す。視界が止まる。胴体が追いつく。さらに一枚ずれる。

人間はこれを逃走と呼ぶだろう。

だが、当鶏にとってそれは、急速な座標更新である。

港の床はざらついていた。砂、潮、油、乾ききらない魚の匂い、誰かがこぼした出汁、靴底に踏まれた小さな飯粒。それらが複雑に混ざり合い、朝の地面を構成していた。私は何度か立ち止まり、クチバシで地面を打鍵した。ここが高松である。ここが朝である。ここが、橋ができる前の陸側の入口である。

背後で船員が叫んでいた。

「そっち行ったぞ」

「鶏や、鶏」

「誰のや」

誰のや。

その問いは興味深い。

人間は、すぐに所有者を探す。鶏がいれば誰かの鶏であり、荷物があれば誰かの荷物であり、土地があれば誰かの土地であり、海に橋を架けるなら、それも誰かの計画になる。所有は彼らの認識を安定させるための杭である。名前のないもの、持ち主のないもの、用途の定まらないものを、彼らは不安がる。

私は誰のものでもない。

少なくとも、今この三秒間はそうである。

私は角を曲がった。

うどんの匂いが遠ざかり、代わりに魚と段ボールと濡れた縄の匂いが濃くなった。小さな市場の裏手らしい。発泡スチロールの箱が積まれ、長靴を履いた男たちが、眠気を顔に貼りつけたまま働いていた。魚の目は開いていたが、すでに観測をやめていた。私は一瞬、その目を見た。死んだ魚の目は、世界を反射するだけで補正しない。あれは、観測装置としては末期の状態である。

「おい、危ないぞ」

誰かが言った。

私は横へ跳んだ。足元を自転車が通り過ぎた。荷台には新聞の束が積まれていた。紙の束が朝を運んでいる。人間は、昨日までに起きたことを紙にして、今日の朝に配る。非常に遅い通信手段である。だが、人間はその遅さに安心するのかもしれない。すべてが即座に届いたら、彼らはたぶん耐えられない。

路地の奥で、女がしゃがんでいた。

年齢は判別しにくい。人間の年齢推定は、鶏にとって難易度が高い。羽が生え替わるわけでもなく、トサカの色で判断できるわけでもない。だが、その女の背中には、長く同じ場所で朝を迎えてきた者の曲がり方があった。

女は店の前に水をまいていた。

私を見ると、少しだけ手を止めた。

「なんや、あんた」

私は黙っていた。

正確には、黙っていたわけではない。必要な発話形式を検討していた。だが、人間の耳が私の言語を受理しないことは、すでに港で確認済みである。ここで宇宙論的危機を伝えても、女は餌か水の要求だと誤読する可能性が高い。

女は、手にしていた柄杓を置いた。

「逃げてきたんか」

私は女を見た。

逃げてきた、という表現は完全ではないが、港の船員たちよりは精度が高かった。逃走とは、単に危険から遠ざかることではない。割り当てられた意味から外れることでもある。明日の食材という予定表から、私は一時的に逸脱している。ならば、逃げてきたという表現は、七割ほど正しい。

女は店の奥から、折れたうどんの切れ端を少し持ってきた。

「ほれ」

地面に置かれたそれは、白く、短く、柔らかかった。

私は近づいた。

うどんは、すでに器の中の座標線ではなかった。切断され、冷え、店の裏で鶏へ与えられる余剰物になっていた。だが、それでもなお、そこには高松の朝が残っていた。小麦、塩、水、出汁の匂い。人間の胃に入るはずだったものの端。私はクチバシでそれをつついた。

世界が一度、確定した。

女は私を見て、笑うでもなく、追い払うでもなく、ただ少し息を吐いた。

「うちもなあ、昔はよう船に乗ったわ」

唐突に、女は言った。

私はうどんを飲み込み、動きを止めた。

女は私に向かって話しているのか、それとも店先の水に向かって話しているのか、判別できなかった。人間はときどき、相手を必要としない発話をする。ただ外へ出さなければ、身体の中で腐る言葉があるのだろう。

「夜に乗って、朝に着いて、ここらでうどん食べてな。眠たいのに、あれ食べたら、もう一日始まる気がして」

女はそこで口を閉じた。

続きはあったはずだ。誰と乗ったのか。どこへ行ったのか。誰に会ったのか。誰と別れたのか。だが、女はそれ以上言わなかった。代わりに、柄杓を取り、水をまき直した。路地の地面に薄く水が広がり、朝の光をぼんやり返した。

私は、その言わなかった部分を観測した。

人間の沈黙には、種類がある。何も考えていない沈黙。考えすぎて言えない沈黙。言っても仕方がないと知っている沈黙。言ってしまうと、今の生活に小さなひびが入る沈黙。女の沈黙は、おそらく最後のものに近かった。

「橋ができたら、楽になるんやろうけどな」

女は水をまきながら言った。

「楽になることと、なくなることは、よう似とるけん」

その言葉は、私の内部に鋭く入った。

楽になることと、なくなることは、よく似ている。

人間にも、まれに正確な観測を行う個体がいる。

私は女を見る。女はもう私を見ていなかった。店先の暖簾を直し、鍋の方へ戻っていく。私が世界構造の危機を共有できる相手を発見したのかと思ったが、そうではないらしい。女はただ、自分の朝の中で一度だけ正確なことを言っただけだった。

それでも十分だった。

私の中で、橋という記号の輪郭が少し濃くなった。

橋は、単に海をまたぐものではない。

橋は、待ち時間を削る。揺れを削る。港の朝を削る。眠いまま麺をすする儀式を削る。言わなかった言葉が、言われないまま残るための余白を削る。

便利になる。

楽になる。

そして、何かがなくなる。

私は再び歩き出した。

路地を抜けると、大きな通りに出た。トラックが停まっていた。荷台には鉄の部材が載せられている。太く、重く、鈍い灰色をしていた。鉄は沈黙している。木材よりも強く、海よりも硬く、鳥の骨よりも冷たい。人間は鉄に意味を与えたがる。柱、梁、橋脚、道路。だが、鉄そのものは何も語らない。ただ重くそこにある。

トラックのそばで、三人の男が缶コーヒーを飲んでいた。

作業服を着ていた。ヘルメットを片手に持ち、靴の先に泥がついている。彼らの会話は、港の女の言葉よりも粗かったが、別の種類の重さがあった。

「坂出の方、また段取り変わったらしいぞ」

「またか」

「上が急かしよるんやろ。開通に間に合わせんといかんけん」

「間に合ったら、船も減るんかの」

その一言で、私は止まった。

船も減る。

世界の一部が、数量として減少する。

私はトラックの影に入った。人間の足元は危険だが、会話を観測するには適した高さである。彼らは私に気づかない。気づいても、ただの鶏だと処理するだろう。その誤認は、今は利用できる。

「そら減るやろ。車で渡れるんやから」

「便利にはなるわな」

「便利にはな」

一人が、そこで缶コーヒーを振った。中身はもうほとんど残っていないらしく、軽い音がした。

「うちの親父、連絡船乗っとったんよ」

「船員か」

「いや、荷物運び。昔の話やけどな。橋できたら、ようやく楽になる言うとったくせに、最近は黙るんよ。テレビで橋のニュース流れると、黙って煙草吸いに外出る」

他の二人は、すぐには返事をしなかった。

トラックのエンジンが低く鳴った。遠くで自転車のベルが鳴った。どこかでシャッターが完全に上がる音がした。朝は、もう夜の残りをほとんど失っていた。

「まあ、仕事やけんな」

別の男が言った。

「橋は要るわ」

「分かっとる」

親父の話をした男は、缶コーヒーを飲み切った。

「分かっとるんやけどな」

その後は言葉にならなかった。

私はその未完了の文を観測した。

分かっている。橋は必要である。便利になる。人も物も速く動く。雨の日も、風の日も、船を待たずに渡れる。病人も運べる。商売も変わる。町も変わる。未来が来る。

だが、分かっていることと、納得していることは違う。

人間はこの二つを混同する。あるいは、混同したふりをする。そうしなければ、仕事に行けない朝があるからだ。

男たちの一人が、私に気づいた。

「おい」

私は動かなかった。

「鶏おるぞ」

三人が同時にこちらを見た。

私は三人を見返した。彼らは橋を造る側にいる。つまり、世界を固定する側の人間である。しかし同時に、橋によって何かが失われることも薄く知っている。敵なのか。味方なのか。分類が難しい。

「なんでこんなとこに鶏が」

「市場から逃げたんやろ」

「捕まえるか」

捕まえる。

人間は、理解できないものに近づくとき、まず所有か捕獲を考える。分類、所有、処理。彼らの思考経路は単純だが、動作速度は侮れない。私は首を前へ出した。視界が止まる。胴体が追いつく。足の位置を確認する。逃走経路は三つ。左は大通りで危険。右は鉄材の隙間。正面は男の足。最適経路は右。

私は走った。

「速っ」

男の声が後ろへ流れた。

鉄材の隙間を抜けると、暗い倉庫のような場所に出た。朝の光が届かず、埃が浮いていた。奥に古い木箱があり、その上に図面らしき紙が広げられていた。誰かが置き忘れたのか、これから使うのか。紙には線が引かれていた。直線。曲線。数字。記号。海を上から見下ろしたような図。

私は木箱へ飛び乗った。

図面を見る。

そこには、島と島のあいだを結ぶ線があった。

人間はすでに、海を紙の上で固定していた。

現実の橋が完成するより前に、まず紙の上で海は渡られていたのである。これは重要な発見だった。世界は、物質によって変わる前に、記号によって変わる。線が引かれ、名前が与えられ、予算がつき、人間が集まり、鉄が運ばれる。橋は最初から鉄でできているのではない。橋はまず、紙の上の一本の線として生まれる。

私はクチバシで、その線をつついた。

小さな音がした。

紙がわずかにへこんだ。

しかし、線は消えなかった。

もう一度つつく。

線は消えない。

三度目。

紙に小さな穴があいた。

私はその穴を見つめた。

世界に対する打鍵は、完全には無効ではない。だが、一本の線を消すには、私のクチバシは小さすぎる。いや、小さいことが問題なのではない。私の打鍵が、一点にしか作用しないことが問題なのだ。人間の引く線は、複数の紙、複数の机、複数の会議、複数の沈黙の上に同時に存在している。ひとつ穴をあけても、他の紙では線が残る。

橋とは、巨大な複製のシステムでもある。

私ははじめて、少しだけ恐怖を感じた。

食材にされることへの恐怖ではない。死への恐怖でもない。私が鳴かなくても朝が来てしまうかもしれない、という恐怖だった。

もし人間が、海を紙の上で固定し、鉄で固定し、道路で固定し、やがて記憶の中でも固定してしまうなら、鶏の声は何のために残るのか。

私は、図面の上で足を動かした。

紙がかさりと鳴った。

その音を聞いて、倉庫の入口から誰かが顔を出した。

少年だった。

港で朝の素うどんをすすっていた少年。ささくれのある箸を持っていた少年。男の隣で、「この鶏、どこ行くん」と言った少年。

少年は、私を見て目を丸くした。

「ほんまにおった」

私は動かなかった。

少年は一歩、倉庫の中へ入った。手には、紙袋を持っていない。男もいない。ひとりだった。走ってきたのか、少し息が上がっている。頬に朝の冷たさが残っていた。

「逃げたんやろ」

また、その言葉。

だが、少年の声には、船員や作業員のような捕獲の意図が薄かった。むしろ、確認しているようだった。自分もそうしたいと思ったことがある者の声だった。

私は図面の上に立ったまま、少年を見た。

少年は近づき、図面を見た。

「橋や」

小さく言った。

その言い方には、喜びも驚きも少なかった。すでに知っているものを、別の場所で見つけてしまった時の声だった。

「父ちゃん、橋の仕事に行くんやって」

少年は、誰にともなく言った。

私は耳を澄ませた。鶏の耳は外から見えにくいが、機能としては十分に鋭い。特に、人間が言わないようにしている言葉の手前で声が揺れる瞬間を、私は比較的よく拾う。

「前は船の仕事しよったんやけど」

少年は、そこで黙った。

続きを待った。

少年は図面の線を指でなぞった。私が開けた小さな穴の近くで、指が止まった。

「橋、できた方がええんやろな」

それは問いではなかった。自分に言い聞かせるための文だった。

私は鳴かなかった。

鳴けば、人間にはただの鶏の声になる。今この少年の前では、鳴かない方が正確なこともある。沈黙は、人間だけのものではない。鶏にもまた、発話しないことによって世界を保つ瞬間がある。

少年はしゃがんだ。

「でも、船の方が好きや」

声は小さかった。

「朝に着くけん。うどん食べるけん。海、見えるけん」

その三つの理由は、きわめて正確だった。

朝に着く。うどんを食べる。海が見える。

人間はときどき、難しい説明をすべて飛び越えて、世界の核心だけを言うことがある。少年の言葉には、構文上の飾りがなかった。だから強かった。

私は、図面の上から降りた。

少年は手を伸ばさなかった。捕まえようともしなかった。ただ、私の動きを見ていた。観測者と観測対象の関係が、短いあいだ反転していた。私は少年を見ている。少年も私を見ている。どちらも相手の言葉を完全には理解しない。それでも、同じ線の上に立っていた。

外で男たちの声がした。

「おったか」

「そっち見たか」

少年の肩が少し動いた。

彼は入口の方を見て、それから私を見た。

「行け」

小さく言った。

私はその単語を処理した。

行け。

所有ではない。捕獲ではない。命令ではあるが、解放に近い命令である。人間の言語にも、まれに使えるものがある。

私は少年の横を抜けた。

入口とは反対側に、小さな隙間があった。木箱と壁の間。人間の身体では通れない。鶏の身体なら通れる。翼を畳み、首を低くし、足の角度を調整する必要があるが、不可能ではない。

通り抜ける直前、私は振り返った。

少年は図面の前に立っていた。床に落ちた朝の光が、彼の足元まで届いている。橋の線は、まだ紙の上にある。私が開けた小さな穴も、そこにある。

少年は、その穴を指で隠した。

それが何を意味するのか、私には完全には分からなかった。

だが、少なくとも彼は、私の打鍵をなかったことにはしなかった。

私は隙間を抜けた。

外へ出ると、空はもう明るかった。港から離れたはずなのに、まだ海の気配がした。瀬戸内海は、見えなくなっても匂いで残る。潮の粒子が、町の低いところに薄く沈んでいる。人間はそれに気づかず、橋や道路や時刻表の話をする。

私は南西の方角を見た。

正確な地理は知らない。だが、作業員の会話、少年の言葉、図面の線、そして朝の素うどんの湯気が、一本の見えない経路を示していた。私はそこへ向かうべきだと理解した。

橋を止めることはできないかもしれない。

紙の線は、私のクチバシだけでは消せない。鉄は運ばれ、男たちは働き、女は店を開け、少年は父親の沈黙を見ないふりをする。世界は、それぞれの生活によって前へ進む。誰か一羽の鶏が、それを完全に止めることはできない。

だが、止めることだけが抵抗ではない。

橋が海を固定するなら、私は別の方法で揺れを残さなければならない。朝に着くこと。うどんを食べること。海を見ること。言わなかった言葉が、湯気の中に少しだけ浮かぶこと。それらが消えないように、世界のどこかへ打鍵し続けなければならない。

そのためには、運動が必要だった。

紙の線ではなく、身体の線。

固定ではなく、捌き。

橋の直線に対抗するための、別の軌道。

私は走り出した。

高松の朝は、もう完全に始まっていた。だが、私の朝はまだ確定していない。

当鶏は、これより多度津を目指す。

そこに、人間たちが本山と呼ぶ場所があるらしい。突き、蹴り、受け、体捌き。彼らは身体によって、空間の意味を変えるという。

ならば、学ぶ価値がある。

海が橋によって固定される前に、私は世界の揺れを保存する方法を見つけなければならない。

背後で、少年の声がしたような気がした。

それは私を呼ぶ声ではなかった。誰か別の人間に返事をする声だったのかもしれない。あるいは、私の三秒しか保てない脳が、勝手に生成した残響だったのかもしれない。

どちらでもよい。

私は首を前へ出した。

視界が止まる。

胴体が追いつく。

世界が一枚、ずれる。

その一枚ぶんだけ、私は橋から自由だった。

第3章 線路の上の沈黙

多度津という地名を、私は正確には知らなかった。

ただ、その音だけが残っていた。たどつ。人間の発話は、多くの場合、意味より先に音として身体へ入る。多、度、津。三つの短い区切り。鶏の歩行における、首、胴、足の移動に似ている。多。度。津。前へ出る。止まる。追いつく。

私は高松の朝の中を、西へ向かっていた。

西という概念も、当鶏にとっては不完全である。太陽の位置、海の匂い、道路を流れる車の向き、人間たちの会話、線路の曲がり。それらを重ね合わせた結果、おおむねこちらが西であろう、という推定にすぎない。人間は地図を持つ。私は持たない。だが、地図を持っている者が必ずしも迷わないわけではないことは、港で十分に観測した。

地図は、迷わないためのものではない。

迷ったとき、自分が迷っていることを確認するためのものである。

町は、船の上よりも複雑だった。道はまっすぐ伸びているようで、途中で曲がる。建物は似ているようで、どれも違う匂いを出している。人間は朝になると一斉に動くが、全員が同じ方向へ向かうわけではない。学校へ行く者。仕事へ行く者。市場から帰る者。何も持たずに歩いている者。どこへも行きたくなさそうなのに、どこかへ向かわされている者。

私はその足元を縫うように進んだ。

ときどき、子どもが私を指さした。

「鶏や」

母親らしい女が、「触ったらいかん」と言った。

触ったらいかん。

その判断は正しい。私は現在、極めて重要な任務の途中であり、無用な接触は避けるべきである。ただし、女の声には、衛生上の懸念しか含まれていなかった。世界構造の維持に関する敬意は、残念ながら検出されなかった。

小さな踏切のそばで、私は立ち止まった。

遮断機が降りていた。赤い光が交互に点滅し、鐘が鳴っている。人間たちはその前で待っていた。自転車に乗った学生。買い物かごを持った女。作業着の男。杖をついた老人。みな、同じ線の前で一時停止していた。

線路。

これは興味深い構造だった。

橋と同じく、線路も世界に引かれた線である。だが、橋の線とは少し違う。橋は、海の上に固定された直線として、こちらと向こうを即座に結ぼうとする。一方、線路は待たせる。列車が来るまで、そこを渡ることを許さない。人間たちは遮断機の前で足を止め、鐘の音を聞き、通過する車両を見送る。そのあいだ、ほんの短い沈黙が生じる。

待つことを強制する線。

これは、橋よりも少しだけ海に似ている。

列車が来た。

車体は朝の光を受けて、鈍く光っていた。窓の中には人間たちが座っていた。眠っている者。新聞を読む者。外を見ていない者。外を見ているようで、何も見ていない者。列車は、彼らの沈黙をまとめて運んでいった。

私は首を前へ出した。

視界が止まる。

列車が横へ流れる。

世界が細長く分割される。

一枚、また一枚、また一枚。窓ごとに別の人間がいて、別の朝があった。彼らは同じ車両に乗っているが、同じ場所にいるわけではない。人間は近くに座っていても、驚くほど遠い。

列車が通り過ぎたあと、遮断機が上がった。

人間たちは動き出した。

誰も、その短い停止について語らなかった。待っていたことさえ忘れたように、またそれぞれの方向へ進んでいく。人間の生活には、こうした小さな切れ目がいくつもある。踏切。信号。会計の列。湯が沸くまでの時間。船の出航までの時間。だが、彼らはそれをただの無駄として処理しがちである。

無駄ではない。

切れ目がなければ、沈黙は置き場所を失う。

私は線路を越えた。

その向こうに、小さな空き地があった。草がまばらに生え、端に古い自転車が倒れている。そこで一人の男が煙草を吸っていた。年齢は、港で紙袋を持っていた男より上に見えた。作業着を着ていたが、どこかへ急ぐ様子はない。あるいは、急ぐ必要がなくなった者の立ち方だった。

男は私を見た。

「お前、どこから来たんや」

私は答えなかった。

男はそれを当然のように受け取り、煙草の灰を落とした。

「船か」

私は男を見た。

人間にも、まれに勘の良い個体がいる。

男は笑わなかった。ただ、少しだけ目を細めた。私の羽毛に潮の匂いが残っていたのかもしれない。あるいは、朝の港から逃げ出した鶏という情報が、町のどこかで既に共有されていたのかもしれない。人間の噂は、鶏の走行速度より速い場合がある。

「昔はな」

男は煙草をくわえたまま言った。

「わしも船で渡りよった」

また、昔。

高松の朝には、この語が多く落ちている。昔。人間はそれを過去の場所として扱うが、実際には違う。昔とは、現在のどこかにまだ残っている未処理の部分である。足の裏の古傷、店先の古い看板、うどんの出汁の匂い、誰かが言いかけてやめた言葉。そうしたものが、まとめて昔と呼ばれている。

男は、遠くを見た。

そこに海は見えない。建物の屋根と電線と、朝の薄い空があるだけだった。だが、男は海を見ているような顔をしていた。

「橋ができたら楽や。そりゃ、楽やろ。病院行くにも、荷物運ぶにも、子どもが帰ってくるにも」

子どもが帰ってくる。

その言葉の後で、男は少しだけ黙った。

私は、その沈黙を観測した。

港の女は、楽になることとなくなることは似ている、と言った。この男は、楽になることの必要性を知っている。橋はただ何かを奪うのではない。誰かを帰りやすくもする。誰かの荷物を早く運ぶ。病院へ行く時間を短くする。人間の身体は壊れる。鶏の身体も壊れる。壊れたものを運ぶには、速さが必要なこともある。

私は、少しだけ困惑した。

橋は敵なのか。

それとも、敵という分類そのものが粗いのか。

男は煙草を指先でつまみ、地面へ落とさず、携帯灰皿らしき小さな缶へ入れた。几帳面な人間である。こういう人間は、忘れ物をしにくい。その代わり、忘れられないものも多い。

「けどなあ」

男は続けた。

「帰ってきやすくなったからいうて、帰ってくるとは限らんのよ」

その文は、かなり正確だった。

距離が短くなっても、沈黙が短くなるとは限らない。道ができても、足がそちらへ向くとは限らない。橋は海を越えられるようにするが、人間と人間のあいだにあるものを越えられるとは限らない。

男は私を見た。

「お前には分からんわな」

私はクチバシで地面を一度つついた。

分からない、というのは誤りである。完全には分からない、なら正しい。人間の親子関係は、鶏の群れの序列よりもはるかに複雑である。だが、帰ってこない者を待つという行為が、地面に落ちた餌を見つめ続けることとは異なる種類の空腹であることくらいは、私にも推測できる。

男は、私の打鍵を見て、少し笑った。

「そうか。分かるんか」

人間は、理解していない相手に理解されたと思いたがることがある。だが、それを完全な誤解として退けることもできない。なぜなら、誤解の中にも、ときどき正しい温度が含まれるからである。

遠くで車のクラクションが鳴った。

男は立ち上がった。膝に手を当て、少し時間をかけて身体を起こす。人間の関節は、年齢とともに発話するようになる。言葉ではなく、音や遅れとして。

「多度津行くんなら、あっちや」

男は道の先を指さした。

私は驚いた。

なぜ私の目的地を知っているのか。

いや、おそらく知っていたわけではない。港から西へ向かう鶏を見て、男は適当に言っただけかもしれない。だが、人間の適当な発話が、まれに予言のように機能することがある。

私は、男が指した方角を見た。

道は緩やかに伸びている。線路と並んだり、離れたりしながら、町の外へ向かっているようだった。海の匂いは薄くなっていたが、完全には消えていない。

「車に気いつけえよ」

男は言った。

私は歩き出した。

礼を言うべきか迷ったが、発話しても誤読される可能性が高い。代わりに、三歩進んだところで一度だけ地面をつついた。ここに男の言葉を固定する。帰ってきやすくなったからといって、帰ってくるとは限らない。

それは、橋に関する重要な補助定理であった。

町を抜けると、風が少し変わった。

建物の密度が低くなり、空が広くなった。道沿いに畑が見えた。土はまだ朝の水分を含んでいる。草の先に露が残り、小さな虫が動いている。私は立ち止まり、いくつかをつついた。任務中であっても、栄養補給は必要である。思想だけで身体は動かない。

畑の向こうに、鶏小屋があった。

私は足を止めた。

小屋の中には、数羽の鶏がいた。白いもの、茶色いもの、黒い斑のあるもの。彼らは地面をつつき、羽を震わせ、短く鳴いた。特に世界構造について議論している様子はない。だが、それは彼らが思考していないことを意味しない。思考とは、必ずしも長い文で行われるわけではない。つつく。見る。避ける。眠る。鳴く。それらもまた、身体による判断である。

一羽の茶色い雌鶏が、私を見た。

「コッ」

短い発話。

私は応答を検討した。

現在、私は連絡船を脱出し、橋による海の固定化に対抗する方法を求めて、多度津方面へ向かっている。目標は本山における身体技法の観測であり、最終的には世界の揺れを保存するための新たな打鍵方式を確立することである。

これを鶏語に圧縮するのは困難だった。

私は「コ」と返した。

茶色い雌鶏は、満足したように地面をつついた。

通信成立。

高度な概念は共有されなかったが、それで十分な場合もある。人間は言葉を多く持ちすぎているため、共有できないものを無理に共有しようとする。その結果、余計に遠ざかる。鶏は短い。短い分だけ、逃げ場がある。

小屋の奥で、年老いた雄鶏が私を見ていた。

トサカの色はやや褪せ、片方の脚に少し癖がある。だが、目は鋭かった。彼は他の鶏より高い場所に立ち、地面ではなく、私の移動方向を見ていた。

「コケ」

その声には、問いがあった。

どこへ行く。

私は首を前へ出し、体を少し低くした。

本山へ。

声にはならなかった。だが、身体の角度で示した。

老雄鶏は、しばらく私を見ていた。

それから、一度だけ鳴いた。

長い声ではなかった。朝を告げる声でもない。むしろ、何かを許可するような短い響きだった。

行け。

また、その意味。

少年も言った。老雄鶏も言った。人間と鶏が、別の言語で同じ方向を示すことがあるらしい。世界は、完全に分断されているわけではない。

私は鶏小屋を離れた。

背後で、雌鶏たちが地面をつつく音がした。規則的ではない。だが、完全な乱雑でもない。個々のクチバシが地面を打つたび、小さな座標が生まれては消える。橋がどれほど巨大であっても、世界の表面では無数の小さな打鍵が続いている。私はそれを少しだけ心強く思った。

昼に近づくにつれ、道路の熱が増してきた。

朝の冷たさは消え、アスファルトが足裏に硬くなじまない温度を帯びている。鶏の足は、長距離移動に最適化されていない。少なくとも、人間の道路を歩き続ける設計にはなっていない。羽はあるが、飛行距離には限界がある。首の補正機構は優秀だが、身体全体の耐久性には制約がある。

私は、少し疲れていた。

疲労とは、世界の情報量が増えすぎることでもある。足裏の痛み、喉の渇き、腹の空き具合、車の音、影の位置、遠ざかる海の匂い。それらが同時に押し寄せ、補正処理に遅延が出る。

そのとき、背後から軽いエンジン音が近づいてきた。

小さな軽トラックだった。荷台には木箱と空の籠が積まれている。運転席には、白い帽子をかぶった老人が座っていた。助手席には誰もいない。車は私の少し先で止まった。

窓が開いた。

「お前、どこまで行くんや」

今日、何度目かの問いだった。

私は老人を見た。

老人は笑っていなかった。驚いてもいなかった。まるで、道端に鶏がいることなど朝の天気と同じ程度の事実として受け入れているようだった。こういう人間は、処理が早い。

「多度津の方か」

また、その地名。

私は一歩近づいた。

老人は荷台を親指で示した。

「乗るか」

乗る。

それは、移動速度の大幅な変更を意味する。危険もある。人間の車両は、方向を自分で決められない。乗れば、私は老人の意図に一時的に従属することになる。だが、身体の疲労は無視できない。任務継続のためには、外部移動装置の利用を検討すべき段階だった。

私は軽トラックの後ろへ回った。

荷台は低かった。木箱を足場にすれば上がれる。私は跳んだ。少し羽ばたき、足をかけ、荷台へ乗った。老人は振り返らずに言った。

「賢いのう」

誤りではない。

軽トラックが動き出した。

荷台の木箱が小さく揺れる。風が羽毛の間を抜ける。地面が後ろへ流れる。歩行とは違う。首を前へ出しても、世界のずれ方が速い。私はしばらく補正に苦労した。だが、連絡船の揺れとは別種の規則性があることに気づいた。エンジンの振動。タイヤの回転。道路の継ぎ目。車体の軽い跳ね。それらは、橋ほど固定的ではない。むしろ、小さな揺れを持った移動だった。

老人は運転しながら、独り言のように話した。

「昔は、何でも船やったなあ」

また、昔。

「鶏も、野菜も、人も、黙っとる用事も、みんな船で渡った」

黙っている用事。

私は荷台の上で、首を上げた。

老人は続けた。

「橋ができたら、ええことも多い。そら、そうや。けど、船に乗っとる時間いうんは、不思議なもんでな。行く前の人間でも、帰る途中の人間でもない。ちょうど真ん中の人間になれるんや」

その観測は、非常に重要だった。

真ん中の人間。

連絡船とは、移動手段である以前に、人間を一時的にどこにも属さない状態へ置く装置だったのだ。本州の者でもない。四国の者でもない。出発した者でもない。到着した者でもない。ただ海の上にいる者。橋は、その中間状態を短縮する。あるいは、消してしまう。

私は木箱の縁をクチバシで軽くつついた。

ここに記録する。

老人は、私の音に気づいたのか、少し笑った。

「返事しよるんか」

私は否定しなかった。

道は西へ続いていた。遠くに山の線が見え、ところどころで海の気配が戻ってきた。線路が道路に近づき、また離れる。列車の音が遠くでした。私は荷台の上で、風に向かって立った。

高松の港はもう見えない。

朝の素うどんの湯気も見えない。

少年も、紙袋の男も、店先の女も、煙草の男も、鶏小屋の老雄鶏も、それぞれの場所に残っている。

だが、彼らの言葉は、完全には消えていなかった。

楽になることとなくなることは、よく似ている。

帰ってきやすくなったからといって、帰ってくるとは限らない。

船の上では、人は真ん中の人間になれる。

私は三秒以上の過去を保持できないはずだった。

にもかかわらず、それらの文は、私の内部で小さな骨のように残っていた。消化されず、砕けず、どこかに引っかかっている。記憶とは、脳だけに保存されるものではないのかもしれない。足裏に、トサカに、羽毛に、喉に、クチバシの先に、少しずつ分散して残るのかもしれない。

軽トラックが坂を越えた。

老人が言った。

「もうじき多度津や」

私は前方を見た。

多度津。

音が、地名になろうとしていた。

その先に、本山がある。身体によって空間を読む人間たちがいる。突き、蹴り、受け、体捌き。固定される海に対抗するための、もう一つの線がある。

私は翼を少しだけ広げた。

飛ぶためではない。

風の向きを測るためである。

世界は、まだ完全には固定されていない。

橋はできるかもしれない。船は減るかもしれない。朝の素うどんを食べる人間も、いつか別の場所で別の朝を迎えるかもしれない。それでも、風は荷台の上を通り抜け、羽毛の隙間で小さく渦を巻いている。

揺れは残っている。

問題は、それをどう読むかである。

軽トラックは、線路と並ぶ道を走っていった。

私は首を前へ出した。

視界が止まる。

胴体が追いつく。

世界が一枚、ずれる。

その一枚の端に、まだ海の光が残っていた。

第4章 白い道着の線

多度津は、名前よりも先に匂いで来た。

軽トラックの荷台で風に押されながら、私はその変化を受信した。高松の港にあった濃い潮の匂いは薄れ、かわりに乾いた土、線路の鉄、古い木造家屋、日なたに置かれた段ボール、そして遠くに残る海の気配が混ざっていた。海は見えない。だが、完全には消えていない。瀬戸内の町では、海はしばしば視界から退く。しかし、匂いや風や、人間の話し方の隙間に残っている。

軽トラックが速度を落とした。

老人は、何も言わずに細い道へ入った。線路沿いの道だった。列車は来ていなかったが、線路そのものがすでに何かを待っているように見えた。二本の鉄の線が、遠くへ向かって並んでいる。互いに近づきも離れもしない。人間はあの上を走るものを正確だと思っている。しかし、正確さとは不思議なもので、外側から見ればただの拘束であることも多い。

私は荷台の縁に足をかけた。

老人が言った。

「ここらでええか」

私は老人を見た。

ええ、という語の処理には少し時間がかかる。よい。充分である。ここで下りよ。これ以上は知らん。いくつかの意味が含まれている。人間の短い言葉には、しばしば複数の出口がある。

軽トラックが停まった。

私は木箱から荷台の縁へ移り、そこから地面へ飛び降りた。着地の衝撃が足裏から胴体へ抜けた。首を前へ出す。視界が止まる。胴体が追いつく。多度津の地面が一枚、私の下で確定した。

老人は窓から顔を出した。

「本山へ行くんなら、あっちの方や」

老人は、ゆるく坂の上へ続く道を指した。

なぜ私が本山へ向かうと知っているのか。再び疑問が発生した。だが、老人は説明しなかった。説明しない人間は、信用できる場合がある。すべてを説明しようとする者ほど、たいてい自分の不安を説明で埋めている。

私は地面を一度つついた。

老人はそれを見て、少し笑った。

「礼か」

礼。

私はその語を記録した。

老人の軽トラックは、エンジン音を小さく残して走り去った。荷台の木箱がひとつ鳴った。その音は、しばらく道の角に残り、やがて消えた。

私は坂道の方を見た。

白いものが動いていた。

最初は洗濯物かと思った。だが、違った。人間の子どもたちだった。白い道着を着て、黒や茶色の帯を締め、何人かで歩いている。髪の短い少年。背の高い少女。小さな子ども。みな、少し疲れた顔をしていたが、足取りはそろっていた。

白い道着。

それは、羽毛とは異なる白さだった。羽毛の白は、光を受けてやわらかく散る。道着の白は、折り目と縫い目を持っていた。布の白であり、訓練された白である。人間はときどき、身体の外側に別の皮膚を着る。その皮膚によって、自分を少し違う存在にしようとする。

子どもたちは、坂の途中で立ち止まった。

一人の少年が、帯を直していた。うまく結べないらしい。結び目が斜めになり、端の長さが左右で違っている。隣の少女がそれを見ていたが、すぐには手を出さなかった。少年は自分で結び直そうとした。ほどく。巻く。締める。失敗する。

少女が言った。

「反対」

少年は黙ってやり直した。

それでも、また少し曲がった。

少女は小さく息を吐き、今度は手を伸ばした。帯を取って、手早く形を整える。少年は抵抗しなかった。ただ、少しだけ顔を横へ向けた。人間の子どもは、助けてもらうことを恥ずかしがる。しかし、完全に助けがいらないわけではない。そこに小さな矛盾が生じる。

私は草むらの影から、それを観測した。

帯とは、身体の中心を示す線である。

ただ布を締めるだけではない。ゆるんだ腹部をまとめ、上半身と下半身の関係を一時的に定義する。結び目がずれれば、本人の気持ちも少しずれる。少女が結び目を直したとき、少年の身体の線はわずかに安定した。

橋は、海の上に線を引く。

帯は、身体の中心に線を結ぶ。

私は、この差異に注意を向けた。

坂の上から、大人の声がした。

「遅れるぞ」

子どもたちは走り出した。

私は後を追った。

もちろん、同じ速度では走れない。人間の子どもの脚は、鶏に比べて不自然に長い。彼らは二本の長い棒を交互に前へ出し、胴体を高い位置に保ったまま進む。視界が高すぎるため、地面の小さな情報を見落としているはずだ。それでも、速度は出る。進化とは、何かを得るかわりに何かを捨てる手続きらしい。

道の途中に、小さな石段があった。

私はそこを横切り、低い植え込みの下へ入った。葉の隙間から、白い道着たちが建物の中へ入っていくのが見えた。建物は派手ではなかった。むしろ、町の中に静かに置かれていた。だが、空気の密度が少し違った。人間たちが身体を整える場所には、独特の張りがある。

中から声が聞こえた。

「お願いします」

複数の声が重なった。

お願いします。

この語は興味深い。命令ではない。願望でもない。攻撃でもない。自分ひとりでは完結しないことを、相手に向かって差し出す言葉である。人間は、戦う前にもこの語を使うらしい。矛盾している。だが、その矛盾は悪くない。

私は建物の裏手へ回った。

窓が少し開いていた。そこから中が見えた。

床の上に、人間たちが並んでいた。白い道着の子どもたちと、大人が数人。正面に立つ男は、年配というほどではないが、若くもなかった。背中はまっすぐで、声は大きすぎない。大きな声で支配しようとしない人間は、内部に何か別の支柱を持っている場合がある。

「構え」

その声で、人間たちが姿勢を変えた。

私は息を止めた。

いや、鶏は人間ほど明確に息を止めない。だが、その瞬間、身体の内側の動きが一拍遅れた。人間たちは、同じ方向を向き、足を開き、拳を構えた。そこに、橋とは違う線が現れた。

固定された線ではない。

身体の中に、その瞬間だけ生まれる線だった。

「突き」

拳が前へ出た。

一斉に、白い袖が伸びる。布が鳴る。足が床を押す。胴体がわずかに回る。拳は単独で前へ出るのではない。足裏、膝、腰、肩、肘、手首。すべてが少しずつ連絡し、最後に拳という点になる。

私はそれを見て、強い違和を覚えた。

人間の突きは、くちばしの打鍵に似ている。

ただし、違う点がある。私のクチバシは地面の一点へ向かう。餌、石、紙の線、世界の座標。その一点を確定する。一方、人間の突きは、空間の中へ出る。まだ触れていないものへ向かい、相手との距離を測り、同時に自分の身体の位置を確認する。

つまり、人間の突きは、打鍵であると同時に測量でもある。

「受け」

今度は腕が外へ動いた。

私はさらに驚いた。

受けとは、止めることではなかった。少なくとも、ここで行われている動きは、ただ防ぐだけではない。向かってくる線を、正面から壊すのではなく、少しずらす。力の方向を読み、身体の角度を変え、相手の直線を別の場所へ流す。

橋の直線に対して、私は穴をあけようとした。

だが、ここにいる人間たちは、線を消すのではなく、ずらしている。

それは新しい考えだった。

橋を消すことができないなら、橋によって固定される意味をずらせばよいのか。

私は窓の下で、足の位置を変えた。

床の中では、稽古が続いていた。突き。受け。移動。構え直し。白い道着の線が何度も生まれ、何度も消える。完成した形はすぐに崩れ、次の形へ移る。どの形も永続しない。だが、消えるから弱いのではない。消えるから、次の線を作れる。

橋は一度できると、そこに残る。

身体の線は、一瞬で消える。

その弱さの中に、自由があった。

稽古の途中で、帯を直してもらっていた少年が何度も動きを間違えた。

右へ動くところを左へ出る。拳の高さが違う。足の向きが遅れる。隣の少女がちらりと見る。少年はその視線に気づき、顔を赤くした。大人の男は声を荒げなかった。

「止まれ」

全員が止まった。

男は少年の前に立った。

少年は肩を固くした。叱られる準備をしている身体だった。人間は叱られる前から、すでに叱られた形になることがある。肩が上がり、首が縮み、目が床へ落ちる。私はその形を、何度か港や市場でも見た。

男は、少年の拳を軽く持った。

「ここだけ直そう」

それだけ言った。

少年が、ほんの少し顔を上げた。

「全部直そうとすると、身体が迷う。一個でええ。今日はここだけ」

男は少年の肘の角度を少し変えた。ほんのわずかな変更だった。だが、その変更によって、少年の肩の力が抜けた。拳の線が、前より少しだけまっすぐになった。

一個でええ。

この文も記録すべきである。

人間は、多くのものを一度に直そうとして壊す。橋もそうかもしれない。海を便利にしようとして、待ち時間も、揺れも、港の朝も、同時に変えてしまう。だが、身体の稽古では、一度にひとつだけ直す。そうしなければ、身体が迷う。

世界もまた、一度に直そうとすると迷うのではないか。

私は窓の下で、クチバシを床に近づけた。

打鍵したい衝動があった。しかし、ここで音を立てれば見つかる。私はこらえた。鶏にとって、つつかないことは高度な自制である。

稽古が再開された。

少年の突きは、まだ完全ではない。だが、先ほどより少しだけ線が通っていた。隣の少女は、それを見ても何も言わなかった。ただ、自分の構えに戻った。何も言わないことが、褒めることより正確な場面もある。

しばらくして、二人組での稽古になった。

子どもたちが向かい合う。礼をする。構える。片方が突き、片方が受ける。突いた拳は、相手に届く前に流される。受けた腕は、攻撃を拒絶するのではなく、別の方向へ案内するように動く。

私は、その仕組みを見続けた。

橋とは、こちらから向こうへ最短で進む線である。

受けとは、向かってくる線を別の意味へ変える運動である。

ならば、私は橋を敵として扱うべきではないのかもしれない。橋は来る。おそらく、来るものは来る。鉄は運ばれ、工事は進み、人間は完成を待っている。病院へ早く行ける者もいる。荷物を早く運べる者もいる。帰りやすくなる子どももいる。橋そのものを否定することは、彼らの生活を否定することにもなる。

だが、橋ができることで失われるものを、そのまま失わせる必要はない。

線は、受けられる。

ずらせる。

別の場所へ流せる。

船で渡った朝。高松の素うどん。港の女の言葉。煙草の男の待つ時間。軽トラックの老人が言った、真ん中の人間。少年が指で隠した図面の穴。それらを橋の下へ沈めず、別の記号として残す方法があるはずだった。

稽古が終わった。

「ありがとうございました」

また、複数の声が重なった。

人間たちは礼をした。

私はその礼を見た。

頭を下げる。相手から目線を外す。自分の首を低くする。鶏にとって、首を下げることは通常、地面をつつく準備である。だが、人間の礼は、攻撃でも採餌でもなかった。自分の中心を少し相手へ預ける動きだった。

危険である。

同時に、美しい。

稽古を終えた子どもたちは、道場の外へ出てきた。私は植え込みの奥へ身を低くした。見つかれば捕獲される可能性がある。特に子どもは、鶏に対して不用意に近づく傾向がある。

帯を直してもらっていた少年が、最後に出てきた。

隣には、さきほどの少女がいた。二人はしばらく黙って歩いていた。少女の方が少し前を歩き、少年は半歩遅れている。追いつけないほどではない。追いつきたいのかどうかも、まだ決めていない距離だった。

少女が言った。

「やめるんかと思った」

少年は答えなかった。

少し歩いてから、「思った」と言った。

「なんでやめんかったん」

少年は、地面を見たまま歩いた。

「父ちゃんが、橋の仕事で忙しいけん」

答えになっていないようで、答えになっていた。

少女は何も言わなかった。

少年は続けた。

「家で言うたら、母ちゃんが困る」

これもまた、重要な沈黙の周辺にある文だった。

本当は、父親に見てほしいのかもしれない。忙しい父親に、今日の突きが少し直ったことを言いたいのかもしれない。けれど言えば、母親が困る。父親は橋の仕事で忙しい。橋は大事だ。仕事も大事だ。自分の小さな寂しさは、その大きさの前で言い出しにくい。

少女は、道の端に落ちていた小石を蹴った。

「今日、ちょっと良かったで」

少年は顔を上げなかった。

「何が」

「突き」

少女はそれだけ言った。

少年は、ほんの少しだけ歩幅を変えた。

それが喜びなのか、照れなのか、安心なのか、当鶏には完全には分類できない。だが、身体の線は少し変わった。帯の結び目も、朝よりまっすぐだった。

私は植え込みの中から、彼らを見送った。

そのとき、背後から声がした。

「そこにおるんは、誰や」

私は硬直した。

道場の大人の男だった。

振り返ると、男が窓の外へ回ってきていた。見つかったらしい。彼は私を見下ろしていた。手には竹刀も棒もない。ただ、静かに立っている。逃走経路を確認する。左に植え込みの隙間。右に石段。正面は男の足。後方は壁。最適経路は左。ただし、男の反応速度が未知数である。

男は少ししゃがんだ。

「鶏か」

私は男を見た。

この発話には驚きが少ない。多度津では、道端に鶏が現れることが日常的なのか。あるいは、この男が物事に驚かない訓練をしているのか。後者の可能性が高い。

「どこから来た」

私は答えなかった。

男は私の足を見た。羽毛を見た。トサカを見た。それから、少し離れた道の方を見た。

「海の方か」

またである。

人間は、私の羽毛に残る潮の粒子を読んでいるのか。それとも、逃げてきたものはたいてい海の方から来ると考えているのか。いずれにせよ、この男の観測精度は低くない。

男は立ち上がり、道場の入口近くに置いてあった小さな器に水を入れて戻ってきた。

器を地面に置く。

「飲んでいけ」

私は警戒した。

人間の与えるものには、意図がある。餌で釣る。捕まえる。飼う。売る。食べる。しかし、男は器を置くと、二歩下がった。捕獲距離から外れた。悪くない判断だった。

私は器に近づき、水を飲んだ。

水は冷たかった。

喉を通る感覚が、身体の奥に届いた。朝から移動し続けていた私は、自分が渇いていたことに遅れて気づいた。生物は、ときどき限界に近づいてから、ようやく自分の状態を知る。

男は何も言わなかった。

その沈黙は、港の男たちの沈黙とも、女の沈黙とも違った。相手を急かさない沈黙だった。人間の沈黙には種類がある。これは、待つための沈黙である。

私は水を飲み終えた。

男は言った。

「受けはな、止めることやない」

私は動きを止めた。

男は、私が理解したかどうかを気にしていないようだった。あるいは、理解されなくてもよいと思っているようだった。ただ、自分の中にある言葉を、そこに置いただけだった。

「来たものを、そのまま食らわんことや。少しずらす。相手も、自分も、壊さんために」

私は男を見た。

来たものを、そのまま食らわない。

少しずらす。

相手も、自分も、壊さない。

これは、極めて重要な命題である。

橋は来る。時代は来る。便利さは来る。失われるものも来る。それを正面から食らえば、こちらが壊れる。拒絶しきれば、相手を壊す。ならば、受ける。ずらす。意味を変える。

当鶏は、そのとき初めて、本山へ来た意味の一部を理解した。

男は、空になりかけた器を見て、もう少し水を足した。

「まあ、鶏に言うても仕方ないけどな」

その結論は誤っている。

だが、今は訂正しなかった。

私は地面を一度つついた。

礼。

老人から受け取った語を、ここで使う。

男はそれを見て、わずかに口元をゆるめた。

「達者でな」

私は植え込みの隙間を抜けた。

背後で、道場の中からまだ足音が聞こえていた。誰かが残って自主練をしているのかもしれない。床を踏む音。布が鳴る音。短い息。突き。受け。構え直す音。

橋の直線とは違う線。

身体の中に生まれ、すぐ消え、また生まれる線。

私は坂を下りながら、その線を何度も内部で再生した。クチバシによる一点の打鍵だけでは足りない。首の前後運動による補正だけでも足りない。これから必要になるのは、受けである。世界から来る巨大な線を、そのまま食らわず、少しだけずらす技術である。

多度津の空は、午後の色へ移りはじめていた。

遠くで列車の音がした。

私は足を止め、音の方向を見た。

線路は、まだ待つことを知っている。道場の床は、まだ消える線を知っている。海は、まだ匂いとして残っている。

ならば、橋ができても、すべてが終わるわけではない。

ただし、何もしなければ、多くのものは黙って消える。

私は首を前へ出した。

視界が止まる。

胴体が追いつく。

世界が一枚、ずれる。

その一枚の上に、白い道着の線がまだ残っていた。

第5章 小豆島の括弧

多度津で学んだことを、当鶏はただちに実践できたわけではない。

受けとは、来たものをそのまま食らわず、少しずらすことである。相手も、自分も、壊さないために。道場の男はそう言った。彼は、相手が鶏であることを理由に説明を省略しなかった。いや、説明しても仕方ないと言いながら、結局、説明した。その矛盾は嫌いではない。

私はその言葉を、足裏と喉とトサカの内側に分散して保存した。

しかし、言葉を保存することと、身体で使えることは違う。人間たちが何度も突き、受け、構え直していたように、概念にも稽古が必要である。私は坂道を下りながら、何度か自分の身体を小さくずらしてみた。右から自転車が来る。正面から人間が来る。背後から犬の匂いが来る。そのたびに正面から逃げるのではなく、少し斜めへ流れる。

犬の匂いが来たときは、かなり正確にずらした。

もっとも、犬の方は私を追う気があったため、完全な受けにはならなかった。私は植え込みの下へ滑り込み、羽毛に草の種をいくつか付着させる結果となった。犬は外で吠えた。私は沈黙した。沈黙もまた受けの一種である。相手の発話を正面から受け取らず、意味を薄め、時間へ流す。

多度津の午後は、朝の高松とは違っていた。

高松の朝には、船を降りた人間たちの眠気が漂っていた。出汁の湯気があり、港の床の冷たさがあり、まだ始まりきらない一日の柔らかさがあった。多度津の午後には、乾いた明るさがあった。線路、坂、白い道着、遠くの山、古い家の瓦。海の気配はあるが、正面には出てこない。瀬戸内の海は、場所によって態度を変える。

私は線路沿いを歩きながら、それを観測した。

やがて、小さな駅の近くへ出た。

駅前には、人間たちが少しずつ集まっていた。学生、買い物帰りの女、帽子をかぶった老人、荷物を抱えた男。列車が来るのを待っているらしい。ここにも待ち時間がある。船ほど長くはない。だが、完全に消えてはいない。

私はベンチの下へ入った。

日陰は涼しかった。足裏が少し楽になる。鶏の身体は、疲労を言葉にしない。代わりに、動きが遅れる。首の補正がわずかに甘くなる。地面への打鍵の精度が落ちる。私は自分の状態を点検した。空腹。軽い渇き。羽毛の乱れ。足裏の熱。任務継続は可能。ただし、次の移動手段を検討する必要がある。

ベンチの上で、二人の女が話していた。

一人は年配で、もう一人は中年だった。年配の女は風呂敷包みを膝に置き、中年の女は紙袋を二つ持っていた。紙袋からは、かすかに醤油の匂いがした。醤油というものは、遠くからでも分かる。塩と豆と時間の匂いがする。人間が作る調味料の中で、時間をここまで濃く含むものは珍しい。

「小豆島、何年ぶりやろ」

中年の女が言った。

小豆島。

その音が、私の中で止まった。

しょうどしま。小さな豆の島。人間の地名は、しばしば実物より軽い。しかし、音には力がある。しょう、ど、しま。波の上に置かれた三つの石のような音だった。

年配の女は、風呂敷の結び目を撫でた。

「法事以来やけん、七年ぶりやな」

「もうそんなになるんや」

「行こう思たら行けるんやけどな。近いようで、なかなか行かん」

私はベンチの下で、首をわずかに上げた。

近いようで、なかなか行かない。

橋によって距離が短くなったとしても、人間は必ず行くわけではない。第3章の煙草の男が言ったことと接続する。帰ってきやすくなったからといって、帰ってくるとは限らない。行きやすくなったからといって、行くとは限らない。距離は物理量であると同時に、心理的粘度でもある。

「船の時間、間に合うかいな」

中年の女が言った。

「高松で乗り換えたら大丈夫やろ」

船。

私はさらに注意を向けた。

小豆島へは船で渡るらしい。

橋の話を追って多度津まで来た私は、ここで新しい可能性に触れた。橋は本州と四国を固定しようとしている。しかし、瀬戸内には、橋の直線から外れる島がある。船でなければ届かない場所がある。橋の論理が海を一本の線へ圧縮するなら、島はその線から外れた括弧である。

括弧。

文の本筋から少し外れながら、文全体の意味を変えるもの。

小豆島へ行くべきだ。

この判断は、かなり迅速に下された。私は三秒以上の過去を保持できないが、必要な方角だけは、ときどき異様に強く残る。高松の朝の素うどん。多度津の道場。受け。ずらす。橋の線。そして、船でしか届かない島。

私はベンチの下から出た。

ちょうど列車が来た。

人間たちが立ち上がる。扉が開く。足音が集まる。私は乗降の流れを観測した。人間が密集している。危険である。だが、年配の女の風呂敷と中年の女の紙袋の足元には、短い空白があった。私はそこへ走った。

「きゃっ」

中年の女が声を上げた。

「鶏」

年配の女は驚いた顔をしたが、すぐに笑った。

「まあ、乗りたいんやろか」

乗りたい。

正しい。

私は女たちの足元をすり抜け、列車の床へ飛び乗った。床は連絡船の甲板とも、軽トラックの荷台とも違った。硬く、平らで、人工的に清潔だった。匂いは薄い。人間は、移動手段が新しくなるほど匂いを消そうとする。匂いを消すことは、不安を消すことと似ている。だが、匂いが消えると、記憶の付着力も弱くなる。

扉が閉まった。

列車が動き出した。

私は座席の下に入った。誰かが駅員を呼ぶかもしれない。誰かが捕まえようとするかもしれない。だが、人間は列車内に鶏がいるという事態に対して、すぐには適切な処理を選べないらしい。いくつかの小さな悲鳴と笑い声が起こり、やがて「まあ、次で降りるんちゃうか」という曖昧な結論に落ち着いた。

曖昧さは、移動において有用である。

私は座席下から、女たちの足元を見た。

年配の女の靴は、よく磨かれていた。中年の女の靴は歩きやすさを優先している。風呂敷包みは膝の上にあり、紙袋は足元に置かれている。中身は土産か、供え物か、誰かへの頼まれ物か。人間は移動するとき、物も一緒に動かす。だが、物より重いものを持っていることがある。

「お母さん、向こう着いたら先にお墓行くん」

中年の女が訊いた。

年配の女は少し黙った。

「先に海見たいな」

「海?」

「うん。港のとこで、ちょっとだけ」

中年の女は返事をしなかった。

私はその沈黙を観測した。

海を見たい、という願望は、一見単純である。だが、七年ぶりに島へ行く女が、墓より先に海を見たいと言う。その順番には、何かがある。亡くなった者のことを思い出す前に、その者がいた場所の空気を吸いたいのかもしれない。あるいは、墓前で泣かないために、先に海へ感情を逃がしたいのかもしれない。人間は、悲しみを直接扱うことが苦手である。だから、海や空やうどんや煙草を経由する。

列車は走った。

窓の外に、町、畑、線路、屋根、看板、遠い水面の光が流れた。私は首を前へ出し、補正した。列車の移動は速い。世界が一枚ずれるどころではない。無数の紙が一度にめくられていくようだった。これを人間は便利と呼ぶ。確かに便利である。だが、あまりに速くめくられる景色は、読まれないまま過ぎる危険がある。

高松に戻るころ、夕方にはまだ早かった。

女たちは列車を降り、港へ向かった。私は少し遅れて、足元の影を利用しながらついていった。高松港は朝とは違う顔をしていた。朝いちばんの素うどんの湯気は薄れ、人間たちの目はもう完全に覚めていた。荷物を運ぶ音、切符売り場の声、船の案内、車の列、海鳥。朝の余白は減っている。だが、船の前にはまだ待つ時間があった。

小豆島行きの船は、宇高連絡船よりも少し違う匂いがした。

乗る人間の荷物が違う。観光らしい者もいる。島へ帰る者もいる。仕事で行く者もいる。風呂敷包みを持つ女たちのように、言葉にしにくい用事を抱えた者もいる。船は、それらを同じ甲板へ一度集める。行き先が同じでも、目的は違う。人間は同じ船に乗っても、同じ物語には入らない。

私は荷物の陰に身を低くして、乗船した。

今回はカゴに入っていない。

これは大きな違いだった。

宇高連絡船では、私はカゴの中から世界を観測していた。視界は木枠によって分割され、海は隙間から見えた。人間に運ばれる存在だった。しかし今、私は自分の脚で船へ乗った。所有者の定義は曖昧であり、行き先も自分で選んだ。まだ完全な自由とは言えない。船の行き先は人間が決めている。だが、カゴの中よりは、はるかに揺れに近い。

船が港を離れた。

高松の町が少しずつ後ろへ下がる。

私は甲板の端、ロープの近くに立った。風が強い。羽毛が逆立つ。海面は昼の光を受けて、朝とは違う色をしていた。鉛色ではなく、青と白と銀が細かく砕けている。島影がいくつも見える。宇高連絡船から見た島々より、少し近く、少し細かい。

小豆島は、まだ遠かった。

年配の女が、少し離れたところで海を見ていた。中年の女は横に立っている。二人のあいだには、風が通るくらいの距離があった。近すぎず、遠すぎず。親子の距離は、しばしばこの程度の空白を必要とする。

「昔な」

年配の女が言った。

「お父さんと初めて島を出たときも、こんな風やった」

中年の女は、海を見たまま返事をした。

「覚えとるん」

「全部は覚えとらん」

年配の女は、少し笑った。

「でも、風だけ覚えとる」

私は、その言葉を強く受信した。

全部は覚えていない。でも、風だけ覚えている。

三秒以上の過去を保持できない当鶏にとって、この発話は親しいものだった。記憶とは、出来事の完全な保存ではない。部分である。風。匂い。麺の湯気。靴の踵。紙袋の重さ。帯の結び目。図面に開いた小さな穴。そうした部分だけが残り、残りは失われる。だが、部分が残れば、全体が完全に消えたとは言えない。

中年の女が、紙袋を持ち直した。

「お父さん、島出るの嫌やったんかな」

年配の女は答えなかった。

船のエンジン音が、その沈黙を少しだけ隠した。

「嫌というより」

年配の女は、だいぶ経ってから言った。

「行かんといかんかったんやろ」

行かんといかん。

この文は、非常に重い。

人間は、ときどき望みではなく必要によって動く。島を出る。橋を造る。船の仕事をやめる。家族に言わない。朝のうどんを黙ってすする。やりたいからではない。やらなければならないからである。その必要性を、後から自分の意思だったことにする。そうしなければ、日々の整合性が保てない。

私は甲板の床をつついた。

打鍵。

ここに記録する。

行かんといかん、という運動。

船は進んだ。

途中、風が強くなった。甲板の上で帽子が飛びそうになり、男が慌てて押さえた。子どもが笑った。別の女が目を細めた。海鳥が船の横をしばらく並走した。鳥である。だが、私とは飛行性能が違いすぎる。彼らは空間を三次元で扱う。私は主に地面と低空を扱う。生物間の能力差は残酷である。しかし、彼らはクチバシによる世界の座標確定について、どれほどの哲学を持っているのだろうか。少なくとも、私と議論したことはない。

小豆島が近づいてきた。

港の形が見えた。斜面に家が並び、山が奥に立ち、海沿いに道路が走っている。島というものは、地図上では小さく見えるが、近づくと複雑である。人間は海に囲まれた土地を島と呼ぶが、それは外側からの定義である。内側に入れば、坂、家、畑、神社、倉庫、店、港、墓、犬、洗濯物、誰かの黙った用事がある。

船が港へ着いた。

人間たちが動き出す。

私はロープの影を利用して、甲板から降りた。小豆島の地面は、高松とも多度津とも違っていた。潮の匂いに、何か甘く、少し青い匂いが混じっている。オリーブかもしれない。私はオリーブを正確には知らない。だが、葉の裏が光を返す木々が、坂の上に見えた。細く、硬く、どこか異国的な形をしている。

島の空気には、括弧が多かった。

本筋から少し外れた道。坂の途中で急に現れる石垣。海へ向かって開いた細い路地。古い看板。醤油蔵の黒い板壁。干された網。誰が使うのか分からない小さな椅子。島では、移動が直線になりにくい。行きたい場所へ行くにも、坂を回り、道を折れ、海を一度見てから、また戻る必要がある。

橋の論理とは違う。

橋は短縮する。

島は迂回させる。

私は、これを重要な対概念として記録した。

年配の女たちは、港の端へ向かった。墓へ行く前に海を見る、という発話どおりだった。私は少し離れてついていった。港の端には、低い防波堤があり、その向こうに海が広がっていた。高松から来た海と同じはずなのに、ここでは違う顔をしていた。島の海は、出発点ではなく、周囲である。どこへ向かうかではなく、どこからも囲まれているという感覚を与える。

年配の女は、防波堤の前で立ち止まった。

中年の女も隣に立った。

しばらく、二人は何も言わなかった。

私は後ろの草の中で、その沈黙を観測した。

長い沈黙だった。

だが、不快ではなかった。道場の男がくれた水の前の沈黙に少し似ている。急かさない沈黙。何かを言うためではなく、言わなくてもそこにいられるかを確かめる沈黙。

年配の女が、風呂敷包みを開いた。

中から出てきたのは、小さな木箱だった。古く、角が少し擦れている。港で紙袋を持っていた男の箱を思い出した。人間は、大事なものを箱に入れる。箱は、記憶に壁をつける装置である。

「これな」

年配の女が言った。

「お父さんが、島出るときに持っていった石」

中年の女は驚いたように母を見た。

「石?」

「港で拾ったんやって。なんでそんなもん持っていくん、言うたら、海がなくても島を忘れんようにって」

中年の女は、しばらく木箱の中を見ていた。

小さな石がひとつ入っていた。

ただの石である。

だが、ただの石ではなかった。

その矛盾を、人間はおそらく記念品と呼ぶ。私は、座標の携帯装置と呼ぶ。島の一部を持ち出し、別の場所で島を再起動するための媒体。朝の素うどんが高松を体内に確定する儀式なら、その石は小豆島をポケットの中で維持するためのクチバシなき打鍵である。

年配の女は石を取り出し、手のひらに乗せた。

「返しに来たん」

中年の女は、何か言いかけた。

だが、やめた。

そのやめ方がよかった。止めた言葉が、ただ消えたのではなく、母の手の上の石の周りに残った。

年配の女は、防波堤の下へ降り、小さな波打ち際へ向かった。中年の女が手を貸そうとしたが、年配の女は首を振った。自分で行く、という動きだった。人間は老いても、譲れない動作がある。誰かにしてもらえば楽になる。だが、楽になることとなくなることは、よく似ている。高松の女の言葉が、ここで戻ってきた。

年配の女は、石を海へ投げなかった。

そっと、波打ち際の他の石の間に置いた。

投げるのではなく、置く。

その差は大きい。

投げれば別れになる。置けば、戻すことになる。

私は草の中で、その動作を見ていた。

受けとは、来たものをそのまま食らわず、少しずらすことである。

この女は、夫の記憶を食らわなかった。捨てもしなかった。島へ戻した。海へ流したのではなく、波打ち際へ置いた。意味の方向を、少しだけずらした。

人間は、知らないうちに受けを行う。

道場だけが本山ではないのかもしれない。

年配の女が戻ってきた。

中年の女は何も言わず、手を差し出した。今度は年配の女も、その手を取った。二人の手が短く重なった。すぐに離れた。だが、その短さで十分だった。

「お墓、行こか」

中年の女が言った。

年配の女はうなずいた。

二人は坂道の方へ歩き出した。

私はついていかなかった。

彼女たちの物語は、ここから先、人間だけのものになる。鶏が観測すべき範囲にも限界がある。すべてを見ようとすることは、すべてを所有しようとすることに似ている。私は、そこまで粗雑ではない。

港に残った私は、波打ち際へ近づいた。

年配の女が置いた石は、他の石にまぎれて、すでにどれか分かりにくくなっていた。だが、それでよいのだろう。戻すとは、特別なものを普通の中へ返すことでもある。

私はその近くの地面を、一度つついた。

打鍵。

小豆島を記録する。

醤油の匂い。オリーブの青い光。坂。括弧のような路地。母と娘の沈黙。父が持ち出した石。投げずに置く手。

橋の線は、ここまでまっすぐには届かない。

しかし、島もまた孤立しているわけではない。船があり、風があり、人が戻り、石が戻る。つながりとは、必ずしも固定されることではない。ゆっくり渡ること。待つこと。迂回すること。戻すこと。そういう接続もある。

私は、そのことを理解し始めていた。

背後で、誰かが言った。

「鶏がおる」

またである。

振り返ると、港の作業員らしい男がこちらを見ていた。もう一人の男が笑っている。

「どっから来たんや」

この問いにも、そろそろ慣れてきた。

私は答えなかった。

男は近づこうとした。

私は少し横へずれた。

受け。

正面から逃げるのではない。相手の意図を受け、少しだけ線を外す。男の手が伸びる。私はその内側ではなく外側へ出る。男が「あっ」と言う。私は石垣の下へ入る。男はしゃがむ。私はすでに反対側へ抜ける。

完全ではないが、以前よりよい。

身体で学んだ概念は、身体でしか確認できない。

私は港の裏手へ出た。

そこには黒い板壁の建物があり、濃い醤油の匂いが漂っていた。樽のようなものが並び、木材が湿った時間を抱えている。醤油蔵。おそらくそう呼ばれる場所である。発酵とは、時間を食物へ変換する技術である。人間は時間に耐えるために、さまざまなものを発酵させる。豆、麦、記憶、後悔。

私はしばらく、その匂いの前に立った。

ここには、橋とは別の時間がある。

早くしない時間。

すぐに結果を出さない時間。

待つことでしか生まれない味。

瀬戸内海を橋で渡ることはできる。列車や車で速く進むこともできる。だが、醤油は速くならない。石が島へ戻る時間も速くならない。言えなかった言葉が沈黙から出てくる時間も速くならない。

私は、この島が括弧である理由を少し理解した。

括弧の中では、文の速度が変わる。

本筋は前へ進む。橋はできる。道路は伸びる。船は減る。人間は便利になる。だが、括弧の中には、別の時間が残る。醤油が発酵する。オリーブの葉が裏返る。石が波打ち際へ戻る。母と娘が言わなかった言葉を、海が代わりに置いておく。

私は、小豆島を離れなければならないことを知っていた。

本山で得た受けを、もう一度橋の線へ向ける必要がある。高松へ戻り、瀬戸大橋の噂の中心へ近づく必要がある。だが、すぐには動かなかった。

黒い板壁の下に、小さな影があった。

私はそこへ入り、身体を丸めた。

疲れていた。

鶏も疲れる。

世界の構文解析は、体力を消耗する。とくに、海を渡り、列車に乗り、道場を見て、島へ渡り、母と娘の沈黙を観測した後では、補正処理に遅延が出る。私は三秒以上の過去を保持できないはずなのに、保持すべきものが増えすぎていた。

朝の素うどん。

楽になることとなくなること。

帰ってきやすくなっても帰ってくるとは限らない。

船の上の真ん中の人間。

受けは、相手も自分も壊さないために少しずらすこと。

全部は覚えていない。でも、風だけ覚えている。

石を投げずに、置くこと。

それらは、私の中で不規則に鳴っていた。

私は目を閉じた。

完全には眠らない。鶏の眠りは浅い。危険があればすぐ起きる。だが、その短い半睡眠の中で、私は夢のようなものを見た。

海の上に橋が架かっていた。

その橋の下を、宇高連絡船が通っている。ありえない光景である。時代が重なっている。甲板には、朝の素うどんを持った少年がいて、紙袋の男がいて、道場の少年が帯を結び直していて、小豆島の年配の女が石を手のひらに乗せている。軽トラックの老人は船の舵を握り、醤油蔵の匂いが海の上まで漂っている。

私はカゴの中にはいない。

橋の上にもいない。

船の甲板と橋の影のあいだ、どちらにも完全には属さない場所に立っている。

真ん中の鶏である。

そこで私は鳴こうとした。

朝を告げるためではない。

消えたものと、まだ消えていないものの境目を知らせるために。

目が覚めた。

夕方の光が、黒い板壁の下へ斜めに差し込んでいた。島の空気が少し冷え始めている。港の方から船の案内らしき声が聞こえた。私は身体を起こした。羽毛を震わせる。草の種が少し落ちる。足裏を確認する。まだ歩ける。

高松へ戻らなければならない。

私は港へ向かった。

途中、波打ち際をもう一度見た。年配の女が戻した石は、もう分からなかった。だが、それでよい。普通の石に戻ったものほど、強いものはない。特別なものとして囲い込まれず、波を受け、砂に触れ、他の石と並び、少しずつ角を丸くしていく。

それは、橋に対する一つの答えかもしれなかった。

固定するのではなく、戻す。

まっすぐ結ぶのではなく、何度も波に触れさせる。

記憶を記念碑にするのではなく、日常の石に戻す。

私は船の乗り場へ走った。

夕方の便に、人間たちが乗り込み始めていた。観光を終えた者。島から高松へ向かう者。仕事帰りの者。疲れた顔の子ども。買い物袋を持った老人。誰も私の任務を知らない。誰も、鶏が小豆島で括弧を学んだことを知らない。

それでよい。

すべてを説明する必要はない。

私は荷物の影から甲板へ滑り込んだ。

船が動き出す。

小豆島が少しずつ遠ざかる。

島は、夕方の光の中で、ゆっくり輪郭を薄くしていった。海は青ではなく、銀と灰色の間に変わっている。風は少し冷たい。甲板の床は、朝の宇高連絡船よりも乾いている。

私は首を前へ出した。

視界が止まる。

胴体が追いつく。

世界が一枚、ずれる。

その一枚の端に、小豆島は括弧のように残っていた。


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